25 魔導具師の友人
フィン・ヴェルナーの住居は、王都の一角にある古い屋敷だった。
表札もなく、窓には厚いカーテンが引かれている。ラズベルトが門を叩くと、しばらくして扉が細く開いた。
「……ラズか」
隙間から覗いた顔は、学生時代とほとんど変わっていなかった。薄い色の髪に、眠そうな目。表情に乏しく、感情が読めない。
「久しぶり、フィン。手紙読んでくれた?」
「読んだ。入れ」
それだけ言って、フィンは扉を開けた。
屋敷の中は、外観以上に雑然としていた。
棚という棚に魔道具や材料が並び、床には設計図らしき紙が散乱している。作業台の上には、見たこともない形の金属細工が転がっていた。しかし不思議と埃っぽくはなく、どこかに生活の気配がある。
「相変わらず、ごちゃごちゃした部屋だね」
「片付ける必要がない」
フィンは作業台の椅子に腰かけると、ラズベルトに向かい合いの椅子を目で示した。
「座れ。話を聞く」
愛想はないが、これがフィンの普通だ。学生時代からそうだった。人付き合いが苦手で、クラスでも端の席に一人でいることが多かった。ラズベルトが話しかけなければ、卒業まで一度も口を利かなかったかもしれない。
「隣国の魔術について、何か知っていることはある?」
ラズベルトは単刀直入に聞いた。
「……隣国の魔術」
フィンの眠そうな目が、わずかに動いた。
「もう少し絞れ。隣国の魔術は広い」
ラズベルトは少し考えた。
神殿と隣国が繋がっている。キャロルは隣国の出身で、神殿に一人で出入りしている。そして、アレクシス殿下はキャロルと出会ってから人が変わったように、レティシアとの婚約を破棄した。
あの卒業パーティーでの断罪を思い返す。あの時のアレクシス殿下の言動は、遠目から見ていたラズベルトでも不自然に感じた部分があった。
婚約者を衆目の前で断罪することに、合理的な理由が見当たらなかった。
(もし、アレクシス殿下が何らかの形で操られていたとしたら)
それならば、辻褄が合う。
「そうだな……人の感情や意志に干渉するものは?」
フィンは少し黙った。それから、ゆっくりと立ち上がった。
「魅了の術のことか」
その言葉を聞いた瞬間、ラズベルトは背筋が伸びた。
「……知っているのか」
「知っている」
フィンは棚から一冊の冊子を取り出し、作業台の上に置いた。
「隣国では古くから研究されている術式だ。対象者の感情に直接作用し、術者への好意や服従心を植え付ける。この国では禁術に指定されているが、隣国では今も研究が続いている」
「それを……使うことはできる?」
「できる。ただし、高度な魔力と訓練が必要だ。素人が扱える術式じゃない」
ラズベルトは、昨夜レティシアと話した内容を頭の中で繰り返した。
キャロルは隣国の出身。神殿と隣国は繋がっている。キャロルは一人で神殿に出入りしている。
「もし、その術を使われた人間がいたとして……外から見て、わかるものなの?」
「難しいな。術にかかった側は、自分の意志で動いていると信じている。外から見ても、判断しにくい」
「解除は?」
フィンはラズベルトをしばらく見た。
「……何があった」
「説明すると長くなるよ」
「構わない。聞く」
ラズベルトは少し迷ってから、事の経緯を話した。エルハルトのことは伏せ、神殿と隣国の繋がりのこと、キャロルの不自然な行動のことを。
フィンは一言も挟まずに聞いていた。
「……なるほど」
話し終えると、フィンは再び立ち上がった。今度は棚の奥の方を探り始める。
「魅了の術には、対抗する手段がある。魔力を中和する魔道具を使えば、術の効果を一時的に遮断できる」
「作れるの?」
「既にある」
フィンが棚の奥から取り出したのは、小さなブローチだった。銀色の細かい模様の描かれた意匠で、一見ただの装飾品に見える。
「これを身に着けていれば、魅了の術が遮断される。近くにいる者にも、ある程度効果が及ぶ」
「……なんで、そんなものが既にあるんだよ」
「以前から隣国の禁術に興味があって研究していた。これはその副産物だ」
フィンは淡々と言う。
おそらく、魔術協会に提出すれば特許レベルの魔道具ではないだろうか。フィンは、昔から周囲の評価を気にしない感じはあった。自分の作りたいものを、作りたい時に作る。そんな男だ。
「使うか」
フィンが、ブローチをポチッとラズベルトに投げたため、慌てて受け取る。
「使って良いの?」
「……ああ」
フィンは、素っ気なく頷いた。
「……ありがとう、フィン」
「別に」
フィンはすでに作業台に向かい直している。
「一つ言っておく」
「何?」
「魅了の術が解けた後が、難しい。術にかかっていた側は、自分が操られていたと知ることになる。混乱する可能性が高い」
ラズベルトは頷いた。
「わかった。気をつける」
「それと」
フィンが、珍しく少し間を置いた。
「君が関わっている件、神殿が絡んでいるなら、相当厄介だ。気をつけろ」
「……うん」
「以上だ」
フィンはそれきり作業に戻った。
***
屋敷に戻り、ラズベルトはレティシアに報告した。
魅了の術のこと、中和する魔道具のこと、フィンから聞いた術の詳細を順に話す。
レティシアは静かに聞いていた。
「……やはり、キャロルさんが関わっていそうですね」
「まだ断定はできないけど、状況的にはそう考えるのが自然だと思う。キャロルさんは隣国の出身で、神殿に一人で出入りしている。そして神殿と隣国は繋がっている」
「アレクシス殿下が、魅了にかけられているとしたら……あの卒業パーティーでの婚約破棄も」
レティシアの声は、静かだった。
「……はい」
ラズベルトはそっと言った。
レティシアはしばらく黙っていた。
「でも……今は、エルハルト様のことが先です」
レティシアが顔を上げ、ラズベルトを見た。
「魅了を解除するためには、キャロルさんに近づく必要があります。夜会なら、自然に接触できますわ」
「夜会に出るということですね」
「ええ。わたくしの名前があれば、招待状は取れます。それに……」
レティシアは少し間を置いた。
「アレクシス殿下に、真実を知ってもらわなければ、エルハルト様の冤罪も晴れません」
「わかりました。夜会に向けて、準備を始めましょう」
窓の外には、王都の夜が広がっていた。




