26 クラウス・オルティース
夜会まで、三日あった。
レティシアがオルティース家の名前で招待状を手配してくれ、あとは当日を待つだけだ。しかし、準備することは山ほどあった。
まず、レティシアの兄への説明が必要だった。
屋敷を貸してもらっている手前、何も知らせないまま王宮の夜会に出席するわけにはいかない。
レティシアが兄に連絡を取ると、翌日には返事が来た。
「兄が来てくれるそうです」
「それは助かります。色々と話せますね」
レティシアは手紙を畳みながら、少し表情を和らげた。
「兄は、私が一度決めたら聞かないことをよく知っているので。止めるより手を貸す方が早いと思ったのでしょう」
(兄妹仲が良いんだな)
レティシアの表情から、兄への信頼がうかがえた。
(レティシアさんのお兄さんか……そういえば、まだ一度も会ったことがないんだよな。緊張するな)
ラズベルトはレティシアと婚約したが、オルティース公爵家の面々と顔を合わせたことがないことに、今更ながら気がついた。
***
翌朝、レティシアの兄が屋敷にやってきた。正確には、帰って来たが正解だろうか。
レティシアと同じ金髪だが、目の色は違う。落ち着いた灰色の瞳が、屋敷に入ってきたラズベルトをひと目見て、静かに動いた。
「クラウス・オルティースだ」
声も物腰も、レティシアによく似た静かな雰囲気だった。
「ラズベルト・ヘルマンです。レティシアさんには大変お世話になっています」
「……こちらこそ」
クラウスは短く言い、ラズベルトからレティシアへと視線を移した。
「無事か」
「ええ、おかげさまで」
「顔色が良い」
クラウスがわずかに目を細め、それからラズベルトに視線を戻す。
「……話を聞かせてもらいましょう」
***
三人で居間に座り、ラズベルトとレティシアがここまでの経緯を説明した。
ラズベルトの義兄エルハルトがアレクシス殿下暗殺未遂で、聖騎士団に連行されたこと、神殿と隣国の繋がり、キャロルへの疑惑、フィンから得た魔道具のこと。
出生の秘密については、ラズベルトはあえて口にしなかった。レティシアの兄といえど、クラウスは初対面だ。今はまだ、話す時期ではないと判断した。
クラウスは二人の話を、一度も口を挟まずに聞いていた。
「……なるほど」
話し終えると、クラウスは静かにそう言った。
「夜会でキャロルさんに近づき、魅了の術が使われているか確かめる。その上で解除を試みる、ということですか」
「はい。レティシアさんをエスコートしていただけますか? はじめは僕が変装して夜会に参加することを考えたのですが……」
「それは、やめたほうが良い。兄である私がエスコートする方が、神殿に勘付かれるリスクが低い」
ラズベルトは頷いた。
「はい。なので、会場の近くで様子を観察しようと思っています」
クラウスが、再びラズベルトをじっと見た。
レティシアと同じ、感情の読みにくい目だった。しかし何かを測っているような、静かな圧がある。
「……少し、ヘルマン侯爵令息と二人で話しても構わないか」
クラウスがレティシアに向かって言う。
「ええ」
レティシアは席を立ち、「では紅茶を用意してきますわ」と居間を出ていった。
二人きりになると、クラウスはラズベルトに向き直った。
「ヘルマン侯爵令息」
「はい」
「率直に聞くが、君はレティシアのことをどう思っている?」
クラウスの目は真剣だった。
ラズベルトは、緊張で唾を飲み込んだ。
「婚約者として、ということですか」
「それだけではない。あの子は……アレクシス殿下との件で、深く傷ついた。友人だと思っていた令嬢たちにも離れられた。それでも、今のあの子の顔色は、王都にいた頃よりずっと良い」
クラウスの声は静かで、感情的ではなかった。
「君のそばで、あの子が笑えているということは……私にはわかる」
ラズベルトは、クラウスの目をまっすぐ見た。
「……好きです」
短く、しかしはっきりと言った。
「レティシアさんのことが、好きです。一緒にいると、僕も嬉しいし、彼女に笑っていてほしいと思っています」
クラウスは、しばらくラズベルトを見ていた。
それから、ほんのわずかに表情を和らげた。
「そうか……あの子が選んだのであれば、私が口を挟むことではないが、兄として君の気持ちを知っておきたかった」
クラウスはそう言って、紅茶の入ったカップを手に取った。
「ただ、一つだけ」
「はい」
「必ず、無事に連れて帰ってくれ」
ラズベルトは、まっすぐ頷いた。
「約束します」
そのとき、居間の扉が開いた。
「お待たせしました」
レティシアが、ティーセットを持って戻ってきた。
二人の様子を交互に見て、少し首を傾げる。
「……何を話していましたの?」
「世間話をしていただけだ」
「世間話です」
二人が同時に答えると、レティシアはさらに怪訝そうな顔をした。
「……怪しいですわね」
ラズベルトとクラウスは、どちらともなく視線を逸らした。
レティシアが小さくため息をつく声がして、ラズベルトは少し笑った。




