魔弾と鬼子
開戦直後から西の戦士長であるザガは静かにその時を待っていた。彼が乗るのはこの戦場で最も頑強な戦車の上。もっとも頑強と言っても、あの竜王の巨体の前では誤差に過ぎないだろう。
(ふむ……見事なもんだな)
目まぐるしく位置を変える戦車を眺めながらザガは舌を巻いていた。今回の作戦を最初に思いついたのはダボンだという。だがその大まかな案を修正し、目の前で見事に差配しているのは、戦車の中にいるレンドだ。
最初の数回こそ悠々と飛び、炎の息を吐いていた竜王だが、ダダンの与えた一撃以降は明らかにおよび腰になっていた。中途半端な高度で飛びながら散発的に炎を吐いてこちらの数を削ろうとしている。もちろんそれはそれで有効ではあるのだが、実のところ思いっきり飛び込んで布陣の端から各個撃破される方が、こちらとしては嫌だったのだ。そしてそれをさせないのがレンドの用兵だ。細かく指示を与え、先ほどから絶妙に嫌なタイミングで矢を放ち竜王の注意を削いでいる。
(最初はわざわざ危険な戦場で指揮を執るなんて言うもんだからな……)
ダダンやグンガは御曹司自らが前線に立つ心意気に大いに感心していたが、ザガとしては辟易していた。以前、ガランに語ったように一番偉い人間が一番強い必要はない。それは指揮官も同様だ。国の存亡がかかった一戦ならともかく、ルナ家の跡取りがこんな辺境の魔物退治で死ねばややこしいことになる。しかも本人が囮になるなどと言い出すのだ。
(まぁ、ここまでやって見せられたら文句は言えねぇか……)
レンドは力を示して見せた。そもそもそれが目的だったのだろう。ならば次はこちらが力を見せる番だ。
ザガは竜王に視線をむけたまま、脇に抱えた武器を持ち直した。それは布で包まれていた。この戦車に迎撃手段があることを竜王に万が一にも気づかれないためだ。
(一台やられたか……さすがに無傷で完勝ってわけにはいかないか)
昇り始める黒い煙に眉を顰める。下草に引火しただけではない。煙の中に微かに動物の焼けた臭いがした。それに一度だけ瞑目すると再び空を睨む。
しばらくして装甲に包まれた戦車の中から声がした。レンドの補佐をしている老騎士の声だ。どうやら仕上げの段階に入るらしい。
「いよいよか……」
竜王が大空を旋回する。その円を描く軌道が少しずつ狭くなっていた。ザガのいる戦車との間合いを詰めているのだ。相手は陣形の弱点を見つけたつもりかもしれないが、実際は違う。戦車から射撃をする際に、如何にも何かあるかのようにこちらの存在を視界に入るように誘導していたのだ。
ザガは上空の気配を探りながら包みの下の武器を静かに握る。ここからはレンドの指示を待つ必要はない。ザガにタイミングが任されていた。
「来る……か」
僅かだが竜王の飛ぶ軌道が歪む。
視線の先には羽ばたく巨大な魔物。彼がこれまで見たどの魔物よりも大きく強い。そんな強大な魔物を見ながらザガは自らの胸に手を当てて呟いた。
「だが、お前は怖くないな」
胸の中に暗く冷たい感触がないことを確かめると同時に布がスルリと手元から落ちた。そこから現れたのは弓だった。それもただの弓ではない。ただでさえ身長の高いザガよりも僅かに大きい大弓だ。弧を描く弓柄は金属で出来ており、弦も細い鋼線を束ねて編んだもの。まるで銅像の一部を切り取ったかのような金属塊は、とうてい人間が扱えるようには見えない。しかしそれも当然だ。これはレンドが持ち込んだバリスタを一台バラして作り上げた弓。本来ならば台座に取り付け、巻き上げ装置で弦を引いて矢を射出させるものなのだ。
ザガは装甲馬車に背中を張りつけるようにして機を伺う。竜王はほとんど真上からこちらに向かい急降下してくるだろう。ザガは一歩離れて身を屈める部下の戦士に「おい」と声をかけると、彼は素早く一本の矢を差し出す。もちろんこの矢も普通の矢ではない。本体である矢柄は大人の身長ほどもある。周径も一握り出来るほどの太さがあり、矢羽がついていなければ槍と見間違えてもおかしくない化物矢だ。それをザガは右手で受け取る。
ザガは竜王の羽ばたきに合わせて呼気を吐く。一度、二度、と規則的にタイミングを計るようにして、それは繰り返される。それが七度繰り返されたとき、ザガは息を止め大きく一歩踏み出した。同時に竜王はトンボを切るように急旋回する。
ザガは大きく股を開いて背を反らし上空へと弓を構えた。旋回途中の竜王はまだ背をこちらに向けている。
ザガは左手で弓を握り、右手で弦を引く。左腕よりも太いザガの右腕。それに力が込められると、まるで大蛇が絡まりあうかのように不気味に蠕動する。並みの人間では寸毫たりとも引けぬ化物弓。それが撓り悲鳴を上げるように軋み始めた。旋回を終えた竜王は急降下のために翼を畳む。
ザガは限界まで弓を引く。軋んだ化物弓はさらに高い声で啼く。竜王は急降下を始める。ここから軌道を変えることは困難だ。竜王は迫る。
矢が放たれた。
十分に力を蓄えられ解き放たれた矢は昇る。この矢はただの矢ではない。魔石が組み込まれている。矢柄に埋め込まれた魔石は色を失い顔を紫から黒に変えながらさらに加速する。重力などものともせず、分厚い空気の層を引き裂きながら音すらも置き去りにする。それはすでに竜王の認識出来る速度を超えている。
その間はまさしく刹那。瞬きすらも緩慢に思える閃光のような刻の中で迎撃は終了した。
胸を撃たれた竜王はその意思ではなく衝撃故に軌道を変え地に堕ちていく。
「破3っ!」
ザガは部下に向かい叫ぶ。
あらかじめ決めていた符丁だった。破は矢の種類だ。貫通力を重視した矢なら「貫」で、着弾した際の威力を重視するなら「破」だ。「3」はそれを3本渡せという意味だった。
ここ数日で幾度も練習した通り、部下の戦士は握っていた「破」の矢を3本ザガに手渡す。その時点で竜王巨体が墜落した音が辺りに響く。ザガはそれを聞き届けることすらせず3本の矢を同時に一つの弓に番えた。
噛みしめた奥歯がギリリと鳴った。
3本の矢を同時に放つ。曲芸では見られる光景だが実戦で行うことはまずない。当然だ。そもそも曲芸である以上、観客から見えなければ意味がないので的と射手の距離は短い。その的も大抵は薄い板や藁の束で当たれば刺さるように出来ているので、とても実戦で使える技術ではない。遠くにいる生き物を射殺すというのは、それほどに難しいことなのだ。
だがザガにとってはその程度のことは問題ない。何しろ先ほどの一射すら、彼にとっては全力の一撃ではなかったのだから。
ザガは左半身を前に大地を踏みしめる。先ほどのような真上を狙うような無理な体勢ではない。どっしりとした構えは巨岩を思わせる趣だった。
その踏みしめた力を伝えるように背骨が捻じれた。先ほどのように反らした姿勢ではない。そもそも背は反らすよりも捻ることで最大の力を発揮する。縦に並ぶ椎骨は一つ一つが歯車の役割を果たし、捻じれながらそれを肩へと伝える。
そうして集約された力を弦を引く右腕に集められる。巨漢であるザガの太い左腕よりも、一回り太い異形の右腕。三本の矢を強引に強引に掴み、無理やりに弦の上に載せ、弓を引き絞る。
金属で出来た弓は先ほどよりも悲痛な悲鳴を上げ軋んでいた。
それが放たれる。
バンと鳴った破裂音と、その後に響いた硬質な金属音は弓が絞りだした断末魔だ。
三本の矢は先ほどとよりも僅かに落ちた速度で疾駆する。だが墜落し隙だらけの竜王の前では何の問題もない。3本の矢は飛び発とうと迂闊に翼を開いた竜王の右翼をあっさりと撃ち抜いた。
竜王は苦痛交じりの咆哮を漏らすのだが、ザガそれよりも手元を見る。そこにあるのは無残に弓柄が歪み、鋼線で編まれた弦が痛々しく千切れたバリスタの残骸だ。彼はそれを一瞬だけ名残惜しく一瞥してから「おい」と部下の戦士に声をかけた。
差し出されたのは普段から彼が使っている弓だった。先ほどの化け物弓には比べるべくもないが、それでも並みの者では引くことすら出来ぬ強弓だ。
鋲を打った革紐を帯に結わえ、矢筒を背負う。背後にいる部下達も同様に矢筒を背負っているのだが、その手には弓はない。
「行くぞ」
静かに命じる。
この村で2番目に強いと称えられる男は、その役割を果たすため戦場へと向かい駆けだした。
太い右腕に曲がった背と、ザガのモデルはイングランドの弓兵です。中世のロングボウは初期のマスケット銃よりもヤバい兵器だったようです。
作中で弓は壊れてしまいますが、彼が全力を出せる武器は現在のマンバナ村にはありません。それでも西の集落で戦うときは普段の弓を使ってアウトレンジから容赦なく魔物を射殺しています。
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