少年と敗北と決意と
「手っ取り早く言うぜ。金を出せ。金目の物じゃねえぜ。金だ」
現れた強盗は剣の先をリッツ達に向けて言い放った。足元には生きているのか死んでいるのかは分からないが兵士が倒れている。剣の先が赤く濡れているのを見れば、誰がやったかなど考える間でもない。
(こいつ強盗か!?)
リッツは反射的に腰に下げた小剣に手を伸ばそうとして――
「!」
ぬるりと、腕に暗く冷たい感触を持った何かがリッツの腕に這う感覚がした。
蛇だ。
黒い鱗を持つ蛇がどこからか現れたのだ。同時に猛烈な恐怖が腹の底から湧き上がり身体が動かなくなる。
(こんなときなのに……)
目の前の男はそれなりにやるのだろうが、どうみてもダボンより強いようには見えない。それでも彼は戦うことが出来なかった
魔物が相手ならば魔法を使って戦えた。だから今なら以前のように剣を使って戦えるかと思ったのだが、一瞬でもダボンと向かいあった時のことを考えてしまうと身体が動かない。
「おい、ガキ」
「な、なんだ……?」
「その剣、ゆっくり床に置け」
「え?」
「さっさとしろ!」
ダガーは恫喝する。
(どうする?)
そもそも自分がここで体を張って領主の財産を守る必要などない。ただこの急に現れた暴漢に素直に屈するのは癪だった。
どの道、今の自分に剣は使えない。ならば魔法があるのだが、生憎ここは屋内だ。リッツが使うのは土の魔法。地面のある外なら自在に使える土の魔法も、屋内ではほとんど使えない。もちろん卓越した魔法使い(コーナルル傭兵団ならば副隊長以上の使い手に当たる)ならばその限りではないものの、リッツはいまだその域には達していなかった。
リッツは迷う。その隙にダガーの右肩が僅かに下がる。踏み込むための体重移動だ。もしもリッツが行動を起こさなければ、そのまま一側に斬り殺せる距離だった。だがそれを止めたのはシルフィーの声だった。
「リッツ、剣を手放しなさい」
「……っ」
その声に弾かれたようにシルフィーに向き直ったとき、彼女は悲壮な顔で「早く!」と促した。ダガーの下がった右肩が元の位置に戻ったのはリッツが小剣を足元に置いたからだ。そうしてダガーは空いていた窓の外へとリッツの小剣を捨てる。
(よくもボクの剣を!)
兄からもらった剣がゴミのように捨てられたことに憤るリッツだったが、その感情を表すよりも早く強烈な蹴りがリッツの腹部に突き刺さった。
「――ガハッ」
苦鳴が上がり、圧倒的な体重さにこらえきれなかったリッツの身体が背後の壁に叩きつけられる。その様が楽しかったのかダガーは「ほら、さっさと金を出せ」と恫喝し、そのまま靴裏で勢いよくリッツの背中を踏みつけた。
背中から腹を貫くように更なる衝撃が加わる。すでに先ほどの蹴りで肺から空気の絞りだされたリッツは苦痛の声を上げることさえ出来ていなかった。
(……コイツ、強い)
武術を納めているだけでなく暴力に慣れている。何でもありならともかく、正面から戦えば明らかにダガーはリッツよりも強かった。
小さな少年に加えられる暴行に耐え切れなかったシルフィーからは悲鳴が上がり、すぐに金を出すことを約束させられていた。
(あの女に助けられるなんて……)
起き上がり深く息を吸おうとすると背中が痛む。肋骨を痛めたのは間違いなさそうだ。だがそんな痛みよりも、今はダガーにあっさりとのされてしまったことによる自身への怒りと、シルフィーに助けられたという屈辱が勝っていた。すでに二人ともダボンの執務室へと向かってしまったので、この部屋にはいない。
取り残されたリッツに声をかけて来たのはガランだった。
「おい……大丈夫か?」
事態を概ね把握しているのか、その声は控えめなものだった。その後ろには先ほどお茶を淹れてくれたゼベの姿もある。ガランの前で無様な姿を見せるのを嫌がったリッツは痛む肋骨を我慢して立ち上がる。そんな彼にガランは言った。
「姉ちゃんを助けにいくんだけど、行けるか? アイツ、けっこう強そうだけど、二人で隙ついて襲い掛かったら多分いけるだろ?」
二人がかりで不意打ちすれば多分勝てる。手短にそんな主旨を説明するとガランはゼベに助けを呼んで来るように指示する。ゼベは驚いたようだったが、すぐに「かしこまりました」と一礼して、足音を殺しながら外へと向かう。先ほどのシルフィーの言葉を聞いていなければ、その所作は忠臣そのものだった。
「よし、じゃあやるか」
「いや、待てよ。ボクはあの女を助けるだなんて……」
「お前、さっき姉ちゃんに助けてもらったんだろ」
「それは……」
「分かったよ。じゃあ、俺ひとりでやるよ」
「いや、待てよ!」
「何だよ。手伝ってくれるのか、くれないのか、どっちだよ?」
「や、やるよ……」
「そうか、じゃあ、アイツ……狩るぞ」
「!」
いくぶん低い声でガランは宣言する。つぶらな瞳が僅かに細められ表情に翳が射す。
その貌にリッツの背すじに冷たいものが走った。
(コイツ……)
この村の人間は魔物に対して「倒す」という言葉を使わない。彼らにとって魔物は得物であり、その首級は自らの武勇を彩る栄光杯に過ぎない。少なくとも彼らは幼少から、そう教わり戦士としての教育を受ける。だかこそ強い。しかしそれを知らぬリッツはガランの得体の知れない自信に気圧された。
(俺だって、何度も戦場に立っているんだ。敵だって何人も斬っている。コイツは初めての戦場で魔物に喰われかけたはずなのに……なのに、どうして?)
歩き方の悪い痩せた少年。怪我をする前はどうだったかは知らないが、今のガランは明らかに自分よりも弱いはずだ。だが、それなのに、彼はまるで迷わない。よく考えたら、彼は自分がダガーに叩きのめされたところを見ていたはずだ。その後にシルフィーが連れ去られるところも見ている。にも関わらず逆上せずに冷静に戦況を見て、ダガーを倒す算段を立て、助けを呼ぶために給仕のゼベにも指示を出している。
「お前、けっこう凄いヤツだったんだな」
「ん? いや、凄くないだろ。あんなヤツ、兄ちゃんだったら小指一本でぶっ飛ばしてるだろうし」
「そりゃ……そうだろうな」
「それにお前の兄ちゃんも、生きてたらあんなヤツには負けてねぇだろ?」
「――!」
「ん? 違うのか?」
「いいや、違わないさ」
今度こそリッツは覚悟を決める。ここで逃げてもきっと何も損はしないだろう。だがここで何もしなかったら、それこそこの村に来た意味が何一つ残せないまま去ることになってしまう。
(覚悟を決めるんだ)
かつて彼は「覚悟が足りない」と言われた。そして「力が足りない」とも断言された。力はすぐには増えない。だが覚悟ならばすぐに決めることが出来る。目の前の同い年の少年を見て、リッツはそう強く思った。
「それで、どうやってアイツの隙を突くんだ?」
「う~ん、そうだなぁ~」
「何だよ、考えてないのか」
「しょうがないだろ。そんなにすぐに思いつかねぇよ。お前は何かないのかよ」
「そうだな……」
そう言われリッツは感がる。あまり時間はない。もちろんシルフィーが金を出してダガーがそのまま素直に立ち去ってくれればさほど問題はないなのだが、ダガーの目を見たリッツは半ば確信している。あれは理性ではなく自分の欲求に忠実に動く人間だ。そういう人間が当面の目標である金を手にすれば、次に良からぬ行動に移ったとしても何の不思議もない。
「金か……」
ダガーはとにかく現金が欲しいようだった。もちろん辺境とはいえ領主の館ならば宝飾品の類はあるだろうが、そういう物は値が安定しない上に換金に手間がかかる。リッツは「しょうがない」と呟くと、腰に下げていた袋から小さな革袋を取り出してガランに渡す。
「コイツで気を引いてくれ」
「金貨? お前、こんな大金??」
「別にいいだろ。後で返せよ」
「あ、ああ」
「あとは何か武器が……」
一瞬だけ窓の方を見る。恐らくその下にはダガーが投げ捨てた小剣が落ちているはずだが、今のリッツには振るえる気がしないし、そもそもあの剣はダボンによってへし折られている。
(それに何か武器があっても……)
また蛇が現れれば身体が動かなくなるかもしれない。離れて使う魔法ならまだ何とななるが、直接の殴り合いになるとやはり身体が硬直してしまう。
そのとき窓際に置いてあった鉢植えが視線に止まる。両手に収まるくらいの大きさの鉢で、奇妙な四色の色合いをした菊の花が咲いていた。
「それは姉ちゃんが魔法の練習に使ってる花だな」
「そうか、それで……」
「?」
「うん、これならいける」
手に取って得心がいったのかリッツは呟いた。




