第四十八話。
お友達は、妖精が一人、アス人の子供が一人。
コレットがそう言った時、長老の家の中は急に静かになった。
「オセ人の兵士に捕まって、連れていかれたの」
コレットの声は震えていた。普段はよく飛び回って、思ったことをそのまま口にするような気質なのだろう。だが今は、その小さな羽まで元気をなくしているのが分かる。
長老の家にいた若者たちも顔を曇らせた。
「まだ近くにある基地にいるんじゃないか」
「連れていって、すぐどうこうするわけでもないだろう」
「子供なら、まだ生きてるはずだ」
そんな声が上がる。
その中で、一人の若いアス人が前に出た。体つきはまだ戦士というより狩人見習いに近いが、目つきは強い。
「俺が案内する」
そいつはそう言った。
「名は?」
「ダスフ」
四つの目が、真っ直ぐこちらを見ている。
俺は少し考えてから言った。
「まずは下見だ。場所と人数を見てから動く」
「分かった。案内する」
ダスフは即答した。
すると、横からコレットが飛び出してくる。
「私もついていく!」
「駄目だ」
俺はすぐに言った。
「でも、あの子たち……」
「分かってる。でも今は居てくれ。お前が一緒に来ると、隠れきれない可能性がある」
コレットは唇をきゅっと結んだ。
不満そうだが、完全に分かっていないわけではないらしい。しばらく俺を睨むように見ていたが、やがて羽を落として小さく頷いた。
「……絶対、助けてね」
「助けるために行く」
そう答えると、コレットは少しだけ安心したようだった。
夕方になった。
十九階の空は、十八階の極寒地帯とも、十七階の原始の森とも違う色に染まっていく。薄い青と灰の空気が落ち着き、建物の影が長く伸びる時間だ。
俺はダスフと二人で集落を出た。
道すがら、ダスフは色々話した。
基地はそう遠くないこと。
オセ人たちは最近、何度もこの辺りをうろついていること。
できれば捕まった二人を助けるだけでなく、基地そのものも壊してほしいこと。
「……欲張るな」
俺がそう言うと、ダスフは少し気まずそうにしながらも言った。
「でも、あそこがあると、また来る」
その言葉には一理あった。
ただ、人質の救出と基地破壊を同時にやるのは難しい。欲張って両方失敗するのが一番まずい。
「まずは見る」
俺はそれだけ言った。
ダスフはそれ以上強くは言わなかった。
代わりに、今度は地上の話を聞いてきた。
「上は本当に空があるのか?」
「二眼人はみんな魔法を使えるのか?」
「海ってどれくらい大きい?」
聞かれるままに、俺は簡単に答えた。
空のこと。
街のこと。
王都のこと。
地上の季節のこと。
ダスフは歩きながら、何度も驚いたように目を瞬かせた。四つも目があると、その反応が少し忙しない。
やがて、基地が見えてきた。
砦だ。
十八階で見たものよりもずっとしっかりした造りをしている。壁は木と石を組み合わせ、見張り櫓があり、兵舎らしき建物と倉庫がいくつか並んでいた。外に火は少ないが、人の出入りがある気配は濃い。
「ここだ」
ダスフが低く言う。
俺は少し離れた岩陰で足を止めた。
「下見してくる」
「気をつけろ」
「お前はここで待て。絶対に出るな」
そう言ってから、俺は大フクロウに変身した。
翼が広がる。
フクロウの体は視界が広い。しかも夜目が利く。こういう偵察にはちょうど良い。
俺は音もなく飛び上がった。
基地の上空を回る。
見張り櫓。
兵舎。
倉庫。
柵の高さ。
内側の火の配置。
ひとつずつ見る。
それから高度を落とし、建物の隙間を飛ぶ。センスライフも使う。
大人の反応が多い。兵舎には怪我人も寝ているらしい。だが、その中に小さい反応が二つ混じっていた。
「……いた」
子供サイズが二人分。
兵舎の一角だ。
俺はそのまま兵舎の裏へ回り、人間に戻った。影を纏い、忍びを重ねる。中に入り込めるか試すためだ。
扉の隙間、壁の隙間、窓の薄い影。
そのどれかから入れる。
影になってするりと滑り込み、中を覗く。
兵舎の中には怪我人たちが寝ていた。包帯を巻いたオセ人たちが、酒と血の臭いの中で眠っている。その奥、簡素な仕切りの向こうに、小さな影が二つあった。
アス人の子供。
そして妖精。
縛られている。
「今、助けられるか……?」
一瞬、そう思った。
実際、やれなくはない。今なら眠っている兵士も多い。影使いとスリープをうまく使えば、そのまま抱えて抜けることもできるかもしれない。
だが、ダスフを外に一人残している。
基地の構造もまだ全部は見きれていない。
「……一回戻る」
俺は判断した。
外へ出て、ダスフのいる岩陰へ戻る。
「どうだった」
ダスフがすぐに聞く。
「いた。兵舎の中だ」
その瞬間、ダスフの顔が強張った。
「助けるのか」
「行ってくる」
俺は短く言った。
「お前は隠れていろ。すぐ戻る」
ダスフは何か言いかけたが、結局黙って頷いた。
俺はもう一度、大フクロウに変じた。
今度は救出だ。
砦内へ入る。
上空からではなく、少し離れた場所へ降り、そこから影を纏って歩く。フクロウの術とキツネの隠惑を重ね、倉庫の近くまで忍んだ。
「まず、目を逸らす」
俺はファイアボールを小さくまとめた。
倉庫の壁へ。
投げる。
乾いた木材が弾け、火が走る。消えにくい火だ。瞬く間に倉庫の角が赤く染まり、煙が上がった。
「火事だ!」
「倉庫だ!」
「起きろ!」
砦の中が一気に騒がしくなる。
兵たちが飛び起き、倉庫の消火へ走る。見張り台の者も視線をそちらへ向けた。
その隙だ。
俺は兵舎へ忍び込んだ。
中の怪我人たちも半分起きているが、まだ状況を呑み込めていない。俺は奥へ一直線に進む。
いた。
アス人の子供は、まだ幼い。震えている。
妖精の方は、見た瞬間にこちらへ気づいた。
「助けに来た」
俺が小さく言うと、妖精は泣きそうな顔で何度も頷いた。
縛りを切る。
子供も妖精も抱える。
そのまま兵舎の裏へ抜けようとしたが、外に兵が動き始めている。正面は駄目だ。
俺はその場で向きを変え、砦の壁へファイアボールを叩き込んだ。
木と石を無理に組んだ壁が弾ける。
一人と一匹を抱えたまま、その穴から外へ飛び出した。
「行くぞ!」
後ろで誰かが叫んでいる。
だが、追う手が少ない。ほとんどが倉庫の火へ向かっているからだ。
俺はダスフのところまで一直線に走った。
岩陰へ飛び込む。
ダスフが目を見開く。
「本当に助けた……!」
「先に戻ってろ」
そう言いながら二人を押し出す。
だが、俺はそこで止まらなかった。
「まだ行くのか!?」
ダスフが驚く。
「基地も壊すんだろ」
俺は振り返りもせず言った。
もう一度戻る。
砦の中は、さらに混乱していた。
倉庫の火は勢いを増している。消火に人手を取られている今なら、他にも火を回せる。
俺は影に紛れながら、砦のあちこちへファイアボールを撃ち込んだ。
兵舎の屋根。
柵の根元。
空き小屋。
見張り櫓の脚。
ひとつひとつに火が移る。
やがて炎は繋がり、砦全体が燃え始めた。
「逃げろ!」
「崩れるぞ!」
「水を持ってこい!」
オセ人たちはもう消火どころではない。火勢に押され、次々に砦の外へ逃げ出していく。
「これなら十分だな」
俺はそこで離脱した。
戻ると、ダスフたちは逃げずにまだ隠れていた。
「おい!」
思わず言う。
「なんで残ってる!」
「お前を置いていけるか!」
ダスフが怒鳴り返す。
「馬鹿か!」
言い合っている暇はない。
俺はアス人の子供を背負い、妖精をダスフへ押し付ける。
「走るぞ!」
四人で夜の雪原を駆けた。
後ろでは砦が勢いよく燃えている。火は暗い夜にやたらと目立つ。逃げたオセ人たちの何人かがこちらに気づき、追ってきた。
「いたぞ!」
「そっちだ!」
面倒だが、相手をするしかない。
俺は振り返りざまにライトニングを撃ち込んだ。
雷が雪原を裂く。
オセ人たちはたまらず散る。完全に倒しきる必要はない。ただ、追う気を削げばいい。実際、それで十分だったらしい。奴らはそれ以上深追いせず、砦の方へ戻っていった。
そのまま、俺たちは夜通し走った。
途中で何度か立ち止まり、子供の様子を見て、妖精へ水を飲ませ、また走る。ダスフもかなりきつそうだったが、文句は言わなかった。
ようやく集落へ戻った時には、空が少し白み始めていた。
見張りが俺たちに気づき、すぐに中へ声をかける。
「戻った!」
「助かったぞ!」
集落の中から、人々が一気に出てきた。
長老も、コレットも、妖精たちも、女たちも子供たちも。
コレットは真っ先に飛び出してきて、助け出した妖精へ抱きついた。
「よかった……!」
「コレットぇ……!」
アス人の子供の方も、家族らしい者たちに抱きしめられて泣いている。
ダスフが息を切らしながら言う。
「基地も壊してきた」
その一言で、場の空気が爆発した。
歓声。
拍手。
叫び声。
みなが本気で喜んでいる。
俺はその様子を見ながら、ようやく大きく息を吐いた。
無事に連れ帰れた。




