第五十八話。
アドールの授業が始まった。
今回は前もって「血を用意しとけ」と言われていたので、俺は血の水袋をいくつか持ってきていた。訓練室に入ると、アドールはすでに準備を終えていたらしく、机の上には見たことのない道具や、妙に湿った布で覆われた何かが並んでいる。
「来たか」
「来たよ。血も持ってきた」
「うむ、よろしい」
アドールはそこで、いかにももったいぶった調子で腕を組んだ。
「本日は、新たな魔法の系統を教える」
「また碌でもないやつか?」
「碌でもない。だが強い」
即答だった。
「これはこのワシ独自の魔法の系統だ。魔法の素質と、不死者であること、さらにエイジングの魔法が必須だ。加えて、スキルを獲れる余地がない者は獲れん。つまり、お前のような者にしか学べぬ」
「言い方がいちいち偉そうだな」
「ありがたく思うように」
「はいはい」
俺は肩をすくめたが、一応は言っておく。
「ありがとう」
アドールは鼻を鳴らした。
「最初からそう言えばよい」
それから、骨の指で机をとんと叩く。
「では説明しよう。この魔法は、お前も使えるエイジングの魔法を応用したものだ」
エイジング。
物体を経年変化させる魔法だ。老化、劣化、熟成。直接戦闘で使うより、むしろ物や食品に使う方が多い魔法だと前世では認識していた。酒の熟成や、木材の乾燥、布の変化なんかに応用されることもある。
アドールは言う。
「エイジングは、ある物体を経年変化させることで劣化させたり、逆に熟成させたりできる魔法だ。それを肉体で応用したものが、これだ」
「嫌な予感しかしないな」
「当然だ」
アドールは少し嬉しそうだった。
「これもミラーカが言う四段階の区分に分けると、第一段階は肉体の触った部分を老化させることができる」
「触った部分を老化」
「そうだ。皮膚に皺を寄らせ、筋の動きを鈍らせる。小規模だが、それだけでも相手には効く」
なるほど、と俺は思う。
斬るでもなく、焼くでもなく、老化させる。発想がすでに嫌だ。
アドールはさらに続けた。
「第二段階は、触った部分を腐らすことができる」
「もっと嫌だな」
「第三段階は、その触った部分がしなび、カラカラになる。まあ、こうなれば不具だな」
「ひどいな」
「第四段階は、老死する以上に年を取らされ、その部分が灰となる」
そこでアドールは、少しだけ得意げに言った。
「まあまあ凄い技だ。便宜上、不死魔法と呼んでいる」
俺はしばらく黙って、それを頭の中で整理した。
老化。
腐敗。
乾燥。
灰化。
「……それ、とんでもない魔法じゃないか」
「まあ、ワシだからな」
本当に満更でもない感じで言うので腹が立つが、事実としてとんでもないのは確かだ。
俺は少し眉をひそめる。
「何に使うんだ、これ」
「何にでも使える」
アドールは即答した。
「鎧の隙間から皮膚を老化させてもよい。アンデッド相手でなくとも、生者を削るのに使える。再生力の高い相手には腐敗が効く。完全に殺さずとも、戦力を落とすのに向いておる」
「つまり、かなり嫌らしい戦い方になるわけだ」
「お前向きではないか」
「どこがだ」
「組み合わせが好きだろう」
それは否定できなかった。
影使い、血魔術、ダズリング、恐怖の睨視、王命、剣術。そこへこういう「触れれば厄介」な魔法が入るなら、確かに色々できる。
「まあ、学ぶよ」
俺がそう言うと、アドールは満足そうに頷いた。
「だろうと思った」
そう言って、机の上の湿った布を取り払う。
中から出てきたのは、妙な球体だった。
見た目はサンドバッグに近い。だが普通の革袋ではない。動物の肌と筋肉と血で作られているらしく、表面がぬらりとしていて、嫌な生々しさがある。
「これはなんだ」
「練習台だ。動物の肌と筋肉と血で作ったサンドバッグみたいなものだと思え」
「思えと言われても、見たまんまだな」
「これで練習してみろ」
アドールは球体を吊るし、俺へ向き直る。
「呪文名はエイジングアタックだ」
「そのままだな」
「老化させる攻撃、という意味にした」
「いや、うん、それは分かる」
アドールは気にせず続ける。
「老化を意識しながら、エイジングアタックと唱えてみろ。何百回かかかると思うが、想像して魔法を使ってみるのだ」
そこからは、いつもの反復だった。
俺は球体に手を当てる。
老化。
経年変化。
皮膚が乾き、皺が寄り、肉の弾力が失われる感覚を想像する。
「エイジングアタック」
何も起きない。
もう一度。
「エイジングアタック」
変化なし。
さらに繰り返す。
魔力を流す。
想像する。
唱える。
だが、なかなかうまいこといかない。
「難しいな……」
「そう簡単にできるなら、ワシの独自魔法など名乗らん」
アドールは椅子に座って、いかにも偉そうに見ているだけだ。たまに「今のは魔力が散っておる」「想像が浅い」「肉ではなく“時間”を通せ」と言ってくる。腹は立つが、言っていること自体は間違っていない。
俺はひたすら続けた。
触れる。
想像する。
唱える。
球体の肉が、一瞬で何年も時を経るようなイメージ。血が古くなり、筋が乾き、皮膚が萎む感じ。
「エイジングアタック」
「エイジングアタック」
「エイジングアタック」
どれくらいやっただろう。
百回くらい唱えたあたりで、いきなり変化が起きた。
球体の表面に、皺が寄った。
ほんの一部だ。だが確かに、つるりとしていた皮が縮み、年寄りの皮膚みたいにしわしわになっている。
同時に、魔力がごそっと持っていかれた感覚があった。
「……っ」
思わず息が詰まる。
「成功だな」
アドールが静かに言った。
「そしたら、その球体に血を垂らせ」
言われるまま、俺は水袋から血を少し垂らした。
すると球体がそれをじわりと吸い、皺の寄った部分が元へ戻っていく。
「おい、これすごいぞ」
「ワシだからな」
「ほんとその返し好きだな」
「事実は強い」
俺は呆れながらも、球体を見つめた。
つまりこれは、血を補充すれば何度でも練習できるということだ。確かに便利だし、理屈としても分かりやすい。不死魔法を覚えるための練習台としては、かなり理にかなっている。
「もう一度やれ」
アドールに言われ、俺はまた手を当てた。
今度は少しだけ感覚が掴めている。
老化を通す。
肉へ時間を押しつける。
生の新しさを奪う。
「エイジングアタック」
今度は、うっすらと皺が寄る。
完全成功ではないが、さっきより近い。
さらに繰り返す。
そうしているうちに、皺が寄る確率がだんだん上がっていった。十回に一回が、五回に一回に。完全な発動にはまだ遠いが、「届いている」感覚は明らかに増えてくる。
「そうだ」
アドールが言った。
「それを練習してみろ」
「随分ざっくりだな」
「ざっくりではない。まずは第一段階に定着させることが大事だ」
もっともだ。
結局、その日の授業はそこで終わった。
手は少しだるく、頭もじんわり疲れている。直接殴り合ったわけではないのに、妙な消耗があった。たぶん、想像と魔力の流し方が特殊なのだろう。
俺が水袋を片付けていると、アドールが何気ない調子で言った。
「授業料にマジックバッグをくれ」
「急だな」
「急ではない。以前から欲しかった」
「前から言えよ」
「今思い出した」
絶対嘘だ。
だが、こいつには世話になっているし、今回の不死魔法も確かに大きい。俺は収納から中型のマジックバッグを取り出して渡した。
アドールは受け取ると、思ったより丁寧に中を確かめた。
「うむ。良いな」
「それで満足か」
「満足だ」
それから、少しだけ声を低くして言う。
「この魔法はな、生者が使えばただの呪いに近い。だが、お前が使うと違う」
「どう違う」
「お前はすでに呪われた側だからだ。老い、腐り、枯れ、灰になる。それを嫌悪だけでなく、理として理解しやすい」
俺は少し黙った。
言いたいことは分かる。
今の俺は人間でありながら、人間のままではない。だからこそ、こういう「生の変質」に近い魔法も、ただ気味が悪いだけでは終わらない。
「……あまり嬉しくない理屈だな」
「強くなる理屈に、気持ちの良いものばかり求めるな」
それは、アドールらしい言葉だった。
俺は苦笑して、訓練室を出た。
手の中には、新しく覚え始めた嫌な魔法の感覚がまだ残っている。
エイジングアタック。
老いを叩き込む魔法。
使いどころを考えると、確かにかなり厄介だ。剣と組み合わせても、血魔術と組み合わせても、影から触れても強い。考えれば考えるほど、俺向きであることを認めざるを得なかった。
「ほんと、碌でもないのを覚え始めたな……」
そう呟きながらも、俺の頭のどこかはもう、その組み合わせを考え始めていた。




