悪役令嬢の一族は企む
ランディール王国の四大貴族であるルナ家。そこには昔から奇妙な言い伝えがあった。それは『ルナ家の初代当主は闘神と盟約を交わした』というものだ。盟約の内容も不確かなもので、闘神というのがどういった存在だったのかということも、もはや詳しくは残っていない。
ただひとつ確かなことは、大山脈のふもとであるルナ領の最西端には辺境の村があり、そこにいる戦士達は魔物を狩り続けて魔石をルナ領に供給し続けているという事実だ。
ザカードも当主の座を引き継いだとき、その伝聞は眉唾物だと思っていた。大昔にあった出来事が大げさに伝わっている。辺境の噂に背びれ尾びれがついている。その程度のものだと思っていた。
彼の認識が変わったのは8年前だった。
その年は変わったことが二つあった。ひとつはルナ領では滅多に起こらない魔物の大氾濫が起きたことだ。しかもその規模が大きく、青牙騎士団の戦力を持っても殲滅することが難しい大群だった。
そしてもうひとつは辺境のマンバナ村から変わった申し出があったことだ。それは一昨年の飢饉で困窮しているために自分たちを傭兵として雇って欲しいというものだった。
ザカードはこの申し出を快く了承した。青牙騎士団は精鋭であるが、大氾濫が少ないルナ領ではどうしても対人の戦い方が主流になってしまう。魔物との戦いは予想以上に手間取り、時期も長引き、被害も拡大し続けていたのだ。所詮は田舎侍たちの力だと高はくくっていても、対魔物に特化している彼らの申し出はありがたかった。
ルナ家には『初代当主は闘神と盟約を交わした』という言い伝えがあった。
ザカードも当主の座を引き継いだとき、その伝聞は眉唾物だと思っていた。大昔にあった出来事が大げさに伝わっている。辺境の噂に背びれ尾びれがついている。
そう思っていた。
その程度のものだと思っていた。
自分の娘よりも小さな少年が巻き起こす、暴虐の嵐を見るまでは――
◇
神聖なはずの決闘場は屠殺場と化していた。哀れな家畜を葬るための処刑場だ。ただし処刑されるのは野豚のような大男ではない。
逆だ。
本来は誉あるはずの赤鱗騎士団の騎士たちが、たったひとりの野豚のような男に蹂躙されているのだ。
セインを殴り倒したダボンは次に一番近場に立っていた赤鱗騎士団の団長に狙いを定める。警戒した様子もなくフラリとした足取りで向かい。
そして消える。
素早く歩いて側面に回り込んだのだ。
そうしてそのまま兜の上から頭を殴りつけた。
鈍い音がして、団長はそのまま動かなくなった。
次は適当に視界に入った赤い鎧を目標に定める。
そのまま歩いて、また殴る。
歩き方も、体捌きも、全てが雑なはずなのに、その動きがとにかく速い。目に見えないほど速い。そして力が強い。何しろ籠手の上から腕を握れば、籠手ごと腕を握りつぶしてしまうのだ。
その様子を見てザカード・ルナは愉悦の笑みを浮かべていた。
「ターノスの連中も、モノの連中も顔色を変えているな。いい気味だ」
ただそれはダボンの武勇ではなく、それがもたらす結果への笑みだった。
「どうだ、ダボン・マンバナは?」
「父さん、アレはいったい何なんですか?」
「闘神……だそうだ」
「闘神? 伝承にある? 本当に存在したのですね。謂わばニールダムの勇者のようなものか……いや、勇者の力は聖女と同じで遺伝はしないはず……では、彼は……?」
「そこまでにしておけ。俺も興味はあるが、今はどうでもいい」
「ああ、そうでしたね」
息子の悪癖を嗜めるとザカードは武舞台の中心で作業のように敵を仕留めていくダボンに視線を向ける。どうやら炎の魔法や雷撃の魔法でダボンを攻撃しているようだが、まるで水鉄砲で撃たれている程度にしか効いている様子はなかった。
「父さんは、ダボンのあの強さを前もって知っていたのですね?」
「そうだ。シルフィーの件がなくとも、あの男には元々うちの一族の娘をあてがうつもりだった」
彼が1年と少し前、父親の急逝で家督を継ぐのが早まり、ルナの本家に任命を受けに来た時にそれは決めていた。しかしそれでもさすがに直系で実の娘であるシルフィーをくれてやるつもりはなかった。そもそも彼女の婚約は生まれたときから予定されていたからだ。しかしそのしばらく後にシルフィーが問題を起こし、婚約を破棄された。そのときザカードはすぐに、目の前で広げられている光景の絵を描いた。
娘のしでかした事故は下手をすれば家をとり潰されるような大ごとで、ルナ家の力を大きく削ぐことになることが予想されたからだ。そしてルナ家は王家に莫大な負債を支払い、他家にも大きな借りを作り、その力は大幅に減衰した。
「だからこそ、ルナ家は力を示さなければならない」
「なるほど、それがダボンという訳ですね」
「そういう事だ。あの男は強い。この上なく強い。馬鹿げたまでに強い。どうしようもないほどに強い」
力には色々と種類がある。権力であったり、財力であったり、人脈であったり、権威であったりだ。そしてザカードは最もシンプルで、最も強力な力を選んだ。
つまり暴力だ。
武舞台の赤鱗騎士団はすでに半壊しており、騎士たちは恐慌を起こしていた。だがそれも仕方ない。
ダボンは速かった。比喩ではなく文字通り目にも止まらない速度で移動し、瞬く間に間合いを詰めるのだ。
ダボンは硬かった。剣による斬撃も刺突も素手で受け止め、本来なら黒焦げになるような火炎、凍りつくはずの冷気も効かず、止まることなく突き進んでくる。
そして何よりダボンは力が強かった。握った刃をそのまま砕き、突き出した拳は装甲を潰す。鎧の継ぎ目に指を入れればそのまま紙のように引き裂いてしまう。ターノス家が粋を凝らして鍛造した魔道武具がガラクタのように破壊されていく。
その圧倒的な暴力を前に堪えきれなくなった騎士がついに背を向けて逃げ出してしまう。それも一人ではなく複数だ。ダボンはそれを見ると右足で石畳を踏み抜き、砕けた石畳の欠片を拾うと、逃亡兵に向けて投擲した。
石は鋭い音を立てながら空気を切り裂き、残像を滲ませながら逃げた騎士の足を射貫いていく。そこは分厚い装甲に覆われた部分だったのだが、あまりの投石の速度に石は砕けて残らず、衝撃は鎧の中身を存分に掻き回して騎士の自由を奪っていった。
「まさしく暴力の化身ですね」
「見せつけるにはうってつけだろう」
「ええ、あの力がもしも自分に向かって来たら……と、想像せずにはいられません」
実際にそれを想像してレンドは身震いした。赤鱗騎士団は武門の一族であるターノス家が要する国内最強戦力の一角だ。それがたった一人の相手に手も足も出ない。それは王国最強の近衛騎士団長や、筆頭魔道士の老人の力をもってしても不可能だ。もしもこの恐るべき戦士が凶手となって放たれれば身を守る術はないだろう。
もちろん暴力による威嚇を多用するのは危険だ。しかしそれでもルナ家は当面の危機を凌ぐ必要があったのだ。
「これ以上の脅しはありませんね」
「そう、これ以上、ルナに不用意に手を出せば闘神が襲ってくる。そう思わせれば上々だ」
「いっそ王位の簒奪でも狙いますか? そうすれば問題は全て解決しますよ」
ダボンを使えばそれも可能かもしれない。そう思った軽口だったが、ザカードは笑って応えた。
「以前、ダムトのご老人が言っていた言葉があってな、いい話だから覚えておけ。ご老人が言うには『王とは国の器』らしい。本当に大切なのは中身であって、それを決めるのが俺たちなんだそうだ」
「別に王が中身を決めても問題ないのでは?」
「一言多いヤツだな」
機嫌が悪そうに鼻を鳴らす。どうやらザカード自身も好きな言葉だったらしい。
「なら隣国のニールダムを見てみろ……民主主義といったか?」
「平民が議論して政治をするというヤツですね。ああ、なるほど。結局、議会を動かしているのはほとんどが貴族の出身者なんでしたね」
「そうだ……が今、言いたいのは違う」
「?」
「あんな風に何かあった場合、代表して磔になってくれる人間がいないと俺たちが困るではないか」
「なるほど、それは盲点でした……となると、聖女殿ですね?」
「そういうことだ」
跡取り息子の指摘が気にいったのか、ザカードの口が三日月のように裂けた。
「あれは既存の価値観を打ち壊す力を持っている。そんなもので中身を満たされて、あの器は耐えきることが出来るかな?」
「そう考えると王など割りにあいませんね」
「まったくだ」
楽し気に父子は笑う。底意地が悪くとも気品は失わない。それは如何にもルナ家の人間らしい、悪人めいた笑みだった。
そしてザカードは一人だけその笑みを浮かべていない娘に向かい命じた。
「そういうわけだ。ダボンの手綱はしっかりと握っておけ。それが今のルナ家にとって最も重要な役割だ」
だがシルフィーはそれに答えず、どこか上の空だった。
「おい、どうした?」
「あ、いえ……申し訳ありません」
父に呼ばれて我に帰る。
眼前で繰り広げられる災禍は終わりを迎えようとしていた。立っている人間はほとんどおらず、ただ磨り潰されるのを待っているような有り様だった。
そして父の言葉の意味を理解し、シルフィーは高揚感に包まれた。それは痺れるような甘美な感覚だった。
ダボンの圧倒的な力。あの途撤もない力の一端を自分が握っている。アリスに負けて何の価値もなくなってしまった自分がだ。
対面の観客席を見るとネミッサが呆然とした顔をしている。当たり前だ。恋人であるセインが一撃でのされた上に、ターノス家の武力の象徴である魔道武具を纏った精鋭、赤鱗騎士団がたった一人の素手の男に壊滅させられているのだ。この光景を目にしたものはもう2度と「ターノス家が軍事を司る」などとは口にすることはないだろう。
モノ家の面々を見ればクラウスの顔は真っ青になっていた。こんな隠し球が出てくるとは彼等の情報網には一切引っかからなかったのだろう。そしてこれ以上の暴力は、さすがの彼も知るまい。その対処法も含めてだ。
(ダボンなら私の言うこと何でも聞いてくれるわよね……)
あの大柄な男の子が自分に惚れているのは疑う余地がない。自分がねだれば彼はきっと大抵の我が儘は聞いてくれるだろう。その力を背景に立ち振る舞えば再び中央に返り咲くことも可能かもしれない。
それを恥ずかしい事だとは思わない。シルフィーは環境や周囲の状況を含めて自分の実力だと理解しているからだ。
(あのとき私を笑った連中だって見返しやれるわ……)
腹の底にどす黒いものが渦巻いていく。
ネミッサやクラウスだけではない。あのとき自分を助けてくれなかった連中も、昨日の宴席で自分を笑った連中も、全員の顔を青ざめさせてやる。
その様子を想像すると、歪んだ愉悦に口元が吊り上がる。
(そうすればアリスだって……)
未だに思い出すだけで恐ろしい女であるが、ひょっとしたらあの嫌な女にも一泡吹かせることが出来るかもしれない。その光景を夢想すると、澱んだ悦楽に目じりが下がる。
(そうしたら、そうしたら……)
誰も彼もに仕返ししてやれる。きっとそれは爽快に違いない。
(そうしたら、そうしたら……)
何もかにもに復讐して、あれもこれもに報復して、自分が辛酸を舐めさせられた分、それらを全部相手にやり返してやるのだ。
(そうしたら、そうしたら……)
復讐を果たしたあとの美酒はさぞかし旨いだろう。その味を妄想して、瞳が暗い悦びに濁っていく。
(そうしたら、そうしたら、えっと……あれ?…………どうしよう?)
そこで彼女は気づく。ダボン個人の力はただの暴力に過ぎないが、それを利用すれば、権力でも、財力でも、様々なものが手に入るだろう。だがそんなことをしても自分の悪名が広まるだけだ。結局、そんなことをしても、彼女が失った、名誉も、人望も、婚約者も、何も戻ってはこないのだ。
そして何よりも……
(私、今……酷い顔をしてる)
鏡がなくても自分の顔だから解る。
彼は綺麗な自分が好きだと言った。それは言葉の通り美しく着飾ったシルフィーが好きだという事だ。実際に彼はルナ本家に帰って、化粧をし、髪の手入れをし、着飾った自分を好きだと言った。
だがそれと同時にネミッサに罠に嵌められ、絶望して取り乱し、涙と鼻水でグチャグチャになった自分も綺麗だと言ってくれた。彼の『綺麗』はきっと見た目もそうなのだろうが、ただそれだけではないのだ。
そして彼はきっと今の自分の顔は嫌いな気がする。
「……ごめんなさい」
聞こえていないのは解っているが、謝罪の言葉が零れ出た。だって彼は今、綺麗な自分のために戦ってくれているのだ。
視線を武舞台に戻すと、ダボンが最後の騎士を相手にしようとしているときだった。ここから勝敗がひっくり返ることなど最早絶対にないだろう。その結末を確信し、シルフィーはどんな顔でダボンを迎えるべきなのか静かに考えた。
『投石』はダボンの必殺技の一つです。この決闘場はローマのコロッセオくらいの広さで、武舞台は直径40メートルの円形(場外を入れれば50~60メートルくらい)です。ダボンはこの程度の広さなら時速300キロで精密狙撃して来ます。作中で彼は足を狙っていますが、頭に当たると普通に即死します。まさしく必殺技なのです。
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