魔法と蛇と腕比べと
この世界には魔物と呼ばれる人間の天敵がいる。その姿は様々で獣のような四足獣から、ドロドロとした不定形な姿をしたスライム、腐肉を纏ったゾンビやスケルトンなど多岐に渡る。もっとも
これらの魔物が普通の動物と違うのは人間に明確な敵意を持っている点だ。魔族が作り出したとも、魔界から発生したともいわれるこの恐ろしい生物は人間を優先して襲うという習性がある。
もっともは有名なものは竜だろう。堅牢な鱗に覆われ、空を飛び、灼熱の炎を吐く竜は、人間にとって恐怖の象徴だ。
辺境に作られたマンバナ村は、辺境を開拓するとともに、この魔物を狩るために作られた村だった。
「それがマンバナ村なんだ」
リッツに向かい、自信満々にガランは語る。目の前では紫色の首飾りをつけた大男達が槍を持って鍛錬に励んでいた。その姿にリッツは古巣の傭兵団を思い出していた。
「うちの村に少し似てるな」
「うちの村?」
「コーナルル村。コーナルル傭兵団の本拠地があるんだ」
聞けばコーナルル傭兵団は15の部隊からなる傭兵団で、リッツの兄であるディンはその最年少の副隊長を務めていたらしい。
「僕ら兄弟は物心ついたときには傭兵団で生活してたから村の思い出はあんまりないんだけどな」
「へぇ〜、ずっと旅暮らしだったのかスゲーな。オレは村から出たことがないからなぁ」
「そうなのか?」
「うん、北の集落と、南の集落には行ったことがあるんだけどな」
「西と東は?」
「東には集落はねぇよ……いや、あるらしいけど、その辺りは、もうマンバナ村じゃねぇしさ。西はもう大山脈のすぐ近くだからさ。戦士じゃないヤツはほとんど近づかないんだ」
「そうなのか……」
西の集落と聞いてリッツは先日出会った異形の右腕の男を思い出す。
「お前は心が折れている」と彼は言った。
リッツもあれから何度か鞘に納まった小剣を抜こうと試みているのだが、一度も抜くことが出来なかった。剣を抜こうと、戦おうと考えると、その度に暗く冷たい蛇が心臓に絡みつき蠢くのだ。
「なぁ、お前……さ」
「ん? 何だ?」
「いや、何でもない」
「何だよ、気持ち悪いな」
「だから、何でもないんだよ」
長袖に隠れたガランの右腕を一瞥してリッツは応える。当たり前だが、命をかけて戦うとはそういうことだ。リッツとて幼いながらも傭兵として戦場を駆けた身だ。大戦の経験こそないものの、本気で戦う兄の姿を目にしたことはある。巨大な地竜さえ見たことがある。だが、あの大男の放った殺気はそういった類のものとは明らかに異質だった。ひと言で表現するなら“禍々しい”あれに耐えきれる人間がいるなら、それはよほどの胆力の持ち主か、頭のネジが外れた狂人だけだろう。リッツは見たことがないが、この世界には魔族という恐ろしい敵が存在するのだが、ああいう類の存在なのかもしれない。
(結局、覚悟が足りなかったってことか……)
脅威に対する認識がまるで足りていなかった。自分が正しいのだから勝てると漠然と思い込んでしまっていた。だが事実はまるで逆。自分は力と恐怖に屈してしまった。
そのときだ。
幾人かの影がこちらに近づいてきた。まだ年若い、リッツやガランと変わらぬ年恰好の少年達で、皆首から紫色の首飾りを下げている。これが戦士の証なのだという話をリッツはガランから聞いていた。
「ガラン、そいつが余所者の戦士か?」
いかにもガキ大将といった雰囲気の少年が訊いてくる。ここしばらくガランとずっと一緒に行動していることもあり、リッツの顔もある程度知られているのだ。
「おう、そうだぜ。リッツって言うんだ」
「へぇ~、オレはバンザって言うんだ。よろしくな」
「あ、ああ……」
リッツが応じると寄って来た少年たちは口々に名乗っていく。余所者が相手だというのに、マンバナ村の村人たちは概ねリッツに好意的だ。しかしそれも全て隣にガランがいるからだと、さすがにリッツも気づいていた。着ている物が他の村人とさして変わらぬ粗末なものだろうと、振る舞いが粗野だろうと、彼はいわばこの田舎の村の王子様なのだ。そして自分がシルフィーを害すために来たことは何故か伏せられている。そうでなければいくらガランが隣にいようとも、彼らも顔色を変えて自分を排除していただろう。それほどにこの村でのシルフィーへの信仰は厚い。
「それで何だよ?」
「ああ、ソイツさ。俺達と同じくらいの年なのに一人で傭兵してるくらい強いんだろ。試合しねぇか、試合」
「試合?」
「おうよ。最近、村の外からいっぱい戦士がやって来てダボン様に試合を挑むだろ。俺達もやってみたいんだよ」
周囲の少年たちも騒ぎ立てる。ダボン自身は迷惑がっているが、村の者からすれば郷土の英雄に国中の強者達が勝負を挑みに来ているのだ。それが面白くないはずがない。そして高額な参加料を取るとはいえ、これまでに挑んだ者は皆無ではなく、そういった者にダボンは丁寧に対応していた。それなりに打ち合い、鍔迫り合いを演じ、最低限相手に花を持たしてから打ち破る。そうした横綱相撲を見て村の戦士達は「ダボンこそがこの国最強の戦士だ」と称えるのだ。
「なぁ、いいだろ。やろうぜ」
ワクワクした表情でバンザは言う。ダボンは常から対人戦の練習など無駄だと言い切っているが、戦いを生業とする者が力比べが嫌いな筈がない。自然と試合は頻繁に行われるし、ダボンも士気を下げさせてまで禁止するつもりもなかった。
詰め寄るバンザを見て、リッツの手が腰に佩いた小剣に伸び――
「悪いけど、今は剣が折れてて使えないんだ」
「剣?」
「そうだよ」
そう言って鞘に収まったまま小剣を渡す。バンザは訝しく思っていたものの、柄を握って鞘から抜くと刀身は真ん中の部分でへし折れていた。
「ホントだ」
「……だろ?」
心の中で「剣に呪いか何かかかっていて抜けなくなっていたらいいのに」と思っていたのに、バンザはあっさりと抜いてしまう。それを見てリッツは乾いた笑いを浮かべた。
「じゃあさ、槍は使えるか? オレのを貸してやるからさ」
「や、槍か……」
まったく使えないわけではないが、それ以前に戦いの場に立てる自信がない。リッツは誤魔化すように言った。
「魔法なら使えるんだけどな」
「魔法!? ホントか?」
「あ……ああ」
「お前、スゲーな!!」
興奮した様子でバンザは言う。周りの者もざわざわと騒ぎ出す。魔法を実践レベルで使える者は珍しいし、そもそもマンバナ村には魔法が使える者がいないのだ。
「なぁ、見せてくれよ!」
「あ、ああ……」
詰め寄られ思わずガランを見るリッツだが、ガランも興味深そうにリッツの顔を見ている。それを見て「分かったよ」と言うと明後日の方向を向き地面に向かい手を伸ばした。
「やっぱり呪文とか唱えるのか?」
「いや、そういうのはない……魔力制御の基礎の練習のときとかはやるけど、戦うときにいちいち呪文なんて唱えてられないから」
「手ぇ伸ばすのは?」
「これは魔力の指向性を定めるのに便利だから、これも無くてもいんだけどやった方がすぐに魔法が出せるから、皆やってる」
「そういえばシルフィー様が魔法を使うときも手を向けてるもんな~」
のんびりとした口調でバンザや周囲の少年達は尋ねてくる。気づけば近くにいた大人達もリッツ達を覗き込んでいた。
「えっと……魔法撃つけど、いいか?」
思った以上に魔法に食いついてきた戦士達に驚きながらもリッツは再び手をかざす。向けられているのは5メートルほど先の地面だ。その部分が突如破裂した。石礫が舞い上がり地面に小さな穴が空く。即死することはないが当たれば相応の怪我をすることは間違いない威力だ。その光景にバンザや大人達は大声を上げた。
それとは対照的にリッツは冷や汗を掻きながら安堵していた。
(ちゃんと魔法が使えて良かった……)
ダボンの濃密な殺気を浴びて以降、彼は魔法を一度も試していない。もしも剣を抜こうする時のように蛇が現れたらもう自分は二度と戦えない。そう思っていたのだが、どうやら問題ないらしい。
(これならあの魔女を――)
そう考えた時だ。
「おい! お前、スゲーな!!」
「今の魔法か!? 初めて見たぞ!!」
「坊主、ダボン様の所で世話になってるヤツだよな。これからこの村で働くのか?」
「なら北の集落に来いよ。お前なら大歓迎だ」
人垣がリッツを取り囲む。その波に呑まれてリッツはすぐに現実に立ち戻った。
「坊主、いつまでこの村にいるんだ?」
「いや、特に決めては……」
「そうか、じゃあさ。今度一緒に狩りに行かねぇか。あの魔法って、四本足の魔物に使うといいんだろ」
「あっ、うん……そうですけど」
この魔法は地面から予兆なく攻撃が襲ってくる。四本足の魔物なら、そのまま弱点の柔らかい腹部を打ち据えることが出来る。
「やっぱりな。他にも足場を崩したりとかにも使えそうだもんな」
「はい、頑丈な敵でも足場を崩して隙を作ったりも出来きます」
「そりゃ、面白そうだなぁ」
「じゃあさ。あれって地面のない所でも使えるのか? 例えば家の中とか?」
「いえ……地面がないところだと今のは使えないです。そういうときは別の魔法があるんですが……」
「へぇ、色々とあるんだなぁ」
リッツの言葉を聞き、マンバナ村の戦士達は笑う。聞いてくる質問は意表を突くものが多い。そのことにリッツは舌を巻いた。年中魔物と戦い続けているだけありこの村の戦士達は戦闘のセンスが磨かれているようだった。
その後、リッツは質問攻めにされ、他にも色々と魔法を披露した。その内に訓練もなし崩し的に終わり酒盛りに突入した。リッツを歓迎するための宴会だ。
「ほら、飲め」
差し出された器は魔物を角で作られたもので、赤黒い液体がなみなみと注がれており、匂いを嗅ぐと葡萄酒だということが分かった。
「どうだ?」
「美味しいです」
酒は飲み慣れていないし、そもそも酒精への許容量が十分な年齢でもない。それでも礼儀として「旨い」と答える。杯を差し出した戦士の男は「そうだろう」とガハハと笑った。見ればバンザ達も同様に酒杯を呷り楽しそうにしている。
「おっちゃん、もう一杯くれよ」
「お前らはまだ子どもだから駄目だ。二杯目はこっちの粟酒だ」
「え~っ、それあんまりうまくないんだよ」
「葡萄酒はお前らにはまだ強すぎるからな」
「ほら、リッツも二杯目はこっちだ」
そういって手渡された酒杯には薄く白濁した酒が注がれていた。甘い発酵臭がして、一口飲むと僅かな酸味と甘みを感じる。葡萄酒と比べれば明らかに薄い酒だが、リッツにはこちらの方が好ましかった。
「ちょっと前までは酒といったら粟酒で、こんなに美味い酒は特別なとき以外は飲めなかった」
紫色の首飾りをした男が飲むのは、同じ紫色をした酒だ。
「これもシルフィー様のおかげだ」
「あの魔……シルフィーさんの?」
「おお、そうだ」
誇らしげに男は言う。
「あの方が来てくれたおかげで交易団の来る回数がこれまでの倍になった」
隣にいた別の男が続ける。
「ああ、おかげで酒も布も薬も沢山手に入るようになった」
「それだけじゃないぞ。シルフィー様が掛け合ってくれたおかげで、ルナ家がこれまでよりももっといい条件で魔石を引き取ってくれることになった」
「麦を沢山売ってくれるようになったら、もう畑仕事なんてする必要ないんだ。これってのもシルフィー様のおかげだ」
紫色の首飾りをした戦士達は口々にシルフィーを称える。そうして酒杯を掲げて乾杯した。
リッツはそれを半眼で眺める。シルフィーはこの村にとって聖女だ。治癒魔法で戦士を癒すだけではない。ルナ家の者とかけあって物資を充実させ、村も豊かになっている。
(あの女がいなくなったら、この人たちが困るんだ……)
兄を殺された恨みと、悪女だから倒してやるという漠然とした正義感で動いていた。だが蓋を開ければ田舎の村にいた仇は村中から慕われるマンバナ村の聖女様だった。
(また覚悟が足りない……)
仇討ちをするなら魔女の一味のことなんて考えずに、今すぐ魔女のいる館に向かえばいいのだ。剣が無理なら魔法がある。あのおぞましいほどの強さを持つ大男にさえ見つからなければ、どうとでもなる。
まずはお目付け役のガランの目を盗んで――
そう考えたときだ。
「なぁ、リッツ」
機を先んじてガランに声をかけられた。
ガランだ。
「な、何だよ」
絶妙なタイミングでの呼びかけにリッツはたじろいだ。まさか心の中を読まれたのではあるまい。心に疾しいものがあるリッツは強張った表情でガランを見る。すると、そこにはこれまで見たこともなかった程、真剣なガランの表情があった。そう言えば魔法を使った後、戦士達から殺到されて宴が始まるまでガランの姿を見なかった気がする。
何か思いつめた表情をしてたい。
そんな彼が言う。
「オレに魔法を教えてくれよ」
お酒はもともとはカロリー摂取のための食品だったという説があります。今話の「粟酒」はカロリー摂取のためのエネルギー食品としての酒で、度数がとても低く食事の一環として飲まれています。今でもエチオピアの一部の地域では食事として低度数のお酒を飲んでいる地域が存在するのですが、そんな感じです。
ちなみに本作では3種類のお酒が登場しています。蒸留酒、葡萄酒、粟酒(度数が高い順)です。実はこの安価なアルコールの流入は、人口爆発、食料問題に並ぶ、シルフィーの破滅フラグの一つになっています。長期スパンで発動する爆弾のため本作ではこれ以上掘り下げませんが、対応を誤るとシルフィーは詰みます。
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