悪役令嬢と野豚の騎士
打ちひしがれるシルフィーを見て、ネミッサは勝ち誇った。
「うん、いい気分ね。完全勝利だわ。学園ではあの事件のせいで、貴方との決着ってうやむやになっていたたでしょ。傍から見れば私の勝ちでいいでしょうけど、貴女のそういう顔が見れなかったから実はけっこう気にしてたの」
「…………そう」
それだけ答えるのがやっとだった。自分は負けた。また負けた。その事実だけがシルフィーを強く打ちのめした。
その表情を見て、ネミッサの唇が三日月のように弧を描く。
「そうだわ。シルフィー。最後にいい事を教えてあげる」
「…………何よ」
もうどうでもいい。
自分は負け犬だし、周囲の視線は怖いし、アリスは嫌いだし、もうマンバナ村に帰りたい。
「シルフィー、実はね」
「だから、何よ」
ネミッサはゆっくりと歩を進めてシルフィーのすぐ傍にまで寄ってくる。そして互いのまつ毛が確認出来るような距離まで近寄ると、シルフィーの耳元で彼女だけに聞こえるように囁いた。
「実はね、あの決闘場の結界を壊したの……私なの」
「―—―—―—―—!!!」
真っ白になっていた頭の中が赤一色に染まる。
次の瞬間、シルフィーは持っていたコップの中を盛大にぶち撒けた。
「アナタがっ――!」
叫ぶ。
しかしその挙動はダボンによって静止された。
「シルフィーさん、落ち着いて下さい」
「でもっ! この女がっ!!」
「それでもです」
「でもっ!」
必死になってダボンを押しのけようとするが、彼女の細腕でダボンの巨体を押しのけらるはずがない。実は彼も巻き添えを食らって水を浴びているのだが、それも気にせずにシルフィーを止める。
そうして何度か身じろぎしている内に彼女は気がついた。
(どういうこと……おかしい?)
水に濡れたネミッサの表情。それが先ほどよりも色濃い笑みに彩られているのだ。彼女の勝利宣言は終わっていたはずだ。なのに先ほどよりも彼女は勝利を確信した顔をしていた。そして冷静になった頭で周囲を見渡したとき、ネミッサと同じ表情をしているものが他にも二人いた。
一人はカーナ。
直前まで親身に接していながら直前で自分を裏切った女だ。彼女は解る。何しろ自分は直前まで彼女が意図したとおりに間抜けに踊って見せていたのだから、それはもう楽しくて仕方がないのだろう。だからその表情の意味は理解出来る。問題はもう一人の方だ。
もう一人の勝利宣言の笑みを浮かべている人間。
もう一人は――
「……クラウス?」
シルフィー達を囲う人垣の中にいたのは同じ四大貴族の一員であるクラウス・モノ。彼が何故か勝利の笑みを浮かべている。
おかしい。むしろ彼はターノス家を追い落とすネタを探していたはずだ。
そこでシルフィーは気づく。
「まさか……あれは嘘?」
彼は言った「結界に破壊工作をした証拠が見つかった」しかしよくよく考えれば、それが本当だという証拠がそもそも存在しないのだ。しかしシルフィーは信じてしまった。それが彼女が何より欲しがっていた情報だったからだ。
自分が無実だという証明が欲しかった。
不運などという不確かなものに敗北したのではなく、強敵と知略知慮を尽くした末に敗北したのだと納得したかった。
だから深く考えず、その不確かな情報を頭から信じてしまった。だからネミッサの言葉にあっさり逆上してしまった。そのネミッサの言葉さえも嘘かもしれないのにだ。
逆にネミッサはクラウスと組み、カーナという手駒を使って自分を動揺させ、最高の瞬間に手札を切ってきた。
本当は終わってしまった学生時代の序列決めなど興味はなかったのだ。本当の目的は、今シルフィー自身が引き起こしてしまった失態。公の場で、エリオットが自分に恩赦を与えるという大切な場で、シルフィーの失態を引き出すためにだ。
ターノス家はこれでまたルナ家を追い詰める材料が手に入った。ことをすれば、本当に自分の実家は終わってしまうかもしれない。
「あらあら、シルフィーったら、いきなり水をかけてくるなんて酷いわね」
「そ、それは……」
自慢の巻き毛を水で滴らせながらもネミッサは笑う。
今、この場では彼女こそが勝利者なのだ。
「殿下や陛下までがいる場でこの非礼……貴女はどういう責任がとれるのかしら?」
「それは……」
とれるはずがない。そもそもシルフィーはルナ家の一員であるが、政略結婚を前提に育てられた娘なので実権などない。そして当初の政略結婚が失敗し、嫁入りが決まっているのは辺境のマンバナ村の領主ダボンだ。そんな彼にこれほど大きな失態を補うことは不可能に決まっている。結局責任をとるのは父であるザカードや嫡男のレンドなのだ。
気がつけばその父や兄、最悪なことに国王やエリオットまでが近くに来てしまっている。
(もう駄目……本当に終わりだわ)
自分はすでにどん底だと思っていたが、まだ甘かった。底だと思っていた下には、さらに底があったのだ。
もう命で償うしかないかもしれない。
そこまで考えた時、悪魔の声が聞こえてきた。
「大丈夫ですよ、シルフィー様。ちゃんと助かる方法がありますから」
「え?」
「大丈夫です」
優し気な言葉に顔を上げるとそこにはついさっき自分を裏切った女、カーナがいた。彼女は優しげな言葉とは裏腹に酷薄な笑みを浮かべながらシルフィーに言った。
「ネミッサ様に決闘を申し込みましょう」
「け、けっとう?」
「はい、理由は何でも構いません。ネミッサ様が何だか失礼なことを言って、シルフィー様が何だか怒ってしまった。だから決闘を申し込んだ。そういう流れにすれば、とりあえずこの場は誤魔化せますよ」
「そんなこと……」
出来るわけがない。貴族同士の決闘は法律の外でありながら重んじられているという、謂わば法の外のルールではあるので、この場だけうやむやにするというだけならば悪くない案だ。だが今回は場所が悪い。自分は王家の主催する宴席で、しかも自分の実質の恩赦を兼ねた場で非礼を働いてしまったのだ。この場はうやむやに出来ても後で追及されるに決まっている。
そして何よりも
(決闘だけは嫌……絶対に嫌よ)
決闘は嫌だ。
もうこりごりだ。
それで散々な目に会ったのだ。
しかも周囲を見れば人垣が出来ていて、エリオットも、アリスも、ネミッサも、セインも、グレイルも、クラウスもいる。隣国のニールダムに帰った留学生のシンはさすがにいないが、これはもうほとんどあのときの再現のようなものだ。
そしてカーナもあの場にいた。それを承知で言っているのだ。
「シルフィー様、決闘を申し込みましょう」
「いや……こわい」
「そうしないと命まで危ないかもしれませんよ?」
「いのち……でも、でも」
カーナはドロリとした笑顔を浮かべながらシルフィーに優しく迫る。それはまるで善意など感じられない笑みだった。
(いや、いや、いや……何で決闘なんてしないといけないの。それなら死んだほうが……)
「けっとうは……いや」
恥も外聞もなくシルフィーは泣きながら答えた。美しい顔をクシャクシャにして、涙だけでなく鼻水まで垂れる始末だ。そのあまりに酷い顔を見て周囲からは失笑が聞こえる。
「けっとうは……いやなの」
「そう仕方ないわね」
対するネミッサは失笑ではなく勝者の笑みで応じる。そうして再び宣言した。
「じゃあ、シルフィー。決闘をしましょう」
「……え!?」
その言葉の意味が解らず呆けたように口を開ける。
「あら、何を驚いているのかしら。私は今、貴女に水をかけられて侮辱されたのよ。これって決闘をする理由に十分なるわよね」
「そんなぁ……」
表情が絶望に染まる。
学園の決闘と違ってこれは本物の決闘だ。なので自分で戦わない場合は代理人を自由に選べる。そして武門の家柄であるターノス家を超える代理人を見つけることは、今のルナ家には難しい。何しろ最悪の場合、相手はセインの父親である近衛騎士団長を指名してくる可能性すらあるからだ。
これは学生時代の派閥争いとは違う。相手を潰せると解ったときは徹底的に潰す。シルフィーが加わる前にリタイアしてしまった、彼女の知らない本物の権力闘争だった。
「受けるわよね?」
「それは……」
決闘なんて出来ない。
あのときは誰も助けてくれなかった。
あれで準備して積み上げてきた自分の人生が駄目になった。
もうあんな思いをするのは嫌だ。
あれ以来、シルフィーの後に着いてくる者は誰もいなくなった。隣を歩いてくれるはずの人もいなくなった。前に進んで辿り着いたのは目も当てられないような酷い田舎で、そこにいたのは野豚のような醜男だった。それでも何とか努力して、色んなものを諦めて、小さな世界で満足しようとしていたのに、こんなのはあんまりだ。
謝ろう。
あのときは出来なかったが、謝って許してもらおう。
今こそがそのときだ。
みっともなくても、惨めでも、無様でも、醜い負け犬に堕ちようとも、それでも決闘するよりはマシだ。
そして謝ってマンバナ村に帰るのだ。
あそこは何もない所だけど、人だけは優しい。あの小さな世界でお姫様の振りをしながら、ちやほやされて生きるのだ。それにあそこにはダボンがいる。野豚のような見てくれで、お世辞にも格好いい男の子ではないけれど、彼は自分の我が儘なら大抵のことは聞いてくれる。ああ、でも彼は綺麗な私が好きなんだ。こんな涙と鼻水で汚れた醜い負け犬の私なんて受け入れてくれるだろうか?
嫌われたら怖い。
もう自分にはあそこにしか帰れる場所がないというのに。
ああだめだ、けっきょく、あやまっても、こわいままだ。
「いいですよ。決闘を受けましょう」
(え?)
「王都は面倒なところですね。ずっと他人の顔色ばかり見なければいけないし、とにかく気を使ってばかりで疲れます。シルフィーさん、こんな面倒なことはさっさと終わらせてマンバナ村に帰りましょう」
(何を言っているの?)
気がつけばダボンが目の前に立っている。でもそのおかげで少しだけ楽になった。彼の身体は大きいので相手の視線を遮る良い衝立になるのだ。
「いいのかしら? 勝手に受けてしまって?」
「構いませんよ。僕が代理人になって戦います」
「へぇ、貴方が?」
「はい、何か問題が?」
「まさか、ないわよ。こっちはセインが代理人よ」
「別にいいですよ。どうせ誰が来ても同じなんです。まったく……面倒くさい」
彼にしては極めて珍しいことに、ダボンは嫌悪感を隠すこともなく言い捨てる。それを見てセインが気色ばむのだが、それさえも相手にするのが面倒そうで、ただ一言「面倒くさい」と吐き捨てた。
「あの……ダボン、止めましょう。わたし謝るから」
「別にいいですよ。とりあえず受けてしまいましょう。それで一端の面倒事は終わるみたいですしね」
「でも、危ないわ」
「それに関しては問題ありませんよ。どうせ僕が勝つんですから」
投げやりに言う。それにセインはさらに腹を立てたようだったが、ダボンは本当にどうでもいいように無視を決め込んでいた。
「ね、ねぇ……ダボン」
「放っておきましょう。それよりも早く屋敷に戻りましょう。泣き顔も綺麗ですが、僕は偉そうに笑っているいつものシルフィーさんが一番好きなんです」
照れ隠しするように彼は言う。
ダボンの言葉は最初から変わらない。
彼は言う「自分は綺麗なシルフィーが好きだ」と。
だから彼はシルフィーの美しさを曇らす者が現れれば、敵に回ることに躊躇はない。
美しい悪役令嬢を守るために、野豚の騎士は立ち上がるのだ。
まるでヒーローのようなダボンですが、筆者的には「コイツ嫌なヤツだな」と思ってくれたら嬉しいです。その理由はこの後、数話使って語られます。
シルフィーは「この娘かわいい」って思ってくれたら嬉しいんですが……いえ、作中の扱いが酷い彼女ですが、筆者としてはお気に入りのキャラなのです。
ダメージを受けすぎてライフがなくなりかけているヒロインを応援していただける方は、感想、評価、レビューなどで応援してあげてください。




