復讐者と落伍者
ダボンの執務室へ案内されたダガーは目の前に出された現金を見て眉を顰めた。
「嘘つくなよ。こんだけしかないのか?」
「ないわ」
「おいおい……」
出された金貨の数はそれなりで大金ではあるのだが、ダガーが想像したものから比べればずいぶんと劣っていたのだ。
「そもそもこの村では現金の取引はあまり行われていないの。ルナ家との取引も帳簿上で行うことがほとんどなのよ」
「マジかよ……」
金貨の入っていた隠し棚には書類の類があるので恐らくは証書か何かなのだろう。そちらは然るべき手続きをすればダガーが求めているような大金に届くのだろうが、当たり前だが彼にとっては何の役にも立たない紙きれだ。
「クソが、しょうがねぇな」
口汚く吐き捨てる。もっともダガー自身は不満だったようだが、盗もうとしているのは当面の生活には十分な額の金貨だ。あとはそれを懐にでも入れて逃走すれば、しばらくは遊んで暮らすことが出来るはずだ。だが強欲な男はそれを机の上に置いたまま下卑た笑みを浮かべてシルフィーに言った。
「それじゃあ、迷惑料の方も支払ってもらおうか」
「迷惑料……何の事かしら?」
しらばっくれながらも、シルフィーは内心で「やっぱりこうなったわね」と呟く。強盗に押し入ってくるような男が金だけもらって、そのまま大人しく去ってくれるとは彼女も楽観はしていなかったのだ。だからこそ状況を変えようとなるべく時間稼ぎしてみたが、やはりこの短時間で助けが来るようなことはなかったようだ。
「それにさっきも言ったけど、お金ならここにある分しかないわよ」
「そいつは残念だが理解した。だが払い方ってのは色々あるだろ?」
「よく……意味が分らないわね」
「そうかい。なら俺が直々に教えてやろうか。もっともあのデカブツの旦那のモノを毎晩、咥え込んでいるんなら、俺の粗末のモノじゃあ満足できないかもしれないがな」
下品に笑う。その背後にあるドアを見てシルフィーは何とか逃げる方法がないかと考えるが、それも難しそうだった。最初からそのつもりだったダガーは決してシルフィーを入り口側には立たせなかったのだ。
「た、たしかに……貴方の、ひ、貧相なのじゃあ、ま……満足できないでしょうね」
普段ならば赤面しながら口にするような言葉を震えながら言う。だが身体は正直なもので、少しでもダガーから離れたいのか足が徐々に後ろに下がっていく。その怯える様は卑劣漢の嗜虐心を煽るに十分な仕草だった。
「そんな好き嫌い言わずに、たまには違う男を味わってみるのも乙なもんだぜ」
獲物を逃がす気のない凌辱者は粘液質な視線で睨めつける。その先にいるのは長い黒髪の女。歳はもうすぐ19を迎えるのですでに成人に達しているが面差しにはまだ少女の色が強く残っている。そのくせ肢体は如何にも女らしいもので、開花が始まる僅かな時期にだけ女性がもつアンバランスな魅力が彼女にはあった。
身に纏っている衣服はレースで縁取られたワンピース。彼女がルナの屋敷にいた時に着ていたものと比べれば随分と簡素なものだが、それでも庶民が普段触ることが出来ないほどの上質なものだ。
ダガーはこれから自分の行う行為を妄想し口元を下品に歪めた。
「破けばいいか……そういうのも楽しそうだ」
「―――――!」
言葉の意味を理解してシルフィーは青ざめた。
「やめて……」
「そう言うなよ。好き嫌いは良くないぜ。貧相なモノでも色んな楽しみ方があるんだからよ」
「…………いや」
拒絶の言葉を絞りだすが、もちろんダガーが取りあうことはない。むしろ彼女の拒絶はダガーにとってこれから行う楽しい行為をより楽しむためのスパイスに過ぎない。
乱暴に腕を掴んだ。
陶磁器のように白い肌なのに絹のように滑らかで、そして温かい。
ダガーはそれを自分のものにしようと力づくで引き寄せて――
「おい、姉ちゃんに触るなっ!!」
叩きつけるように開いたドアの音と勇敢な声がそれを止める。
「何だ、ガキ?」
「お前が欲しいのは金だろ。金ならやるから、さっさと出て行け!」
「ああ?」
お楽しみを邪魔されて露骨に不機嫌になるダガーだったが、ガランが差し出した革袋の中身が見えてその動きが止まる。見える限りは全て金貨。それなりの額があったのだ。
「ガキの小遣いにしてはずいぶんと持ってるな」
握っていたシルフィーの腕を解き放ち、変わりに剣を抜き放ちながらダガーは嗤う。その剣先の血はまだ乾いていなかった。
「分かったよ。その金で手を打ってやる」
ニヤニヤと笑い、袋を受け取るために手を差し出す。もちろんそんなつもりは毛頭ない。ガランから金貨を奪えば、そのまま斬り捨てて続きを楽しむ腹積もりだ。
「分かったよ」
そしてそんな当たり前の考えはガランも知った上だ。ガランは一歩二歩とゆっくり近づき、三歩目を踏み出した所で放物線を描くように金貨の入った革袋を放り投げた。
「あ?」
投げると同時に袋から金貨が零れ落ち、光を反射しながらキラキラと地面に零れ落ちる。それをダガーは思わず視線で追う。そのタイミングだった。
開いたドアの陰に隠れていたリッツが何かを投擲する。それは鉢だ。両手に収まるほどの大きさの鉢が勢いよくダガーに向かい飛んでいく。ダガーはそれに反応すると「クソが」と口汚く罵りながら身を捻る。その瞬間、鉢が突然爆砕した。
「何だぁ!!?」
爆砕した鉢から拳大の石の塊が三つ飛び出した。リッツが得意とする土属性の魔法だ。これはさすがに予想外だったのかダガーは目を見開き、咄嗟に腕で顔を塞ぐ。顔に当たる筈だった一つは何とか腕で防いだが、残りの二つはダガーの胸と腹を強かに打ち据えた。
「手前ぇ、ガキがっ!!」
意味の通らない叫びを上げて、ダガーは剣を振り上げリッツに剣を振りかぶる。しかしここでダガーは失敗した。リッツの魔法はまだ終わってはいなかったのだ。
激情して剣を振り上げたダガーの足元は隙だらけだ。そしてその足元に転がった三つの石が突然、杭状に変化して跳ね上がるようにダガーの腹と背中に深々と突き刺さった。
腹に二本と背中に一本。
あまりの激痛に「ゴハッ」と叫び声なのか言葉なのか分からない声を出し、ダガーの膝がガクンと崩れる。だがまだ剣は手放してはいない。
「ぶっ殺す!」
痛みを誤魔化すように叫ぶ。だが冷静さを失い、鉢を投げつけてきたリッツに注意が向いていたダガーは背後にガランが回り込んでいることに気づけなかった。
右腕にほとんど力の入らないガランは倒れ掛かるように飛びつくと左手でダガーの腕を巻き込むようにして脇に抱え込み「やっちまえ」と叫ぶ。如何に大人と子どもの体格差とはいえ、人間一人を右腕一本で振り回すのは困難だ。それでもダガーの学んだ剣術には相手に組み付かれた場合の対処法もあったのだが、完全な奇襲にダガーの行動は全てが後手に回ってしまっていた。
その合間にリッツは動いていた。ただし最初に向かったのはダガーの元ではなく、その隣に置いてある椅子だ。それを掴み頭上に振り上げ、そのまま振り下ろす。狙いは膝を折って下がったダガーの頭だ。戦いの中で本来はあるまじきことだが、リッツはダガーを見なかった。もしも視界に収めればまたあの蛇が現れて恐怖で身体が動かなくなると思ったからだ。
ガツンと鈍い感覚。同時に低い悲鳴が上がる。それを頼りにさらに振り上げ、振り下ろす。
再び悲鳴が上がる。
さらに椅子で殴る。
殴る。殴る。殴る。
5度目で悲鳴は上がらなくなり、リッツはつぶっていた目をゆっくりと開いた。
「ハァハァハァ……やったか」
「ああ、やった」
応えたのはガランだ。未だにダガーの右腕にしがみついた彼はリッツ同様に肩で息をしていた。怪我の後遺症のせいで身体が満足に動かないガランだが、それでも全力でその役割を果たして見せた。ダガーの身体から力が抜け、握っていた剣がようやく手から滑り落ちたのを確認して、そこでようやく腕を解いた。もしも彼が途中で力尽きていたら、リッツはそのまま斬り殺されていただろう。
「こいつどうする?」
「とりあえずほっといて屋敷を出よう。ゼベおばちゃんが誰か呼んでるはずだから、起き上がったとしてもあとは全員で囲んでボコボコにして終わりだ」
「そ、そうだな……」
「とりあえず、武器だけとりあげとくか」
「あ、ああ」
言いながらガランは転がっていたダガーの剣を拾い上げる。
手柄にこだわって最後まで自分達で処理する必要はない。内心で「縄か何かで縛って動きを封じておかないと」と考えていたリッツは冷静なガランの判断に息を呑んだ。
「お前、やっぱり凄いよ」
「ん? そうか? さっきのお前の魔法の方がスゴかったと思うけど?」
「あれは僕の実力じゃない。あの鉢の土には魔力が浸み込んでいたから、あれだけの精密な魔法が使えたんだ。そうじゃなかったら今の僕じゃあ、あれっぽちの土であんな魔法は使えない」
そう言ってシルフィーを見る。
絶対絶命の危機からあっという間に救われた彼女はすっかり気が抜けてしまったのか、床にペタンと座り込んでしまっていた。
「大丈夫かよ?」
「え、ええ……ありがとう、リッツ。でも、腰が抜けちゃって」
「……仕方ないな、ほら」
少しだけ悩んだ後、リッツはへたり込んだシルフィーに手を差し出した。
「あ……ありがとう」
「別にいいよ」
やはり少しだけ悩んだ素振りを見せて、自分の手を取ったシルフィーにぶっきらぼうに応える。
兄の仇を討つためにやって来た自分が、あっさりと返り討ちに会い、もう戦えなくなるほどのトラウマを植えつけられ、周囲に諭されて、怯えて悩んで焦って苦しんで、そうしてようやく村を去る決心がついたと思ったら、何が何か解らない内に仇であるはずの魔女を助けてしまっていた。もう何が何やら滅茶苦茶だ。だが滅茶苦茶ではあるが、それでもこれで何か一つけじめがついた。そんな気がした。
「さぁ、さっさと立ち上がって――」
――屋敷を出よう。
そう言おうとした。まさにその時だ。
ガランが自分の名を呼んだのを聞き、首を巡らせて視線を向けて――
「このクソガキが、死にやがれぇっ!!!」
怒声が響き渡った。
額から血を流し、目を真っ赤に充血させたダガーが鬼のような形相で立ち上がったのだ。手には隠し持っていたのか小さなナイフが握られている。
「死ねやぁぁぁっ!!」
叫んで踏み込む。数歩の距離だが、後ろを向いていたリッツは初動が出遅れた。躱そうとするが、あちらの出だしが早い。
その時、自分の手が引っ張られていくことに気づく。
(え? 誰??)
決まっている。
今、自分の手を握っているのはシルフィーだ。ちょうどリッツの手を取って立ち上がろうとしていた彼女は、その勢いのまま強く彼の身体を引きナイフの軌道から彼の身体を逸らしたのだ。ただ何か訓練を受けている訳ではないシルフィーの体捌きは素人のそれだ。勢いに乗ったそのままに自らの身体を刃の前に差し出してしまう。
ずぶり、と……小さな刃が肉に刺さる音がした。
目を見開くと凶刃はシルフィーの下腹部に根元まで突き刺されていた。
衝撃と痛みからかシルフィーの口から引きつるような苦痛の声が漏れる。普段の優雅な彼女の仕草からは考えられないような声だ。
少し離れた場所からガランの悲痛な叫び声が上がる。どうやら反射的にシルフィーの名を読んだらしい。
握ったナイフが上手く腹から抜けないのか、ダガーは表情と同じく下品な卑語を吐き捨てた。
そしてリッツは――
「ウアアアアアアッッ――!!」
声にならない叫び声を上げていた。
目の前が真っ白になる。先ほどまでシルフィーの手を握っていた右手を握りしめて拳を作る。向かう先には目を血走らせたダガーがいる。その狂気に塗れた顔を見て、じわりと、リッツの胸の中で暗く冷たい感触を這わせながら蛇が現れる。
だが――
「ガアアアァァァッッ――!!」
胸の奥から這い出て腕に絡みついた蛇を引きちぎるようにしてリッツは猿叫を響かせ、リッツは拳を振りぬいた。
「殺してやる!!」
「やってみろ、ガキがぁっ!」
互いに悪鬼のような表情をしながら二人は叫び声を上げる。
悪漢と復讐鬼。二匹の邪鬼は互いの怒りをぶつけ合う。
そして最後の激突は始まった。
作中でリッツはけっこう苦戦していますが野外で戦っていたらもうちょっと楽に勝てています。苦戦したのは地形補正がすごく不利に働いているのに加え、ダボンの殺意の波動で完全にポンコツにされてしまっているからです。万全の状態で魔法ありならマンバナ村の同年代の子どもたちよりも強いし、大人の戦士が相手でも善戦出来ます。
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