22 出発の前夜
レティシアと話した翌朝、ラズベルトは両親の元に足を運んだ。
レティシアも、隣に立っている。
昨夜、「両親への話し合いに同席させてほしい」と申し出てくれたのだ。断る理由もなく、ラズベルトは頷いた。
「王都に行きます」
開口一番そう告げると、父の表情が固まった。
「……駄目だ」
「理由を聞かせてください」
「理由は分かっているだろう。変に動いて、神殿にお前のことがバレたら、お前の身が危うくなる」
父の声は静かだったが、有無を言わさない響きがあった。
「それでも行きます」
「ラズベルト」
「エルは僕の身代わりで捕まっています。このまま領地に引っ込んで、神殿の判断を待ち続けることは出来ません」
ラズベルトは父から目を逸らさなかった。
「お前が動けば、状況が悪化するかもしれない」
「動かなければ、何も変わりません」
ラズベルトは、キッパリと言った。
父は、ゆっくりと目を閉じた。
「……お前は昔から、こうと決めたら聞かないな。普段は、心配なくらい緩いのに」
「父上に似たんだと思います」
父は何も言わなかった。否定もしなかった。
「ラズベルト」
母が口を開いた。
目が、赤くなっていた。
「危ないのよ。わかってるの?」
「わかっています」
「わかってないわよ。わかってたら、そんな顔で『行きます』なんて言えないわ」
母の声が、わずかに震えた。
「あなたをどれだけ大切に育ててきたか……わかってる? 王都に行って、神殿に捕まったら……それだけじゃない、道中だって何があるか……」
「母上」
「駄目。絶対に駄目。エルハルトだけじゃなくて、あなたまで居なくなったら……っ」
言葉が途切れた。母が唇を噛んで、俯く。
肩が、小さく揺れていた。
(……こんな顔をさせたくなかった)
ラズベルトは、視線をそらせなかった。
「エルを、見捨てられません」
静かに、しかしはっきりと言った。
「僕の身代わりで捕まっているエルを、このまま放っておくことは……僕には出来ない。エルは、僕が何も知らない間も、ずっと僕を守ってくれていたんでしょう?」
母が、はっとした顔をした。
「それを知ってしまったら……知らないふりは、出来ないんです」
母が唇をさらに強く噛んだ。
父は腕を組んで、窓の外を見ていた。
しばらく、誰も何も言わなかった。
「……私も、一緒に参ります」
沈黙を破ったのは、レティシアだった。
父も母も、レティシアに視線を向ける。
「レティシアさん……」
「オルティース家の名前を使えば、王都で身を隠せる屋敷も手配できますし、王宮や神殿に接触しやすいでしょう。ラズベルト様一人で行くよりも、わたくしが同行した方が、動きやすいはずです」
父が、レティシアをしばらく見つめた。
「……あなたは、全部聞いたのですね」
「はい。ラズベルト様から、全てお聞きしました」
「危険になるかもしれない。それでも、行くと」
「ラズベルト様が行くのであれば、私も参ります」
きっぱりとしたレティシアの言葉に、父は一瞬、目を細めた。
母は、泣きそうな顔のまま、レティシアとラズベルトを交互に見ていた。
それから、震える声で言った。
「……必ず、二人とも、帰ってきなさいよ」
「母上……」
「帰ってくるって、約束しなさい」
ラズベルトは、一瞬だけ迷ってから、頷いた。
「……約束します」
母がようやく顔を上げた。目が赤い。それでも、ラズベルトの目をまっすぐ見ていた。
「……二人とも、今夜は下がれ」
父がそう言った。声は静かだったが、さっきとは少し違う響きがあった。
ラズベルトは唇を引き結び、レティシアと共に書斎を出た。
***
廊下に出ると、しばらく二人とも黙っていた。
先に口を開いたのは、レティシアだった。
「侯爵様を……怒らせてしまいましたか」
「いいえ。父はああいう人なので」
ラズベルトは首を振った。
書斎での父の目は、怒っているのとは少し違った。何かを考えているときの、あの目だった。それに、最後の声の響きも。
(たぶん、分かってくれている)
言葉にはしなかったが、そう感じていた。
「レティシアさん」
「はい」
「さっきは、ありがとうございました。一緒に来てくれると言ってくれて」
「当然のことを言ったまでですわ」
レティシアはそう言ったが、ラズベルトには当然には思えなかった。
「当然じゃないですよ。僕の事情に巻き込まれているのに、あんなふうにはっきり言ってくれて……本当に助かりました」
「……私は、貴方の婚約者ですもの」
レティシアが、少し顔を赤くしながら、ぼそりと言った。
「それに、オルティース家の名前が役に立てるなら、使えばいいと思っています。今まで、重荷にしか感じていなかったので」
最後の一言は、独り言のように小さかった。
(そうか……レティシアさんにとっては、そういうものだったんだ)
王太子の婚約者として背負ってきた公爵家の名前。婚約破棄の後は、不名誉のレッテルとして追いかけてきたもの。
それを、今ここで自分のために使おうとしてくれている。
「レティシアさん」
「なんですの?」
「貴女が、オルティース家の令嬢で良かったです」
ラズベルトが真剣な顔で言うと、レティシアは少し目を丸くしてから、小さく笑った。
「……変なことを言いますわね」
「本当のことですよ」
レティシアは耳まで赤くなっているのが見えた。
「お、王都の屋敷の件ですが、兄に連絡を取れば、すぐにでも使えます。出発前に手紙を出しておきますわ」
「ありがとうございます」
レティシアの照れ隠しのような早口に、ラズベルトの肩の力がフッと抜けた。
***
翌朝早く、ラズベルトは荷物をまとめ、レティシアの部屋に声をかけた。レティシアも既に準備を整えていた。
屋敷の裏手に回ると、馬の準備がされていた。
普段ラズベルトが使っている馬だ。
(……父上か、母上か)
どちらかが、手配しておいてくれたのだ。
何も言わなかったのに。止めると言ったのに。
(……ありがとうございます)
ラズベルトは手綱を握り、一度だけ屋敷を振り返った。
二階の窓に、人影が見えた。
すぐに、カーテンが引かれた。
「行きましょう」
「ええ」
レティシアが頷く。
二人は、夜明けの光の中を、王都へ向けて馬を進めた。




