第五十六話。
ミラーカの新たな術の修行が始まった。
「この知覚術は、第一段階だけでも絶対必要だから覚えてもらうわ」
応接間ではなく、今日は少し暗めの訓練室だ。窓はなく、ランプの灯りも控えめで、影がよく見える。ミラーカはいつものように余裕のある顔で椅子に腰掛け、俺を正面に立たせている。
「まずは第一段階。オーラを読み取ることを学ぶわ」
「オーラ、か」
なんとなく聞いたことはあるが、実際に見たことはない。少なくとも意識して見たことはない。
ミラーカは指を一本立てた。
「これによって、人間の感情を読み取るだけじゃなくて、相手の素性もわかるようになるの」
「素性?」
「ええ。特に、吸血鬼、吸血鬼を狩る者、吸血鬼の同族狩り、吸血鬼の親殺し、魔法の使用、ワーウルフ、幽霊……この辺りが簡単にわかるようになるわ」
「なにそれ、すごく便利じゃない」
俺が素直にそう言うと、ミラーカは満足そうに笑った。
「でしょう? 鑑定と組み合わせることができたら最強だわね」
それからふと思い出したように言う。
「そういえば、鑑定眼鏡ちょうだい。私、持ってないの。お願い」
「急だな」
「だって便利なんだもの」
「まあ、いいけど」
俺は収納から鑑定眼鏡を出して渡した。ミラーカはそれを受け取ると、思った以上に嬉しそうだった。さっそく目の前でかけてみせる。
「似合うかしら?」
「変に知的になったな」
「変にって何よ」
そんなやり取りをしてから、ミラーカは本題へ戻った。
「第二段階は超感覚。五感を約二倍に増幅することができるわ」
「二倍って、だいぶ危なくないか?」
「使い方を間違えたら危ないわね。でも、できることは一気に広がるわ」
確かにそうだろう。見えるものも、聞こえるものも、匂いも、触感も増えるなら、戦いでも探索でも役に立つ。
「第三段階は第六感」
ミラーカは指をもう一本立てる。
「直感や虫の知らせ、インスピレーションを効果的に得ることができるの。幻覚や幻影、影使いや透明で隠れた者、誰かが隠した物なんかが見つけやすくなったりするわ」
「それも厄介だな……」
「厄介で便利よ」
最後に、四本目。
「第四段階は精神感応。意識の一部を、近くの知性がある程度あるものに飛ばすことで、精神的なつながりを作って、口を出さずに意思を伝えたり、相手の思考を読んだりできるわ」
「相手の思考を?」
「ええ。手に取るように、というほど単純ではないけど、慣れればかなりわかるようになるわ」
それを聞いて、俺は少しだけ黙った。
便利だ。
便利だが、どれも碌でもない。
特に最後は、使い方を間違えると危険すぎる。
ミラーカは俺の顔を見て、楽しそうに言った。
「とまあ、こんな感じだけど、やる?」
俺は頷いた。
「やる」
「よろしい」
ミラーカはそこで立ち上がった。
「まずは、あなた自身の周りにあるオーラを読み取ることから始めましょう」
そこから訓練が始まった。
最初は、何も見えなかった。
自分の腕を見ても、手を見ても、空気しかない。ただ皮膚があり、影があり、灯りがあるだけだ。ミラーカは「ある」と言うが、俺にはそれがどこからどこまでなのか見当もつかない。
「じっと見て」
そう言われて見続ける。
「境界を探すの」
「境界」
「あなたと空気の間。光と影の間。熱と冷たさの間。そういうところにあるわ」
言われるままに色々試す。
目を細めてみる。
焦点をずらしてみる。
横目で見る。
影を背景にしてみる。
だが、なかなか掴めない。
ずっとやっていると、目が疲れてくる。
「……きついな」
そうこぼすと、ミラーカが椅子に腰掛けたまま言った。
「目だけで見ちゃ駄目よ。感覚で感じることが必要なの」
「感覚で見るって、だいぶ無茶を言ってるな」
「できるから言ってるの」
その言い方は、いつも通りで腹が立つような、安心するような微妙な感じだった。
俺は深呼吸して、もう一度やり直した。
見るのではなく、感じる。
自分の体の輪郭を、外から触るみたいに意識する。皮膚のすぐ外に何かがあると仮定する。その厚み、その揺れ、その濃さ。見ようとすると視界だけに寄りすぎるから、逆に少し目を緩めて、皮膚で感じるつもりで。
二時間くらいかかった。
ようやく、それらしいものが見えた。
はっきりした色ではない。だが、自分の輪郭の外に、薄く揺らぐ膜みたいなものがある。空気の歪みとも違う。熱の揺らぎとも違う。少し淡く、少し流れている。
「……これか?」
俺がそう言うと、ミラーカがにやりと笑った。
「見えたわね」
その一言で、確信になる。
オーラだ。
見えた。
自分の外に、確かに何かがある。
それが分かると、次は少し早かった。今度はミラーカのオーラを見ることに集中してみて、と言われる。
だが、他人になるとまた難しい。
自分と違って、感覚の芯がない。距離もあるし、色の乗り方も違う。ミラーカはじっと動かずにいてくれるが、それでも見えたり消えたりする。
一時間以上かかった。
ようやく、ミラーカの周りにも薄いものが見えてくる。
俺のものより色が薄い。
透明に近いが、完全には透明じゃない。どこか冷たく、静かで、それでいて奥の方に濃い色が潜んでいるような感じがした。
「見えた……と思う」
「どんな風?」
「薄い。静か。けど、空っぽじゃない」
ミラーカは満足そうに頷いた。
「最初にしては良いわ」
それから、自分のオーラの一部を少しだけ揺らしてみせる。
「ヴァンパイアは色が薄いの。それを見ることができれば良いわ」
「なるほど」
「気をつけてもらいたいのは、もし黒い縞々が入っているオーラを見たら近づかないこと」
その言葉で、俺は少しだけ真面目な顔になった。
「何だ、それは」
「ヴァンパイアを常習的に殺している人だわ」
「……吸血鬼狩りか」
「ええ。それもただ一度二度じゃない、染みついてる手合い」
それは確かに危険だ。
知っていれば避けられる。知らなければ、近づいて終わりかもしれない。
ミラーカはさらに続ける。
「あと、赤黒い縞々は親殺しのヴァンパイアだわ」
「親殺し」
「積極的に狩る必要があるの」
その声は少し低かった。
普段は軽い調子で話すミラーカだが、そこだけは明確に温度が違った。
「もし見かけたら、長老に連絡しなさい」
「長老ってのは、その街のヴァンパイアの長をしている者のことだったな」
「そう。若くても長老よ。主に世代が一番古くて、人に近い姿のものがなるわ」
「覚えておく」
ミラーカはそこで少しだけ表情を和らげた。
「いい子ね」
「そういう言い方はやめろ」
「事実じゃない」
俺はため息をついたが、内心ではかなりありがたいと思っていた。
知覚術。
これは確かに、鑑定と相性がいい。
見えるものが増えれば、鑑定を飛ばす前に危険が分かる。逆に鑑定をかけた後で、オーラの歪みから本質を補える。今までは情報を「読む」だけだったが、これからは情報を「感じる」こともできるようになる。
それは戦いでも、地上へ戻った後でも、相当大きい。
ミラーカは最後に言った。
「今日はここまで。まずは、自分と私のオーラを安定して見られるようにして。できればアンデルセンとグールも見なさい」
「全部性質が違うってことか」
「違うわよ。アンデルセンはヴァンパイアだけど、私ともまた違う。グールはもっと分かりやすい。見比べると覚えやすいわ」
「なるほどな」
「あと、コレットも見ておきなさい。妖精はまた別系統だから」
やることがまた増えた。
だが、嫌ではなかった。
こうして新しい力を覚えるたびに、自分がこの世界へ根を張っていくような感覚がある。呪われて落ちてきた怪物から、今はもう少し別のものへ変わりつつある。
「明日もやるわよ」
とミラーカが言う。
「わかってる」
俺はそう答えながら、まだ視界の端に揺れているミラーカの薄いオーラを見ていた。
この先、それがもっとはっきり見えるようになったら、世界はまた少し違って見えるのだろう。




