悪役令嬢は転職を考える
シルフィーがマンバナ村にやって来て1月ほど経った頃、彼女はあることに悩まされていた。
「やる事がないわ……」
暇を持て余し、彼女は声を上げる。最初の3週間は瞬く間に過ぎていった。田舎暮らしの生活は何もかもが違っていて、それに慣れるのに必死だった。彼女にとって極めて幸いだったのはダボンが誠実な人柄であったことだ。
目端の効く人間や、小悪党なら、自分に既に貴族としての価値がなくなったことに気づいて、見た目だけは美しい自分に良からぬ行為を強いていただろう。しかし実際にはそういったことはなく当初彼女が自棄になって決めていた覚悟が試されることは一度もなかった。
こうして無事に過ごしてきた彼女なのだが、村での一通りの経験を済ませた後、膨大な余暇が待ち受けていることに気がついた。
「何かしないといけないわね」
仕事をする必要があると彼女は考える。ただ、嫁いだ貴族の娘に最初に求められる仕事は子どもを産むことだ。それに思い至り思わず赤面する。
「ま、まぁ、これは……まだ先の話でいいわね。ダ、ダボンだって準備が出来てないでしょうし」
当たり前のようにダボンに確認を取ることなく、彼女は保留を決意する。初対面で大いに恥をさらして1カ月するが、それからダボンから何かアプローチしてくるわけでもない。なのでその意見も実は的外れでもなかったりする。
「しょうがないわよね、悪いのはダボンなんだから……それよりも仕事の話よ」
もう一度考える。嫁いだ貴族の女の仕事は家を支えることだ。ただそれは実務を手伝うという意味ではなく、社交界を通じての人間関係の構築だ。パーティーでは夫の後について回り、茶会を開いては女同士の派閥を構築し、権謀術数渦巻く貴族社会で生きる夫を援護射撃する。そういう事が出来る人間が貴族の中では良い妻だとされている。そしてシルフィーはそういったことが本来とても得意なのだ。
派閥を作り数の暴力でコミュニティを支配する。そうして一年前の彼女は学園生活を大いに楽しんだ。ただひとつだけ思い通りにならなかった例外に目を瞑ればだ。
「こんな田舎じゃあね……」
社交界も何もないだろう。せいぜい集落の有力者に気を配る程度だ。そしてこれまで過ごした短い期間でも理解できたが、田舎の人間は思った以上に純朴で単純だ。シルフィーが見せる都仕込みの優雅な作法を見せられるとあっさりと落ちる。相手取るには容易いが、同時に張り合うにはあまりに歯ごたえがなかった。
「そう考えれば、あの娘たちも少しはいい相手だったのかもね」
四大貴族の跡取りや、近衛騎士団長の息子、彼らにも婚約者の同級生がいたのだが、彼女たちは歯ごたえのある相手だった。それぞれが性格は違うが、それぞれが大貴族の令嬢だ。当時は彼女たちを相手取り、どこの家の娘を取り込むかなどして派閥争いを楽しんだものだった。特に近衛騎士団長の息子の婚約者などことあるごとに自分に突っかかってきて、それをあしらっては悔しそうな顔を浮かべさせて、その無様さを冷笑で見下したものだ。今思えば、あれが自分の絶頂期だった。
「まさか、あの娘の顔を懐かしく思う日がくるなんてね」
当の本人は今頃、都落ちした自分を想像して逆に愉悦の笑みを浮かべているだろう。それどころか半年以上前に消えた人間のことなどすっかり忘れて、卒業後の本格的な社交界の派閥争いに身を投じているのかもしれない。それが少しだけ羨ましい。それはもう二度と自分の手が届かない場所だからだ。
「まだ、少しかかりそうね……」
それなりに時間が経とうとしているが、まだ傷が癒えたとは言い難かった。
それを忘れるためにも、シルフィーはまず1カ月かけて知ったマンバナ村のことを思い出した。彼女が知る限りマンバナ村には産業と呼べるものがない。農耕はしているがあくまでも地産消費出来る範囲で食料は未だ多くを輸入に頼っている。畜産もそうだ。大山脈までいけば鉱脈はありそうだが、魔物の巣で鉱山を開くのはどう考えても現実的ではない。徹頭徹尾、魔物を狩ることに特化した村なのだ。そんな中で自分に何が出来るのだろうか?
次に彼女は自分が出来る事と、出来ない事を考える。自分には魔物を狩ることは出来ない。畑仕事を手伝ったとしても大して力になれないだろう。商売の経験もない。逆に圧倒的に優れていることもあるが、作法や権謀術数など、この辺境では必要のないものが多い。
「そうね、こういうのはどうかしら?」
その中でダボンが普段から口を酸っぱくして言っている言葉を思い出す。それを相談するためにも、まずはバンに相談するのが良いだろう。そう考え、彼女はバンのいる執務室に足を向けた。
◇
最初にシルフィーの提案を聞いたバンは意外そうな顔で問い返した。
「学校を作るのですか?」
「ええ、もちろん王都の学園みたいに大きくなくてもいいわ」
シルフィーがバンに提案したこと。それはマンバナ村の子どもたちに教育を受けさせるというものだった。もちろん教師はシルフィー自身だ。ダボンの態度から判るように彼は教育を重視しているのは間違いない。だからこその案だ。
「最低限の読み書きと計算だけ出来ればいいのよ。見た所、この村で領主の仕事を手伝っているのはバンだけよ。だけどこの村の人口はまた増えていると聞いたわ。そうなるといずれダボンの仕事も増えていくんじゃないかしら。そのときにアナタ以外にも手伝える人間がいたらいいわ」
「ふむ、そうですな」
彼女自身が文官の真似事をしても良いが、仕事が出来る人間を増やした方が良いという考えもある。
シルフィーの言葉を聞きバンは一息つく。当初こそシルフィーのことを高慢なお嬢様と思っていたバンだが、ダボンとの仲も悪くない。何よりもガランを手懐けて勉強するように諫める姿を目の当たりにしたために、この頃の彼はすっかりシルフィーを信頼していた。
「ワシももう年ですから遠くない内に引退するでしょう。そのときのことも考えて後釜は作っていた方がいいかもしれません。しかしシルフィー様は大丈夫なのですか?」
「やってみないと分からないけどね。でも何もしていないと退屈で仕方がないのよ」
「なら、構いませんが」
一度咳払いして言葉を区切る。そこで初めてバンはシルフィーの意見に異を唱えた。
「ただ、あまり多くの数を受け入れるのもどうかと思います」
「そこまで大きな規模ではしないわよ。せいぜい10人かそこらよ」
「それでも多いかと」
「そうかしら?」
「はい、行うなら1人か2人で十分かと。それも女子が望ましいと考えます」
「随分と少ないわね」
彼女としては暇つぶしと実益を兼ねた仕事のつもりなので、何も村中の子どもたちに教えて回ろうというつもりもない。それにしてもバンの出した数字は少ないものだった。
「さすがに少なすぎはしないかしら?」
「そうとは思いますが、実際問題として読み書きが出来る人間を増やしたとしても、あまり意味はないかと」
「そんなことはないでしょう。文字が読める人間が増えた方が、既存の産業を発展させるにしても、新しい産業を興すにしても、意味のあることだと思うけれど?」
文字とは情報の蓄積だ。少なくとも彼女は学園で勉強する中でそう感じていた。そして情報を蓄積し続けることで技術は向上していく。何も悪いことなどないはずだ。
しかしバンはシルフィーの至極真っ当……と彼女自身が考えている言葉を真っ向から否定した。
「この村の産業は魔物を狩ることです。そしてそれ以外は必要ありません。むしろあってはいけません。もしもこの村の人間が戦い以外に生きる術を覚えてしまえば、誰もこの村に残ろうとは思わないでしょう。この村が滅びれば大氾濫が起きてルナ領に甚大な被害が起きます。そしてそうならないために我々はルナ家から莫大な援助を受けています。シルフィー様から見れば魔物と戦う危険な村に見えるかもしれませんが、10年前に起きた飢饉の年を例外とすれば、この村は安定しており、恵まれてもいるのです。しかしそのためには村の者が必要以上に賢くなってはならないのです」
「それは……ダボンも承知しているのかしら?」
「無論です」
首飾りについている紫色の石を握り、家令である老人は答える。それはシルフィーにとっても意外な答えだった。
「ダボンは教育を重視しているのではないの?」
「それはガラン様に対してだけです。跡取りのいない現状でダボン様にもしものことがあれば次の領主はガラン様ですので」
「それは……!?」
そうして彼女は思い出す。それはダボンが一番最初に弟の勉強嫌いを嘆いていたときのことだった。
教育熱心なダボンにシルフィーは言った。「ダボンは見かけによらず勉強を大事にしているのね」と。それに彼は何と答えたのだったか?
(そう、確か――)
ダボンは答えた「何があるか分かりませんから、もしもの時のために準備しておかないと。特に勉強はしておいて損はありませんよ」確かにそう言ったのだ。
(あれって、あの子……自分が死んだときのことを言っていたの!?)
そんな含みがあったなど思いもよらなかった。以前にダボンが魔物狩りに行ってなかなか帰って来なかったとき、ガランもバンも落ち着いていた。あれはダボンの実力を信用している反面で、常に最悪の事態を想定していたからなのだろう。
その死生観の違いに肝が冷える。そんなシルフィーの表情に気がついたのかバンは慌てて訂正した。
「安心してください。ダボン様は歴代の当主の中でも指折りの戦士です。簡単に亡くなることなどありえません。いえ、恐らく戦いで死ぬことなどないでしょう」
「そ、そうよね……」
実際はそうでないことは知っている。だが今はそんな都合のいい嘘を信じることを心に決める。
「そうよ。ダボンは強いんだから……」
そうであって欲しいという願望を練り混ぜて、彼女は小さく呟くのだ。
意外とシビアなマンバナ村の一面です。中盤以降はこういうのが増えて行く予定です。
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