第五十三話。
階段を上がって、十六階に戻ってきた。
十九階、十八階、十七階と潜ってきたあとだと、この十六階の湿った空気と薄暗い迷宮の匂いが、妙に「帰ってきた」という感じを与える。住み慣れたと言うには変だが、少なくとも今の俺にとっては拠点に一番近い場所だ。
俺はとりあえず、近くにいた動く死体を見つけると王命をかけた。
「外周に案内しろ」
死体は一瞬だけ止まり、それからぎこちなく歩き出す。
コレットはその様子を見て、少し目を丸くしただけだった。もっと怯えるかと思っていたので、俺の方が意外に思う。
「おい、あれ、動く死体だぜ」
そう言ってみると、コレットは俺の肩のあたりを飛びながら首を傾げた。
「面白い」
「面白いで済むのか」
「だって、ちゃんと歩いてるし」
「いや、そこじゃないだろ」
だが本当に怖がっている様子はない。十八階でブラキオサウルスやティラノサウルスと話し、ダイアウルフの群れやサーベルタイガーまで連れてきたあとだ。感覚がだいぶ麻痺しているのかもしれない。
俺たちはその死体に導かれて、外周へ入った。
すると、入ってすぐにアンデルセンがやってきた。
相変わらず完璧な燕尾服姿で、どこから現れたのか分からないほど自然にそこにいた。俺の帰還を予測して待っていたのだろう。
「おかえりなさいませ」
深々と頭を下げてから、俺の後ろを見る。
ダイアウルフの長。
サーベルタイガー。
コレット。
さすがに少しだけ間があった。
「……なんですか、それは?」
俺は肩をすくめた。
「なんか懐かれた」
アンデルセンは一拍置いて、静かに微笑んだ。
「流石でございます」
「動じないな、お前」
「もう慣れました」
そう言って、何事もなかったかのように案内を始める。
コレットは興味津々でアンデルセンの周りを飛んでいる。
「あなた、執事?」
「はい、家令を務めております」
「かれい?」
「この家の運営を取り仕切る者でございます」
「すごいね」
「恐れ入ります」
コレットが自己紹介をすると、アンデルセンは笑顔のまま実に丁寧に応対していた。妖精相手でも態度がまったく変わらないあたり、本当にこの男は完成されている。
「皆さんもお呼びしております。今夜、集まるでしょう」
アンデルセンがそう言うので、俺は頷いた。
「コレット、変な連中が今日集まるから紹介するよ」
「楽しみ」
即答だった。
屋敷に着くと、ミラーカが出迎えに出てきた。
俺たちを見るなり、ぱっと笑う。
「また変なの連れてきた」
「お前の基準で変って言われると、だいぶ終わってる気がするな」
「でも本当に変なのよ」
そう言いながら、ミラーカは早速ダイアウルフの長へ近づいた。警戒されるかと思ったが、意外にも長はじっとしている。ミラーカはそれをいいことに、首筋から耳の後ろまで散々撫で回し始めた。
「良い毛並みだわ……」
「おい、最初にそこか」
「だって、すごくいいもの」
ダイアウルフの長は、少しだけ困ったような顔をしていた。だが嫌ではないらしい。コレットが笑いながら言う。
「くすぐったいけど、悪くないって」
「そうか」
そこへアンデルセンがグールたちを何体か呼んだ。
「皆さんのお体を洗ってもよろしいですか?」
ダイアウルフとサーベルタイガー相手にも、まるで貴族への確認みたいに丁寧だ。コレットがそれを通訳すると、二匹は顔を見合わせてから頷いた。するとグールたちが手際よく二匹を連れていく。
「本当に洗われに行ったな」
「意外と素直ね」
「サーベルタイガー、たぶん撫でられるの好きだぞ」
「でしょうね」
その後、俺はミラーカにコレットを紹介した。
「こいつがコレット。解呪持ちだ」
その一言で、ミラーカの目がはっきり変わった。
「本当?」
「本当だ」
「まあ……!」
その喜び方は、あからさますぎるくらいだった。だが同時に、怖さのない喜びでもある。ミラーカはすぐにコレットの前でしゃがみ込み、視線を合わせる。
「よろしくね、コレット」
「うん。よろしく」
コレットも気後れしない。
そのまま俺たちは応接間へ移った。
ミラーカとコレットとで、色々話をする。
俺は今回の探索を一から話した。
レッサードラゴンとの対決。
オセ人の話。
アス人との邂逅。
コレットとの出会い。
ダイアウルフとサーベルタイガーとの出会い。
ブラキオサウルスやティラノサウルスとの会話。
そこまで話すと、ミラーカにめちゃくちゃ笑われた。
「ちょっと待って、ティラノサウルスと普通にお喋りしたの?」
「コレット経由だけどな」
「しかもまた会おうって何よ、それ」
「俺もそう思う」
「ブラキオサウルスに至っては、採掘基地を潰すかって言ったの?」
「本気かどうかは知らん」
「面白すぎるでしょう、それ」
コレットまで一緒になって笑っている。
「すごかったんだよ。ティラノさん、意外と話好きで」
「ティラノさんって呼ぶな」
「だって、優しかったよ」
「優しくはないだろ」
そんなやり取りをしているうちに、コレットとミラーカはすっかり打ち解けてしまった。コレットはどうやら人見知りが全くないらしい。初対面だろうが吸血鬼だろうが、気になれば普通に話しかける。そういう意味では、ミラーカとも相性がいいのかもしれない。
「土産は、みんなが集まってから渡すよ」
「楽しみにしてるわ」
ミラーカは機嫌よく頷いた。
だが、そこで俺は少しだけ不安になる。
コレットは人見知りしない。
ミラーカとも即座に打ち解けた。
だが、残りの連中はどうだろうか。アドールはともかく、カダスは気まぐれだし、リアンは人見知りというより無口だ。うまくいけばいいが、と思っているうちに夜になった。
みんなが集まってくる。
アドールとカダスはすぐに応接間へ入ってきた。
アドールはいつもの不機嫌そうな顔で、だがこちらを見た瞬間に少しだけ目の光が強くなる。
「戻ったか」
「ああ」
「その妖精が件の解呪持ちか」
「そうだ」
「ふむ」
カダスはもっとあっさりしている。
「お、ちっこいの増えてる」
「コレットだ」
「よろしくー」
コレットはすぐに手を振った。
「よろしく!」
カダスはそれを見て、喉の奥で笑った。
だが、リアンがなかなか入ってこない。
「どうしたんだ?」
俺が聞くと、アンデルセンが少しだけ口元を緩めた。
「どうやら、あのサーベルタイガーをたいそう気に入ったらしく、ずっと餌付けしておられるようで」
それを聞いて、俺は吹き出してしまった。
「リアンが?」
「はい」
「想像つかないな」
「ですが事実でございます」
コレットも目を丸くしている。
「リアンって、あのかっこいい鎧の人?」
「そうだ」
「サーベルタイガーに餌あげてるの?」
「らしい」
「ふふっ」
少しして、ようやくリアンが来た。
いつも通り無表情に近い顔をしている。だが、ほんの少しだけ機嫌が良さそうに見えるのは、たぶん気のせいではない。
「あのサーベルタイガーを飼いたい」
席に着くなり、いきなりそう言った。
「早いな」
「駄目か」
「本人が良ければ、後で連れてっていいよ」
そう言うと、リアンはわずかに目を見開いた。
「……本当か」
「コレットが話してること分かるしな」
「なるほど」
リアンはそこで初めてコレットをまともに見た。
「お前、獣と話せるのか」
「うん」
「……便利だな」
「でしょ?」
コレットは得意げだ。
みんなが集まったため、俺は改めて今回の探索について話した。
レッサードラゴン。
ブラキオサウルス。
ティラノサウルス。
オセ人とアス人。
コレットの解呪。
すると、みんなが食いついたのは案の定そこだった。
「ドラゴンの血はどうだった?」
「濃かった。かなり効いた」
「ブラキオサウルス、私も会ってみたいわ」
「ティラノサウルスと会話って、どういう気分なんだ?」
「怖かったけど、面白かった」
「呪いを解いたら行こうぜ」
そう言うと、カダスもミラーカもアドールも、妙に本気で頷いていた。リアンですら少し興味があるような顔をしている。
「……本当に行く気か」
「当然でしょう」
「面白そうだ」
「素材も多い」
「強い獣もいる」
理由はそれぞれだが、止めても無駄そうだった。
そこで俺は、本題を切り出した。
「コレットが、魔法を教えてもらいたいって言ってるんだけど」
その瞬間、アドールが即座に言った。
「ワシが教える」
「早いな」
「当然だ。魔法の素質があり、学ぶ気があり、しかも解呪持ちだ。逃がす理由がどこにある」
コレットは少し驚いたように羽を震わせたが、すぐに嬉しそうになった。
「ほんと?」
「ほんとだ。だが厳しいぞ」
「がんばる!」
「あと」
俺は続ける。
「解呪のことも、あんまり良くわかっていないみたいなんだけど、教えられる?」
すると、アドールは胸を張った。
「任せろ」
本当に頼もしい。
そこでミラーカが、少し身を乗り出した。
「じゃあ、コレットにお願いしたいことがあるんだけど」
コレットがくるりと向きを変える。
「なあに?」
ミラーカは珍しく、あまり茶化さない顔で言った。
「私たち五人は呪われてるの。あなたは解く力を持ってるの。やってくれるかな?」
コレットは一度俺を見る。
「クレイヴも?」
「そうだ」
俺が答えると、コレットは迷わなかった。
「やる」
その一言に、部屋の空気が少しだけ変わった。
重さではない。
ようやく、長く引きずってきたものに手をかけられるという期待だ。
ミラーカは静かに笑った。
「ありがとう」
アドールは腕を組み直し、カダスは低く笑い、リアンは小さく頷いた。
俺はその場で、ようやく少しだけ肩の力を抜いた。




