23 王都へ
ヘルマン領から王都までは、馬車で五日ほどの距離だ。
ラズベルトとレティシアは、馬に乗り王都を目指すことにした。
街道を外れた山道を選んだため、多少遠回りになった。神殿の目を避けるためには、人通りの多い大街道は避けた方が良いとラズベルトが判断したのだ。
出発前に、問題が発覚した。
レティシアが、馬に乗れなかった。
正確には、乗れないわけではないが、一人で馬を操ることが出来ないのだ。公爵令嬢として乗馬の作法は習っていたものの、それはあくまで整備された馬場での話だった。山道を一人で馬を操りながら長時間移動するとなると、話は全く別だった。
屋敷の裏手で馬に跨ったレティシアは、手綱を握ったまま固まってしまった。
「……申し訳ありません」
レティシアが、唇を噛んだ。
「一緒に行くと言っておきながら、馬も一人で乗れないなんて……足手まといですわね、私」
俯いた横顔が、悔しそうだった。
(あ、悔しそうな顔……)
ラズベルトは少し驚いた。いつも凛としているレティシアが、こんなふうに自分を責める顔をするとは思っていなかった。
「足手まといなんかじゃないですよ」
「でも……」
「レティシアさんがいなければ、王都でどこに泊まるか迷わなければなりませんでしたし、王都での動き方も全然違います。馬に乗れないくらい、どうにでもなります」
ラズベルトは自分の馬の傍らに戻ると、レティシアに手を伸ばした。
「一緒に乗りましょう」
「……よろしいのですか」
「もちろんです。さ、手を」
レティシアは少し迷ってから、ラズベルトの手を取った。ラズベルトが引き上げ、自分の前にレティシアを座らせる。
「……狭くないですか?」
「大丈夫ですよ」
そう言いながら、内心そうでもなかった。
レティシアとの距離が近すぎて、平常心を保つのが難しかった。
(今は、それどころじゃないんだけどな……)
ラズベルトは努めて前を向き、馬を進めた。
初日は、ほとんど無言で馬を進めた。
レティシアも静かだった。ただ、時折ラズベルトの様子をちらりと確認するような視線を向けてきた。
(心配させているな)
そう思っても、気の利いた言葉が出てこなかった。頭の中がまだ整理しきれていなかったのだ。
二日目の昼過ぎ、山の中の開けた場所で馬を止めて休憩を取った。
木陰に腰を下ろし、持参した携帯食を広げる。出発前に厨房で簡単に用意したものだ。
「これは、なんですか?」
「旅の途中でも作れるものがこれくらいで……簡単なものですみません」
「いいえ、嬉しいですわ」
レティシアが受け取り、一口食べる。それから、少し表情を和らげた。
「ラズベルト様が作るものは、何でも美味しいですわね」
「本当ですか?」
「ええ。いつもティータイムを楽しみにしていましたもの」
レティシアがさらりと言う。
(そうか、楽しみにしてくれていたのか)
ラズベルトは少し笑った。出発してから、初めて笑った気がした。
風が木々を揺らし、木漏れ日が揺れた。山の中だというのに、緊張が少し解けていく気がした。
「ここを抜けたら、明日の夕方には街道に出られます。もう少しだけ、この道を辛抱してください」
レティシアが頷く。
木の隙間から差し込む光が、レティシアの金髪を照らしていて、とても美しい。まるで、森の女神のようだと、ラズベルトは思った。
(こんな状況でも、レティシアさんが居てくれるから……)
一人でないことが、心強かった。
ラズベルトは少し、肩の力が抜けた。
しばらく、二人並んで黙ったまま食べた。その沈黙は、出発してからのそれとは少し違った。
***
三日目の夜、宿に泊まった。
小さな宿で、ラズベルトもレティシアも目立たないように平民の旅人に見える服装に着替えていた。レティシアが変装するのに最初は戸惑っていたが、慣れると案外様になっていた。
食堂で夕食を取りながら、道中で耳にした話を整理した。
「神殿が、最近かなり動いているという話を聞きましたが……」
「宿の主人が言っていましたわね。王都では、神殿の騎士がよく見かけられるようになったと」
「エルハルトを捕らえた件だけじゃなく、他にも何か動きがあるのかもしれません」
ラズベルトは声を低くした。
「早めに動いた方が良さそうです」
「ええ」
レティシアは静かに頷いた。旅の間、こういった話をするとき、レティシアは感情的になることなく落ち着いて応じてくれる。それが、ラズベルトには有難かった。
***
四日目、王都が近くなってきたため、馬ではなく馬車に変更した。
慣れない馬での移動に疲れが出ていたのか、レティシアは馬車の座席に腰を落ち着けた途端、少し息をついた。
「……随分と楽ですわ」
「そうですね。もう少し早く切り替えれば良かったです」
「いいえ、山道では仕方ありませんわ」
揺れる馬車の窓から、遠くの景色を眺めながらレティシアが言った。
「ヘルマン領に戻ったら、馬に一人で乗れる練習をしますわ」
「練習、付き合いますよ」
(帰ったら、か)
ヘルマン領を帰る場所として言ってくれていることが、ラズベルトには嬉しかった。
それと同時に、必ず帰らなければならないと、あらためて思った。
五日目の夕暮れ、王都が見えてきた。
遠くに城の塔が見える。かつて三年間通った学園も、あの城の近くにあるはずだ。
「久しぶりの王都ですわね」
レティシアが、静かに言った。
「……懐かしいですか?」
「どうでしょう。あまり、良い思い出ばかりではないので」
それ以上は言わなかった。ラズベルトも聞かなかった。
レティシアの兄に宛てた手紙は、出発前に早馬で送っていた。オルティース公爵家の王都の別邸ではなく、兄が個人的に所有する小さな屋敷を使わせてもらえるよう頼んでくれていた。
案内された場所は、王都の外れにある目立たない屋敷だった。
「兄が使っている屋敷ですわ。普段は管理人しか居ないので、気兼ねなく使えます」
「助かります」
屋敷に入ると、管理人の老夫婦が出迎えてくれた。レティシアをよく知っているようで、「お嬢様、お待ちしておりました」と慣れた様子で迎え入れてくれる。
通された部屋は、小さいながらも清潔で居心地が良かった。
「思ったより、落ち着いた場所ですね」
「兄はこういう場所が好きなのです。あまり派手なものを好まないので」
「レティシアさんに、似ていますね」
「……そうかもしれませんわ」
レティシアが、少し柔らかい顔で言った。
荷物を置き、部屋に落ち着いてから、ラズベルトは窓の外を見た。
王都の夜景が遠くに広がっている。学生時代に見ていたそれと、同じ景色のはずだ。しかし今は、全く違う見え方がした。
(エルは、今どこにいるんだろう)
こうしている間も、時間は過ぎていく。
(急がないと……)
ラズベルトは拳を軽く握り、明日から何をすべきかを頭の中で整理し始めた。




