28 魅了(レティシア視点)
王宮の夜会は、久しぶりだった。
クラウスの腕を取り、会場に足を踏み入れた瞬間、視線が集まるのを感じた。
コソコソと言葉を交わす姿も見えた。
(やはり、目立つわね)
王太子に婚約破棄された令嬢が夜会に現れたのだ。それだけで話題になることはわかっていた。
覚悟の上だったし、思っていたより何の感情も湧かなかった。
レティシアは、ただ静かに前を向いて歩く。
「大丈夫か」
クラウスが、小さな声で言った。
「ええ」
レティシアの反応を見て、クラウスはそれ以上何も言わなかった。
会場は煌びやかだった。
高い天井から吊るされた燭台が、色とりどりのドレスを照らしている。香水と蝋燭の匂いが混ざり合い、楽団の音楽が絶え間なく流れている。
かつては、ここが自分の居場所だった。
アレクシスの隣で、皆の中心にいた。
レティシアは少し不思議な気持ちで、会場を見渡した。
目的は、アレクシス王子とキャロルに近づくことだ。
しばらく会場を回りながら、二人の場所を確認する。
目立つ二人だ。すぐに見つかるだろう。
(いましたわ)
会場の中央寄りに、アレクシスの姿が見えた。隣には、キャロルが寄り添っている。
レティシアは、ドレスの胸元に付けたブローチ型魔道具の感触を確かめた。
(さぁ、行きましょう)
***
「まあ、レティシア様」
近づいていくと、先にキャロルが気がついた。
驚いたような顔をしてみせたが、目は笑っていなかった。
「お久しぶりですわ、キャロルさん」
「まさか夜会でお会いできるとは思いませんでした。ご一緒の方は……お兄様でしたかしら」
「はい。兄のクラウスです」
クラウスが、静かに会釈した。キャロルはアレクシスに向き直る。
「殿下、レティシア様がいらっしゃいましたわ」
アレクシスがレティシアに目を向けた。その視線は、どこかぼんやりとしていた。
「……ああ、レティシアか。久しぶりだな」
「ご無沙汰しております、殿下」
レティシアは、礼儀正しく頭を下げた。
キャロルが、ふとレティシアに近づいた。クラウスには届かない、小さな声で囁く。
「そういえば……レティシア様、ご婚約なさったと聞きましたわ。おめでとうございます。確か、とても田舎の方だとお聞きしましたけれど……大丈夫ですか? ご不便はないかしら」
言葉は気遣いの形をしていたが、声音は違った。
(相変わらずね)
レティシアは、微笑みを崩さなかった。
「ええ、とても良いところですわ。自然が豊かで、人も温かくて。王都とは違う良さがあります」
「まあ……そうですか」
キャロルは少し拍子抜けしたような顔をした。
「婚約者様は、どのような方なのですか?」
「とても優しい方ですわ。自分でお菓子を作って、いつも食べさせてくれるんです」
「……お菓子を? 殿方が、ご自分で?」
「ええ。とても美味しいんですよ」
レティシアは、本当のことを言っていた。そしてそれが、キャロルの想定した反応と全く違うことも、わかっていた。
(惨めに思わせようとしているのでしょうけれど……残念でしたわね)
***
その会話の間も、レティシアはアレクシスの様子に注意を払っていた。
魅了の魔術を中和する魔道具は、ドレスの胸元にある。フィンの説明では、近くにいるだけで効果が及ぶはずだ。
アレクシスの様子が、少しずつ変わっていった。
最初はぼんやりとしていた目が、ゆっくりと焦点を結び始める。周囲を見渡すような仕草をして、軽く眉を寄せた。
「……」
アレクシスが、何か言いかけて口を閉じた。それからもう一度、今度はレティシアを見た。
霧が晴れていくような目だった。
「レティシア……お前、どうして」
声も、先程よりはっきりとしている気がする。
キャロルがアレクシスの腕に手を添えた。
「殿下? どうかなさいましたの」
「いや……」
アレクシスは、何かを振り払うように軽く首を振った。
レティシアは、胸の奥で静かに息を吐いた。
(効いている)
確かに、変化があった。魅了の術は、確かにアレクシスにかかっていた。そして、中和の魔道具で、その効果が薄れ始めているのが、わかった。
耳元の魔道具から、短く息を吸う音が聞こえた。
会場の外で、ラズベルトもアレクシスの変化に気がついたのだろう。




