第五十話。
俺はまたいっぱい殺してしまったなあ、と思いながら歩いていた。
オセ人の兵隊も、砦の連中も、あの槍使いも。必要だったとは思う。思うが、それでも数だけ見れば随分なものだ。前世でも戦場で人は殺したし、王になってからも手を汚さずには済まなかった。だから今さら殊勝に震えるつもりはない。だが、まったく何も感じないわけでもない。
ただ、それを噛み締めて立ち止まるほど、今の俺には暇がなかった。
コレットは十八階の寒さに負けて、ずっとマントの中に隠れている。フードの奥から時々顔だけ出して、周囲をきょろきょろ見ているが、羽を広げて飛ぶ気には到底ならないようだ。
「さむい……」
「だろうな」
「クレイヴ、よく平気だね」
「平気じゃない。マントと血と根性で誤魔化してる」
「根性って便利なの?」
「便利だ」
そう答えながら、俺は雪原を進んだ。
本当はダイアウルフに変身したい。雪の上を歩くにはあれが一番楽だ。だが今は方位磁針も占術もこまめに使いたいし、コレットも連れている。だから人の姿のまま、稲妻の足を使いながら、前に泊まった洞窟に向かった。
時々センスライフを使う。
寒さで反応が薄く感じられるが、それでも生き物の位置は拾える。雪と岩の陰、木立の向こう、尾根の上。大きな獣も小さな獲物も、それぞれに違う鼓動を持っている。
その時、前方からまとまった反応が来た。
ダイアウルフの群れだ。
五頭、いや六頭。
こちらに気づいている。
まっすぐ向かってくる。
「またか」
俺は立ち止まり、恐怖の睨視を使った。
視線を通す。
怯えろ。
止まれ。
歯向かうな。
群れはぴたりと止まり、次の瞬間にはみんな伏せていた。耳を倒し、尾を下げ、雪に鼻先をこすりつけるようにしている。
「……効きすぎじゃないか」
俺がそう言うと、フードの中のコレットが耳を澄ませるように顔を出した。
「くぅーんって言ってる」
「何て?」
「ごめんなさい、なんでもするから殺さないで、だって」
俺は思わずコレットの方を見た。
「お前、言葉が分かるのか?」
「昔から動物の言葉が分かるの」
「妖精ってそんなことまでできるのか」
「できる子はできるの」
得意げに胸を張る気配が、フードの中から伝わってきた。
便利すぎる。
「なら」
俺はダイアウルフたちを見た。
「俺を守りながら進め」
コレットがそのまま言葉を伝える。
ダイアウルフたちはすぐに頭を下げた。
どうやら従うらしい。
「……じゃあまず、報酬だ」
俺は収納からマンモスの肉を取り出した。
塊のまま雪の上へ置くと、ダイアウルフたちは一瞬だけこちらを見てから、恐る恐る食べ始めた。やがて安全だと分かると、みんな喜んで肉を食い、尾を振る。大きな狼が雪の中で肉を頬張りながらしっぽを振るのは、ちょっと面白い。
そのまま洞窟に着く。
前にも使った、あの大きな熊を倒した場所だ。風を避けられるし、火も焚ける。何より内部の構造を知っているのが大きい。
俺は中に入ると、枝をまとめ、火を起こした。
ダイアウルフたちもぞろぞろ入ってくる。思ったより行儀がいい。勝手に奥へ散らばるのではなく、入口寄りと壁際に固まって座った。
「お前ら、ちゃんと躾けられてんのか」
コレットがまた聞き取る。
「偉いので、って言ってる」
「そうか」
俺は笑ってしまった。
そのまま精霊たちも呼び出す。
フェンリス。
ルナ。
キマイラ。
ハヤブサ。
キツネ。
チーター。
フクロウ。
いつものように現れた精霊たちを見て、コレットが目を丸くした。
「え、え、なにこれ、精霊?」
「そうだ」
「こんなに?」
「こんなにだ」
コレットはしばらく固まっていたが、すぐに興味が勝ったらしい。恐る恐る近づき、何か話しかけている。するとキツネが尻尾を振り、キマイラが鼻先を寄せ、ルナが近くへ漂った。
「……仲良くなってるな」
「コレット、かわいいもん」
「自分で言うな」
肉を切り分けて、ダイアウルフたちと精霊たちに振る舞う。みんな喜んで食べている。フェンリスは相変わらず落ち着いていて、他のダイアウルフたちを横目で見ながら静かに肉を噛んでいた。
そこで俺もダイアウルフになった。
この姿ならフェンリスとも、群れとも直接話せる。
「上の階を目指してる」
俺はフェンリスと群れの長に向かって言った。
「そこの階段まで、一緒についてきてほしい」
フェンリスは金の目を細める。
「良い」
それから、ダイアウルフたちへ低く言った。
「しっかり守れ」
群れの長は、その場で深く頭を垂れた。
「承知した」
直接言葉が通じるのはやはり便利だ。コレットを介するのも悪くないが、微妙なニュアンスまでは難しい。ダイアウルフの言葉は単純だが、その分率直で分かりやすい。
夜になる。
見張りしてますよ、とダイアウルフたちが言うので、俺は眠ることにした。
かなり魔力を使っていたので、ドラゴンの血を少し飲み、精神力を回復させてから横になる。冷えた洞窟の中だが、火とマントと毛皮の塊みたいなダイアウルフたちがいるおかげで、思ったより寒くない。
しばらくして、コレットに起こされた。
「クレイヴ、起きて」
「……何だ」
「ダイアウルフたち、お腹減ったって言ってる」
「もうか」
「いっぱい動いたから、だって」
仕方ないので肉を与える。さっきのマンモスの残りと、熊の残り、ついでにいくつかの保存食も出す。ダイアウルフたちは喜んで食い、また満足そうに伏せた。
洞窟を出て、俺たちはまた歩き始めた。
ダイアウルフたちは途中で、ちょっと行ってきますよ、と言って散っていった。狩りか偵察かと思っていたら、しばらくしてとんでもないものを連れて戻ってきた。
でっかいサーベルタイガーだ。
雪原に生きる大型の猫科獣。肩幅も牙も立派で、本来ならこっちが警戒する側のはずだ。だが今は、すっかり怯えている。耳を伏せ、尾を丸め、ダイアウルフたちに挟まれてしょんぼりしていた。
「……何これ」
コレットが耳を澄ませてから、吹き出した。
「これに乗ってください、って言ってる」
「は?」
群れの長が当然のように頷く。
「足が速い。雪にも強い。主に相応しい」
俺は思わず笑ってしまった。
「お前ら、そういう発想になるのか」
コレットがサーベルタイガーの横へ飛んでいき、何か話し始める。しばらくして戻ってきた。
「殺さないことと、十七階への階段まで行ったら逃がすことを約束したら、大人しくするって」
「交渉成立してるな……」
俺はサーベルタイガーに近づいた。
牙は大きいが、目は完全に困っている。
「悪いな」
そう言って背に乗ると、思った以上に安定感があった。馬より低く、狼よりしなやかで、雪の上を滑るように進めそうだ。
「行くぞ」
そう言うと、サーベルタイガーはおそるおそる歩き出した。最初はぎこちなかったが、しばらくすると諦めたのか、普通に速くなる。ダイアウルフたちも周りを囲むように走る。
妙な一団だった。
途中でマンモスが出たが、こちらの気配を見て逃げていった。ダイアウルフの群れも別の群れに遭遇したが、向こうが目を逸らして去っていく。俺がダイアウルフの群れを従えてサーベルタイガーに乗っているのだから、そりゃあ関わりたくもないだろう。
俺は休憩ごとに占術を行って、階段の方向を確かめて進んだ。
西寄りに曲がり、南へ少し下り、また西へ。十八階は雪と岩の地形のせいで見通しが悪い。占術と方位磁針がなければ、たぶん何度も迷っていた。
休憩ごとに肉も与える。
ダイアウルフたちにも。
サーベルタイガーにも。
ついでにコレットにも、干した果物を少しやる。
そうしているうちに、みんな妙に懐いてしまった。
特にサーベルタイガーがひどい。
最初は怯えていたくせに、休憩のたびに俺へ全身を擦りつけてくる。頭を押しつけ、肩へ頬をこすりつけ、明らかに「撫でて」という態度だ。
「困るんだが……」
「撫でてほしいんだって」
「見れば分かる」
「撫でてあげなよ」
「お前も乗ってる時に揺れるだろう」
「でもかわいいよ?」
「……まあ、そうだな」
結局撫でる。
するとゴロゴロと喉を鳴らす。でかい音だ。サーベルタイガーの喉鳴りは、ちょっとした地鳴りみたいだった。
夜に近くなった頃、ようやく階段へ着いた。
雪原の奥、岩壁に半ば埋もれるように口を開けた階段だ。占術がなければ見つけにくい場所だった。
「着いたぞ」
俺がそう言うと、群れの長が前に出た。
「私も着いていく」
「駄目だ」
「守る」
「階段の向こうはお前らの縄張りじゃない」
だが、言うことを聞かない。
サーベルタイガーも耳を伏せたまま「私も」と言っているらしい。コレットが困ったように通訳してくる。
「……本気か」
「本気みたい」
俺は少し考えた。
全部連れていくのは無理だ。十七階にはレッサードラゴンがいるし、上空には翼竜もいる。大所帯ではかえって危ない。
「群れの長だけだ。あとは解散」
それが妥協点だった。
ダイアウルフたちは少し不満そうだったが、長がそれで良いと言うと従った。サーベルタイガーは当然のように残る。もう俺の横を離れる気がないらしい。
「お前、ほんとに来るのか」
撫でながら言うと、サーベルタイガーは得意げに胸を張った。
そのまま、十七階へ上がる。
レッサードラゴンはまだ再登場していなかった。
ボス部屋は静かだ。巨大な死骸を持ち帰ってから、まだ迷宮は新しい個体を補充できていないらしい。ありがたい。
「今日はここで寝るか」
俺はそう決めた。
ドラゴンのいない十七階のボス部屋は、妙に広くて静かだった。サーベルタイガーが丸まり、ダイアウルフの長が入口寄りに伏せ、コレットは俺のマントの中へ潜り込む。
俺はその光景を見て、思わず少し笑った。
一年前、こんな旅になるとは思ってもみなかった。




