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破滅した悪役令嬢が田舎にやって来た  作者: バスチアン
第一章 悪役令嬢と野豚の騎士
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悪役令嬢と偽物の聖女


ランディール王国には古くから『聖女』と呼ばれる存在がいる。それは金色の魔力を纏う治癒魔術の使い手で、その聖なる力は魔族との戦いが起こる度にその軍勢を退けた。まさしく王国の守護者ともいうべき存在だった。聖女の力はその言葉の通り例外なく女性が持ち、血筋を問わず突然に発現する。一世代に必ず一人しか現れず、現れれば王家の血統に取り入れられることが多いのだが、王家から聖女が発現したことは1度しかない。

そんな特別な存在のため、各地でも聖女信仰なるものが広く信じられている。信仰などと言っても教義と呼べるようなものはなく単に「聖女様は素晴らしい方だから崇めないといけない」くらいのものだ。徳の高い尼僧や、慈悲深い寡婦(かふ)がいれば「()()()()()聖女」と呼ばれることも珍しくなく、祭りがある度に聖女役の女性が選ばれ神輿に乗って担がれるのはどこの村でも見られる風景だ。マンバナ村もその例に漏れず聖女信仰の根づいた村だった。


そして今、マンバナ村には新たな『聖女』が生まれていた。





ガランの一件があった翌日、シルフィーが村の中を歩いていたときのことだった。彼女は前から歩いてくる女性に気づいた。確かゼベの息子の嫁だという女性だ。名前は確かラナンだっただろうか?

シルフィーはいつものように人好きのする笑みを浮かべて近寄ろうとする。そのときラナンは満面の笑みを浮かべて言ったのだ。


「聖女様、お久しぶりです」


その言葉にシルフィーは心臓が止まる思いがした。凍りついた笑顔がそのまま砕けてしまわなかったのは不断の努力の賜物だろう。

どこからかガランの話を聞いた彼女は興奮した口調で語る。

「お話は伺いました」「さすがは聖女様です」「聖女様に来ていただいて、この村の者は幸せです」

その言葉には裏表がなく、惜しみなく賞賛の声が降り注ぐ。シルフィーには、それが居心地が悪かった。

青ざめた顔に気づかれないように、彼女はいそいそとその場を去る。

しかしその後にもシルフィーは次々と声をかけられることとなった。


「聖女様、おはようございます」

「ごきげんはいかがですか、聖女様」

「あっ、聖女様だ。こんにちは」

「聖女様――」

「聖女さま――」






(気持ち悪い……)


あの一件以来、誰もが自分を聖女と呼ぶ。しかしそう呼ばれる度に全身が拒絶した。嫌悪感に耐えきれず、彼女は帰り道の途中で人知れず嘔吐する。

吐いても吐いても楽にならない。

村人達に『聖女』と呼ばれる度に腹の底が掻き回されるような不快感に襲われ、恐怖と焦燥に心が支配される。

当たり前であるがシルフィーは聖女ではない。今代の聖女はアリスという少女で、それはかつて自分が追い落とそうとして失敗した少女だった。

エリオットと同じ金髪に青い瞳をした少女の姿を思い出し、シルフィーは震える。


(いや……怖い)


シルフィーの記憶にあるアリスの姿は大抵、笑顔で誰に対しても優しい笑みを浮かべていた。今にして思えばあれこそ聖女の浮かべる慈愛の笑みだったのだろう。


そんな彼女にシルフィーは負けた。

何度も負けた。

圧倒的に負けた。

自分の一番得意な方法で挑んだにも関わらず完膚なきまでに負けた。


悔しいことにアリスは真実聖女で、妬みや恨み言などとは無縁の人間だった。だから今頃シルフィーへの復讐など考えもせず、きっと自分のことなど忘れて婚約者となったエリオットと楽しくくらしていることだろう。逆に自分は復讐など考えられないほど打ちのめされ、へし折られ、叩き潰され、彼女を思い出しただけで足がすくんで動けなくなる。

それでも王都を遠く離れ、彼女のことが記憶から少しずつ薄れ始めたというのに『聖女』という影が自分を追いかけて来る。

その事実にシルフィーは怯えた。もちろんアリスが何かをしたわけではない。だがそれでも『聖女』という忌み名がついて回る。

シルフィーは覚めない悪夢にさいなまれていた。





「いったいどうしたんですか? シルフィーさん」


ダボンは自室でふさぎ込んでいるシルフィーに声をかける。それは彼女が屋敷から一歩も出なくなって3日目のことだった。

先日、彼女が魔法を使ったときから何かおかしいことに感じていたダボンであったが、この数日間はガランの看病に忙しく十分な時間を取ることが出来なかった。そんな中、シルフィーが家から外に出ていないと思っていたら、昨日は部屋からも一歩も出なくなった。そこでようやく異常事態が起こっていることに気がついたのだ。

そのことをダボンは深く後悔した。ガランは死の淵からは脱したものの、未だその容体は万全からは程遠い。傷は塞がったものの、右腕はもう以前のようには動かないだろう。だからと言って、一番の恩人を放っておくなど本来あってはならないことだったからだ。


「急に顔を見せなくなったからミンもリンも心配していますよ。それにガランもシルフィーさんにお礼が言いたいと言っています」

「……………………」


困った表情で声をかけるが、ベッドに潜り込んだシルフィーは頭から布団を被って出てこない。それでも鍵をかけていなかったのだから、自分を部屋に入れてくれるつもりはもともとあったのだろう。そう考えることにする。

ダボンにはどうしてシルフィーがふさぎ込んでしまったのか見当がつかなかった。

つい先日の奇跡を目の当たりにしてから、彼女は村にとっての聖女となった。皆が彼女を尊敬し、崇拝すらしている。ダボンの見る限りシルフィーは衆目を集めるのが好きなようだった。そしてダボンも美しい彼女が村人の視線を集め、咲き誇るように目立っている姿が好きだった。だから今の村の状態は彼女が好む事態なはずなのに、逆に彼女は屋敷から出なくなっていた。それがダボンには不思議でならない。


「村のみんなもシルフィーさんの顔を見たがっていますよ。姿を見せてあげてください」

「……………………嫌よ」


幾度目かの問いかけでようやく声が返ってくる布団の中からの力のない声だが、ダボンは3日ぶりに聞いた彼女の声にほっとした。


「どうして嫌なんですか?」

「だって……皆、私のことを聖女って呼ぶんだもの」

「聖女は嫌なんですか?」

「嫌に……決まってるじゃない」


そこでようやくダボンはシルフィーと聖女の因縁を思い出した。なるほど確かにこれは注意が足りない。彼女がその名で呼ばれて嬉しいはずがなかった。


「そうか……追い出されたんでしたっけ?」

「そうよ、無様に負けて追い出されたのよ」

「そうでしたね」

「そうよ」


布団からひょこりと顔を出した目元には濃いくまが出来ていた。どうやらあまり眠れていないらしく、頬もこけている。その姿は初めてマンバナ村に来た時よりも憔悴しているように見えた。


「皆も悪気があって言っているわけじゃありませんから」


正直、村人に「聖女と呼ぶな」と命じるのは難しいだろう。そもそも聖女というのは誉め言葉であり、それを使うなというのがおかしな話だ。たとえ「王都に正当な聖女がいるから」と言っても、()()()()の聖女など国内にいくらでもいる。相応しい人間がいれば勝手に呼ぶだろう。

下手に騒げば逆にシルフィーが辺境に流された理由も明らかになる。それは彼女にとってあまり好いことのようには思えなかった。

ダボンは未成年であるが、すでに領主であり現実主義者だ。馬鹿正直なことが良い事だとなどとは考えていないのだ。


「聖女という呼称が悪いわけではありませんから」

「何よ……聖女なんて大嫌いだわ」

「ありがたい御名じゃないですか」

「ダボンは本物の聖女を見たことがないから、そんなことが言えるのよ。あの娘は……アリスは死んだ人間でも生き返らせるのよ。あんなのと比較されたら、たまったもんじゃないわ」

「死んだ人間が……生き返る!? そんなことが??」

「本当よ。それこそ死体が消し炭にならない限りはね……ねぇ、ダボン。私が前に大氾濫に会ったこと言ったわよね。その時のことよ。学園の学外授業で古代遺跡に潜ったの。魔獣もいたけど弱いのばかりで剣術や魔法を試すためのお遊びみたいなものね。教師たちに圧力をかけて、班分けで私はエリオット様と一緒の班になったわ。もちろん、あの娘は別の班よ。でもその日も私の策が空回りして……何でかしらね、あの娘の前だと私の謀略って全部裏目に出るのよ。普段は言うこと聞く娘が急に言うこと聞かなくなったり、普通なら多数決を取れるはずの意見がその時だけ急に通らなくなったり、もう散々ね。不確定要素がどんどん重なって、準備したものが全部引っくり返されるの。それで、その日もそうだったわ。あの娘は知らない間に私達の班に合流していて、結局エリオット様の隣にいるの。そのちょうど後の出来事ね。遺跡の奥から魔獣が溢れてきて、それを皆で必死になって抵抗したの。その時ね。私達を……ううん、アリスを庇ってエリオット様が死んじゃったの。何本も魔獣の角が身体を貫通して、血がたくさん出て、どう見ても即死だったわ。私は怖くて動けなくて……でも、あの娘は……」


瞼を閉じればいつでもあの日の出来事が蘇る。それはシルフィーが心の底からアリスに負けたと初めて感じた出来事だった。金色の魔力を纏った彼女は死んでいたはずのエリオットの身体を再生させ、その光に怯えた魔獣たちはアリスに近づくことはなかった。その金色の光はシルフィーが持つ程度の魔力では放つことの出来ない神々しい輝きだった。アリスが王家に伝わる神器が使えることが発覚し、今代の聖女と認定されたのはそのすぐ後のことだった。


「解る? 本当の聖女は凄いのよ。ちょっと才能があるくらいじゃ、まるで歯が立たないのよ。それなのに聖女扱いされるなんて、まるで地獄よ。どうして……どうして私が聖女なのよ」

「それは仕方ないですよ」

「何でよ?」

「だって村の人たちから見たシルフィーさんはとても素敵な女性ですから。田舎者である自分たちに分け隔てなく接して、いつも優しくて、笑顔で、そういうのって、とても聖女らしいと思います」

「分け隔てない……優しい、笑顔?」


ダボンの言葉に引っかかりを覚える。


「皆に優しく……笑顔か……ハハッ、そういうこと」

「シ、シルフィーさん?」


その理由に気がつき、虚ろな目をして笑いだす。自分が聖女と呼ばれた理由を心底理解してしまったからだ。

身分を気にせず、分け隔てなく、皆に優しく、いつも笑顔。

それはまさしく学園時代の聖女(アリス)そのものだったからだ。


「まったく、私……本当に馬鹿ね。村の人たちにいい顔して、手駒にして動かそうとしてたら、まさか知らない間に、あの娘のモノマネをしてたなんてね。道理で聖女なんて言われるはずよ」


ルナ・シルフィーは生まれついての大貴族の令嬢で、その考え方も実に貴族的だ。それは身分の低い者を見下すとかでなく、他者を支配しようと考える点だった。以前ならその手段が、家柄や、人脈、派閥による圧力だったのだが、マンバナ村でたった一人取り残された彼女にそんなものはない。それ故に、彼女自身がもつ美貌や、教養、貴族としての立ち振る舞い。それを使ったつもりだった。

彼女としては持ちうる少ない手段で最も効果的な手段を選んだつもりだ。しかしそれも結局は偽物の聖女としての振る舞いだったのだ。


「まったく滑稽(こっけい)ね。あんなに聖女(アリス)が嫌いで、怖くて仕方ないのに……それなのに偽物の聖女に祭り上げられるなんて」

「シルフィーさんは偽物なんかじゃないです」

「ううん、偽物よ。本物の聖女ならガランちゃんの怪我だって完全に治せてたわ。私には出来ないのよ。だって所詮は偽物だもの」


光の消えた黒い瞳は絶望を(たた)えていた。辺境に追いやられた彼女が、それでも何とかやっていこうと努力した結果は周囲から善意とともに「お前は偽物だ」と突きつけられる事だったのだ。


「もう、疲れちゃったわ……アナタもこんな偽物相手にするのは馬鹿馬鹿しいでしょ?」

「そんなことありませんよ」

「嘘よ。私はアリスの外面だけ真似た、粗悪な偽物なんだから」

「そうは言われても……僕がシルフィーさんを好きになったのは外見がとても綺麗だからで、聖女とか、どうとかはあまり関係ありません」

「何よそれ……」


そして彼女は思い出す。「ダボンがシルフィーに惚れたのは見た目が綺麗だから」それは彼が最初から言っていた言葉なのだ。少なくとも彼女はダボンと出会ったとき、笑顔を浮かべてもいなければ、優しい言葉もかけなかった。ただ顔を見せただけだ。

そしてただひとつ確かなことは、聖女としての行動はアリスのモノマネだったとしても、彼女の美しさは彼女自身のものなのだ。


(そういう考え方もあるのね……でも)


自分を肯定してくれる言葉は嬉しい。しかしその言葉はあまりにも現金に過ぎた。「貴女の一番の長所は外見です」という一言は、お世辞として受け取るにはあまりに直接的だ。


「それじゃあ、私が見た目だけの空っぽな女みたいじゃない」

「でも目に見えるというのは、とても大事なことだと思います。僕や村の人からすれば見たこともないアリスなんて人が、聖女で、どんなに凄い力を持っていようと関係ないんです。僕たちにとって大切なのは遠くにいて目にも見えない死人を生き返らせる力じゃなくて、目の前でガランを救って見せたシルフィーさんなんですから」

「そうなんでしょうけど……」


理解出来るが、納得は出来ない。しかしダボンはそんなことは関係ないとばかりにさらに続けた。


「安心してください。マンバナ村は辺境の田舎で王都からも凄く遠いんです。だからアリスがどんな人間で、どんな力を持っていようと関係ありません」

「関係ないなんて……そんなことないわよ」

「いいえ、関係ないんです。少なくとも、このマンバナ村で聖女が奇跡を起こした話なんて聞いたことがありません。それだけここは辺境なんです。見たこともない遠くにいる聖女なんて、それくらいどうでもいい存在なんです」


ダボンは心底本気で言っていた。命を懸ける場面が日常的にあるこの村では目に見えない不確かなものは信用に値しない。それが彼の哲学なのだ。

聖女なんてどうでもいい。

そんな確信めいた声は、この1年近くアリスの影におびえ続けた彼女にとって心強い言葉だった。


「ダボン……アナタって、冷静に考えたら酷い人よね」

「自分でもそう思います」

「でも、いいわ。都合がいいとは理解してるけど、今はちょっとでも何かに(すが)りたいのよ」


彼は誠実だが、正しいことは言っても善いことなど何ひとつ言っていないし、この一言だけで精神的外傷を払拭出来るほど、シルフィーの負った傷は浅くはない。だがそれでもすっかり折れてしまっていた心が少しだけ持ち直したのを彼女は感じていた。



聖女信仰は弘法大師信仰みたいな感じです。

「昔、弘法大師が作った池があって、そこにある社を村人が崇めている~」

なイメージです。

宗教とは別に土着で広く普及しています。


ちょっと持ち直したシルフィーですが、彼女の試練はこれから始まります。

ちょっとでも面白いと感じたら、ポイント評価や、ブックマーク、感想などお願いします。

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