悪役令嬢は華麗に冷たく舞う
シルフィー・ルナは王国を支える四大貴族の令嬢だ。上には二人の兄がおり、双方ともが幼少期から才気煥発だ。そのこともあり跡取りに不安のないルナ家は安心してシルフィーを政略結婚のための駒として使うことが出来た。ここ数十年、ルナ家は四大貴族の筆頭として隆盛を極めている。そんな中で第一王子であるエリオットを結婚相手として選ぶことが出来たのはごくごく自然な流れだった。
生まれた年が同じだったということもあり、それこそ乳離れする前から結婚相手を決められていたシルフィーであるが、正式な婚約が決まったのは7歳の時だった。それだけ大きくなれば病気や怪我で死ぬことは少なくなるし、身体や精神の不具合があれば顕在化してくる。幸いにも二人にそう言った不具が見られることはなく、むしろ身体は健やかに、容貌も知能も優れた子どもとして成長していっていた。
そうして7歳の春の日、彼女は初めてエリオットに出会った。その時の彼女は結婚の意味も完全には理解しておらず、紹介されたエリオットを見て漠然と「大きくなったらこの男の子と一緒に暮らすんだ」と考えていた。男女の機微がまだ分からない当時のシルフィーから見てもエリオットは格好いい男の子だ。それほど頻繁に会うわけではなかったが、年に何度か顔を会わすうちに少しずつ意識するようになっていた。
大きな変化があったのは8歳の夏の出来事だ。夏の日の薔薇園でシルフィーが転び、そのときエリオットが手を取ってくれた。その後、二人で何をしたのかは覚えていない。ただその男の子が手を繋いでくれたのだけをはっきりと覚えている。
その日が終わり、季節が変わり、年が変わり、大きくなるにつれて互いに忙しくなり会う回数が減っても、シルフィーは手を繋いでくれたときのことを思い出す。何故ならそれは彼女が生まれて初めて恋に落ちた瞬間だったからだ。
◇
舞踏会場にあるバルコニーの上からゆっくりと階を下りて来るエリオットを見て、シルフィーは小さい時の夏の記憶を思い出していた。そのときの彼は今のように精悍な顔立ちではなく、丸みを帯びた輪郭に愛らしい笑顔を浮かべる少年だった。共通しているのは輝くような金髪と、意志の強い青い瞳をしているところだ。
シルフィーがエリオットに会うのはほぼ一年ぶりだが、彼女が最初に思い出したのは婚約の破棄を言い渡された彼の最後の顔ではなく、幼い日の薔薇園の記憶だった。
あの頃はまだエリオット様ではなくエリオットと呼び捨てにしていた。そして今は彼の隣にいる少女が彼のことをそう呼んでいる。エリオットと同じく金髪に青い目をした少女がだ。それを思うと、胸の中が苦しくなる。
「行くんですか?」
「え?」
「あ、いえ……王子様が出てきたので、どうするのかと」
「ああ、そうね……」
ダボンに声をかけられて正気に戻る。どうやら心が10年前と今の間を何度も行き来していたらしい。それをダボンに気づかれたくなくて、彼女は視線を一度エリオットに戻してから言った。
「いいえ、もう少し待ちましょう。私達はエリオット様に御慈悲をいただく立場なのだから。あちらから声をかけていただくのを伏して待つのよ」
「わ、分りました」
ダボンは緊張した様子で明らかに浮き足立っているのが見てとれる。しかし今の彼女にとって、それは有難い反応だった。以前、彼に「まだエリオットが好きなのか?」と問われたとき、シルフィーは「分からない」と答えた。だが久しぶりに彼の顔を見た瞬間、否が応でも気づかされてしまった。
(参ったわね……まだ好きなんじゃない)
あまりの諦めの悪さと、みっともなさと、思った以上の自分の純情さに嘆息する。エリオットを見れば、アリスを前にしたときのように怯えて、緊張して、取り乱すと思っていたのだ。だが実際にはそんなこともなく、驚くほど頭の中は冷静だ。あの怖くて仕方がないアリスが、彼の隣にはいるにも拘らずだ。
それからエリオットはシルフィーを一瞥することもなく、四大貴族の面々の挨拶を受け、国の重鎮達と言葉を交わし、儀礼的な業務をこなしていく。そしてようやくシルフィーを見ると、特に表情を変えることなく自分達の元へと歩み寄ってきた。幸いにもか、それとも意図してくれたのか、その隣にアリスはいない。
そうして感慨深い素振りさえ見せず、最初の一言を投げ掛けた。
「久しぶりだな」
「はい、お久しぶりですでございます、殿下。この度は栄誉ある宴席に、私のような者をお呼びいただき感謝の言葉もございません」
「気にするな。アリスが懐かしい顔を見たいと言ったので呼んだまでだ」
「そうでございましたか。それでは聖女様にも深い感謝を」
「気にするな。アリスはこの程度のことを恩にきる女ではない」
「左様ですか……」
エリオットが言うなら、その通りなのだろう。もう彼はシルフィーのことなどよりもアリスのことの方がずっと詳しく知っているのだ。
ダボンはそんな二人のやり取りを固唾を飲んで見守っていた。目の前にいる二人のやり取りは他人行儀で、とてもかつての婚約者に対しての口調に見えない。いや、かつての婚約者だからこそ、こういう冷たさが前面に出るのだろうか。ダボンはそんなシルフィーを不憫に思うと同時に安堵していた。
「それにしても随分と遠方に嫁いだと聞いたが息災のようで何よりだ。辺境の……何と言ったかな?」
「マンバナ村にございます」
「ああ、そうだ。そんな名前だったな。噂では魔物が蔓延る魔境という話だが、どうなのだ?」
「はい、仰るとおり、3日に1度は魔物が襲ってくる大変に危険な場所にございます。しかしこのダボンが私を守ってくれますので」
「ほう、そちらが?」
若さに見合わぬ威厳に満ちた視線がダボンを射貫く。それにドギマギしながら、ダボンは口を開いた。
「は、はい……ルナ領マンバナ村の領主。ダ、ダボン・マンバナにございます」
「ほう、立派な体躯をしているな」
「はい、力だけが取り柄ですので」
「ふむ、そのようだな」
悪気はなかったのだが、ダボンの佇まいを見てエリオットは答える。その返答に周囲から失笑が漏れた。何しろ警護のために宴席に直接参加していないとはいえ、この場には王国最強と呼ばれる近衛騎士団長がいる。その闘気は凄まじく、剣を抜いていなくとも肌が粟立つほどのものだ。もちろんこの日も、彼を見た者は多く、それを覚えているものが失笑してしまうのは仕方がない話だった。
「これは失言だったな。貴公に対しては思う所はない。許せ」
「いえ、そんな勿体ないお言葉です」
その言葉の意味に気づかず、ダボンは王太子の詫びの言葉にただただ恐縮する。普段は察しの良い男であるが、この辺りが田舎者の悲しさだった。
「知っての通り、俺とそこの女は以前は特別な間柄にあった。だがそれも過去の話だ。しばらくの間、思い違いはあったものの、貴公同様思う所は一切ない。それをここで明言しておこう」
「あ、ありがとうございます!」
「う……うむ」
もう少し分かりやすく伝えたつもりだったが、ダボンは言葉を額面通りに受け取ったらしい。それに呆れながらも、これ以上言及するのも誰にとっても良くないだろう。いくらでも深読み出来る言い回しではあるが、額面通りに捉えれば自分は今、咎人に恩赦を与えたことになるのだ。
「ずいぶんとこの女を気に入っているのだな」
「はい、シルフィーさんは僕にはもったいないくらいの美人で、こんなに綺麗な人と結婚出来るなんて今でも信じられません」
「そ、そうか……」
ここまで素直に答えられるとは思っていなかったエリオットは拍子抜けしてしまう。そしてこの男は本当に純朴な田舎者なのだと気づき、呆れとともに諦めの気持ちが沸いてきた。
(確かに見た目だけなら綺麗な女だ。だがこの田舎者にはこれ以上言っても仕方がないのだろうな)
エリオットとしては、この黒髪の魔女の人格を大いに問題視しているのだが、この田舎者はそれを承知、または気づいていないのだろう。ならば無理に指摘してやる意味はない。何しろこの大柄な少年は自分を害そうとした問題のある女をわざわざ引き取ってくれるのだ。
(そういう意味なら、俺もこの者に貸しがあると言えるか……)
エリオットは妙な考え方をしていることに気づいて自虐の笑みを浮かべた。そうしてシルフィーに向かい言い放った。
「シルフィー、善い相手が見つかったようだな。以前の件に対してお前に対しては思う所はないでもないが、これからその男……ダボンと添い遂げるならもはやこれ以上何も言うまい。マンバナ村に戻りマンバナ家を守るように尽くすがいい」
「はい。心遣い痛み入ります」
エリオットの言葉に立礼する。しかし彼女は彼の言わんとすることを理解していた。
彼は3度言った。
『ダボンに対しては思う所はない』
つまり自分に対しては文句があるのだ。
『以前は自分と特別な間からではあったが、今は思う所はない』
もはや自分に対しては好意的な気持ちはないのだ。
『事件に関しては思う所はないことはない』
結局、自分のことを疑っているのだ。
そうして最後にマンバナ村に戻り一生顔を見せるなと告げた。ダボンがどこまで感づいているのか。普段の彼ならば察することが出来そうだが、マンバナ村を出てからの彼はどうにも頼りない。
シルフィーの返答にエリオットは鷹揚に頷く。
これで話は終わりだ。
(これでもうエリオット様と言葉を交わす機会はないのね)
後ろ髪を引かれる思いで、そんな気持ちを持ってしまう自分が情けない。だが今の自分はダボンの婚約者なのだ。そう言い聞かせて踵を返すエリオットの背中を見送る。
そのときだった。
「待って、エリオット」
鈴の音のような軽やかな声が聞こえる。アリスの声だ。
「何だ?」
「何だじゃありません。シルフィーさんにはもう少し優しく接してあげるべきなんじゃないですか。彼女は無実の罪を被せられていたのですから」
「アリス……それは」
「せっかくだからダンスでも一曲踊っていけばいいじゃないですか」
この発言に周囲がまたざわついた。アリスがいま「無実」について言及したからだ。今回の顛末は有罪無罪はうやむやにする。それが事実上の公式見解だ。何となくの雰囲気でルナ家は罰を免れる。そういう話であったのに、アリスは「無実」と口にしてしまった。もしここでエリオットがダンスをすれば「無罪」という言葉こそないものの、エリオット個人はそれを追認したことになる。
「まぁ、アリスが言うのならいいだろう」
数瞬、考えてエリオットはアリスの意見を取り入れることにした。ひとつはアリスの意思を無視したくなかったこと、もうひとつはここでダンスに誘ったとしても、あくまで「無罪」はエリオット個人の意見であり、王家の意向にはならないからだ。
エリオットがシルフィーに右手を差し出したとき、群衆のざわめきは最高潮に達した。
「どうした? 踊らないのか」
「え、ええ……」
手を差し出されたシルフィーは戸惑いを隠しきれなかった。
目の前には彼女が幼少から恋慕していた男の子が手を差しのべている。あの夏の薔薇園で触れた彼の手。あの頃と比べると逞しく成長したエリオットの手だ。
彼とダンスをするのはいつぶりだろうか。学園では一度も機会がなかった。ただ学園の外では一度あったから3年ぶりくらいだろうか? これまで彼と踊った回数は恐らくは十数回ほど、ダンスの練習はその何十倍も何百倍もしている。全ては伴侶となるはずだったエリオットと踊るためだったのだが、それも今日で最後だ。
「お相手を務めさせていただきます」
「ああ」
久しぶりに握ったエリオットの手は幼少の記憶にあるものよりも、大きく、分厚く、力強く、そして思ったよりも冷たかった。
円舞曲が始まる。
宮廷楽師の楽団がバイオリンが緩やかな旋律を奏でると、右足からゆっくりと二人は動き出す。3拍子のリズムだ。管楽器がハーモニーを生み出し、絡み合った音に合わせるようにステップは複雑になっていく。エリオットもシルフィーも生まれついての貴族の家柄として、作法や教養は幼少の頃からみっちりと仕込まれている。ダンスもその内のひとつだ。もちろん貴族とはいえ全員がダンスの名手というわけではないが、二人の動きは明らかに熟練者のそれだった。
二人の舞は美しい。
そしてそういう教養を受けた者は二人の作り出す舞を認めないわけにはいかなかった。どれだけ悪名が轟こうと、どれだけ魔女と蔑まれようと、今この瞬間だけは美しい舞を生み出すシルフィー・ルナの存在を認めない訳にはいかなかった。
打楽器の打ち鳴らすリズムとともに華麗なターンが決まり、二人の動きがピタリと止まる。それとともにまばらに拍手が生まれ、それが万雷の拍手になるには時間はかからなかった。
ダンスが終わるとシルフィーの握られていた手が解放される。
同時に彼女の中にあった最後の拠り所。それに繋がっていたか細い糸がプツリと感じたのを確かに感じた。
複雑なステップを踏む間、彼は一度も自分の目を見なかった。英才教育を受けたエリオットは舞の名手であり、相手の体捌きを感じるだけでそれなりのダンスは踊れるのだ。
華麗なターンを決める間、彼は一度も自分に合わせるつもりはなかった。社交会のダンスは男性が女性をリードするものだ。互いに上級者同士ならリードする側は気ままに相手を振り回してもある程度のダンスは成立する。
彼はダンスが始まってから終わるまで一言も発しなかった。そうして終わった今も、名残惜しむことなくあっさりとシルフィーの手を離し。無言でアリスの元へと戻っていく。それが何よりも雄弁にエリオットの気持ちを物語っていた。
彼女の中にあった大切な思い出が溶けだすように心の中に広がっていく。それは最初は熱い血潮のような奔流だったが、やがてはさざ波に変わっていき、冷めて、冷えて、冷たくなって、一滴の小さな雫となって瞳からこぼれ出た。
こうしてとっくに終わっていたはずの彼女の初恋は、一年近くの時間をかけて本当に終わりを迎えたのだ。
本作はシルフィー目線で物語が進むため、すごい冷たいヤツに見えてしまうエリオットですが、普段の彼は強く優しく誇り高い男です。
ですが、彼はすでにアリスのための王子様であり、魔女を倒す勇者様です。ナイスガイでも自分の命を狙った(と思っている)相手に優しくするのは難しいのです。
ちょっぴりヒロインに冷たい本作ですが、少しでも気に入っていただけたら、ポイント評価、ブックマーク、レビューなど、してみてください。




