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破滅した悪役令嬢が田舎にやって来た  作者: バスチアン
第一章 悪役令嬢と野豚の騎士
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腹ペコの悪役令嬢


学校を作るという話は、当初シルフィーが考えていたものからは規模こそ縮小されたものの実行される運びとなった。むしろバン本人が自分の後釜を心配していたこともあり、彼は文官の育成自体には大いに乗り気だったのだ。

実際にシルフィーが会ってみて選出した子どもは2名。内気だが集中力のある女の子のミンと、会話していて知恵が回ると感じた女の子のレンの二人だ。両方ともが女子で、ガランのひとつ下だ。女性なのは当初の予定通りだが、年下なのはガランに後輩をつけることで責任感を促すという理由があった。


(それに女の子の前だと、男の子は格好をつけたがるものね)


並んだ3人を見て、シルフィーは心の中で呟く。

その狙いが見事に的中したのか、ガランは以前のように勉強をサボることがなくなった。もちろんその理由は、後輩が出来たことだけでなく、教える相手が口やかましいバンからシルフィーに変わったこともあるのだろう。彼女自身もやってみて驚いているのだが、シルフィーは初等教育を教えることに向いていた。子どもは未来の漠然とした目的のためには動くことを嫌がる。彼女はそれを上手に動機づけすることでやる気を促し、勉強することの倦厭感(けんえんかん)を見事に取り除いて見せたからだ。


「シルフィー姉ちゃんは教えるのが上手いなぁ。バン爺ちゃんとはエライ違いだぜ」

「そんなことはないわよ」

「えぇ~っ、あるよ。バン爺ちゃんも、兄ちゃんも、オレがちょっとさぼったらすぐに怒るんだ」

「それはサボったガランちゃんが悪いわね」


シルフィーがたしなめると一緒に勉強している二人の少女が一緒になって笑う。授業はこの3人が一緒になって行っていた。とは言っても、毎日集まって授業を行っているわけではない。二日に一度ほど集まって午前中だけ授業をする。ガランを見て分かるように、ただ授業をするだけではなかなか覚えることが難しい。なのでシルフィーはバンに相談して、帳簿や、名簿を使った簡単な計算や、読み書きを指導するように心がけた。

その際に彼女自身も領地の内情を把握し、よりマンバナ村の現状を知る手段となった。

生徒たちのために教材を準備しているとシルフィーはかつていた学園のことを思い出した。許嫁だったエリオットに関しては完全に敗北し失敗したものの、学園時代の全ての思い出が悪いものだったわけではない。自分が教師の真似事をするとは夢にも思っていなかったものの、教材を準備し、分かりやすく説明するために工夫を凝らすのは楽しかった。


ただ勉強して学力をつけていくガランを嬉しく思う反面、心のどこかで「自分はダボンが死んだときのための準備をしているのではないか?」と後ろめたく思う一瞬があった。もちろんそんな予感は杞憂で、ダボンは魔物狩りに行って帰るのが遅くなることはあっても、帰って来ないことなど一度たりともなかった。

そうして新たな生活が馴染み始めた頃、ダボンは久しぶりにシルフィーと一緒に村を回りたいと言って来た。


「シルフィーさんの授業は評判がいいみたいですね」

「だとしたら嬉しいんだけど」

「凄いですよ。あの勉強嫌いのガランがサボることなくちゃんと授業を受けているんですから」

「ガランちゃんも別に勉強が嫌いだったわけじゃないと思うわ」

「そうなんですか?」

「ええ、あの子はお兄ちゃんに認めて欲しいのよ。だからああやって駄々をこねて、貴方の気を引こうとしていたの。だからもう少し相手をしてあげなさい」


そう言いながら、当の自分自身がしばらくダボンの相手をしていなかったことを思い出す。それに気づき心の中で苦笑した。

彼女も別にダボンのことは嫌いではない。最初こそ「田舎の野豚」にしか見えなかった彼だが実際には、誠実で、責任感のある性格は好ましいものだった。ただし「彼が好きか?」と問われると、まだ「好きだ」と言い切ることが出来なかった。彼女の中には「好き」の明確な基準があるからだ。それは10年近く彼女の中で大切に守り続けたもので、今ではすっかり引き千切れてしまったものの、その残滓は確かに残っている。


(でも、少しくらい優しくしてあげないといけないわね)


そう思い半歩だけ近づいて、厭らしくならない距離で耳元に唇を近づける。ダボンはシルフィーよりも頭一つ分以上背が高いので、その体勢は背伸びするような形になる。そうして囁くように言うのだ。


「いい、分かった?」

「わ!?……分かりました。なるべくガランの相手をするように気をつけます!」


日に焼けたダボンの頬に朱が射していた。それがおかしくてもっと小さな声で「よく出来ました」と(ささや)いてみる。その声に耳朶を打たれたダボンは痺れるような素振りを見せた。

それにすっかり満足したシルフィーは彼の傍から半歩離れる。


「ところで今日は、どこへ連れて行ってくれるのかしら」

「あ、ああ……今日はですね。パン焼きのかまがようやく出来上がったので見てもらおうと思ったんです」

「パンの窯……ああ、そう言えば作っていると言っていたわね」

「ええ、もの自体は随分前から出来上がっていたんですが、やっぱりパンって作るのが難しいんですね。色々と試行錯誤してようやくちゃんとしたものが作れるようになったんです」

「そうなの、楽しみね」


以前ダボンに「パンは美味しいですよね?」と問われたとき、彼女は「そうかしら?」と答えた。しかし実際に麦粥ばかり食べる生活をしているとパンの味が恋しくなってくる。

小麦の焼けたこおばしい香り、ふんわりとした触感、飲み込んだとき舌の上にひろがるほんのりとした甘み。それを思い出し、唾を呑み込んだ。


(私もすっかり野蛮人になってしまったわね)


かつての自分を知る者ならば「ルナの黒真珠も薄汚れたものだ」と、嘲笑と憐みの目を向けるだろう。


(でもしょうがないじゃない。食べたいんだもの)


どれだけ高度な教育を受け、令嬢としての作法を叩き込まれた彼女と言えど、やはり美味しい料理には逆らえないのだ。

軽くなった足取りをダボンに気づかれないように気をつけながらシルフィーは歩を進めた。





はやる気持ちを抑えながらついていった小屋の中には大きな窯が置かれていた。二段構造になっている窯は煉瓦で作られており、下の段にはくべられた薪に赤々とした火が燃え盛っている。上の段はアーチ状に煉瓦が積まれており、半月上になった金属製の蓋が厳重に窯の中身を守っていた。外から見えた煙は、天井まで伸びている煙突が吐き出したものなのだろう。


「思ったより大きいのね」


中で膨らんでいるであろうパンが入っている上の段はシルフィーの胸の高さまである。窯の奥行きもかなりあるので、きっと沢山のパンが焼かれているのだろう。それを想像してさらにお腹が減ってくる。


「作るのに試行錯誤したってことは、ダボンはもう食べたの?」

「いえ、まだです。窯が完成したときに一度足を運んだのですが、そのときはもう酷い出来で……」


その味を思い出したのかダボンは顔を顰める。それを見て、周囲にいた男たちは苦笑いした。


「そりゃ、ないですよ。俺たちはダボン様と違ってパンなんて食べたことないんですから」

「親方はあるんだろ?」

「そうは言っても、食べるのと作るのは違いますぜ。それに俺はダボン様と違って、2~3回しか食べたことがないんですから」

「でもあのガリガリのパンも旨かったですがね」

「あれはパンとは言わないよ……特に最初のはもうただの炭だっただろ」


そのときの苦味を思い出したのかダボンの眉間には皺が寄っていた。どうやら窯を作るだけでなく、パン作りにも相当な苦労があったようだった。


「都のパン屋と比べればみすぼらしいものなんで、奥方様の前に出すのはためらわれますがね」

「そんなことはないわ。とても楽しみよ」


機嫌が良くなっていることも踏まえて百合のような微笑みも3割ほど増していた。室温が上がったと感じたのはくべられた薪と火のせいではないだろう。その空気にダボンもすこぶる機嫌がよろしいようだった。

机の上に置かれていた時計が音を鳴らした時、親方が「さぁ、開けますぜ」と気炎を吐いた。


重々しい金属製の扉が開く。

中から湯気とともに甘い薫りが溢れ出す。

それは先ほどまで煙の臭いで隠れていたものだ。


親方が両手持ちの金具で窯の中に入った鉄板を引っ掻けると「よっせい!」という気合とともに鉄板を窯から引き出した。

黒い鉄板の上にはきつね色をした丸いものが並んでいる。

両手の上に載るほどの大きさをしたパンだ。

表面には十字の傷が奔り、そこから盛り上がるように中身が膨らんでいる。

ダボンはそれを手に取ると、傷に沿ってパンを4つに割る。

そしてシルフィーに手渡した。


「はい、どうぞ」

「あ、ありがとう……」


受け取ったパンはもともとがかなりの大きさなので、4つに割ってもまだ彼女の手には余る。

小鼻を近づけると暴力的なまでの芳香が鼻孔の中へと侵入していく。それは小麦を加熱したことで生成されたアルコールの甘い香り。人間が本能的に好む香りだった。

考えるより先に口が開く。

パンは大きいので、シルフィーの小さな口にはとてもは入り切りそうにないが、千切って食べる手間さえも惜しかった。


(だって私はもう野蛮人なんだから)


周囲に男性の目があるのは分かっていたが、思い切って大きく口を開ける。そうしてガブリとパンの塊にかぶりついた。


「美味しいわ……」


考えるより先に言葉が出ていた。ただでさえ芳ばしかったパンの香りが口に入れた途端に爆発する。外の皮は少し硬いが、中は十分に膨らみ噛めばふわりと柔かい。実家や王都で食べていたパンと比べれば粉っぽくて、舌ざわりも悪い。明らかに質が落ちるものであるはずなのに、明らかに美味しいと感じていた。

はしたないと思いつつも二口目も頬張り、三口目を口に入れたとき、周囲も夢中になって無言で食べていることに気がついてほっとした。


「美味しいですね」

「そうね……美味しいわ」

「これがドゥードゥさんの店に並んで、いずれ村のみんなの口に入るようになればいいんですけどね」

「出来ないの?」

「この窯ひとつでは無理ですね。それに思ったよりも燃料を喰います。頻繁には難しそうですね」

「そうなのね」

「ええ、でも窯が出来て良かったです。次はガランにも食べさせてやろうかな? アイツはパンを食べたことがないから、きっと驚くだろうな」


ダボンの細い目の端が下がり表情が綻んでいく。

パンひとつで喜ぶ田舎者。昔のシルフィーならそう蔑んでいたかもしれないダボンの顔だが、もうそんな風に感じることはなかった。


(だってしょうがなじゃない。私だってもう野蛮人なんだから。だから好いわよね。素直に喜んでも)


頭の中にあるのは最近、自分の生徒になったミンとレンだ。きっと彼女達もこのパンを食べれば大喜びするだろう。

それを彼に伝える。

すると、もちろんダボンは満面の笑みで頷いた。



この世界には魔法があるので街のパン屋には魔道オーブンみたいなのもあるのですが、マンバナ村の燃料は(まき)です。薪で焼くと香りが違うから、シルフィーが食いしん坊なわけでなく実際に美味しい……のかもしれません。


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