15 領地見学
一刻後、ラズベルトは約束通りレティシアの部屋を訪れた。
「おまたせしました」
少し緊張した面持ちで部屋から出てきたレティシアを見て、ラズベルトは目を丸くした。
レティシアはいつものドレス姿ではなく、動きやすいパンツスタイルの服装に着替えていた。フリルやレースもあしらわれていて、動きやすさと可愛らしさが両立している。
「少し歩くとおっしゃっていたので……ドレスよりもこちらの方が良いかと思ったのですが。どうでしょう?」
チラッと上目遣いでレティシアはラズベルトに尋ねた。
「あ……はい、可愛い、です」
「か、可愛いですか?」
レティシアの顔が、かあっと赤くなった。
「はっ、すみません。とても似合っていると思います」
ラズベルトは慌てて言い直す。
(また口から先に出た。似合っているのも本音だが、一番先に出てきた感想が「可愛い」だったのだから仕方がない……仕方がないんだが)
「ラズベルト様も、似合ってますわ」
照れ隠しのようにレティシアがラズベルトの服装を褒めてくれた。
「あ、ありがとうございます。えっと、じゃあ出発しましょうか」
(母上、ありがとうございます)
ラズベルトは、今着ている服を買ってきた母親に内心で手を合わせながら、レティシアの手を取った。
「ええ、よろしくお願い致しますわ」
少しぎこちない雰囲気の二人は、領地見学に出発したのだった。
***
ヘルマン侯爵家の領地は王国の東方にあり、山々に囲まれた——よく言えば、自然豊かで穏やかな地だ。
これといった産業があるわけではないが、春になれば丘の斜面が野花で埋め尽くされる。王都の整備された庭園とは違う、手の入っていない雑然とした美しさで、ラズベルトは子どもの頃からこの景色が好きだった。
また、先代領主である祖父が道の整備に尽力したおかげで、山に囲まれながらも外の領地と隔絶されることなく、人と物の往来が続いていた。
まずラズベルトはレティシアを屋敷から近い村の市場に案内した。
石畳の広場に、色とりどりの露店が並んでいる。野菜や果物、焼きたてのパン、乾燥させたハーブ、手編みの籠……王都の市場に比べれば規模は小さいが、活気がある。
「おや、若様じゃないか」
通りかかった老婦人が、気さくに声をかけてきた。
「おはようございます、ミラさん。今日も元気そうで」
「あんたも相変わらず色白だねえ。もっと外に出なきゃ」
ラズベルトが苦笑する横で、老婦人の視線がレティシアに移る。
「こちらが噂の……まあ、べっぴんさんだこと!」
「レティシア・オルティースですわ。はじめまして」
レティシアが丁寧に会釈をすると、老婦人はにっこりと笑い返した。
「若様、良いお嬢さんじゃないか。しっかりしなきゃだめだよ」
「しっかりしてますよ……」
ラズベルトが小声で返すと、老婦人はからからと笑いながら露店に戻っていった。
その後も、すれ違う領民たちが次々と声をかけてくる。何人かはレティシアにも親しげに話しかけ、野菜や焼き菓子を「よかったら」と差し出してくれた。
「みなさん、ラズベルト様のことが好きなのですね」
市場を抜けた石畳の道を歩きながら、レティシアが言う。
「好かれているというより、顔見知りが多いだけですよ。子どもの頃からうろうろしていたので」
「でも、みなさん嬉しそうでしたわ」
(……そうだったかな。あんまり意識したことなかったけど)
ラズベルトは少し照れたように頬をかいた。
「……そうだといいですけどね」
***
市場の次に向かったのは、村はずれにある丘だった。
なだらかな斜面を少し登ると、視界が一気に開ける。眼下に屋敷と村が広がり、その向こうには山の稜線が連なっていた。
「まぁ……」
レティシアが小さく声を漏らす。
「春は、あの斜面一帯が野花で覆われるんです。今の時期はまだですけど、それでも見晴らしは良いんです」
「十分、素敵ですわ」
レティシアは目を細め、遠くの山を見つめている。風が金髪を揺らした。
(あ、こんな顔もするんだ……)
王都で遠目に見ていた頃のレティシアは、常に誰かの視線を意識した、隙のない佇まいだった。今、隣に立つ彼女の横顔は、それとは違う。ただ景色を見ている顔だ。
(……好きだな、こっちの方が)
「ラズベルト様は、ここが好きなのですか?」
「はい。子どもの頃から、気分転換によく来ていたので」
「そうですの」
しばらく二人並んで、黙ったまま景色を眺めた。沈黙が苦にならなかった。
「少し、歩きますか?」
ラズベルトが提案すると、レティシアは頷いた。
丘の上には、緩やかな起伏が続く小径がある。草の上を歩くため、足元は舗装された道よりも柔らかい。
数歩も進まないうちに、レティシアの足が小さく滑った。
「っ」
ラズベルトが反射的に手を伸ばす。
レティシアの手を、掴んでいた。
「……大丈夫ですか」
「え、ええ。ありがとうございます」
滑ったのはほんの僅かで、転ぶほどではなかった。だから、掴んだ手を離してもよかった。
しかしラズベルトはそうしなかった。
「この先、少し足元が悪い場所があるので……その、もし良かったら、このまま」
(完全に言い訳だ。我ながら情けない)
レティシアは数秒、黙っていた。
それからそっと、ラズベルトの手を握り返した。
「……宜しくお願いしますわ」
声が、いつもより少し小さかった。
二人は繋いだ手のまま、丘の上をゆっくりと歩いた。
ふと、数日前のエルハルトとの会話を思い出す。
(こっそり護衛するとかいってたな……もしかしたら見てるかもしれないけど……今は気にしない!)
そう思った瞬間、なんだか可笑しくなって、ラズベルトは一人で小さく笑った。
***
丘を下ると、ランチの時間になっていた。
景色の良い木陰にシートを広げ、持参したバスケットを開ける。
「こんなふうに外で食べるの、初めてですわ」
サンドイッチを一口食べたレティシアが、目を少し大きくした。
「美味しいですわ。外で食べると、また違いますね」
「でしょう」
ラズベルトは少し得意そうな顔をして、自分もサンドイッチを頬張った。
鳥の声と、遠くで子どもが遊ぶ声がする。
(こういう時間も、悪くないんだよな。というか、かなり良い)
普段の午後のお茶とも、屋敷の中のやりとりとも違う。外の空気の中で隣に座っているレティシアは、どこかいつもより柔らかく見えた。
「ラズベルト様」
「はい」
「今日、ありがとうございました。領地のこと、色々と教えてもらえて……こんなに素敵なところだったのですね」
レティシアの声は静かで、でもまっすぐだった。
「喜んでもらえてよかったです。またゆっくり案内しますね、春になったら斜面の花も見せたいですし」
「ええ、楽しみにしていますわ」
レティシアが微笑んだ。
(春か。それまでに、もう少し仲良くなれてたら良いな)
ラズベルトは、今日一日の終わりに近づいていることを、少し惜しいと思った。




