34 フィンの屋敷
夜明けの王都を、ラズベルトは馬を走らせた。
人通りの少ない路地を選びながら進む。背後に追ってくる気配はないが、速度は落とさなかった。
レティシアが、ラズベルトの背中にしっかりと掴まっている。
「大丈夫ですか」
「……はい」
短い返事だったが、声は落ち着いていた。
レティシアの事をあまり知らなかった頃のラズベルトなら、「落ち着いているな」と思っただろう。
しかし、数ヶ月共に過ごしたラズベルトには、その声音の中に微かに恐怖が入り混じっていることに気がついた。
(気丈に振る舞ってくれているけど……)
レティシアを安心させたいが、追手の気配に集中しているラズベルトに、そんな余裕はなかった。
せめて、早くフィンの屋敷にたどり着けるよう、馬を操った。
フィンの屋敷は、王都の外れにある。クラウスの屋敷とは逆方向だ。
昨夜手紙を出したばかりで、まだ返事も来ていない。突然押しかけることになる。
(フィンのことだから、文句を言いながらも中に入れてくれるだろうけど……たぶん)
たぶん、という部分が少し不安だったが、今は他に当てがなかった。
***
フィンの屋敷に着いたのは、すっかり夜が明けた頃だった。
ラズベルトは馬を止め、表の扉を叩いた。
しばらく待つと、扉が開いた。
寝ぐせのついた髪に、眠そうな目。しかし、ラズベルトの顔を見た瞬間、フィンの目が少し変わった。
「……何があった」
「説明する。中に入れてくれるか」
フィンはラズベルトとレティシアを交互に見た。それからドアを大きく開けた。
「入れ」
屋敷の中は、相変わらず魔道具と設計図で溢れていた。
フィンは散乱した設計図をひとまとめに脇に押しやり、椅子を二つ出した。
「座れ」
「ありがとう」
ラズベルトはレティシアと共に腰を下ろした。フィンは向かいに座り、腕を組んで二人を見た。
「話せ」
ラズベルトは、謁見のことから順に話した。
国王が神殿への調査を開始したこと、神殿がこちらの居場所を掴んで動いてきたこと。
フィンは一言も挟まずに聞いていた。
「……なるほど」
話し終えると、フィンは短くそう言った。
「それで、ここに来た理由は」
「昨夜手紙を出したんだけど、届いてないよね?」
「届いてない」
「……そうだよね」
それはそうだ。夜に出した手紙が翌朝届くとは思えない。どのみち『魔道具について相談がある』としか書いていないから、直接話す必要はあった。
「夜会でモノクルを使って記録した魔力の変化、あれは証拠として使えるようにできる?」
フィンは少し考えた。
「魔力の変化の記録だけでは、証拠として弱い。禁術が使われたという証明には、術式の痕跡が必要だ」
「術式の痕跡?」
「魅了の術は、対象者の魔力に特定のパターンを残す。そのパターンが隣国の禁術と一致すれば、証拠になる」
「そのパターンは、どうすれば確認できる?」
フィンが、珍しく少し迷うような顔をした。
「もう一度、王太子に近づく手段が必要だ」
ラズベルトは、レティシアを見た。
レティシアも、同じことを考えていたようで、静かに頷いた。
「もう一度アレクシス殿下に近づく必要があるということですわね」
「うん。でも、今度は中和するだけじゃなくて、術式の痕跡を記録する魔道具が必要だ」
「できるか?」
フィンに問うと、彼は少し黙ってから答えた。
「作れる。一日くれ」
「……一日か」
神殿が動いている今、一日は長い。しかし、フィンが「一日」と言うなら、それが最短だろう。
「わかった。頼む」
「その間、ここにいろ」
フィンはそう言い、立ち上がった。作業台に向かいながら、ぼそりと付け加えた。
「……飯くらいは出す」
ラズベルトは、思わず苦笑した。
「ありがとう、フィン」
「別に」
フィンはすでに設計図に目を落としていた。
***
フィンが「一日待て」と言い、作業台に向かいかけたとき、ふとレティシアの方を見た。
それからラズベルトに視線を移し、無言で廊下の奥を指さした。
「……小部屋がある。使え」
それだけ言って、フィンは作業台に向かった。
ラズベルトはレティシアと共に、フィンが示した小部屋に入った。
窓から朝の光が差し込む、小さな部屋だった。
扉を閉めて、ようやく一息ついた気がした。
「レティシアさん、座ってください。疲れたでしょう」
「……はい」
レティシアは椅子に腰を下ろした。
膝の上に置いた手が、かすかに震えているのをラズベルトは見た。
「レティシアさん」
「……大丈夫ですわ」
レティシアは、顔を上げて微笑んだ。しかしその目が、少し潤んでいた。
「大丈夫じゃなくて、いいですよ」
ラズベルトは、レティシアの前にしゃがんだ。
「ずっと、怖かったんじゃないですか」
「……っ」
レティシアが、唇を噛んだ。
「貴方の前で、弱いところを見せたくなかったのですけれど……」
「僕の前だから、見せてください」
ラズベルトは立ち上がり、そっとレティシアを抱きしめた。
レティシアは少し驚いたように固まった。しかしすぐに、ラズベルトの背中に手を回した。
「……怖かったですわ」
小さな声だった。
「聖騎士の声が聞こえたとき、足が震えて……」
「はい」
ラズベルトは、何も言わずにレティシアを抱きしめたまま、少しの間そうしていた。
「すみません……僕の問題にあなたを巻き込んで……」
小さく呟くと、レティシアはすぐに首を横に振った。
「いいえ。あなたに付いていくと決めたのは私ですわ」
少し身を離しラズベルトを見上げたレティシアの瞳は、強い意思を秘めていた。
本当はレティシアを慰めないといけない場面なのに、ラズベルトの方が慰められていた。
「……ありがとうございます」
しばらくして、ラズベルトが言うと、レティシアは小さく頷いた。
「いいえ……一緒に領地に帰りましょうね」
ラズベルトは、もう一度レティシアを抱きしめた。
(レティシアさんには、敵わないな)
窓からは、王都の朝の光が差し込んでいた。




