悪役令嬢は悪人と踊る
「せっかくだからダンスでも一曲踊っていけばいいじゃないですか」
アリスが突然近づいて来てそう言ったとき、ダボンは不快な気持ちになった。予定ではエリオットがシルフィーに声をかけ、それで終わりだったはずだ。なのに何故かアリスが妙な提案をしてくる。
直前のエリオットとの会話で彼は「もう自分にはシルフィーへの気がない」と明言していた。しかしダボンが見た所、シルフィーはやっぱりエリオットへの未練が断ち切れていないようだった。それが面白くない。
もちろん彼とてエリオットと自分に如何に差があるのか理解している。相手は一国の王になることが決まっている人間だ。そして生まれだけでなく見た目にも残酷なほどに差がついている。鍛え抜かれた身体にスラリと四肢が伸びたエリオットの肉体に比べて、ダボンの身体はワイン樽のような寸胴だ。顔の造作など、もはや比べるまでもない。
そんな美丈夫が美しい彼女と一緒に踊る。
彼女はマンバナ村にやって来た当初こそ取り乱したものの、島流しにされても大きな不満も言わずに村に馴染もうとしてくれていた。自分との結婚にも応じてくれている。しかしそれは頭の良い彼女が現状に最も適した選択肢として選んでくれているだけで、シルフィー自身がマンバナ村や自分のことが好きな訳ではないことをダボンは理解していた。
もしもエリオットに未練のある彼女が彼とダンスを踊ったら――
別に二人のよりが戻るなどという事まではダボンも考えていない。しかしシルフィーにはダンスを踊ったときの気持ちを少しでも村に持って帰って欲しくないというのが、彼の偽らざる本音だった。
出来ればアリスの意見など無視して、エリオットには断って欲しい。そう切に願うが残念なことに彼は首を縦に振る。
「まぁ、アリスが言うのならいいだろう」
余計なことを……とダボンは思う。
そしてエリオットがシルフィーに右手を差し出したとき、群衆のざわめきは最高潮に達した。
エリオットが「どうした? 踊らないのか」と尋ねれば、シルフィーは「え、ええ……」と控えめに答える。もしもこのとき彼女が恥じ入った表情や、喜んだ貌を見せていれば、ダボンはもう立ち直れなかったかもしれない。しかし彼女が浮かべた表情は戸惑いだ。
「お相手を務めさせていただきます」
そう言ったシルフィーにエリオットは「ああ」と答えた。
正直な話ダボンはシルフィーに踊って欲しくなかったのだが、周囲の反応を見る限りこれはルナ家にとって好意的な反応のようだ。ならば彼女が踊らないわけにはいかないだろう。
シルフィーはエリオットに手を差し出されるとダボンを振り返ることなくホールの中央へと向かっていく。
「……マンバナ村に帰りたいな」
離れて行くシルフィーの背中を見て呟いた。それはマンバナ村を離れ、シルフィーの実家に行き、慣れない王都の空気に触れ、初めての夜会で好奇の視線にさらされても、ものともしなかったダボンが初めて吐いた本当の弱音だった。
二人のダンスは素晴らしいものでステップもターンもダボンが習っていない技巧を凝らした動きだった。それは幼いころから練習し続けた者だけが見せることの出来る修練の証だ。
生まれも、美しい所作も、教養も、全てダボンが持ち合わせていないものだ。華麗に舞う二人を見て、僻みだとは理解しつつも、まるでシルフィーが攫われてしまったように感じてしまった。
その男が声をかけてきたのはそんな時だった。
「おい、お前が黒真珠の男か?」
「え?」
「オレ様はグレイルって者だ。あそこで踊っている男の弟だよ」
野性味あふれる金髪の男の言葉を聞いた途端、ダボンは驚きのあまり飛び跳ねた。
「グ、グレイル閣下でしたか。失礼いたしました」
「おっ、俺を殿下と呼ばない辺り、黒真珠のヤツ、よく仕込んでいるな」
虎のような笑みを浮かべる。ダボンの記憶によればこの男はシルフィーの決闘騒ぎのときに真っ先に手を上げた男のはずだ。それを思い出し頭の中のスイッチが切り替わる。
「おいおい、喧嘩腰になるなよ。黒真珠のことは好きじゃないが、別にお前のことまで嫌いになるつもりはないぜ」
「は、はぁ……」
その言葉に拍子抜けする。それとともに少しだけ驚いた。この男は王都に来て、初めて自分のことをシルフィーの隣にいるおまけではなく、ダボン個人として見てきたからだ。
「それにしても聞いていた話と随分違うな。黒真珠の婚約者は野蛮な野豚だって聞いていたからな」
「そのままだと思いますが……?」
自分などエリオットと比べれば野豚も同然だ。眼前に優雅に舞う王太子を見れば、嫌でもそう意識せざるえない。しかしグレイルの印象は違うようだった。
「そうか? まぁ、確かに豚みたいな見てくれだとは思うが、そこまで野蛮だとも思わねぇけどな」
「そ……そうでしょうか?」
「ああ、作法がなってないから野蛮人ならオレ様だって野蛮人だよ。それに本当に野蛮なら、もう少しギラついた目をしてるだろ……まぁ、さっきの雰囲気にはさすがに驚いたが、ああいうのは野蛮じゃなくて野性だろ」
「まぁ、そうですかね?」
「そうだよ。ここにいる連中のほとんどは、目をギラつかせながら、知恵や知識を棍棒みたいに振り回してきやがる。オレ様からすれば、こいつらの方がよっぽど野蛮人だよ」
ダボンにはグレイルの言うことがイマイチが分からない。しかしこの男は他の貴族達とは明らかに雰囲気が違い、何となく好ましい印象を持っていた。
「それにしても、あの性格の悪い女と結婚するなんて、どんなヤツなんだろうって思ったが……思ったよりもまともな人間だな。クラウスの家が流す情報は当てにならねぇな」
「まぁ、シルフィーさんの評判は最悪ですから、ああいう風聞が飛び交うのは仕方ありませんね」
「ああ……ところでお前」
「はい?」
「黒真珠のこと悪口言われて怒らねぇんだな?」
「実際にシルフィーさんは性格が悪いですから」
「へぇ……」
虎を思わせる琥珀色の瞳が楽し気に揺れる。
「お前は随分あの性格の悪い女に執心しているんだな」
「恥ずかしながら、ひと目惚れしてしまったので」
「あんな女のどこがいいんだよ」
「綺麗なところです」
「即答しやがったな、まぁ、見た目は綺麗な女だとはオレ様も思うが」
「まぁ……言わんとすることは僕も理解出来ます。確かにシルフィーさんは、優しく接しているようで他人を顎で使っていたり、何気なく僕らのことを田舎者呼ばわりして馬鹿にしたりしていますから」
「やっぱりろくな女じゃないじゃねぇか」
「でも僕らは誰もそれを嫌がっていません。目に見える問題となっていないなら、それは無いも同じです」
その言葉の通り村人の多くは都からやって来た美しい姫君に尽くすことに一種の喜びを感じているようだった。だがそれもシルフィーが居丈高に言っても誰も納得などしない。彼女なりに考えて、どうすれば周囲が自分に自然に傅くのかを苦慮した末の振る舞いなのだ。もちろんゼベのように見抜く者は見抜くが、それを言い出せば万人に好かれる方法など存在しないのだから仕方ない。
「辺境で姫様気取りってわけかい?」
「ええ、いいじゃないですか。辺境のお姫様でも。本人もきっと分かっているはずです」
「無様な真似をしてるって事かい?」
「いいえ。自分はもうここでしか生きていく場所がないということです。だからシルフィーさんは覚悟を決めた上で辺境のお姫様をやっています。その覚悟があるから僕みたいな醜い豚との結婚にも一言も文句を言わないのです」
「へぇ……」
グレイルの目が刃のように細められる。対してダボンの細い目からはうまく感情を読み取ることが出来なかった。
「何となく想像していましたがシルフィーさんの故郷や王都に来てさすがに驚きました。まさかここまで嫌われているとは思っていませんでしたから」
「まぁ、みんな面白がって騒いでるからな。そこが質が悪い」
「ですね。そしてシルフィーさんはもう、その視線に耐えることが出来ないでしょう」
家族とさえも目を合わせるのを恐れ、アリスの名を聞くだけで怯え、移動中は顔を見られることを異常に嫌がっていた。これがおかしなことくらいダボンにも理解出来る。貴族としての彼女はもう完全に壊れてしまっているのだ。
「彼女は負けました。それはもう取り返しがつかないくらいの大負けで、もう立ち上がれないでしょう。でもいいじゃないですか。小さな世界に閉じ篭って、その中で生きていく。そういう生き方でも」
「オレ様は好きじゃねえな」
「閣下はアリスさんのおかげで、立ち上がることが出来たんですよね」
「ちっ……黒真珠の入れ知恵かよ。よく知っていやがるな」
嫌そうに舌打ちする。兄であるエリオットに劣等感を持っていたグレイルの問題をアリスが解決した話をダボンは何となく聞いていた。その話を匂わせたのだ。
「その辺りは人それぞれだと思いますよ。本当はアリスさんみたいに出来ればいいんでしょうけど、僕も本質的には今のシルフィーさんと同じで、小さな世界の中だけでしか生きられない人間ですから」
「殻の中に閉じ篭ってちゃ、いざという時に太刀打ち出来ないぜ」
「ずっと閉じ篭ってるから問題ありませんよ。それに……」
「それに?」
「小さな世界の中ならば、僕は誰にも負けません」
「へぇ……」
ダボンの静かな声にグレイルは虎の笑みを浮かべる。「この田舎者が何を言っている」とも「この男ならやってのけるかもしれない」ともとれる笑い方だった。
「まぁ、いいさ。黒真珠がどうなろうと、オレ様の知ったことじゃねぇからな。だがお前との雑談はそれなりに面白かったよ」
「そうですか。でも僕も助かりました」
「あ?」
「ちょっと気分が悪かったので、気がまぎれましたから」
「ああ、兄貴のことか? 確かに兄貴は男前だからな。黒真珠に惚れ直されても困るわな」
「ええ」
苦笑して答える。
笑って答えることが出来たのは、ダンスが終わって戻って来た彼女の顔が笑っていなかったからだ。
「お前は野蛮人じゃないが、悪人だな」
「魔女の婚約者ですから」
「違いねぇ」
グレイルも笑う。
そして別れを告げることもなく、その場を後にした。
◇
「ねぇ、グレイルと何を話していたの?」
「単なる雑談です。僕の話を沢山聞かれました」
「ダボンの話を?」
「変わった方ですね。貴族っぽくなくて、王都に来て初めてまともに会話をした気がします。ああいう方には初めて会いましたが、けっこう好きかもしれませんね」
「そ、そう……グレイルが……ねぇ?」
シルフィーは何とも言えない角度で唇を曲げる。彼女の知るグレイルは無頼で偏屈な変わり者で、とても初見で好印象を持つような人物ではないからだ。彼女はグレイルがあまり得意ではないので複雑な思いになるものの、すぐに気を取り直して唇を優雅な形に結びなおす。
「まぁ、いいわ。ところでダボン。今から私、貴方にとっても酷い事を言うわ」
「え!? な、何ですか?」
いきなりとんでもない事を言われダボンは仰天する。まさかこの場でそこまでおかしな要望はないだろうが、彼女がわざわざ断ってから言うことも珍しい。
そんなおっかなびっくりの彼を前にしてシルフィーはゆっくりと右手を前に差し出した。
「ダボン」
「はい」
「手を握りなさい」
「はい?」
「いいから握りなさい…………お願い、握って」
3度目の声は消え入りそうな声だ。
そのときダボンは彼女の頬の涙が伝った跡に気づき反射的に手を差し伸べていた。
「大丈夫ですか、シルフィーさん」
ここ最近はダンスの練習で彼女の手を何度も握っていたから判る。もともと細く美しい指からは血の気が引きガチガチに固まっている。強張って冷たくなった手はアリスの事を思い出しているときと同じものだった。
「ええ、大丈夫。でも……ごめんなさい」
「何で謝るんですか?」
「だって私、今貴方にとっても酷い事をさせてるの」
「?」
ダボンには意味が解らない。何しろ彼自身はシルフィーの手が握れると嬉しいのだ。
「僕はむしろ嬉しいんですが?」
「それでもよ」
「はぁ?」
やっぱり意味が解らない。何しろ今の彼はエリオットの元からシルフィーが帰って来てくれて嬉しいのだ。むしろ彼女が袖にされたことに喜びすら感じている。そしてそんな自分の底意地の悪さに気づき、ひょっとしたら彼女も同じような後ろめたさを抱いているのかもしれないと思い至る。
「ま、まぁ……お互い様ですね。実は今、僕も今シルフィーさんに酷いことをしています」
「そうなの?」
「ええ、グレイル閣下が言うには、僕はどうやら悪人らしいですから」
「貴方……グレイルのことが気に入ったんじゃないの?」
胡乱に思うシルフィーだが、恐らくダボンも自分と同じようなことを考えているに違いないと気づく。
ダボンの手は温かく、彼女は冷え切っていた心に熱が戻っていくのを感じた。そうして彼女は決心する。
「ダボン、ダンスをしましょう」
「お、踊るんですか」
「そうよ。練習したでしょ?」
「そ、そうですけど……わざわざ皆の前で……」
「あら、ダンスは人前でするものよ。どうせ今日だけで散々馬鹿にされて笑われたんだもの。今さら無様な姿を見せても関係ないわよ」
シルフィーは握られていた手を強く握り返し、ダボンの身体を引っ張って部屋の中央に向かう。彼女の細腕でダボンの巨体を動かせるはずなどないのだが、ダボンは引きずられるようにしてホールの中心に移動した。
宮廷楽師が気を利かせたのか音楽が鳴り始める。先ほどとは違う曲だ。
そうして魔女と悪人は踊り出す。
基本のステップだけで構成されたダンスは先ほどの技巧を凝らせたものと比べると退屈で、練度の足りないものだった。特に男性側の動きはぎこちなく、何とか音楽に合わせて身体を動かせているという程度のものだ。
それでも彼女は円舞曲を踊る。
その表情は先ほどと違い楽し気な笑顔に彩られていた。
本エピソードを読むと、ダボンの性格が悪く感じると思いますが、実は作中でダボンの内心を語っている部分は少ないです。意図的に抑えています。
本作は三人称で書いているので心の声を
(僕はシルフィーさんが好きだ!)
とカッコ綴じで表現するのですが、ダボンに関しては一度も心の声の表記はありません。彼はただの気の良い男ではないのです。
実は腹黒い所のあるダボンですが、そんな彼が嫌いでなければ、ポイント評価、ブックマーク、感想などしてみて下さい。




