19 抱えきれないもの
翌朝、ラズベルトはいつも通りの時間に起きた。
いつも通り顔を洗い、いつも通り朝食の席についた。
しかし、何もかもがいつも通りではなかった。
食卓に並ぶ料理の味がわからない。父と母が何か話しかけてくるが、うまく返事ができない。レティシアが隣から心配そうにこちらを見ているのは気配でわかったが、顔を向けられなかった。
「……ごちそうさまでした」
ほとんど食べられないまま、ラズベルトは席を立った。
心配そうな視線を感じたが、振り返ることはできなかった。
***
ラズベルトは、庭に出た。
行き先を決めていたわけではない。ただ、屋敷の中にいると息が詰まりそうで、外に出たかった。
いつもレティシアとお茶を飲むテーブルの横を通り過ぎ、温室の前を通り過ぎ、ラズベルトは領地見学で連れて行ったあの丘の手前まで歩いていた。
腰を下ろし、膝を抱えてぼんやりと遠くの山を眺める。
昨日の夜から、同じことを何度も考えていた。
(僕は……)
アレクシス王子の、双子の兄弟。
神殿の神託から逃れるために、ヘルマン侯爵家に預けられ、エルハルトと身分を入れ替えて育てられた。
(エルは、それを知っていた)
幼い頃から、ずっと。
何も知らないラズベルトの隣で、ずっと笑っていた。
剣術の稽古に誘いに来て、うるさいくらいに話しかけて、真夜中に部屋に上がり込んできて。
全部、知った上で。
(それって……)
ラズベルトは膝の上に額を乗せた。
嬉しいのか、悲しいのか、自分でもわからない。
エルハルトが捕らえられたのは、ラズベルトの身代わりだ。
神殿はエルハルトを、神託の王子だと思い込んでいる。
もし、神殿の誤解が解けなければ、エルハルトはどうなるのか。
ラズベルトは、王子として名乗り出るべきなのか。
それとも、秘匿しておくべきなのか。
どうすることが正しいのか分からない。
しかし、エルハルトを身代わりにしたまま知らぬふりをすることは、できない。
どうすれば、エルハルトを助けられるのか。
その答えが、見つからない。
***
どのくらいそうしていたのかわからない。
草を踏む足音が近づいてくるのに気がついたのは、もうすぐそこまで来てからだった。
「ラズベルト様」
レティシアだった。
隣に立った彼女は、ラズベルトの様子を確かめるように見てから、黙って隣に腰を下ろした。
「……レティシアさん」
「屋敷の方が、庭に出たとおっしゃっていたので」
レティシアはそれ以上何も言わなかった。ただ、ラズベルトと同じように遠くの山を眺めている。
しばらく、二人の間に風だけが通り過ぎた。
「……レティシアさん」
「はい」
「僕、頭の中がぐちゃぐちゃで……今は、うまく話せそうにない……です」
「構いませんわ」
レティシアの声は、穏やかだった。
「話せるようになったときに、話してくださればいいのです」
ラズベルトは顔を上げた。
レティシアはまっすぐ前を見たまま、ただそこに座っていた。
無理に聞き出そうとしない。ただ、隣にいてくれる。
(話したい、と思っている)
それは本当だった。頭の中でぐるぐると繰り返すだけでは、整理がつかない。
でも、話せるのか。
自分の口から話すことで、レティシアを深く引き込んでしまうかもしれない。
(それは……)
答えが出ないまま、ラズベルトはまた遠くの山に目を向けた。
レティシアは、何も言わずに隣にいた。




