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モブに転生したはずですが?  作者: 佐倉穂波


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16/22

15 領地見学

一刻後、ラズベルトは約束通りレティシアの部屋を訪れた。


「おまたせしました」

 少し緊張した面持ちで部屋から出てきたレティシアを見て、ラズベルトは目を丸くした。

 レティシアはいつものドレス姿ではなく、動きやすいパンツスタイルの服装に着替えていた。フリルやレースもあしらわれていて、動きやすさと可愛らしさが両立している。

「少し歩くとおっしゃっていたので……ドレスよりもこちらの方が良いかと思ったのですが。どうでしょう?」

 チラッと上目遣いでレティシアはラズベルトに尋ねた。

「あ……はい、可愛い、です」

「か、可愛いですか?」

 レティシアの顔が、かあっと赤くなった。

「はっ、すみません。とても似合っていると思います」

 ラズベルトは慌てて言い直す。

(また口から先に出た。似合っているのも本音だが、一番先に出てきた感想が「可愛い」だったのだから仕方がない……仕方がないんだが)

「ラズベルト様も、似合ってますわ」

 照れ隠しのようにレティシアがラズベルトの服装を褒めてくれた。

「あ、ありがとうございます。えっと、じゃあ出発しましょうか」

(母上、ありがとうございます)

 ラズベルトは、今着ている服を買ってきた母親に内心で手を合わせながら、レティシアの手を取った。

「ええ、よろしくお願い致しますわ」

 少しぎこちない雰囲気の二人は、領地見学に出発したのだった。



***



 ヘルマン侯爵家の領地は王国の東方にあり、山々に囲まれた——よく言えば、自然豊かで穏やかな地だ。

 これといった産業があるわけではないが、春になれば丘の斜面が野花で埋め尽くされる。王都の整備された庭園とは違う、手の入っていない雑然とした美しさで、ラズベルトは子どもの頃からこの景色が好きだった。

 また、先代領主である祖父が道の整備に尽力したおかげで、山に囲まれながらも外の領地と隔絶されることなく、人と物の往来が続いていた。


 まずラズベルトはレティシアを屋敷から近い村の市場に案内した。

 石畳の広場に、色とりどりの露店が並んでいる。野菜や果物、焼きたてのパン、乾燥させたハーブ、手編みの籠……王都の市場に比べれば規模は小さいが、活気がある。

「おや、若様じゃないか」

 通りかかった老婦人が、気さくに声をかけてきた。

「おはようございます、ミラさん。今日も元気そうで」

「あんたも相変わらず色白だねえ。もっと外に出なきゃ」

 ラズベルトが苦笑する横で、老婦人の視線がレティシアに移る。

「こちらが噂の……まあ、べっぴんさんだこと!」

「レティシア・オルティースですわ。はじめまして」

 レティシアが丁寧に会釈をすると、老婦人はにっこりと笑い返した。

「若様、良いお嬢さんじゃないか。しっかりしなきゃだめだよ」

「しっかりしてますよ……」

 ラズベルトが小声で返すと、老婦人はからからと笑いながら露店に戻っていった。

 その後も、すれ違う領民たちが次々と声をかけてくる。何人かはレティシアにも親しげに話しかけ、野菜や焼き菓子を「よかったら」と差し出してくれた。

「みなさん、ラズベルト様のことが好きなのですね」

 市場を抜けた石畳の道を歩きながら、レティシアが言う。

「好かれているというより、顔見知りが多いだけですよ。子どもの頃からうろうろしていたので」

「でも、みなさん嬉しそうでしたわ」

(……そうだったかな。あんまり意識したことなかったけど)

 ラズベルトは少し照れたように頬をかいた。

「……そうだといいですけどね」



***



 市場の次に向かったのは、村はずれにある丘だった。

 なだらかな斜面を少し登ると、視界が一気に開ける。眼下に屋敷と村が広がり、その向こうには山の稜線が連なっていた。

「まぁ……」

 レティシアが小さく声を漏らす。

「春は、あの斜面一帯が野花で覆われるんです。今の時期はまだですけど、それでも見晴らしは良いんです」

「十分、素敵ですわ」

 レティシアは目を細め、遠くの山を見つめている。風が金髪を揺らした。

(あ、こんな顔もするんだ……)

 王都で遠目に見ていた頃のレティシアは、常に誰かの視線を意識した、隙のない佇まいだった。今、隣に立つ彼女の横顔は、それとは違う。ただ景色を見ている顔だ。

(……好きだな、こっちの方が)

「ラズベルト様は、ここが好きなのですか?」

「はい。子どもの頃から、気分転換によく来ていたので」

「そうですの」

 しばらく二人並んで、黙ったまま景色を眺めた。沈黙が苦にならなかった。

「少し、歩きますか?」

 ラズベルトが提案すると、レティシアは頷いた。

 丘の上には、緩やかな起伏が続く小径がある。草の上を歩くため、足元は舗装された道よりも柔らかい。

 数歩も進まないうちに、レティシアの足が小さく滑った。

「っ」

 ラズベルトが反射的に手を伸ばす。

 レティシアの手を、掴んでいた。

「……大丈夫ですか」

「え、ええ。ありがとうございます」

 滑ったのはほんの僅かで、転ぶほどではなかった。だから、掴んだ手を離してもよかった。

 しかしラズベルトはそうしなかった。

「この先、少し足元が悪い場所があるので……その、もし良かったら、このまま」

(完全に言い訳だ。我ながら情けない)

 レティシアは数秒、黙っていた。

 それからそっと、ラズベルトの手を握り返した。

「……宜しくお願いしますわ」

 声が、いつもより少し小さかった。

 二人は繋いだ手のまま、丘の上をゆっくりと歩いた。

 ふと、数日前のエルハルトとの会話を思い出す。

(こっそり護衛するとかいってたな……もしかしたら見てるかもしれないけど……今は気にしない!)

 そう思った瞬間、なんだか可笑しくなって、ラズベルトは一人で小さく笑った。



***



 丘を下ると、ランチの時間になっていた。

 景色の良い木陰にシートを広げ、持参したバスケットを開ける。

「こんなふうに外で食べるの、初めてですわ」

 サンドイッチを一口食べたレティシアが、目を少し大きくした。

「美味しいですわ。外で食べると、また違いますね」

「でしょう」

 ラズベルトは少し得意そうな顔をして、自分もサンドイッチを頬張った。

 鳥の声と、遠くで子どもが遊ぶ声がする。

(こういう時間も、悪くないんだよな。というか、かなり良い)

 普段の午後のお茶とも、屋敷の中のやりとりとも違う。外の空気の中で隣に座っているレティシアは、どこかいつもより柔らかく見えた。

「ラズベルト様」

「はい」

「今日、ありがとうございました。領地のこと、色々と教えてもらえて……こんなに素敵なところだったのですね」

 レティシアの声は静かで、でもまっすぐだった。

「喜んでもらえてよかったです。またゆっくり案内しますね、春になったら斜面の花も見せたいですし」

「ええ、楽しみにしていますわ」

 レティシアが微笑んだ。

(春か。それまでに、もう少し仲良くなれてたら良いな)

 ラズベルトは、今日一日の終わりに近づいていることを、少し惜しいと思った。

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