拳骨は悪役令嬢のために
最高潮に盛り上がっていたはずの円形の決闘場は一瞬の内に静まり返った。
ダボンの伸びきった腕の先には大きな拳骨が握られており、それが突き刺さるように相手の胴へとめり込んでいる。
それが引き抜かれたとき、鎧を纏ったセインは地面の上に崩れ落ちた。
立っているのはダボンだけで、セインはあきらかに戦える状態ではない。
だがこれで終わりではない。
ダボンはそのままゆっくりと前に出た。
これが決闘の決着の始まりだ。
この状況を語るには話は半日前に遡る。
◇
「何をやってるのよ、馬鹿!」
騒ぎが起きた舞踏会場から屋敷に戻るなり、シルフィーは開口一番に言い放った。
「いきなり酷いですね……」
「何で決闘なんて受けちゃったのよ。今回の決闘は本物の決闘なのよ。下手をしたら死ぬかもしれないのに」
「そんなこと言われても、受けないと帰れない雰囲気でしたから」
「私が謝ったら済む話だったのよ」
「そうでしょうか?」
確かにそれも決着のつけ方のひとつかもしれないが、それはそれで悪手だった気もする。ダボンは今日一日シルフィーと行動を一緒にしていたので気づけたのだが、相手はとにかく用意周到だった。もちろん後からだから気づいたことが多いのだが、それでも相手はシルフィーを罠に嵌めるために十重二十重の準備をしていたのは間違いない。
今にして思えばあの決闘の話の持って行き方も不自然だった気がする。シルフィーが絶対に受けないと分かった上で吹っ掛けておいて、何か譲歩を引き出す手段のようにも思えたのだ。
「まぁ、気にしすぎかもしれませんが、どこから嘘で、どこから本当なのか、もう判断がつきませんでした。だから決闘を受けたんです。ほら、力による問題解決って、すごく分かりやすいじゃないですか。個人的には好きなんです、そういうの……それに、その……あれです」
「何よ?」
「その……ですね。笑わないでくださいね」
「笑わないわよ……何?」
ダボンは恥ずかしそうにもじもじと身体をよじらす。大男のダボンがそんな仕草をすると少し不気味なのでシルフィーは怪訝に眉を顰めるのだが、ダボンの言葉を聞いた途端にその眉が一気に吊り上がった。
「あそこで決闘を受けたら物語の白薔薇の騎士みたいで格好よくなかったですか?」
「は?」
それは腹の底から呆れた声だった。白薔薇の騎士はダボンが愛読するロマンス小説だ。古くからある物語で、シルフィーの地元のルナ領や王都でも人気があり、芝居の演目になっていたりもする。その中でも彼は白薔薇の騎士が無実に罪で陥れられた姫の身の潔白を証明するために100人の騎士と決闘するシーンが大好きだったのだ。
「一度でいいから、白薔薇の騎士みたいに、罠に嵌められた無実のお姫様のために戦ってみたかったんです」
「あ、貴方ね……馬鹿じゃないの」
「な!? 何でですか? 」
「無実じゃないからよ。私がネミッサに水をかけたところ見たでしょ。今回は濡れ衣じゃないのよ。本当にやっちゃったのよ」
「でも、前回は――」
「そのときは誰も私のために戦ってくれなかったの! だからあの話は嫌いなのよ!!」
「そんなぁ……」
せっかく物語の騎士のようになれたと思ったのにお姫様から馬鹿呼ばわりされる。それに意気消沈してしまう。しかもシルフィーはさらにダボンに追い打ちした。
「だいたい貴方、あの話の元になった実話を知らないの?」
「そんなのあるんですか?」
「あるわよ。しかもその決闘の部分の話よ。昔、大貴族の娘と駆け落ちしようとして、失敗して捕まって100人の騎士と決闘させられた騎士がいたのよ。それでその騎士って、どうなったと思う?」
「勝ったんじゃないんですか?」
「馬鹿! 100人相手に勝てるわけないじゃない。負けたわよ。それから決闘にも暗黙の了解のルールが細かく出来たのよ」
「そんなぁ……」
白薔薇の騎士は小さい時からの彼の心の中でヒーローだった。そんな彼が実は負けていたと聞きしょんぼりする。おまけに彼のお姫様は物語と違いとても辛辣だ。
ドアが開いてザカードが入って来たのは、ちょうどそんなときだった。
最初、父の顔をみたシルフィーは表情を強張らせた。先ほどは逃げるように舞踏会場を去ったのでザカードと言葉を交わさなかったのだが、自分はとんでもない失態を犯してしまったのだ。叱責だけでは済まないかもしれない。
しかしそんなシルフィーの予想は大いに覆される。
入って来たザカードの様子が妙に上機嫌だったのだ。
「やぁ、ダボン。どうにも大変なことになってしまったようだな」
「そ、そうですね?」
「ああ、これは大変なことだ。何しろ200年続いたルナ家の存亡の危機だからな。これは是非とも勝たねばならん。もしも必要なものがあれば、何でも気にせず言ってくれたまえ。全力を持って応えることにしよう」
「は、はい、ありがとうございます」
表情だけでなく声までもが楽し気だ。
まさか父は正気を失ってしまったのではないだろうか?
そんな不安が湧いてきてシルフィーは声を投げかける。
「あ、あの……お父様」
「何だ?」
「怒ってはいないのですか?」
「もちろん怒っているぞ。だが怒っていても仕方がない。危機には全力で対応せんとな。そもそも決闘自体があまり良い手段と言えん。ならせめて勝たんとな。負ければそれこそ名誉まで失ってしまって大変なことになる。ルナ家は祖父の代から決闘などしていない。しかも四大貴族同士の決闘となると100年はない出来事ではないかな?」
「正確には106年です。当時2位のダムト家と1位のモノ家がやって、ダムト家が負けたんです。ダムト家の序列が万年4位になってしまったのは、それが原因です。もっとも今のルナ家はすでに序列最下位ですが……」
答えたのは後から入って来た嫡男のレンドだった。
「おお、よく知っているな。優秀な跡継ぎがいて、俺も鼻が高いぞ」
「茶化さないでください。何か勝算があるんですか? ターノスはうちと比べると頻繁に決闘騒ぎを起こしていて、しかもここ52年は負けなしです」
武門であり軍事を司るターノス家はその力を誇示するためにときおりこういう無茶な決闘を吹っかけてくる。今回もそれが狙いのひとつだとレンドは考えていた。
「ダムトの魔道武具の件が響いているのかもしれませんね。ここでしっかりと力を示したかったのかもしれません」
「うむ、ありそうな話だな。ダムトのご老人め、最後の最後で厄介な置き土産を残してくれたものだ」
「それでちゃんと手はあるんですね?」
「無論だ」
意気揚々とザカードは答える。その声にシルフィーは安堵し、レンドは何だか嫌な予感がする。そして答えた父の言葉に二人は一様に同じ顔をした。
「ダボンの力を信じるのだよ」
「と、父さん……」
「お父様……」
息子と娘からこれ以上ないほど呆れた視線を受けたのは、彼の人生でも初めてだろう。だが当のザカードは表情を崩さぬままダボンに歩み寄り、笑顔のままこう言った。
「ダボン。君はシルフィーの夫であり、ルナ家の一員だ。だからルナ家の命運は君に託そう」
「は、はい……」
「だから決闘の件は気にすることはない。何が起きても俺が責任を持とう」
「はい? 何が起きてもですか?」
「ああ、何が起きてもだ。だから思いっきりやるといい」
「……なるほど、分かりました」
ダボンは静かに答える。
このときに、二人のやり取りの意味が解っているものは、当人達以外に誰もいなかった。
そして翌日の昼前には決闘の舞台は整えられていた。
舞台となった決闘場は円形の舞台で周囲を見渡すと囲むように観客席が設けられている。それは今回のために用意されたのではなく、決闘が行われる度に使われている施設だということが窺われた。きっと決闘には娯楽の側面があるのだろう。それならば昨日の今日で決闘の日取りが決まったのも仕方がないとダボンは納得する。建国式典で各地から貴族たちが集まっているし、きっとみんな暇なのだろう。
客席も3階席までがあり、賓客を迎えるような特別席も見られる。その一番立派な席を見ればエリオットとアリスもいた。
ダボンの見た限りエリオットは憮然とした表情だが、アリスは心配そうにこちらを見ている。ただ彼女はネミッサやセインとも親しいと聞いていたので、どちら側を心配しているかダボンには判らなかった。
大きな武舞台の端を見ると円形の舞台をぐるりと取り囲むようにして赤い鎧の騎士が並んでいる。ターノス家お抱えの騎士団で赤鱗騎士団という精鋭なのだとシルフィーから教えてもらっていた。彼らは謂わば見届け人で、別に襲い掛かってくるわけではない。見届け人は決闘をする上での法律外のルールというので決まっているので違反ではない。そして四大貴族の決闘に限りお抱えの騎士団がそれを行うことが許されているらしい。何やら不平等なルールな気もするが、そもそもルールなど偉い人間に都合の良いように作るのが当たり前なのだから言っても仕方がない。そもそも四大貴族に喧嘩を売ること滅多にあることではないのだ。シルフィーは「だったらうちの青牙騎士団を出せばいいのに」と文句を言っていたが、決闘の取り決めをする段階でザカードが辞退したらしい。
理由はふたつあり、ひとつは今回の件はシルフィーが非礼を働いたのだから、ルナ家側が政治的に不利だったこと。
もうひとつはもっとシンプルで、単純に騎士の人数が足りなかったのだ。武舞台はかなりの広さで、取り囲もうとすると100人近い人数がいる。ザカードも王都に上るにあたり最低限の護衛は連れてきたのだが、さすがに100人の正騎士団員は連れてきていない。そのことを鑑みても正装の正騎士団員をこれだけそろえてきたターノス家は狙ってこの決闘を演出したことが窺えた。
「まぁ、別に構わないんだけどな……」
あからさまな恣意にダボンはもう呆れを隠すようなこともなかった。目の前にはすでに鎧を纏ったセインがいる。
ターノス家への婿入りが決まっているセインは赤鱗騎士団の正騎士であり、胸に赤い竜が入った見事な拵えの鎧を纏っていた。それらは軍事面に秀でたターノス家謹製の特注魔道武具だ。
それを装備するセインは副団長補佐というどれくらい偉いのかよく分からない役職についているとレンドからも伝えられていたが、ダボンにはあまり興味がなかった。最近、父である近衛騎士団長から4本に1本取れるようになってきたという話も含めてだ。
「おい、貴様。何だその格好は?」
「別にどんな格好だろうと関係ないでしょ」
「何だと!」
セインは気炎を吐くが、それも無理はない。ダボンはこれから戦うのとは思えないほどの軽装だったからだ。粗末な麻のシャツに革のパンツ。腰には太いベルトが巻かれ、そこに大きな棘つき鉄球のついた棍棒が下げられている。全身鎧に兜を被り、名剣と思しき長剣を佩いたセインと比べれば丸腰のようなものだ。この場ではシルフィーだけが知っているが、それはダボンが狩りにいくときの装束だ。普段と違うのは新調した棍棒の先端にある鉄球が一回り大きいくらいだろう。
そんなダボンの姿を見て、観客の何割かは失笑を飛び越えて「アイツは頭がおかしいのか」と困惑しているようだった。
「それで……確か決闘の前にごちゃごちゃと取り決めがあるんですよね。面倒なんでさっさと終わらせて決闘しませんか?」
「貴様、名誉ある決闘の儀式を愚弄するつもりか!」
「まぁ、名誉に憧れはありますが、僕はどちらかというと決闘する理由自体が大切なのであって……まぁ、いいです」
説得することを諦める。もうそれ自体が面倒になってしまったのだ。
それにセインはさらに激高する。見ればダボン達を取り囲んでいる赤鱗騎士団の面々も気を悪くしているようだった。セインは若いが腕は確かで騎士団でも屈指の実力だ。生真面目な人柄は古株の団員からの覚えもいい。だからこそ彼を莫迦にされた騎士団は「あの野蛮な野豚をぶちのめしてくれ」と露骨な視線を飛ばしてくる。
「まったく、これじゃあ、こっちが悪役みたいだな……」
そうぼやき、昨日グレイルから言われた言葉を思い出す。
「そうだな。僕は魔女の婚約者で悪人なんだった」
だったら徹底的にやってやろうと心に決める。
そうして決闘前の面倒な取り決めが始まった。赤鱗騎士団の団長という人物が決闘についてのご高説を唱える。決闘は神聖不可侵なものであり、決闘を汚すような行為を働けば周囲の見届け人である赤鱗騎士団が刃を向けるらしい。ぐるりと取り囲むのはいちおうそういう名目もあるようだ。
次に銀の盃を差し出す。入っているのは水だ。互いに一口飲み、交換して一口飲む。元々は何かの神事が由来らしいが、ダボンにはイマイチ実利を見出すことが出来なかった。
そして盃を渡されたときダボンはふと思いついた。
「それでは互いに盃をとるがいい」
銀の盆の上に差し出されたのは二つの盃だ。どちらを取っても構わない。どちらが先にとっても構わない。だからダボンは両手を伸ばし、右と左の手で二つの盃を奪い取った。
「おい、どういう――」
驚いたセインが非難の声を上げるが気にすることはない。ダボンは二つの盃をとると、手首を翻し、その中の水を地面にぶちまけた。そしてその後に空になった盃をゴミのように地面に捨てる。
その予想外の暴挙に観客席から大きなざわめきが起きた。
「おい、どういうつもりだ?」
もう一度セインは問う。それにダボンはなんてことの無いように答えた。
「見ての通りですよ。神聖な決闘を愚弄して汚しました」
「何?」
そして次はセインではなく、周囲の赤鱗騎士団に向かい言い放った。
「これでアナタ達は全員、僕と戦う義務が生じましたね。これは大変だ」
「恐怖で完全に狂ったようだな」
セインは吠える。
すでにその手には剣が抜かれていた。
騎士団長はそれを見て、慌てて決闘開始の合図を告げる。
周囲からはもう割れんばかりの歓声で、それは全てダボンに対して否定的なものばかりだった。
セインは正眼の構えから長剣を振り上げる。それはよく訓練された無駄のない動きで、剣を使う物ならば普段から彼がどれだけの稽古をしているのかが見て取れた。対してダボンは雑に拳を振り上げる。まるで功夫の痕跡の無い素人のような動きだ。
だがセインが剣を振り落とそうとした瞬間、ダボンの姿が消えた。
(馬鹿な!? 消えた??)
つい先ほどまで目の前にいたダボンが消えた。
セインは困惑する。
そしてすぐに自分が勘違いしていたことに気がついた。
ダボンはいる。
目の前に。
ただその距離が短くなっている。
先ほどまでまで7~8歩あったはずの間合いが1歩前まで詰められている。それこそ視認出来ないほどの速度で移動したのだ。
そして振り下ろされた拳は更に速い。
(マズイ!?)
そう思った時にはすでに遅く、ダボンの拳骨が胸部にめり込んでいた。
胸に赤い竜の意匠が凝らされた装甲が拳の形になってへこむ。それこそ拳一個分の深さにめり込んでいた。
意味が解らない。
そう感じたと同時にセインの意識はプツリと途切れた。
そしてそれは観衆も同様だ。
最高潮に盛り上がっていたはずの円形の決闘場は一瞬の内に静まり返った。
ダボンの伸びきった腕の先には大きな拳骨が握られており、それが突き刺さるように相手の胴へとめり込んでいる。
それが引き抜かれたとき、鎧を纏ったセインは地面の上に崩れ落ちた。
立っているのはダボンだけで、セインはあきらかに戦える状態ではない。
だがこれで終わりではない。
周囲には赤い鎧を纏った100人の敵。
「そうだな、せっかくだから白薔薇の騎士の仇もとってやろうか……」
誰に言う訳でもなく呟く。
ダボンはそのままゆっくりと前に出た。
これが決闘の決着の始まりだった。
◇
圧倒的な光景にレンドは息を呑む。
「シルフィー……彼はいったい??」
「し、知らないわ。あんなに滅茶苦茶に強いなんて……聞いてない」
自分たちの目の前でダボンは騎士団を蹴散らしていた。しかも彼は腰の棍棒を使っていない。素手だ。素手の拳で鎧を潰し、兜をへしゃげさせ、完全武装の騎士を粉砕していっている。
そして彼女は気づく。村人たちは皆がダボンが強いと口をそろえて言っていたが、自分は一度もダボンが戦っている姿を見たことがなかったのだ。
そうなるとシルフィーの中に堆積していた小さな違和感が少しずつ浮き上がってくる。それは村に来た当初は感じていたが、それが日常になるにつれて埋もれていってしまっていた小さな疑問だった。
例えば彼は言った。
『大きな竜はさすがに怖いですけど、でもシルフィーさんの為ならやっつけます』
それは自分が村に来たばかりのとき、彼の気を引くために「ダボンなら竜が襲ってきても守ってくれるわよね?」と言った時のことだった。だが冷静に考えればこの言葉はおかしい。
大きな竜は怖いけど
それはまるで小さな竜では問題がないようではないか。
他にも彼は言った。
『本当ですよ。以前、父に連れられてルナ領の別の場所で大氾濫を見たんです。物凄い数の魔物が波のように押し寄せて来て、あれは本当に怖かったな』
これも村に来たばかりの頃で魔物の脅威を語っていたときだ。だがこれもおかしい。ルナ領で最後に大氾濫が起きたのは8年前だ。その時はまだ彼は8歳のはずで、そんな所に父親はどうして子どもを連れて行ったのだ。
彼は10歳より前から魔物を狩っていた。
しかもそのときは一人で魔物を狩ったらしい。
そしてシルフィーが知る限り、彼は死者が出るのも珍しくない魔物との戦いを幾度も経験していながら、一度も怪我をして帰って来たことがないのだ。
「ダボン……貴方、いったい?」
田舎の力持ち程度の認識だったダボンの圧倒的な力に、シルフィーは息を呑むことしか出来なかった。
本作は「なろう小説」のいちジャンルである悪役令嬢ものの亜種というかパロディとして書いています。なので各キャラクターの性格も、どこかで見たことのあるテンプレな感じに仕上げているのですが、ダボンだけはモチーフにしているキャラクターがいます。
それがtype-moon作品の「魔法使いの夜」に登場する静木草十郎です。
・田舎者
・善人に見える
・脈絡なく強い
そんなキャラです。
彼の格好良さがちょっとでもダボンに宿っていればなと思います。
本作を読んで少しでも面白いと感じたら、ぜひ「魔法使いの夜」をプレイしてみて下さい。




