第五十七話。
リアンはサーベルタイガーを連れて練習場にやってきた。
いつもの無表情に近い顔なのに、今日は少しだけ口元が緩んでいる。隣を歩くサーベルタイガーはすっかりリアンに懐いたらしく、ぴたりと脚に身体を寄せていた。時々大きな頭を腕に押しつけている。
「なかなか離れてくれないのだ」
そう言いながら、リアンは嫌そうではなかった。
「良かったな」
「まあ、良い」
リアンは咳払いのように一つ息を吐いて、いつもの顔に戻る。
「では、修練を始めよう」
俺は木剣と盾を受け取る。
サーベルタイガーは練習場の端に座り、尻尾をゆっくり振っている。見学する気満々らしい。
リアンは木剣を肩に担ぐようにして言った。
「先読みとは、相手の微妙な動きや体重移動を読み取り、次に来る攻撃を予測できるというものだ」
「予測、か」
「そうだ。単純な反射ではない。来てから対応するのではなく、来る前に対処する」
リアンはそこで木剣を下ろし、俺をまっすぐ見た。
「クレイヴ。どこからでもかかってこい」
俺は少し距離を取った。
真正面からでは読まれる。なら、かなり遠間から、一気に間合いを潰してやる。鉄獅子剣術の早抜きなら、そのくらいはできる。
息を整える。
一気に踏み込む。
木剣を早抜きし、そのまま斬り込んだ。
だが。
「遅い」
リアンの声が先だった。
木剣が、俺の剣筋の上にすでに置かれている。避けたのではない。読んで、そこへ置いたのだ。俺の剣はそこで完全に止められた。
「……読んでたな」
「読んでいた」
リアンは木剣を引き、淡々と言う。
「このように、お前の攻撃はバレバレになる」
少し悔しい。
だが、そう言われるだけの差はあった。こちらが動き出す前に、もう構えが出来ていたのだ。
リアンは三本指を立てる。
「主に三つのパターンで、相手の攻撃に対処できる」
「三つ」
「まずは見切り」
一本目の指を折る。
「避けの間合いが完璧に読めるようになり、次の攻撃へ繋ぎやすくなる」
次に二本目。
「予測受け。相手の攻撃の軌道上に盾や剣を置く。そうすることで、相手の武器にダメージを与えたり、相手の手を痺れさせたり、相手の前に出る動きを阻害することができる」
最後に三本目。
「攻撃的受け。相手の攻撃を受ける時に、相手の攻撃してきた腕や足などを攻撃する。受けと攻撃を同時に行う形だ」
「……どれも嫌だな」
「相手にそう思わせるための技だからな」
リアンはそこで小さく頷いた。
「お前は知覚を上げる術を学ぶと聞いた。相性はいいだろう」
「ミラーカの知覚術か」
「そうだ。なお、先読みができるようになると、フェイントも上手くなる」
「どういう理屈だ」
「相手がどこを見て、どこに反応するか分かるからだ。機先を制することができる」
それは確かに強い。
ただでさえ鉄獅子剣術は、相手の優位を崩す剣だ。そこへ先読みが乗れば、やれることはかなり増えるだろう。
「早速やろう」
リアンがそう言うので、俺は防具をつけ直した。頭、胴、腕、脛。木剣とはいえ、リアンの打ち込みは冗談ではない。つけていなければ骨まで響く。
準備が終わると、リアンは木剣を構えた。
「さて。攻撃を読めよ」
次の瞬間、木剣が飛んできた。
速い。
全く読めない。
俺は反射で盾を上げようとしたが、間に合わず肩を打たれた。
「ぐっ」
「遅い」
さらに二撃目。足。三撃目、胴。
痛い。
「しっかり見ろ」
「見てる!」
「見えていない」
言いながら、また打ってくる。
俺は必死に目で追った。振りかぶりはある。腕の動きも見える。だが、それより前の体重移動や姿勢の変化が、まるで読めない。どこから打ち込んでくるのか、直前まで分からないのだ。
そのままボコボコに殴られた。
肩。
脇腹。
太腿。
前腕。
盾越しにも響く。
痛い。
痛いが、ダンピール特有の打たれ強さで何とか耐える。普通の人間なら、とっくに泣きが入っているかもしれない。
「一生懸命読む」
「一点に集中しすぎだ」
リアンが一旦止めた。
俺は肩で息をしながら、木剣を杖代わりにして立つ。
「いいか」
リアンは自分の身体を指差した。
「身体全体を俯瞰で見ろ」
「俯瞰」
「剣先だけ、腕だけ、肩だけを見るな。頭、肩、腰、膝、つま先、全部を見る」
それはかなり難しい。
だが、言いたいことは分かる。俺は攻撃そのものを見ようとしすぎていた。だが、攻撃はそこへ至る前の全身の動きで始まっている。
「わかりやすくいくぞ」
リアンはそう言って、今度はかなりゆっくり動いた。
右足に重心が乗る。
左肩がわずかに落ちる。
手首の角度が変わる。
そこから打ち込み。
「……あ」
今度は見えた。
俺は盾を上げて受けることができた。
木剣同士が当たり、乾いた音が鳴る。
「そうだ」
リアンはすぐに言った。
「これを早くしていく」
そこから段階的に速度が上がった。
最初は何とか受けられる。
だが、少し速くなるだけで急に分からなくなる。見えていたはずの肩の落ち方も、腰の入り方も、ただ速い動きの塊にしか見えなくなる。
それでも何度もやる。
見て、受けて、遅れ、殴られ、また見る。
少しずつだが、体重移動の起点だけは見えるようになってきた。右足に乗ったら左から、腰が沈んだら下から、そういう兆しがわずかに掴める。
「よし」
リアンが言った。
「じゃあ今度は、同じ剣筋にならないようばらけさせて攻撃する」
「さらっと嫌なこと言うな」
だが、返事を待たずに攻撃は来た。
上。
下。
横。
突き。
逆袈裟。
盾で押してからの打ち込み。
いろんな角度から来る。
何十回もやられた。
木剣が兜を叩き、脛を打ち、肩へ当たる。防具があるから致命的ではない。だが普通に痛い。痛いし、悔しい。
それでも、ようやく一回、防御ができた。
「……っし」
思わずそう声が出る。
「遅いが、見えたな」
リアンのその一言が、妙に嬉しい。
そこから先は、また地獄だった。
防げたり防げなかったり。
十回に一回くらいの確率で、何とか止められるようになる。五回に一回くらいになる頃には、肩も腕も痺れてきていた。汗で中着が張り付き、木剣を握る手も少し震える。
横ではサーベルタイガーが、じっとこちらを見ていた。最初は応援しているのかと思ったが、たぶん「また殴られてる」くらいにしか思っていない。
「……ほんと、リアンの修練はきつい」
俺がそうこぼすと、リアンは木剣を下ろした。
「今日の修練は終わる」
「助かった……」
「だが、悪くなかった」
その言葉で、少しだけ疲れが報われる。
リアンは続けた。
「お前は反応でどうにかしようとする癖がある。悪くはない。だが、今の相手には間に合わない。だから先に読む」
「わかった」
「それと、読めるようになると、逆に自分の予備動作も見えてくる」
「自分のか」
「そうだ。相手が読めるということは、自分も読まれるということだ」
なるほど、と思う。
ミラーカの知覚術で感覚を広げ、リアンの先読みで戦いを読む。それが合わされば、ただ強くなるだけでなく、相手に見えない動き方も分かるようになるかもしれない。
「次はもっと速くする」
「今でも十分速いだろ」
「慣れろ」
相変わらず容赦がない。
だが、きついだけでは終わらないのがリアンの修練だ。何が足りないのか、どうすれば届くのか、その道筋はいつも見せてくれる。
俺は防具を外しながら、大きく息を吐いた。
痛い。
疲れた。
腕も肩も重い。
それでも、確かに一歩進んだ感覚はある。
サーベルタイガーが近づいてきて、俺の腕に頭を押しつけた。
「なんだ、慰めてくれるのか」
コレットがちょうど通りかかって、それを見て言う。
「ううん。汗の匂いが好きなんだって」
「そういうことかよ」
リアンが少しだけ口元を緩めた。
その顔を見て、俺も少し笑った。




