田舎の村の聖女様①
リッツがマンバナ領主の客人となって二日が過ぎた。最初は違和感を感じたシルフィーとの生活だが、領主婦人として忙しいシルフィーとの接点は食事の時間以外ではほとんどない。その食事のときもシルフィーはこちらをチラチラと盗み見るだけで、言葉をかけてくることはなかった。むしろ声をかけてくるのはダボンだ。彼は何気ない様子で「マンバナ村の様子はどうだ」とか「ガランはちゃんと案内してくれているか」などと訊いてくる。だがその細い目は常にリッツを値踏みしているようで、その視線にさらされる度に出会った際に浴びせられた強烈な殺気をリッツは思い出し、寿命が縮む思いがした。
この二日間で分かったことだが、シルフィーはマンバナ村の中でとにかく人気があった。戦士達に信仰に近い思いを向けられているのは、先日のザガとの会話でも分かっていた。だがそれだけでなく老人や女性からも慕われているという事実にリッツは驚いた。悪女が若い男をたぶらかすなら理解出来るのだが、老人や女性にも慕われるというのが、リッツには思い至らなかったからだ。
例えばある女性はリッツに言った。
「シルフィー様が来てから、ドゥードゥーお婆さんのお店でいつでも油が買えるようになったの。薄黄色の澄んだ油よ。今までは茶色く濁ってて燃やすと嫌な臭いがしたのに、全然嫌な臭いがしないの」
またある老女は語る。
「わたしの主人は紫犀の角で突かれて死んだわ。だから西の集落にいる息子が同じ紫犀に腹を突かれたとき、もう駄目だと思ったわ。なのにシルフィー様はそれを聞くなり、すぐに西の集落に足を運んでくれたの。危険な西の集落によ!」
他にも小さな女の子は言う。
「シルフィーさまはとってもきれいな人なの。わたしがごあいさつすると、いっつも笑ってこたえてくれるの。ダボンさまもいつもニコニコしてるし、シルフィーさまが来てからいいことばっかりなの」
優しく、美しく、頭が良く、何よりも村人の役に立っている。それはまさしく聖女そのもので、リッツが噂で聞き、想像していたシルフィー・ルナとはあまりに違うものだった。
◇
3日目の朝にガランはリッツに訊いてきた。
「なぁ、今日はオレにつき合ってくれよ」
「え?」
「え……じゃねぇよ。村の中は一通り見て回っただろ。だから今日はオレの用事につき合えよ。案内してやっただろ」
「お前が勝手に……」
「なんだよ。傭兵には仁義はないのかよ」
「そ、そんなことはないさ」
その言葉の通り、ガランはこの二日間自分について来た。兄でダボンに言われて不承不承でありつつも、結果として村を案内してくれていた。もちろん勝手についてきて、勝手にやったのだが、それに恩義を感じないほどリッツの面の皮は厚くはない。
今度は逆に不承不承に頷くことになった。
「それでお前、今日は何をするんだよ?」
「オレは今日、勉強の日だからな」
「勉強?……お前が?」
如何にも田舎の小僧といった風なガランが「勉強」などと口にする。それに違和感を覚えたリッツだが、考えてみればガランは領主の弟でれっきとした貴族なのだ。
「何だったら、お前も一緒に勉強するか?」
「ぼ、ボクが!?」
「そうだよ。お前、字が読めないんだろ」
「そ、そんなの別にいいじゃないか……」
リッツは言い淀む。別に字が読めないことは恥ではない。新聞が出回る街ならば平民でも読めるものもある程度いるが、田舎に出れば文字が読めてもあまり活躍する機会はない。もちろんコーナルル傭兵団でも、貴族から大きな仕事を請け負う際は書面を読める者が必要なのだが、そういう場合は数少ない事務方が行う。大抵は引退した傭兵が行っていた。長年の経験の中で何となく文字に触れる機会が多く、わずかだが文字が読めるようになった者だ。
リッツは断ろうとするのだが、そこでふと思い出す。彼の兄もその数少ない文字に触れる機会が多い者で、簡単な読み書きを行うことが出来ていたからだ。
「兄さんも隊長になりたいなら自分の名前くらいは書けた方がいいって言ってたけど……」
「名前だけでいいのかよ?」
「契約書にサイン出来たら、それでいいから」
「ふぅ~ん、うちの兄ちゃんもさ、よくオレに、勉強しろ、勉強しろって、うるさかったけどな」
「うるさかった……今は違うのか?」
「今は言われなくても勉強してるからな」
無意識のものだったのだろう。ガランの右の拳が力なく握られる。それを見たリッツは、傭兵を止めて事務方や裏方になった者のことを思い出した。その中でも特に年若い者達のことだ。
「仕方ないな」
「おう、ありがとうな」
「まぁ……字くらいは読めた方がいいって、兄さんも言ってたしな」
照れ隠しのように言う。そうして心の中で「仁義は通さないとな」と言い訳のように呟いた。




