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破滅した悪役令嬢が田舎にやって来た  作者: バスチアン
第一章 悪役令嬢と野豚の騎士
24/107

悪役令嬢は王都に帰還する




怒りのあまり黒髪の美少女は左手の手袋を投げつけた。


「エリオット様をたぶらかす女狐! これ以上の狼藉は許さないわ!」


投げつけられた手袋は相手の頬を叩き、そのまま地面へと落ちる。その瞬間、周囲の見物人たちはざわついた。

手袋を投げる。それはつまり決闘の申し出ということだからだ。この手の騒ぎは学園でも年に数度見られるが、女生徒がやるとなると相当に珍しい。周囲にいるのは3年生が主ではあるが、彼らも在学中に女生徒が決闘の申し出をしたという話は聞いたことがなかった。


「アリス・キシュア。私は貴女に決闘を申し込みます!」


黒真珠と呼ばれる美貌を怒りで曇らせ獅子吼(ししく)する。

シルフィーが真っすぐに見据える正面にいるのは蜂蜜色の金髪に、澄んだ青い瞳をした少女、アリス・キシュア。平民として特待生で学園に入学した女生徒だ。彼女は普段は柔らかな笑みを浮かべている顔を強張らせてシルフィーに応えていた。


「シ、シルフィーさん……どうして、こんな……?」

「どうしても何も、エリオット様に近づかないように注意はしたはずよ。それを貴方はっ!」


3年生になってから余裕の笑みを浮かべることが少なくなってきたシルフィーは激高する。彼女とて、ことを荒立てるつもりはなかった。しかし見てしまったのだ。つい先ほど庭園の片隅で彼女がエリオットに唇を奪われるところをだ。それは突然のことだったらしく、当のアリス自身も狼狽し駆け足で逃げ出してしまっていた。その一部始終をシルフィーは偶然に見てしまったのだ。

実は狼狽し混乱していたのはシルフィー自身も同様で、気がつけばアリスを追いかけて手袋を投げつけてしまったという訳だ。


「決闘を受けなさい、アリス・キシュア。そして私が勝ったら二度と姿を見せないでちょうだい」

「そ、そんなことを急に言われても……わたし」


アリスは困惑した表情でシルフィーを見る。ひょっとしたら学内における決闘の意味を理解していないのかもしれない。しかしシルフィーにとってそんなことは関係がなかった。


(一刻も早く、この女をエリオット様から引き離さないと)


もう手段など選んでいる場合ではない。先ほどの光景を目の当たりにしたシルフィーは焦燥感に駆られていた。実際のところシルフィー自身もエリオットの心がすでに彼女のものになっているのには気づいていた。しかしそれでもエリオットと婚約しているのは自分だ。アリスとは学生時代の火遊びだと、最近では必死になって納得しようとしてもいた。だがそんな卑屈な妥協案は先ほどの口づけを見せつけられ木っ端微塵に打ち砕かれてしまった。

エリオットは確実にアリスを後宮に招くだろう。それこそ風聞通り本当に第一王妃に迎えられるかもしれない。何しろ彼女は聖女。つまりこの国の守護神なのだ。


(もしもそうなったら……)


シルフィーは自分の未来を想像する。聖女と比べれば立場は劣るものの、自分は四大貴族筆頭であるルナ家の長女だ。政治的な意味でもエリオットの妻になる価値は十分にある。自分は2番目の女として妻として迎え入れられるのだろう。それはまだいい。だがしかし問題はその後だ。シルフィーはエリオットの妻として自分が愛されている場面を全く想像することが出来なかった。何しろ彼はこの3年間、口づけどころか手すら握ってはくれなかったのだ。


(そんなのは絶対に嫌っ!)


エリオットが薔薇園で手を握ってくれた幼い日の記憶に必死になって縋りつく。

自分はあの日から彼の妻になろうと努力してきた。同年代の誰よりも優雅な作法を身に着けているし、社交界での派閥争いに勝つ方法も知っている。美貌ならば誰よりも努力して磨いてきた。そのために厳しい躾けを受けた。お辞儀の仕方だけでも何千回も練習した。足にマメが出来るくらいダンスも練習したし、体型の維持のために食べたいものも食べずに我慢した。あれもこれもどれも全部やって、エリオットに最高の自分を見せるために10年以上かけて準備してきたのだ。こんな惨めな結末なんて認められない。

だから――


「私と勝負しなさい!」


私に負けて二度と目の前に現れるな!

自分とエリオットの邪魔をするな!

頭の片隅でこの方法が悪手であることには気づいているが、想像した結末を受け入れるには彼女はあまりに若く、才能があり過ぎた。

決闘を申し出られたアリスはおどおどと周囲を見渡している。元来優しく争いごとを(いと)う性格なのでそれも仕方ないのだが、その態度がシルフィーにとっては煩わしい。そんな彼女に助け舟を出したのは一人の女生徒だった。


「いいじゃないの、アリス。勝負してあげなさいよ」

「ネミッサ!?」


シルフィーは反射的に現れた栗色の巻き毛した女生徒の名を呼ぶ。

ネミッサ・ターノス。自分と同じ四大貴族の出で序列2位の武門を司る貴族の娘だ。ルナ家とターノス家は何かと因縁があるせいか、彼女は以前からシルフィーによく突っかかって来ていた犬猿の仲だ。そんな彼女だが何かきっかけがあったのかしばらく前からアリスと仲が良くなっていた。


「何だったらセインを貸してあげるわよ」


その言葉に周囲の野次馬が大きくどよめいた。セインは近衛騎士団長の息子であり彼女の婚約者だ。剣の腕ならば学内一と評判も高い。そんな長身の彼は短く刈りあげた髪を掻き毟りながら言い放った。


「おい勝手に決めるなよ」

「あら嫌なの?」

「まぁ、アリスには借りがある。困っているなら助けてやるのも(やぶさ)かではないさ」


その発言に周囲は色めき立つ。

セインの剣腕はもはや学生のレベルではない。そんな彼が代理人になるというのなら、勝てる可能性のある人間など学園には5人といまい。


「あ、ありがとうございます、ネミッサさん、セインさん」

「いいのよ、別に。それにシルフィーを叩き潰す好いチャンスだしね」

「そ、そこまでしなくても……」

「いいのよ。貴方と違って恋のライバルという訳じゃないけど、私にもそれなりに因縁があるの。卒業も見えてきたし、今のうちにどっちが上か決着をつけないとね」


ネミッサの言葉に緊張がほぐれたのかアリスは困ったような笑みを浮かべた。その悪意のない笑みにシルフィーの心はささくれ立った。そしてネミッサの言葉を聞き歯噛みする。

彼女とシルフィーは学園の派閥争いを競いあった仲でもある。アリス自身は気がついていないが、派閥で言えば彼女は巨大な独立勢力であり、ネミッサと同盟を組んでいるような扱いになっている。それに気づいたときシルフィーも「上手いことやったものだ」と感心した。もしもアリスが手を出したのがエリオット以外の男子生徒なら、シルフィー自身も同じことをしただろう。

しかしそんな()()()()()()など論じても意味はない。今のアリスはシルフィーが全霊をかけて排除しなければならない障害なのだ。


「分りました。じゃあ、わたし……シルフィーさんとの決闘を受けます」

「そう……なら、誓いなさい。私が勝ったら二度とエリオット様に近づかないことを」

「わ、分かりました。誓います。その代わりシルフィーさんも誓って下さい」

「分かったわ。私が勝ったら二度とエリオット様には近づか――」

「違います」

「え?」

「その……エリオット殿下とシルフィーさんのことは二人のことなんで、わたしからは何も言えません。ただその代わり、わたしが勝ったらもうみんなに意地悪しないでください。家の権力とか、お金とかを使って、無理矢理いうことを聞かせるのをやめてください」

「い、意地悪??」

「そうです。わたしだけじゃなくて、みんなが困ってるんです。だからそれを……止めて下さい」


その台詞にシルフィーの感情が一気に昂った。

意地悪。

彼女は自分がやっていたことをそんな一言で片付けようとしている。

シルフィーがルナ家の権力を見せつけて周囲を従わせるのは、そういった行為により社会が形成されているからだ。身分による序列を理解するからこそ王政は成り立つ。それを否定してしまえば誰も彼もが言うことを聞かなくなって、社会が混乱してしまうではないか。もともと学園に貴族の子弟を集めるのは、そういった社会の仕組みを疑似的に学ばせるという意味合いもあるのだ。

アリスの提案に周囲は歓声をあげている。どうやら彼女の提案が魅力的に映るらしい。しかし彼らは気がついてない。財力や権力による序列を否定する。それは自分たち貴族の権威や権力を自ら貶める考えなのだ。

ここに来てシルフィーはアリスの持つ恐ろしさの一端を理解した。彼女の考えに触れたものは何某(なにがし)かの新しい価値観に目覚めて、どんどんシルフィーのコントロールを離れていった。シルフィーには理解出来ないが、それが治癒魔術でも、運命を見る力でもない。聖女アリスの力なのだ。


(やっぱり、この娘はエリオット様に相応しくない……いいえ、危険だわ)


絶対に排除しなくては!

そう決意を新たにしたときだった。

アリスの背後から声がする。


「おいおい、面白そうな話になってるな。オレ様も混ぜろよ。アリスには兄貴の件で世話になったからよぉ」


楽し気な声に目を向ければ、そこには虎のような野性味を持つ男がいた。エリオットの異母兄弟であるグレイルだ。


「それならボクも一口乗せてもらいましょうか。この前はアリスさんのおかげで退学せずにすみましたしね」


キザな片眼鏡をかけて現れたのは四大貴族の一角、諜報を得意とするモノ家の御曹司であるクラウスだった。


「いやぁ、決闘とかスゴイっすね。国に帰ったら好い土産話になりそうっす……あ、オレが参加しても問題ないっすよね?」


隣国からの留学生であるシンが現れた時、もはや群衆とかしていた周囲の生徒たちの盛り上がりは最高潮に達していた。何しろ彼らは学園内における最優秀にして最強の男子生徒たちなのだ。それが揃いもそろって決闘の代理人に名乗りを上げる。

それを見て対照的に青ざめたのはシルフィーだった。


(何よ、どういうこと?? この子たちがアリスの知り合いなのは知ってたけど、こんなに親密だったなんて聞いていない!?)


これまでの失態で取り巻きが減ったせいもあるのだろう。情報網の目が粗くなっていたのに改めて気づく。そしてその直後にこの決闘自体がその場の感情に任せてのものだったことを思い出し、情報があっても仕方がなかったと諦めた。


(どうする? どうするの? 私の手駒の中でこの子たちに勝てる生徒なんて――)


頭の中で幾人もの顔が浮かぶ。

そして気づいた。


「あら? シルフィーったら、ようやく気がついた?」


同じことに気づいたのは、自分と近い思考を持つネミッサだった。しかも自分よりも早くにだ。彼女はまるで舞台役者のように両手を広げて周囲を見渡す。そうして彼女は死刑宣告のように言い放った。


「貴方のお友達……誰も手を挙げてくれないわよね?」

「………………あ」

「こういうときお付きのものは忖度(そんたく)して自ら手を上げるのものだけど、貴女の取り巻き(お友達)は一体全体どうしたのかしら?」


促されシルフィーは辺りを見回す。その中には彼女の取り巻きの男子生徒が何人もいた。それなのに誰も自分と目を合わそうとしないのだ。


(貴方なら可能性があるわよね)


セインほどではないが上位の実力を持つ男子生徒に目を向ける。3本に1本ならセインから取れると聞いているから、勝算は全くないわけではない。しかしその男子生徒はシルフィーから目を背けた。


(魔法ならクラウスにも負けないって、いつも言ってたじゃない)


日頃から自分に魔法の腕をアピールしてくる少年に視線を送る。だがその視線が彼に届くことはなかった。


(以前からグレイルの態度が気に入らないのよね?)


素行の悪いグレイルに妙な対抗意識を持っていた派手な頭の少年に声をかけようとする。するとその少年は背中を向けて足早に立ち去ってしまった。


(貴方はいつもシンや、彼の故国のニールダムを罵っていたじゃない)


シンの故国である隣国ニールダムを普段から馬鹿にして留学生のシンに侮蔑的な態度を取っていた生徒を探そうとするのだが、先ほどまでいたはずの彼の姿はいつの間にか消えていた。

その誰もが普段からシルフィーの周囲で媚びを売っていたはずの人間だった。それが揃いも揃って自分を裏切る。


「あらあら普段はあんなに慕われているというのに、いざとなったら誰も助けてくれないみたい。無様な姿ね」

「そ、そんなことは――」

「だったら声を出して呼んでみればいいわ。誰か私の代わりに闘って……ってね」


ネミッサはあくまでも優雅さが消えない程度に嫌みな言葉を突きつける。それと同じくして周囲からはシルフィーを罵倒するような声が少しづつ広がり始めていた。


誰も代理人になってくれないんだ?

普段は偉そうにしてるくせにいい気味よ

とっくにフラれてるのに気づいてないのかな?

自分に魅力がないからって力づくかよ

だから王子にも相手にされないんだよ


ひそひそと声が聞こえ、侮蔑と嘲笑が降り注ぐ。

その声にシルフィーは混乱した。今までの彼女の人生でここまで敵意のある視線を受けたことがなかったからだ。


(うそ……嘘よ、何よ、これ??? 今までみんな面倒見てあげたじゃない、なのに何よコレ!)


心が怒りと焦りに染まっていく。彼女とて単に偉そうに他人を顎でこき使っていたわけではない。実際には取り巻き同士の人間関係に気を使い、働きがあれば褒章を与え、忠義を示せばそれに報いてきた。今、ここでこそ、それに対して恩を返す場面のはずなのだ。なのに返ってくるのは自分を非難する視線だけだ。


「おいどうした? これじゃあ話にならないぞ。誰かコイツのために戦ってやるヤツはいないのか?」

「いねぇみたいだな。まぁ、この女がアリスに陰湿な真似してたのは誰でも知ってるし、こんな性格悪い女のために身体張りたいヤツなんざいねぇよな」

「確かに……シルフィーさんは悪だくみがお好きなようですが、たまにはご自身で行動してみてはいかがでしょうか?」

「アハハ~、それ超ウケるっすね。シルフィーっちが、自分で剣持って戦うんすね~。ニールダムはランディール王国と違って男女平等社会っすから、手加減せずに平等にボコってやるっすよ~」


セインが呆れ、グレイルが侮辱し、クラウスが嘲弄し、シンが(はやし)し立てる。共通するのは誰もがシルフィーに敵意を向けていることだ。

それが怖くなりシルフィーは助けを求めるように何度も辺りを見回すが、返ってくるのは同じ敵意の視線だけだった。


視線は語る。


この面子に勝てるわけがない。

自分たちを巻き込むな。

落ち目の女に肩入れするつもりはない。

今、ルナ家に手を貸せばターノス家やモノ家に睨まれる。

ルナはむしろ潰れろ。その方がうちの得になる。


声に出して言っているわけではない。だが視線は雄弁に語っていた。権謀術数は何もシルフィーだけの専売特許ではないのだ。貴族の子弟である彼らは今のシルフィーの立場を冷静に計算し、そして彼女を見捨てることに決めた。


「そ、そんな……だ、だれ――」


(誰か助けてよ!)


その一言はなけなしのプライドで何とか喉の奥で塞き止めた。だがすでに心は恐怖に支配されつつあった。それはこれまでの人生で彼女が味わったことのない類の恐怖だ。アリスを見れば彼女はすでに落ち着きを取り戻したらしく、むしろ少し困った顔をして周囲を眺めていた。本心ならば勝負事などしたくないのだろう。だが周囲の騒ぎはすでに狂騒にまで広がっており、彼女自身で納めることも難しそうだった。


逃げるな

闘って無様に負けろ

ボロボロになって、俺たちを楽しませろ


視線、視線、視線

悪意ある視線が槍衾(やりぶすま)になってシルフィーを串刺しにしていく。それは形のない怪物となって、その魔手をもってゆっくりと心臓を鷲掴みにしていく。


(怖い……誰か助けて)


脈拍は乱れ脂汗が浮かんでくる。相手は聖女だ。そんな相手に喧嘩を売ってしまった。既に引いても進んでも明るい未来は存在しない。だがそれでもこのまま負けて引き下がることだけはしたくなかった。


その時、周囲がいっそう騒めきたち群衆が大きく二つに割れる。その間から現れたのは輝くような金髪と、強靭な意思を宿した青い瞳の美丈夫だった。彼は左右に割れる人の波を一瞥することなく、当たり前のように進んでいく。それはまさに王者の風格で、実際に彼は王位を約束された男なのだ。

ここに来た以上、あらかじめ話は聞いているのだろう。シルフィーに立ちはだかるようにアリスの元へと彼は向かう。そして彼女の足元に落ちていた手袋を見て、険悪に表情を歪ませた。


「シルフィー、お前はそこまでして俺とアリスの仲を引き裂きたいのか?」

「エリオット様……でも」


もともと貴方の婚約者は私ではないですか

その一言をいいかけて彼女は言葉を呑み込んだ。そんなことは相手も百も承知だ。それどころか学園の全員が知っている。しかし実際にエリオットの心が誰に向いているのかも、学園の誰もが知っていた。そんな彼女にはもう正論を言う他なかった。


「そ、そんな優しいだけの女では……王妃は務まりません」

「それを決めるのはお前ではない」


一喝される。それと同時にさざ波のように嘲笑が聞こえてきた。「お前こそ家柄だけの女ではないか」そんな声だ。

実際にシルフィーの能力も力も家柄に起因するものが大きい。しかしそれが何だというのだ。学園という隔離された空間にいると錯覚してしまいがちなのだが、人は平等ではない。自分を取り巻く環境、境遇。そういったものを全て含めて実力というのだ。少なくとも自分はその環境を最大限に活かして努力し積み重ねてきたのだ。


「私はエリオット様のために……」

「ほう、俺のためにお前は何をした?」

「それは……」


貴方のために私はずっと準備してきた

そう言いたかったのだが、言えなかった。彼女はただ準備しただけで行動に移せなかったからだ。

否、厳密に言えば行動はしていた。だが彼女が行動するたびに何故かエリオットの隣にアリスが先回りしていたり、思わぬ邪魔が入ったりして、彼女が行動を起こすことを遮ってきたのだ。それは天候であったり、たまたま知人が通りかかったりだったり、朝食の際に侍女が皿を割ってしまったりと、そんなつまらない理由ばかりだ。ことアリスが絡むとシルフィーは徹底的にツキというものに見放されてしまっていた。


(でも、運が悪いなんてただの準備不足の言い訳だから……)


やり方にも問題はあったろうが、アリスを前にすると彼女が普段使っているような手段が一切通用しなくなる。「アリスは運命を見ることが出来る」という与太話も、このときのシルフィーは半ば信じてしまっていた。


「俺の孤独を癒してくれたのはアリスだった。グレイルとの不和を仲立ちしたくれたのもアリスだった。命を救ってくれたのもアリスだった。さてシルフィー・ルナ。お前はいったい俺に何をしてくれたというのだ」

「そ、それは……」


不運よりも、何も出来なかった己を恥じる。しかしシルフィーはまだエリオットを信じていた。

彼とて王家の跡取りと育てられ厳しい躾や教育を受けてきて育ってきたはずだ。ならば解るはずだ。自分がどれだけ苦労して淑女としての振る舞いを身に着けたのか。立つときも、歩くときも、座るときも、階段を上るときも、食べるときも、寝るとき以外の何もかもの瞬間は全て気を使い優雅に上品に振る舞い続けたのだ。それも全て彼の隣に立った時にエリオットに恥を欠かせないためだ。

それがどれだけの修練を要するのか。これだけは平民のアリスには真似出来ない、理解出来ない、同じ境遇を持つエリオットと自分でしか共有できない感覚なのだ。だから絶対に解っているはずだ。

その思いは最後にはもう祈りだった。かつて自分の手を握ってくれ温もりを思い出し、彼女は淡い希望に縋りつく。

そんなシルフィーにエリオットは言った。


「シルフィー……俺はお前のことがそこまで嫌いなわけではなかった」

「なら、アリスとは――」

「だが嫉妬に狂う今のお前は見るに堪えん」


次の瞬間、彼女が見たのはかつて自分の手を握ってくれた彼の右手が足元の手袋を拾う光景だった。


「この決闘は俺が受けてたとう」


エリオットは宣戦布告する。

17年間準備して積み上げてきたシルフィー・ルナの破滅が決まった瞬間だった。








王都に入ったシルフィーはまず真っすぐにルナ家の所有する屋敷へと向かっていた。それはお世辞にも見栄えの良い凱旋とは言い難いものだった。

本来、馬車に掲げるはずのルナ家の紋章はなく、馬車自体も物はよいが質素なものだった。だがそれも仕方がない。公的には無罪であり、その後の始末をつける裏工作も終わっているとはいえ、王都の人間にとってシルフィーは未だに王太子であるエリオットと暗殺しようとした悪女であり犯罪者なのだ。


「ごめんなさい、ダボン」


シルフィーがダボンに謝ったのは馬車の窓に分厚いカーテンをかけるように指示したからだ。初めてルナの都に行ったとき馬車の窓から都会の景色を見て興奮していたのを覚えていたのだ。


「別に構いません。それこそシルフィーさんこそ大丈夫ですか?」

「ええ、だいぶ落ち着いてきたわ」

「それなら良かったです」


ダボンが心配するのは彼女の体調だ。それも肉体的なものでなく精神的なものだった。ルナ領から馬車で1週間ほどの旅だったのだが、王都が近づき2日ほど前からシルフィーの体調が目に見えて悪くなっていたのだ。顔は青く、身体は震えだし、強烈な吐き気に襲われているようだった。


「情けないわね。エリオット様やアリスに会うとなると、どうしても怖くって」


言っている間にもアリスの顔を思い出してしまったのか、その顔色は青い。こうなるともう何か呪いか何かをかけられているのかとダボンは勘繰ってしまうのだが、そういったものではなく単に精神的なものらしい。以前「聖女様がかけてくれたなら、呪いじゃなくて祝福ね」などと自虐して言っていたが、シルフィーの様子を見ていると笑う気にはならなかった。


「もうすぐ着くみたいですから、屋敷に入ったらすぐに横になって休みましょう」

「そうもいかないわ。まずはお父様とお母様に挨拶しないと、ダボンも練習の成果を披露出来るように頑張りなさい」

「分かりました」

「あれだけ時間をかけて教えてあげたんですもの、出来なかったら解ってるわね?」


ダボンを安心させるためだろう。彼女は黒薔薇の笑みを形作って見せる。

少しだけ調子を取り戻したシルフィーの様子に安堵した。やはり彼女には咲き誇るような笑みが相応しい。ただそれは風が吹けば折れてしまいそうな頼りない一輪の華だ。普段はもっと百万本の薔薇が咲き乱れるような自信に満ちた笑みなのだ。それがダボンには辛かった。


「手加減してくださいね」

「なら存分に励みなさい。私のためにね」

「はい」


ダボンは決心する。

これから始まる戦場は腕力だけが取り柄の自分にはどうにもならない場所だ。だからこそ彼女の傍から離れない。それだけをまず考えよう。

馬車は大通りをこそこそと忍びこむように、ゆっくりと進んでいく。

これが王太子を暗殺したと言われた女。シルフィー・ルナの王都への凱旋だった。



回想編です。過去のエピソードはこれまで小分けして語られていましたが、場面として登場するのはこれが初めてです。

王子様とか、異母兄弟とか、その辺の連中はいわば攻略キャラですね。ネミッサはセインルートを選択すると敵キャラとして立ちはだかります。そのときはアリスとシルフィーが共闘したりします。


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― 新着の感想 ―
[一言] アリスは自分が聖女だって理解してるんならそれなりの立場を確立してるって分かってるはずで王太子だとしても婚約者がいる相手にきっぱりと否定してない時点で狙ってやってるとしか思えない
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