37 前夜
目を閉じたが、結局眠れず、ラズベルトは上着を羽織り小さな中庭に出た。
夜空を見上げながら、頭の中で明日の段取りを繰り返した。
(フィンが作った記録用の魔道具はレティシアさんにに渡したし…僕が中和の魔道具で、殿下に近付いて魅了の術を解く)
段取りは、頭に入っている。
それでも、眠れなかった。
(……双子の、兄弟……か)
アレクシスとの面識はない。
学園で遠目に見かけたことはあったが、それだけだ。
あの断罪の場で、レティシアに向けていた侮蔑の視線を思い出す。あのとき、ラズベルトは「茶番だ」と思って目を逸らした。今となっては、あの時のアレクシスは魅了の術に侵されていたのだろう。
(元々のアレクシス殿下って、どんな人だったんだろう?)
「眠れないのですか」
背後から、声がした。
振り返ると、レティシアが中庭に出てきていた。薄手の羽織をまとい、髪を下ろしている。
「レティシアさん」
「私も、少し眠れなくて……」
レティシアはラズベルトの隣に立ち、同じように夜空を見上げた。
しばらく、二人とも黙っていた。
ラズベルトは少し考えてから、口を開いた。
「あの……アレクシス殿下について、聞いても良いですか」
レティシアが、ラズベルトを見た。
「アレクシス殿下のことですか?」
「その……思い出したくなければ、無理には」
「いいえ」
レティシアは、静かに首を振った。
「お話しますわ」
***
「殿下との婚約が決まったのは、幼い頃のことです」
レティシアは、夜空を見たまま語り始めた。
「政略的な婚約でしたから、お互いに特別な感情はありませんでした。月に一度ほど顔を合わせる程度で……正直、打ち解けていたとは言えませんわ」
「仲が良くはなかったのですか」
「良くも悪くも、という感じでしたわね。殿下は、私のことをあまり好いてはいなかったと思います。私の方が、勉強や礼儀作法で上回ることが多かったので……王妃様にも可愛がっていただいていましたし、殿下からすれば、面白くなかったのかもしれません」
ラズベルトは、黙って聞いていた。
「ただ……」
レティシアが、少し間を置いた。
「王太子として、殿下は真面目でした。政務の勉強も怠らず、礼儀にも厳しかった。私との関係は冷ややかでしたが、それ以外では、将来の王として誠実に振る舞っていたと思います。学園に入る、少し前の頃までは」
「学園に入ってから、変わったのですか」
「ええ。最初は少しずつでした。言動が荒くなった、というか……侮蔑的になっていった、という感じでしょうか。そして、キャロルさんとの噂を耳にした頃から、それが顕著になりましたわ」
レティシアの声は、静かだった。感情的ではなく、ただ事実を振り返るような声だった。
「あの婚約破棄の場で、殿下が私に向けた言葉や目は……今思えば、あれは殿下本来の姿ではなかったのかもしれません。魅了がかかった状態で、キャロルさんの意図に沿って動いていたのだとすれば」
「……」
「それでも、傷つきましたけれど」
レティシアが、小さく笑った。
「本人のせいではないとわかっても、傷ついた事実は変わりません」
レティシアが、ラズベルトを見た。
「術によるものだから、気にしなくて良いとは、言わないのですね」
「それは、レティシアさんが感じたことを否定することになる気がして」
レティシアは、しばらくラズベルトを見ていた。
それから、目を伏せた。
「……ありがとうございます」
その声は、静かで、柔らかかった。
「一つ、聞いても良いですか」
しばらく沈黙が続いた後、今度はレティシアが口を開いた。
「はい」
「あなたは……アレクシス殿下のことを、どう思っていますの?」
ラズベルトは、少し考えた。
「そうですね……いまいち、実感ないんですよね……直接話をしたこともないですし……双子って言われても、似てないですしね」
「アレクシス殿下とラズベルトさまは、雰囲気が全く違いますわね」
ラズベルトは、思わず苦笑した。
「ですよね……僕、パッとしない感じですし」
「いえ、そうでもないですけど……少なくも私は、あなたの方が好ましいですわよ」
照れ隠しのように顔を横に向けながら、レティシアが小さく早口で言うので、ラズベルトは、かぁっと顔が熱くなった。
「レティシアさん……ありがとうございます」
二人は、並んで夜空を見る。
星が、静かに瞬いていた。
「そろそろ、中に入りましょうか」
しばらくして、ラズベルトが言うと、レティシアが頷いた。
「ええ。明日に備えないといけませんわね」
眠れるかどうかはわからなかった。
けれど、少しだけ、気持ちが軽くなった気がした。




