悪役令嬢は忌まわしい名で呼ばれる
ガランが瀕死の重傷を負った。
その報を聞いたシルフィーはダボンを追って駆けだしていた。もちろん彼の脚力は並外れていて、すでに背中さえ見えることはない。それでも見えない彼の背をシルフィーは追いかける。
向かう先は兵舎だ。そこには何度も足を運んでいる。屋敷から離れているわけではないのだが、走って行くのは初めてだ。幸か不幸か田舎暮らしのせいで体を動かす機会は多くなり、実家で謹慎していたときについた余分な肉は削ぎ落されていた。だがそれでも兵舎までは遠い。
彼女は走る。
頭にあるのは義弟となる予定の少年の顔だ。
彼女は田舎が好きではない。周囲にはいい顔をするように心がけているが基本的には嫌いだ。ただマンバナ村の全てが嫌いかというと、そうでもない。
例えばダボンだ。樽のような体型に丸い顔が乗った彼の見た目は、眉目秀麗なエリオットと比べればどうしようもなく劣ってしまう。ただ見かけによらず、その内面は誠実な少年だ。貴族としての価値のなくなった今の自分ならば結婚相手として納得出来る程度には認めている。
暇つぶしで始めた先生役であるが、ミンとリンの二人の生徒にも愛着は湧いている。
最初は自分に懐疑的なバンも話すうちに信用が置けるようにはなってきた。
ガランもその中でも特にお気に入りの一人だった。年下の兄弟のいなかった彼女にとって『弟』という立ち位置は妙に擽ったく、気づけば随分と目をかけてしまっていた。
(べ……別にいいじゃない。私は心配するのに理由がいるのよ)
彼女は走る。
以前と比べて運動するようになったとはいえ、基本的にはお嬢様であるシルフィーに体力はない。汗を掻き、息は乱れ、靴も知らぬ間に脱げてしまっていた。それでも彼女は走る。
頭の中にはすでに余計な考えはなくなっていた。
とにかく一刻も早くガランのもとに行きたかった。
見慣れた兵舎の屋根が見えた時、彼女はあまりの距離の遠さに苛立ち、入口が見えた時、長い黒髪が汗で額に張りつくのさえ気にせずに飛び込んだ。
「ガ……ガランちゃんは?」
息が乱れているので声が上手く出ない。普段の優雅な所作など欠片もない水を求める乾いた犬のような有様だった。だが気にしている暇はない。青息吐息でもう一度ガランの名を呼ぶ。
入った兵舎の中は葬式のように静まり返っていて、その気配にシルフィーは最悪の事態を想定した。
「まさか……?」
その中にある人だかり。その円の中で力なく倒れている少年の姿を見て青ざめる。
「大丈夫です、シルフィーさん」
「ダボン」
「今はまだ……大丈夫です」
ダボンは大丈夫だと言う。しかし彼の表情を見てもまるで安心が出来なかった。「今はまだ」それはつまり「これから」どうなるか分からないことを意味しているのだ。
ベッドの上に寝かせられたガランは上半身裸で、胸から右腕にかけて血染めの包帯が巻かれている。頬に刻まれた爪痕は生々しいほどの肉の色をしているにも関わらず、顔色は死人のように白い。わずかに上下する胸の動きがなければ事切れていると言われても違和感がなかった。
「どうしてこんなことになったのよ!? 村の中にいる限りは安全なんじゃなかったの?」
「ガランは……村の外縁部まで出ていたそうです……一人で魔物を狩りに行ったらしく――」
「一人で!?」
「はい。どうやら一匹は自分で倒したようなのですが、後から現れたもう一匹にやられたみたいで……その魔物自体は後から駆けつけた戦士が狩ったようなのですが……」
「そう……」
苦し気にダボンは言う。しかしその胸中はシルフィーとて同じだった。彼女も普段からガランが「狩りに行きたい」と言っていたのを知りながら見過ごしてきたからだ。もちろん一番の責任はガラン自身にあるのだが、こんな変わり果てた姿をしたガランを見れば、子どもの我が儘と割り切ることなど出来そうにない。
「薬も手当ても、出来得る限りの処置は施しているのですが、明日まで持つかどうか……」
「どうにも……ならないの?」
「この村ではこれが精いっぱいです……」
「そう……」
シルフィーはもう一度、横たわるガランを見た。10才にも満たないまだ小さな身体だ。目立つのは頬の傷と胴と腕の包帯だが、それ以外にもたくさんの傷がついている。足元には何度も取り換えたのか、赤く染まった包帯が山になって積まれていた。その痛々しい姿に胸が絞めつけられる。
「ねぇ……」
「何ですか?」
「ガランちゃんは……死ぬの?」
シルフィーはダボンに尋ねる。それは訊くまでもなく、訊くべきでもない。しかしそれでも訊かずにはいられないものだった。その質問に周囲にいた戦士たちや、看護していた女衆までもが静まりかえる。「それを兄に言わすのか?」皆そろって、そんな顔をしていた。
しかし事実として誤魔化すことが出来ない。
ダボンはたっぷりと沈黙した後、焼けた鉛を飲み下したような顔をしてシルフィーに伝えた。
「死にます」
「そう」
シルフィーは瞑目する。
このままではガランは死ぬ。
それは素人が見ても明らかだ。
だから彼女は考える。
これは好悪の問題だ。
ガランが死んでも自分は何も困らないだろう。確かに自分はあの子どものことを気に入っている。だがそれだけだ。彼女がこれからこの村で生きていくにあたりガランは必ずしも必要ではない。彼女がこの村で生きていくのに本当に必要な人間はダボンだけで、言い方が悪いがそれ以外は死んでも問題のない人間なのだ。それはミンであろうと、リンであろうと、バンであろうと同じことだ。
だがそれと同時に考える。
ガランは死んでも困らない人間であるが、生きていて不都合が起きるわけでもない。むしろ可能性としては良い影響が出る方が高い。理屈の上では死んでいても問題ないのだが、生きていても問題ない。彼女は生まれもって上に立つように育てられた人間で、切り捨てるという行為は彼女にとって慣れ親しんだものだった。そういった利害関係の上で貴族社会の人間関係は成り立っている。その理屈で言えば、ガランは切り捨てても問題のない人間だし、敢えて切り捨てる必要もない人間だ。だから好悪の問題だ。
だから彼女は「これまで」の事と「これから」の事を考える。
最悪の「これまで」と、少しでも良くなるかもしれない「これから」のことを考える。
自分には状況を打開できるかもしれない手段がある。だけれど、それは酷く気の進まない方法だ。おまけに確実ではない。気が進まない。やりたくない。好悪で言えば悪だ。だからこれは好悪の問題だ。
(でも……)
もう一度ガランの姿を視界に収める。小さな身体は今にも命が灯が消えそうで、彼に残された時間はもう幾ばくも無いだろう。
その後にダボンの顔を見る。丸顔に線を引いたような細い目からはすでに涙が流れ始めていた。彼にはガランの他にも妹と弟がいたのだが、今は誰も残っていない。ガランが死ねば彼は独りになるのだろう。
その後に周囲の村人たちを見る。普段からガランを可愛がって稽古を見ていた戦士たち、昨日ガランをからかっていた同い年の少年達、ミンとリンの姿もあった。彼らは一様に悲し気に視線を伏せていた。
(わかったわよ……)
これは好悪の問題だ。
自分には何とか出来るかもしれない可能性があり、それをやらなければガランは確実に死ぬ。ガランが死ねば周囲も悲しむし、何より自分だってガランには死んで欲しくないのだ。
問題はただ一つ。
シルフィー自身がこの方法を使うのが嫌なだけ。
だからこれは好悪の問題なのだ。
「シルフィーさん?」
シルフィーの表情が変化したことに気づいたのか、ダボンは胡乱に呟いた。
だが彼女はそれに応えることなく横たわるガランの元へ行く。
そうして彼の前で膝まづくような姿勢を取り、両手をかざした。
(ガランちゃんの……ダボンの、皆の、それに私のためだから……だから……)
精神を集中させる。
するとシルフィーの身体が白い光に包まれた。
この世界には魔法という力がある。魔力というエネルギーを使い、自然現象を意のままに操る奇跡の力だ。それは何もないところから炎や水を生み出し、大気を動かし、生命力さえも支配する。ただそれを扱うのは難しく、5人に1人程度の素養を持つ者が、そこから高度な教育と訓練を受け、ようやく100人に1人使い物になるかどうかというものだ。500人に一人といえば多く聞こえるが、実際に魔法の教育を受けられるものは王国でも一握りしかいない。しかも魔法には系統があり、この国の筆頭魔道士の老人のようなごく一部の例外を除けば、炎の魔法に素養のあるものは炎の魔法だけ、水の魔法の素養があるものは水の魔法だけと、一つの魔法しか使えないのが常だ。
シルフィーには魔法の素養があり、その中でも治癒魔法の適正があった。そしてその才能を引き延ばすための環境も整っていた。だから彼女は魔法を使う。ガランの命を救うために。
「これは……魔法?」
初めて魔法を見たダボンは驚愕に息を飲む。それは周囲の村人も同様だった。
シルフィーの身体が温かな白い光に包まれ、かざした手にその光が集中していく。それは神聖ささえも感じさせる光景だった。シルフィーが手のひらに集めた光。それがガランの身体をさらに包みこんだのだ。
誰もがそれを無言で見守る。
声を出せる者など誰一人としていなかった。
ガランを包む光はさらに強いものに変わり部屋全体を照らしていく。その時ガランの身体に変化が訪れた。頬に刻まれた傷痕が少しずつ塞がってきたのだ。生々しい紅色を見せていた傷は肉の盛り上がりを見せたかと思うと赤色から薄い桃色に変わる。
同時に死蝋のような色をした顔色に僅かだが赤みが差していく。
これまでピクリとも動かなかったガランの瞼がピクピクと動く。これには周囲の村人たちも驚かずにはいられない。最後にその瞼がゆっくりと開いたとき、辺りは歓喜の渦に飲み込まれた。
その歓声をシルフィーはぐったりとしながら耳にする。
全身の力が抜けるのは先ほど全力で駆けた所為だけではない。魔法の行使は彼女からごっそりと体力を奪っていったのだ。
「あ……あれ……ねえちゃん……」
目を開けたガランの前にいたのは疲労困憊になりながら自分を見守るシルフィーの姿だった。
死の淵から戻ったばかりのガランは意識が朦朧としているのか受け答えが不確かだ。だがそれでもシルフィーと兄の顔は解るのだろう。二人の顔を見比べて呆けたように口を開く。
「にいちゃん……おれ、なんで?」
「ガラン……お前は」
「なに?」
「いや、今はいい、後で沢山説教してやるからな」
「えぇ……やだな」
「覚悟しとけよ」
口調こそ怒ったものだが、ダボンの口元は綻んでいた。その後、ガランはゆっくりと目を閉じて静かに寝息を立て始める。眠っているのは先ほどと同じだが、死人のような先ほどの有様とは雲泥の差だった。ダボンはそれに安堵する。
「シルフィーさん、ありがとうございます……魔法使えたんですね」
「ええ……でもあまり好きじゃないの」
その言葉は心底本当のようで、よほど消耗しているのか彼女の表情には翳りがあった。それは体力というよりも精神力を消耗しているようで、放っておけば今度はシルフィーが倒れてしまいそうだ。ダボンは少しだけ躊躇したものの、思い切って彼女の肩に触れて、控えめにだが抱き寄せる。
その時だった。
誰の口からという訳ではなく。自然とその言葉は聞こえてきた。それは段々と周囲の村人達の間で伝播し、皆が一様にその言葉を唱え始める。それは称賛と崇拝と祝福の言葉だ。
誰も彼もが彼女の行為を称賛し、彼女の力を崇拝し、彼女の存在を祝福した。
熱狂が輪となって広がっていく。それはまるで神聖な光が村中に満ちていくような光景だ。今、この村はシルフィーを中心にして一つとなっていた。
「シルフィーさん?」
ただ、その中でダボンだけがシルフィーの様子がおかしいことに気がついていた。村人たちが興奮し出した時、その熱狂の輪の中心にいるはずの彼女だけが明らかに怯えた表情をしていたのだ。
「どうしたんですか?」
「嫌……違う」
その様子は尋常なものではなかった。
彼女は明らかに怯えていた。身体は小刻みに震え、黒い瞳は恐怖で濁り、歯がカチカチと打ち鳴らされる。
「違う、違う……私は違うの」
ダボンの腕の中で彼女は小さくなって震える。口の中で何度も「自分は違う」と繰り返す。このままではどんどん小さくなって無くなってしまうのではないかと、ダボンにそう思わせるほどに、彼女は恐怖に震え怯えていた。
「シ、シルフィーさん……いったい、どうしたんですか?」
尋ねるものの彼女は答えない。ただ震える彼女のことがあまりにも不安になったので、ダボンは今度は躊躇することなく彼女を抱きしめた。それもあるのか、シルフィーは少しだけ安心した表情を見せそのまま意識を失ってしまう。
異変に気づいたのはダボンだけだ。
「何が起こったんだ?」
何が起こったのかダボンには理解出来なかった。
ガランが瀕死の重傷を負い、命の灯が消えかけた時に、シルフィーが魔法を使ってガランの命を救った。最初は魔法の消耗が激しかったのかとも思ったが、何かおかしい。
未だ異変に気がつかない村人たちは称賛と崇拝と祝福の言葉を唱え続ける。
『聖女様』
村人たちは皆シルフィーのことを、そう呼んでいたのだ。
500人に1人の才能。そこから属性ガチャ。確率的には微妙なラインな気がします。教育システムが重要になりますね。
ちなみに作中で出てくる『学園』は教育機関というよりも社交場としての側面が強い所だったりします。
次回から徐々にシルフィーの暗部が明らかになってきます。
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