第四十五話。
俺は占術の通り、西に進んだ。
狼になるのは楽だ。雪原を駆けるのにも向いているし、足場が悪くても四足ならほとんど苦にならない。だが今は方位磁針を使いたいし、何より不意に魔法が必要になる可能性がある。だから人間の姿のまま進むことにした。
西へ向かう間、何度かモンスターに遭遇した。
雪原を這う巨大な白蛇、氷を纏った鹿のような獣、群れで襲ってくる毛むくじゃらの猿に似た何か。どれもこの階らしく、寒さと獰猛さをそのまま形にしたような連中だった。だが、一年修行した俺にとっては、もはや脅威というより面倒な障害物に近い。
センスライフで先に察知し、近づいてきたらダズリングで隙を作り、鉄獅子剣で仕留める。
時にはライトニングで一気に決め、時にはスリープを挟み、時には影になってやり過ごした。
そうして進んでいくうちに、小高い丘に出た。
雪を踏みしめながらそこを登りきる。
すると下に、動くものの群れが見えた。
最初はモンスターの群れかと思った。
だが違う。
甲冑姿の人間らしき者たちが、マンモスと戦っていた。
「……人?」
思わず小さく呟く。
望遠の術を使う前に、まず鑑定を飛ばす。
すると表示されたのは、オセ人、だった。
「オセ人……?」
アークスロット人みたいな、この階の原住民なのか、と俺は思う。
よく見ると、文明はそこそこ発達しているらしい。武器は石と金属を組み合わせたようなものだが、形は洗練されている。甲冑も毛皮だけではなく、骨片や鱗のような素材を組み込んで補強してある。
だが、一番目を引いたのは兜だった。
形が変わっている。
人の兜のようでいて、どこか膨らみ方が違う。
俺は望遠の術を重ねて、さらに細かく見る。
「……ああ」
思わず納得する。
目の上に、さらに二つの目があった。
つまり四つ目だ。
兜もその構造に合わせて作られているのだろう。人間に近い体格をしているが、顔の上半分の造りが違う。
下では、マンモスが果敢に戦っていた。
巨大な牙を振り回し、踏み潰そうとし、鼻で戦士を薙ごうとする。だがオセ人たちも強い。四つの目で死角を減らし、連携して回り込み、槍を脚へ、脇腹へ、喉元へと突き立てていく。
「強いな……」
やがて戦いは、オセ人たちが一方的に押す展開になった。
最後は一人が気を引き、別の者が側面から飛び込み、さらに後ろから喉元へ槍を通す。マンモスは大きく揺れ、そのまま雪原へ膝をついた。
勝ったのはオセ人たちだった。
その後の動きも手慣れていた。
すぐに解体が始まる。
肉を切り分け、骨を外し、皮を剥ぎ、運びやすいようまとめていく。俺は影に隠れながら、その様子をじっと見ていた。彼らの刃物の使い方は粗くない。道具もきちんとしている。
「文明があるな」
そう思う。
単なる狩猟民ではない。共同体としての技術がある。
やがて、解体はひと段落したらしい。全部は持ちきれなかったのか、それとも後でまた回収に来るのか、肉の一部と骨のほとんどを残してオセ人たちは去っていった。
俺は少し待ってから下へ降りた。
残ったマンモスの血を吸い取る。
冷えているが、量が多い。これだけでもかなり回復する。それから肉と骨を収納へ入れた。精霊たちが喜びそうだし、アドールも何かに使うかもしれない。
そのまま俺は影を纏い、忍びながらオセ人たちの後をつけた。
足跡は雪の上にくっきり残っている。彼らは隠すつもりもないらしい。集団で獲物を持ち帰るのだから当然かもしれない。
やがて辿り着いたのは、集落だった。
木と石と骨で作られた建物が並び、雪の中でもきちんと区画が分かれている。柵もあり、火を焚く広場もある。女性がいて、子供がいて、帰ってきた戦士たちを喜んで迎えていた。肉を抱えて戻ってきた男たちに駆け寄る子供の姿まで見える。
「……普通に暮らしてるな」
それが逆に困った。
こんな人たちがいるなんて、俺は十八階十九階まで行った前世の仲間から聞いていなかったし、俺の小説ではただ一行、「十九階を踏破した」としか書いていない。
どう扱っていいのか分からない。
敵なのか。
関わるべきなのか。
避けるべきなのか。
少なくとも、いきなり壊すべき相手ではない気がした。
「……とりあえず、スルーか」
俺はそう思って一度離れようとした。
だが念のために占術をすると、妙な結果が出た。
十九階への階段は、この集落にある。
「は?」
思わず声が漏れそうになる。
もう一度占う。
結果は同じだった。
どうやら、ここを通らなければ十九階へは下りられないらしい。
「……面倒だな」
だが、やるしかない。
俺は夜まで待つことにした。
集落の外れ、雪と岩の陰に潜み、フクロウの眼で全体の動きを見守る。日が落ちるにつれ、集落の火が増え、やがて一つずつ消えていく。完全に寝静まるまで、俺はじっと待った。
夜になった。
明かりが消え、外の動きも少なくなる。
俺は集落に潜入した。
番兵たちが見回っている。四つ目だから油断できない。正面だけでなく、微妙に横や上も見ている気配がある。
俺は影になり、集落の中を移動した。
建物の影。
柵の下。
雪の落ちた暗がり。
そういう場所だけを選んで進む。
だが、階段がどこにあるのか分からない。建物の中なのか、それとも外なのか。占術は「この集落」としか教えてくれない。
「……誰かに聞くしかないか」
そこで俺は、番兵の一人を狙うことにした。
見回りの周期を読み、仲間から一瞬だけ離れる男を選ぶ。影のままその背後へ回り、スリープをかける。
男はその場で崩れた。
俺はそいつを影の濃い場所まで引きずっていく。兜を外すと、顔立ちはやはり人に近いが、目が四つある分、表情の出方が違う。上の二つは閉じていて、下の二つだけがゆっくり開いた。
そのまま起こしながら、魅了をかけた。
目を見せる。
声を低くする。
畏怖と親和を混ぜる。
男の目の焦点が少し揺れた。
何か話し始める。
だが言葉が分からない。
「そうか、これか」
俺はすぐにトランスレイトの魔法を使った。
言葉の輪郭が頭の中で揃い始める。
「困った事があるので教えてもらいたい」
俺がそう言うと、男は素直に頷いた。
「何を知りたい」
「下に向かう階段だ。どこにある」
男は少しぼんやりした顔のまま答えた。
「崖沿いにある扉の中だ」
「守りは?」
「四人の兵が守っている」
そこまで聞いて、俺はさらに質問した。
「お前たちは何者だ」
男は答える。
「オセ人だ。下の階の住民だ」
「下の階?」
「この階を植民地にするために上がってきた。開発し、狩り、広げるために」
「植民地……」
思わず繰り返す。
ということは、十八階のこの集落自体が前線基地なのか。下の階に本拠地があり、そこからここへ進出している。面白い情報だが、今は深入りする時間ではない。
「ありがとう」
俺はそう言った。
「これはお前の夢の中だぞ」
念押しするようにそう囁き、もう一度スリープをかける。男はそのまま意識を失った。
俺はまた影になり、忍びながら進んだ。
崖沿い。
雪と岩の壁が近い方角へ寄っていくと、確かに人工的な扉があった。壁に無理やり付けたような、石と木を組み合わせた粗い扉だ。その前に兵が四人並んでいる。
「ここか」
まともに相手をするのは面倒だ。
俺は周囲をよく見る。
扉の作りが雑だ。無理やり付けた感じで、下に隙間がある。
「なら……」
影のまま進む。
兵たちの足元の死角を選び、扉の下の隙間をするりと抜ける。影だからこそできる動きだ。人間のままなら絶対に無理だった。
階段室へ入る。
静かだ。
そして、ここにはボスがいなかった。
少し拍子抜けする。
だが、ありがたい。
「十九階はどんな感じなんだろうな」
そう思いながら、俺は階段を降りていった。
雪の世界のさらに下。
そこには、またまったく別の景色が待っているはずだった。




