悩む兄と疑う妹
「お兄様、どういうつもりですか?」
その日の晩、ようやく二人きりになったシルフィーはレンドに詰め寄った。
「おいおい、随分とご立腹だね」
「茶化さないでください」
「茶化しているつもりはないんだけど、何を怒っているんだい?」
「それはお兄様がお分かりでしょう!」
何故、レンドがマンバナ村にやって来たのか? そのことをシルフィーは問うているのだ。
ダボンはさほど気にしていなかったが、レンドがこの村にやって来るのは明らかにおかしなことだった。彼はルナ家の嫡男だ。それがこんな木っ端役人がするような先遣隊の責任者として村を訪れている。これから危険が起こるかもしれない村。しかも兄は武人ではない。明らかにこのタイミングで来るべき人選ではなかった。
「何を企んでいるのですか?」
「何かと問われると難しいね。色々と考えがあってここに来たから」
「色々?」
「そう、色々さ……」
レンドの顔から人当たりの良い笑みが消え、視線が伏せられる。それはシルフィーにはあまり覚えのない、懊悩する兄の姿だった。そうして彼は意を決したかのように言った。
「実はね、ここにはダボンの顔を見るために来たんだ」
「ダボンの顔……ですか?」
反射的にダボンの顔を思い出す。丸顔に団子鼻のお世辞にも美男子とは言い難い、そして最近ではずいぶんと愛着の湧いてきた顔だ。しかし何故、兄がダボンに会いたがっているのか、その理由が解らない。そんな困惑するシルフィーにレンドはとんでもないひと言を言い放った。
「このまま行くと、ひょっとしたら僕は家督を継ぐことが出来ないかもしれない」
「どういうことですか? お兄様が家督を継げない……ミルム兄様が跡取りになるということですか?」
「場合によってはそうなるかもしれないという話だよ」
思ってもみなかった発言にさらに困惑する。兄が家督を継げないということもそうだし、次兄のミルムが継ぐかもしれないという話もそうだし、何よりも前後の話が繋がっていない。シルフィーはただただ困惑する。
「ああ、勘違いしないでくれよ。父は別に僕を廃嫡するなんて言っていない。ただ僕自身がこのままでは父の後を継ぐ資格がないと感じている……そういう話なんだ。始まりは、王都での決闘の一件……いや、違うな。もっと前だ。父がシルフィーとダボンの婚約を決めた時だ」
「何があったのですか?」
恐る恐る尋ねる。すると兄は自虐的な笑みを浮かべて答えた。
「何も起きてはいないさ。それが問題だったんだ」
「?」
「父はあの一件を……ダボンを使ってルナ家の力を他家に見せつける計画を、僕には一切教えてくれなかった」
レンドはダボンが王都の決闘場で暴れた時のことを思い出す。あれは圧倒的な光景だった。ターノス家の当主とその娘が、モノ家の当主とその跡取り息子が、王子であるエリオットが、ダボンの持つ圧倒的な暴力の前に顔を強張らせていた。もちろんレンド自身もだ。そして父であるザカードだけが、それを満足した笑みで眺めていた。
「それは私も同じです」
恥じ入る兄を見てシルフィーは呟く。実のところシルフィーは結局、自分が父に毒を盛られたことや、二重スパイだったカーナを利用してネミッサを陥れたことは最後まで教えられていない。しかしあの不自然な一件が全て父が裏から関与していたことは確信していた。
「私は本当に何も教えられていませんでしたから……」
「父は情報をとにかく外部に漏らしたくなかったようだからね。だからルナ家の今後を左右する計画だったにも関わらず、後継ぎの僕にも、当事者であるシルフィーにさえも、その計画を伝えていなかった」
ザカードは徹頭徹尾計画を漏らすことがなかった。今でこそ大きな屋敷を建ててもらったものの、当時のシルフィーはそれこそ身体一つでマンバナ村に放りだされたのだ。逆に言えば、それだけ娘のことを信頼していたとも言える。多少頭が切れるものの純朴な田舎侍であるダボンを篭絡することなど、娘ならば簡単だと確信していたのだろう。そして事実、シルフィーはダボンに大いに気に入られ、ダボンは彼女のためのその力を惜しみなく披露して見せた。ザカードの駒として役割を果たして見せた。
「だがあの話は最初からおかしかったんだ」
当時は気にならなかったが、まずシルフィーがダボンと婚約したことがおかしかった。事件性が確認されなかったとはいえ、シルフィーは王子の殺害が疑われていた。普通ならほとぼりが冷めるまで謹慎するのが妥当だ。何だったらルナ家の息がかかった修道院にでも放り込むべきだった。そんなシルフィーが突然他の男と婚約した。悪辣な魔女が眉目秀麗な傑物と国内でも評判のエリオット王子に捨てられ、野豚のように醜い辺境の田舎領主と婚約した。
「話として……あまりに面白過ぎる」
面白過ぎるから、その噂は王都でも話題になり国中に広がった。不自然なくらいに広がり、当時は国中がルナ家の黒真珠を嘲笑い、野豚に慰み者にされる惨めな女だと見下した。王子殺害の容疑者だったシルフィーを怒りの対象から嘲りの対象に引き落とされた。世論を誘導したのだ。そして事件としての証拠が最後まで見つからなかった以上、そういう空気が生まれてしまえば王家も厳罰にすることは難しかった。誰が仕組んだかなど考える間でもない。少なくともそれはレンドではなかった。
「実は恥ずかしい話なのだが、あの王都での一件が終わった後、僕は父に何故教えてくれなかったのかと聞いてしまったんだが……何て答えたと思う?」
「それは……」
「父はね『聞かれなかったから答えなかった』と……そう答えたよ。もしも訊いていたら答えるつもりだったんだろうね」
「それは私もでしょうか?」
「恐らくね。ただ漠然と訊いてもはぐらかしただろうね。僕もあの時はどうしてマンバナ村を選んだのか尋ねたはずだがその時は『周りの目から隠すにはちょうどいいから』そんな風に答えていたと思う」
「私も……そんな風に言われた記憶があります」
「そうだろ? 多分、別に隠しているだけで、嘘は言わなかったんだと思う。もしもそのすぐ後に『ではダボンの武力を利用して他家を威圧するつもりなんですね?』と聞いていれば、嗤いながら『そうだ』と答えたはずだ。多分シルフィーが訊いてもね」
「それはさすがに無理なのでは?」
「そんなことはないさ……」
レンドは頭を抱えて吐露する。それこそがまさに問題だった。そういう仕草だった。
「どこかで気づけたはずだったんだ。少なくとも父は僕にはヒントを出していたんだ……シルフィー、ダボンの許嫁の話は聞いたことがあるか?」
「い、許嫁!?」
その言葉にドキリとした。許嫁とは当然将来の結婚相手のことだ。貴族の間ではある程度の年齢になれば決められているのが一般的で、シルフィー自身幼少期からエリオットの結婚相手になることが決められていた。
そう、シルフィーは元々はエリオットの許嫁であり、途中で突然、ダボンの結婚相手に変更させられたのだ。だとしたら――
(まさか、ダボンに他に結婚相手がいたの!?)
考えてみればダボンとて貴族の末席。いないというのもおかしな話だ。
(そうよね……わ、私はもともとダボンの許嫁じゃなかったんだもの、ということは……)
自分とせいでダボンと結婚出来なくなった女性がいる。その可能性に驚きと焦り、そして自分勝手な嫉妬を覚えてしまう。
(ど、どうしよう……それって、ダボンはどう考えているのかしら……)
もしもダボンがその女性のことを少しでも気に入っていたのなら、そうでなくとも相手の女性がダボンのことを、あの丸顔で団子鼻で細目のずんぐりむっくりした体型の、どう見ても美男子には見えない男の子のことを少しでも好きだったのならば――
(えっと……それってやっぱり、その娘のことを妾か何かにしないと駄目ってことよね……)
一方的に婚約破棄された女がどれだけ惨めなのかはシルフィー自身が一番よく知っている。
(ま、まだ私自身が結婚してないのに妾の話だなんて……でも、その娘のこと放っておけないし……ああ、もう、何でこんな話をっ!)
焦る。
しかしそんなシルフィーにレンドは断言した。
「もともとダボンには許嫁がいなかった」
「…………へ?」
予想だにしなかった言葉に変な声が出た。
「あの……お兄様」
「何だい?」
「ダボンの許嫁ですけど……いなかった?」
「ああ、そうだよ」
その一言に自分でも驚くほど安堵していることに気づき、強烈な羞恥に支配される。
「シルフィー?」
「な、何でもないわ」
「そうかい?」
「ええ、それよりもダボンの居もしない許嫁がどうしたのですか?」
顔を赤くしてこちらを睨む妹を見るととてもそうは見えない。だがここで妹を苛めても仕方がないと思ったのか、レンドはダボンについて再び語り出した。
「ダボンに許嫁がいないのは、父がルナ家から娘をひとり都合すると先代のマンバナ村領主であるグダンダ殿に約束していたからだ。グダンダ殿が病死してしまったために後伸ばしになっていたが、本来はもっと早くに……恐らくは姪のサリサ辺りが選ばれていたと思うのだが、ダボンと婚約する流れのはずだったんだ」
「それがどうしたのですか?」
「僕は……この話を以前、父から聞いて知っていた」
その顔には後悔が滲んでいた。
「こんなにもおかしな話をだ」
ルナ家はこの国で四大貴族と呼ばれる特別な地位の身分であり、ザカードはその当主である。傘下には多くの貴族達がいる。その中では辺境の村の領主など末端も末端、かろうじて貴族を名乗れる末席でしかない。そんな辺境の領主に一大派閥の長が直々に結婚相手の世話をする。しかも身内からだ。貴族にとっての年頃の娘というのは縁戚関係を作って派閥を強化する、いわば戦略物資である。貴族の中にはそれこそ女性を山ほど囲って両手の指よりも多く娘を持つ者もいるが、ルナ家は質実剛健を旨とするためにそういったことを厭う傾向がある。当然、娘の数も多い訳ではない。その貴重な一人を差し出す。あり得ない話だった。
「なのに僕は王都の一件があるまで、すっかり忘れてしまっていた」
そう、こんなにもおかしな話なのに、彼は聞き流してしまっていたのだ。確か内々の酒の席での話だったと思う。もちろん聞いたときには「妙な話だな」と思ったので記憶には引っ掛かっていた。だが所詮は酒の席での話だと思い、聞き流していた。
「その時に調べることが出来たはずだったんだ」
マンバナ村がルナ家にとって重要な場所だとは知っていた。その村から派遣された戦士団が9年前に起きた魔物の大氾濫を治めるために一役買って出たことも知っていた。何だったら、どれだけの人的被害が出たのか、被害額はどれほどだったのか彼はそらんじることが出来る。だがそれだけだった。その戦場で何が起こっていたのか、父が何を見たのか、それをレンドは想像しなかった。
「父はかつて戦場に立ったことがある」
ランディール王国はここ数十年戦乱とは無縁だ。実のところシルフィーが学園に在学中に、隣国であるニールダムとの戦争の危機や、魔族の侵入による国家転覆の計画が進められていたのだが、どちらもまるで運命を見通したかのようなとある少女の活躍により未然に防がれている。なので、この国で戦場と言えば魔物との戦いを指す。大氾濫と呼ばれる魔物の大量発生。人間を無差別に襲う魔物の暴走は戦争と同義だった。
「そこでダボンを見たらしい。当時まだ8才の子どもだったダボンだ。それはもう衝撃だっただろう。価値観が変わるほどに。実際に当時討伐に参加した青牙騎士団の隊長に聞けば『魔人を思わせる凶暴さと獰猛さを持つ蛮族の子ども』の話を聞くことが出来た」
「だから、その……お兄様も戦場で戦うダボンを見てみたいと?」
「もちろんそれだけじゃないけどね。僕にはどうにも度胸というか、覚悟が足りない」
「覚悟ですか?」
「ああ、そうだ。実のところ、僕はダボンが怖い。彼はあまりにも強すぎる。はっきり言って人間の範疇に収まっていない。彼は……危険だ」
端正な顔立ちが恐怖に曇る。強い者、得体の知れない者、未知の存在。そういった者を前にした時、人間は恐怖する。例えば未来を予知するかのように正解を選び続ける聖女、例えば一軍を単騎で殺し尽くす魔人。
「だが恐ろしいからと言って、それを怖がってばかりいるだけでは駄目だ。少なくとも父はそうではなかった。父ならば、もしもダボンに殺されそうになっても余裕を崩すことはないだろう。逆にそんなときでさえもダボンを利用することを考えているだろう。それぐらいでないとルナ家を継ぐ資格はない」
「だからダボンの顔を見に来たのですか?」
「ああ、そうだね。正直、彼の顔を見ただけで、あの時の……赤鱗騎士団を蹂躙していた時の恐怖を思い出してしまったよ」
「だから顔色が悪かったのね」
「シルフィーにも気づかれていたか」
「ダボンも気づいていたわよ。もっとも気にしていないようだったけど」
「そうか……気にしていないか。まぁ、彼はそうなんだろうね」
「え?」
「彼は自分が怪物だと理解しているんだろうね。彼は……ダボンは賢い男だ」
その顔色はやはり悪い。しかしレンドは「だからこそ、彼と対等に渡り合いたい」と述懐した。女性であるシルフィーには戦場に立つことで成長出来るという感覚は完全に理解することは出来なかったが、兄が真剣な目的でこの村にやって来たことは理解出来た。
それを踏まえてシルフィーは尋ねた。
「それで先ほど色々と考えがあってここに来た……と仰いましたが、他の目的も教えていただけませんか?」
「へぇ……」
端正な顔をした青年の唇が僅かににぃっと吊り上がる。悪巧みをしつつも品位を失わない、ルナ家の人間がよく浮かべる笑みだ。父であるザカードと同じ顔をする兄を見て「後を継ぐのに問題がなさそうだけど」と心の中で呟いた。
「やはりこの村はシルフィーに合っているようだね。学園から帰って来て以来すっかり自信がなくなっていたみたいだけど、今の振る舞いはルナ家の娘らしいよ」
「そ、そんなことは……」
「あるよ。それこそ自信を持って良い。シルフィー、今の君はよくやっているよ。本当のことを言えば、僕は一度、君のことを見限っていたんだ。あの時の君はすっかり自信を無くしていて、もう貴族の娘としての振る舞いは望めないと思っていたからね」
「この村にいる間なら大丈夫ですから……」
「それならそれで問題ない。村の様子を聞いたけど活躍しているようだからね」
「それは全てお父様やお兄様が便宜を図ってくれているからです」
村人は口をそろえて「シルフィー様が来てから村が豊かになった」と言う。だが実際のところ、シルフィー自身が何かをしたということはほとんどない。彼女は自分自身が天才でもなければ、選ばれた人間でもないことを知っている。だから彼女がする事はただ一つ。
口利きして他人にやらせる事だけだ。
しかしレンドは嗤う。彼にとって他人にやらせるというのは悪いことではない。むしろ逆。自ら手を動かし足を運ぶのは凡夫の仕事だ。自分はやらずに他人にやらせる。それこそが貴族のするべき仕事なのだ。
「いやいや、それこそが大事なんじゃないか。マンバナ村は投資先として優秀な場所だ。足りない物は何でも言うといい」
「ありがとうございます」
「もっとも現状では、シルフィーは最も必要な役割を自分の力だけでこなしている。何しろ――」
黒髪の美青年は上品に唇を釣り上げて笑う。
そうして言った。
「君は村人達の命を握っているのだから」
「…………はい」
静かに答える。村人の命を握っている。その言葉の意味をシルフィーは理解していた。
彼女は魔物との狩りで傷ついた戦士達をその治癒魔法で癒している。そのおかげで、死ぬはずだった者、大怪我で元の生活には戻れなかったはずの者から絶大な支持を得ることが出来ていた。そして当たり前だが、その家族たちからも支持を得ることに成功していた。だが支持それだけに留まらない。当然未だ怪我を負っていない戦士達も自然とシルフィーを支持するようになってくる。当たり前だ。彼女を支持しないということは、いざ自分が怪我を負ったときに治癒魔法を使ってくれないかもしれないということだ。そしてさらに当たり前だが、その家族たちもシルフィーを支持するようになる。もちろんシルフィーは「自分に逆らったら怪我を治さない」などとは口にしていない。それどころか貴人であるはずの彼女が見返りを要求することなく傷ついた戦士達を癒すのだ。「何と情け深いお方だ」「まさに聖女だ」と皆は口にする。当たり前の判断として戦士達はシルフィーに忠誠を誓う。それどころか少しでもシルフィーに否定的な態度をとるものがいれば、それを咎めるようになる。そうしてさらに広がった忠誠の輪は戦士以外の者にも広がっていく。支配者が慈悲深いという事実は、支配されるものにとって何とも都合の良い、こぞって信じたくなる幻想なのだ。
(もしもリッツがそのことに気づけていたら、きっと悩むことなく私を魔女扱い出来たのでしょうね)
要はそういうものの考え方が出来るかどうかという事なのだが、傭兵上がりの少年にそういう物事の見方をすることは難しいだろう。
「だから、シルフィーは本当によくやっているよ。僕も負けてはいられない」
「それで……お兄様は何をするつもりなのですか?」
「ああ、それだけど――」
レンドは何か言いかけて窓の外を見る。シルフィーも同様に視線を向けると、そこには天を衝くような山脈が壁のように連なっていた。魔物の巣窟である大山脈。ルナ領に現れる魔物は全てあそこから流れて来ると言われている。そのそびえ立つ山とシルフィーの顔を見比べた。
「いや、まずは竜王を倒すことに全力を尽くそう。話はそれからだ」
「ええ? そうですね」
「ああ、そうだ……」
兄の表情に違和感を感じたものの間違ったことは何も言ってはいないためにシルフィーは頷く。そんな妹の様子に気づきながらも、レンドはこれからの始まる戦いに思いを馳せるのだった。
第一章でシルフィーが父から計画の詳細を一切聞いていなかったのは、まず情報の漏洩を恐れていた事。そして彼女の能力を信用していたからです。アリスに負けてポンコツになった娘でも田舎者を篭絡するくらいは出来るだろうと考えていました。シルフィーがマンバナ村の仕事を割り振って他人にやらせているように、彼も娘や息子を同じように扱っています。そういう意味では似た者親子です。
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