悪役令嬢は聖女と邂逅する
その報を聞いたシルフィーは狼狽した。
「ど、どうしよう……ダボン、アリスが……アリスが私に会いに来たの」
「落ち着きましょう。今、無理に会わなくても――」
「駄目よ。絶対に断れない。私達はあの娘に許しを請うために王都に来たのよ。ここで印象を悪く出来ないし、そもそも会いに来たのは何故! 明後日のことを確認しに来たに決まってるじゃない! 絶対に……断れないわ」
「じゃあ、会うんですね?」
「し、仕方がないわ……ああ、もう、何しに来たのよ!」
金切り声を上げながらも言っている内容は整然としている。恐慌状態になってもまだ冷静さは保てていることにダボンは安堵する。
「呼んできてもらいましょうか。部屋はここで大丈夫ですね?」
「ええ、大丈夫よ」
「僕もアリスさんの顔を見ておきたいのですが?」
「いいわよ、もちろん……むしろ一緒にいて。まだあの娘のことが怖いのよ」
「分りました」
ダボンは頷くとシルフィーに言われた通り、衣服の乱れがないか鏡の前でチェックする。シルフィー自身も何度も深呼吸をして必死になって落ち着こうとしているようだった。
そうして5分かけて準備してからさらに5分後、魔女シルフィー・ルナの天敵、聖女アリス・キシュアが現れた。
◇
アリスはシルフィーが心底恐れる少女だ。学園時代の出来事の悪夢には未だにうなされるし、名前を口にすることさえ勇気がいる。ダボンもシルフィーが彼女の話題になるたびに怯えた表情を見せるところを何度も見ていた。
そんな少女なのでダボンもいったいどんな怪物なのかと大いに警戒していたのだが、実際に現れたアリスはどこにでもいそうな平凡な少女だった。
確かに可愛らしい顔立ちはしている。蜂蜜色の髪はフワフワと柔らかそうな質感で、大きな目もチャーミングだ。こういう顔が好きな男は多いだろうし、きっとエリオットもその一人だったのだろう。だがシルフィーを初めてみたときの全身の血が凍りつくような衝撃を覚えたりすることはなかったので、ダボンは拍子抜けした。
だが隣を見れば、彼が心の底から美しいと感じる黒髪の姫君が、その美貌を曇らせるほどに怯えた表情を見せている。アリスからは見えないがテーブルの下に隠れた膝は微かに震えていた。
「あの……シルフィーさん。お顔の色がすぐれないのですが大丈夫ですか?」
互いの挨拶が終わった時アリスは尋ねて来る。嫌みというわけではなく、純粋に心配しているようだった。
「え、ええ、問題ないわ。久しぶりの王都だから、昨日あまり眠れなかったのよ」
「そうなんですね。シルフィーさんみたいな人でもそんなことがあるなんて意外です」
「最近は田舎暮らしが板についていたから」
本当なら「それは貴女のせいなんだけど」罵ってやりたかったが、それはさすがに遠慮した。学園時代と違い、今は自分が格下だ。序列を重んじてアリスに喧嘩を売った以上は、自分も序列に殉じなければならない。
それに何より隣にダボンがいる。彼の前でマンバナ村の悪口を言うのは、シルフィー自身あまり楽しくないのだ。
「今日はどう言った用向きかしら」
ついしばらく前にカーナにも言った言葉を繰り返す。するとアリスはシルフィーが思ってもいなかった言葉を口にした。それはまさにカーナと同じ言葉だったからだ。
「実はわたし、シルフィーさんに謝りたくって」
「謝る?……貴女が私に?」
「はい。だってシルフィーさんがあの時の事故が原因で大変な目に会ったって聞いたので、それを謝りたくって」
「事故?」
「はい、あの時の決闘場の結界の装置が壊れていた話です」
「貴方はアレが事故だと思っているのね?」
「違うんですか?」
「もちろん違わないけど……どうして私がエリオット様を暗殺するために仕掛けたことだって考えないのかしら?」
「だってシルフィーさんはそんなことする人じゃないですから」
輝くような笑顔で当たり前のように言う。その笑顔を見てシルフィーは身震いした。
(気持ち悪い……)
恐怖感が内臓を掻き混ぜる。この純粋な目をした微笑みこそが、彼女がもっとも恐れるアリスの表情だった。この笑顔を浮かべた彼女は如何なる逆境をも覆し、学園の3年間シルフィーに辛酸を舐めさせ続けてきた。あらゆる策謀を跳ね返し、裏工作を根底から引っくり返す恐るべき笑みだった。
(怖い……)
足の震えが大きくなる。
その恐怖に喚起され、シルフィーは思わず隣にいるダボンを見る。
(貴方は私のことを裏切らないわよね……)
聖女の笑みに魅入られたものは皆自分の元を去って行った。シルフィーの知らぬ新たな価値観に目覚めた彼らはあっさりと忠誠心を捨て、もう二度とシルフィーの準備する報酬に価値を見出すことはなかった。その時の得体の知れない恐怖が全身に纏わりついてくる。
しかし隣にいるダボンに目配せしても、彼の細い目からはイマイチ感情を読み取ることが出来なかった。
「どうしたんですか?」
「いえ、何でもないわ」
(ちょっとくらい勇気づけてよ)
察しの良い彼ではあるが別に読心能力を持っているわけではない。呑気に構えるダボンが少しだけ恨めしかった。
「そう……じゃあ、貴女は私を無実だと認めてくれるのね」
「もちろんです。だってシルフィーさんがエリオットのことを本気で好きだったのは、わたしも知っているから……だからシルフィーさんがあんなことするはずがないんです」
「なら心強いわ。知っているとは思うけど、私の評判ってもう散々みたいだから」
「それはわたしも耳にしています。本当に酷いですよね。確かにシルフィーさんには意地悪されましたけど、あんな魔女なんて言われるようなことはしていないのに」
「そうかしら……私は貴女にそれなりに酷いことをしたと思うけど?」
「でも物を隠したり、無視したりとか、そんなの子どもの悪戯じゃないですか」
さも当然のように彼女は言う。実際にはシルフィーはアリスを学園から追い出すためにもっとえげつないこともやっている。1年生の頃に上級生の男子をけしかけて脅したり、2年生の頃には魔法実習で彼女が失敗するようにしむけて高価な器具を壊させたり、3年生の頃には買収した教師にわざと悪い評価を出させ退学に追い込もうとした。それらは足がつかないように工作したものなのだが、彼女が失脚した後に全て明るみに出たとカーナは言っていた。それがまた彼女の魔女の悪名に一役かったらしい。
「そういった噂も、貴女は信じないというの?」
「それは……正直分かりません。確かに当時は「おかしいな?」って思うことも多かったですけど、でも上級生の皆さんとは仲良くなれましたし、実験器具は結局もともと壊れていたことが解りました。それに評価も結局は先生が訂正してくれましたから、誰も何も傷つかなかったじゃないですか。そんなのを今さら蒸し返す方が絶対におかしいです」
「そ、それは……そうなんでしょうけど」
シルフィーは気持ちの悪い汗を流して考える。過去のゴシップの掘り起こしは他家による妨害工作の一種で、これでアリスが何か得をするようなことはない。だから本来、彼女が「気にしない」といえばそれで終わりのはずなのだ。そういう意味では間違っていないのだが、シルフィーは居心地の悪いものを感じていた。
もちろん彼女はシルフィーにかなり都合の良い話をしてくれている。だがそれは裏を返せば「シルフィーの行為などすべては無駄」「貴女の力はしょせんその程度のもの」そう言っているのと同じなのだ。
『あれは全てお前を陥れるために私がやったんだ!』
シルフィーは思わず、そう叫びたくなった。しかし湧き上がった感情を何とか押さえつける。
(それは駄目。絶対に駄目。今回のお父様やお兄様の努力が全部無駄になっちゃうわ)
カーナが訪ねて来たり、アリスが自分を許してくれたり、学園時代の不運が嘘のように都合の良いことが起こっている。彼女の機嫌を損ねればきっとあの「運命を見る力」で、こんなか細い幸運などあっさりと断ち切られてしまうだろう。
ダボンの目から見たアリスは平凡な少女であるが、シルフィーの瞳に映るアリスは以前と変わらぬ強大な力を持つ怪物だった。
(やっぱり、怖い……私はやっぱりこの娘に勝てない……逆らえない)
アリスは、可愛く、優しく、慈愛に満ちた存在だ。王都の皆がそう言っていることを、カーナからも聞いていた。きっとこの聖女が怪物に見えるのは世界でも自分だけだろう。
そんな怪物の姿をした聖女は照れたようにモジモジと身体を動かす。どうやら何かを切り出したいようだ。
(いったい何を仕掛けてくるつもり?)
全身の肌が粟立っていた。どう見ても悪意のない仕草なのだが疑心暗鬼に陥っている彼女には、それすらが自分を陥れるための手段に見えてしまう。
そんなシルフィーにアリスは、はにかんだ笑顔で問うた。
「シルフィーさん、わたし思うんです。仲直りしませんか?」
「な、仲直り?」
「はい。今のシルフィーさんの評判は学生時代の不和が原因です。だから明後日の宴席で仲直りしましょう。それで友達になるんです」
「と、友達に!?」
「そうです。友達になりましょう。学園に通っていたときからずっとそう思っていたんです。だけどなかなかきっかけがなくて……わたしは本当はみんなと仲良くしたいんです」
「そう……なのね」
それは魅力的な提案だった。
聖女でありこの国の第一王妃候補であるアリスと友達になる。それは最大の味方を手に入れたに等しい。さすがに地に落ちた名誉がいきなり回復するわけではないだろうが、今よりも良くなることは間違いない。
「シルフィーさん、友達になりましょう」
蠱惑的な声が耳朶を打つ。
断る理由はなかった。
ここでアリスの提案を受け入れれば明後日の宴席は最良の結果をもたらすだろう。エリオットとの和解はすでに織り込まれており、それをアリスが追認する。「聖女の力で邪悪な魔女が浄化された」それくらいの陰口は叩かれるだろうが、アリスが認めれば面と向かってシルフィーを責めれるものはいなくなるだろう。
何も悪いはずなどないはずだ。
それに何より――
(アリスと友達になれば、この恐怖から解放されるかも……)
もうこれ以上怖いのは嫌だ。
足は震えるし、脂汗は浮かぶし、顔色は蒼白で、何より気持ち悪い。
それからもう解放されたい。
(そうよ……もう勝負はついてるの……)
自分はとっくに彼女に負けてしまって辺境の田舎に追いやられた人間だ。今さら意地など張っても何ひとつ良いことなどないだろう。
アリスと友達にさえなれば、恐怖から解放される。傾いている家も持ち直すだろう。父や兄の負担を減らすことが出来る。アリス本人も喜んでくれるだろう。
(何も悪いことなんて――)
そんな考えに傾きかけたとき彼女は自分の隣に男の子が座っていることを思い出す。樽のような体型に太い手足が生えた大柄な男の子だ。丸顔に線の入ったような細い目は相変わらず考えていることが読み取りにくい。だがそんな彼の横顔を見てシルフィーはかつて彼が言ってくれた言葉を思い出した。
自分はシルフィーの見た目が好きだ。
アリスなんていう見たこともない人間なんてどうでもいい。
目に見える事実が重要なのだ。
彼はそう言った。
それを思い出したとき、シルフィーは今の自分自身の姿に気がついた。
きっとダボンの目には今のシルフィーは恐怖に屈しアリスという強者に擦りよる、みっともない、惨めで、無様な、醜い負け犬に映っているだろう。
名誉も人脈も失い、貴族の女としての振る舞いも出来なくなった、見た目だけが綺麗な女が、その最後の取り柄まで失おうとしている。
「どうしたんですか、シルフィーさん?」
アリスは優しく尋ねて来る。
「わたしと友達になりましょう」
輝くような、そしてシルフィーが怖くて仕方のない聖女の微笑みだ。
(いや……怖い、怖い、怖い、怖い、こわい、こわい、アリスがこわい、アリすがこわい、アりすがこわい、ありすがこわい、ありすがこわい)
心臓が早鐘のように鳴り、呼吸が乱れ、強烈な吐き気に襲われる。
この気持ちの悪さから一刻も早く逃れたい。
正気がどんどん削られていく。
自分がどんどん無くなっていく。
怖いのはもう嫌だ
気持ち悪いのはもう嫌だ。
この恐怖から逃れるには――
何かが折れる鈍い音が鳴った
「分かったわ……アリスさん。な、仲直りをしましょう」
「本当ですか!」
「え、ええ、本当よ……」
青い顔をしたままシルフィーは頷く。
対照的にアリスは安堵の表情を浮かべる。
そしてダボンはどこか冷めた目で二人を見つめている。
だがシルフィーの次の言葉で三人の表情は一変した。
「でも、貴女とは友達になれないわ」
シルフィーはアリスに向かい、ハッキリと言った。
「え!?……あの今、何て??」
「もう一度言うわ。私は貴女とは友達になれない。私は……貴女のことが嫌いだから」
「仲直りは出来るのに?」
「そうよ。今までのことを無しにしてもらえるのなら、その申し出はありがたく受け入れさせてもらうわ。だけどこれから貴女と友達になるのは……絶対に無理よ。怖くても、気持ち悪くても、絶対に無理」
今にも気絶しそうな顔色のままシルフィーは言った。
賢い選択ではないことは理解している。しかしそれでも最後の最後まで残ったシルフィー・ルナのくだらない意地はアリスを拒絶した。
(ここで負けたらダボンを裏切っちゃうじゃないの。私は見た目だけが取り柄の女なんだから……)
婚約者に捨てられ、取り巻きはいなくなり、民衆からは魔女と呼ばれ、家族からは価値がなくなったと判断され、もう落ちぶれる余地がないほどまで落ちぶれたシルフィーだが、ついさっき裏切らないで欲しいと思った相手を裏切るほど落ちぶれてはいない。美しい自分が好きだと言ってくれた彼の前で醜い姿など見せるわけにはいかないのだ。
「残念だったわね……貴女の運命を見る力でも、この結果は判らなかったのかしら?」
勝ち誇るというにはあまりに満身創痍な見た目だが、それでも初めてアリスを出し抜いた事実にシルフィーは凄絶な笑みを浮かべる。そんなシルフィーとは対照的にアリスは戸惑いの表情を浮かべている。
「そうですね――」
そして次の言葉でシルフィーとアリスの表情がそっくりそのまま入れ替わった。
「確かに判りませんでした。だって今はもうエンディングが終わったクリア後の世界ですから、わたしの運命を見る力もなくなっているんです」
「…………え??」
「エリオットのルートは最も攻略が簡単で実利があります。それに彼は一番好みのキャラでしたから……だから申し訳ないと思いましたが、シルフィーさんを追い落とさせていただきました。私にも私の人生があるので」
「エンディング? ルート?? キャラ???」
意味の分からない単語の羅列にシルフィーは混乱する。目の前にはシルフィーの知らないアリスが居た。それは、聖女でも、運命を見る怪物でもない、彼女が決して理解することが出来ない異質な存在だ。
「すいません。これは言い訳です。でも本音を言えば、貴女に悪いことをしたと思っています。都合が良いとは思いながらも友達になりたいと思ったのも本当です。だからこれはお詫びです」
「お詫び……ですって?」
「はい、ターノス家の動きに気をつけてください。政治の世界のことはわかりませんが、ネミッサの態度から見て、ターノス家は今回の件でルナ家を完全に潰そうとしています。きっと何か仕掛けて来るはずです。ただ私にももう彼女が何をしてくるのか判りません。シルフィーさんが言う所の運命を見る力はもう私にはありませんから」
その後、アリスはいくつか助言のようなものを言ったのだが、シルフィーには何一つ理解することが出来なかった。そんな謎めいた予言よりも最後に呟いた「私がエリオットが好きなのは本当ですから」のひと言の方がよほど印象的だったのだ。
そんな謎めいた少女が去った部屋でシルフィーとダボンは取り残される。困惑を隠せぬままシルフィーはポツリと呟いた。
「結局……あの娘、いったい何だったのよ??」
「さぁ、判りません。ただ……彼女は彼女で真剣に何かと戦っていたのかもしれません。そんな雰囲気の目をしていました。そんなことよりも――」
ダボンは彼女に特に魅力を感じていなかったものの、最後に一瞬見せた目は戦士のそれだった。そしてそれはシルフィーも同様だ。
「シルフィーさん、手は大丈夫ですか?」
結局のところアリスのことなどダボンにとってはどうでもいい。それよりも何よりもシルフィーが気になるダボンは慌てた様子でシルフィーに駆け寄る。
彼女の左の小指はおかしな方向に曲がり、根元から半ばにかけてが赤紫色に腫れていた。
アリスに迫られたあの瞬間、シルフィーが自分で折ったのだ。
「大丈夫なわけないじゃない。痛いわよ……すごく痛い」
「無茶なことをしないでください」
「だって……しょうがないじゃない。何か少しでも気を紛らわせないと怖くて心が折れそうだったのよ」
「だから代わりに指を折ったと?」
「そ、そうよ、悪い?」
「悪いというか……もう、そういうんじゃないですよ。だいたいそんなにアリスが怖いんなら…………」
「な、何よ?」
「いえ、何でもありません。忘れてください。それよりシルフィーさんなら、もう少しやりようがあったと思いますが?」
「うるさいわね。すぐに魔法で治すわよ」
そう言って折れた指を魔法で治療する。赤黒く腫れた指が治っていくのを見てダボンは心の底から安堵する。そんなダボンに気づいてから、シルフィーは意地悪く唇を吊り上げる。
「安心した? 貴方は綺麗な私が好きなんですものね」
「い、今はもう、それだけじゃないですよっ!」
「あら? 綺麗な私には飽きちゃったの? 悲しいわ」
「そ、そんなことは……」
「だったら素直に言いなさい」
「は、はい……僕は綺麗なシルフィーさんが好きです」
「よろしい」
素直に答えるダボンに気を良くする。まだ指は痛いし、他人の視線も怖いし、アリスへの恐怖が完全に消えたわけでもない。以前の自分には程遠い傷んで汚れた黒真珠だ。そんな万全には程遠い様だが、それでもシルフィーはダボンの好きな綺麗な女でいるために強気な振りをして微笑むのだ。
本作のタイトルは《破滅した『悪役』令嬢が田舎にやって来た》です。
『悪役』ということは、この世界は物語の世界で、主役のプレイヤーがちゃんといる世界なのです。本筋には全く関係ありませんが、アリスはアリスで、隣国との戦争を回避したり、魔族から世界を救ったり、色々やっています。
とんでもない設定をたまにぶっこんでくる本作ですが、面白いと感じたら、ポイント評価、ブックマーク、レビューなどしてみて下さい。




