第四十三話。
十六階を出て、俺は十七階へ下りた。
今回の探索では、十七階でいちいち戦わないと最初から決めていた。目的は肉でも宝箱でもない。解呪に繋がる手がかりを得るため、もっと下へ向かうこと。それが一番大事だ。無駄な戦いで消耗している場合ではない。
階段を下りきった瞬間、湿った空気と草木の匂いが押し寄せてくる。原始の森と平原が広がる十七階は、相変わらず地下迷宮とは思えない風景だった。だが感心している暇はない。
俺はすぐにプテラノドンへ変身した。
今の俺は、もう自分の三倍程度までなら変身できる。以前はディモルフォドン程度が限界だったが、キマイラの変身の術もだいぶ熟れてきた。大きな翼が背から広がり、首が伸び、骨の軽さと風を掴む感覚が一気に身体へ流れ込む。
「よし……」
一度だけ大きく翼を打つ。
地面が遠ざかる。
飛び立ってすぐ下を見ると、案の定ラプターの群れがいた。降りたまま歩いていたら、まず間違いなく戦闘になっていただろう。判断は正しかった。
そのままボス部屋であるピラミッドへ向かう。
十七階の空は広い。だが広いからこそ、飛ぶものの縄張りもはっきりしている。途中でプテラノドンの群れがこちらに気づいて追ってきた。甲高い鳴き声を上げながら、横合いから滑り込んでくる。
「面倒だな……」
だが、ここで相手をするつもりはない。
稲妻の足をかける。
プテラノドンの体で使うと、風そのものを踏みしめるような感覚があった。速度が一段上がる。翼の一打ちごとの伸びが違う。追ってくる群れとの距離が、みるみる開いていった。
やがてピラミッドが見えてくる。
巨大だ。
何度見ても、迷宮の地下にある建造物とは思えない。古い石で積み上げられた層が空へ向かってそびえ、その頂上付近に暗い開口部が口を開けている。
だが、今日はピラミッドそのものより、その周囲がまずかった。
ピラミッドの前を飛んでいるのは、ケツァルコアトルだ。
でかい。大きいどころではない。空を横切る影だけで緊張が走る。その横にはアルゲンタヴィスも飛んでいた。巨大な猛禽。どちらも、今の俺が真っ向からやり合っていい相手ではない。
「上にも防御があるのか……」
思わずそう呟く。
前世ではここまで上空警戒が濃かった記憶は薄い。時代が変わったのか、迷宮そのものが変質したのか。いずれにせよ、頂上から侵入する算段は危険だ。
それでも一度は上を目指し、稲妻の足でそいつらを追い越す。だが、ケツァルコアトルもアルゲンタヴィスもすぐに反応した。こちらを敵と認識したらしい。
「……駄目だな」
俺はすぐに判断を変えた。
ピラミッド上からの侵入は諦める。
高度を落とし、地上へ降りる。着地の直前で人間の姿へ戻り、さらに影そのものへ変化した。地面の暗がりと一体になり、そのままするりとピラミッドの扉前まで滑り込む。
上空では、ケツァルコアトルとアルゲンタヴィスがしばらく旋回していたが、俺を見失ったらしい。やがて諦めたように飛び去っていった。
「助かった……」
俺はすぐに扉を調べる。
罠がある。
古いがまだ生きている。鍵もかかっていた。アンデルセンから叩き込まれた罠と鍵開けの知識が、こんなところで活きるとは思わなかった。針、糸、魔力の薄い流れ。ひとつずつ潰し、鍵を外し、扉を開ける。
中へ侵入する。
前にはドラゴン……レッサードラゴンが鎮座していた。
大きい。
本物の竜種に比べれば小型なのだろう。だが、人間目線では十分すぎる怪物だ。硬い鱗、長い首、太い尾。閉じたままでも熱を漏らしているような口元。あれがブレスを吐けば、まともに受けた時点で終わる。
俺はレッサードラゴンの射程ギリギリで影になった。
影使いの第四段階。まだ長くは保てないが、こういう一瞬には使える。
フクロウの術。
キツネの隠惑。
忍び。
その全部を重ねて、ドラゴンの背後にある階段へ向かう。
レッサードラゴンはじっとしていた。眠っているわけではない。こちらの存在をうっすら感じているような、あの大型捕食者特有の気配がある。だが決定的には捉えきれない。その隙を縫い、俺はドラゴンをすり抜けて階段へ到達した。
「……よし」
そう思った瞬間、足が止まる。
階段が途中で途切れていた。
「は?」
下へ続くはずの石段が、途中から崩落ではなく、最初からそうであったかのように消えている。これは偶然ではない。
どうやら、ドラゴンを倒さなければ下へ降りられない仕組みらしい。
「そういうことかよ……」
小説にはここまで書いていなかった。だから、今さら文句を言っても仕方がない。
俺はまたドラゴンの射程外まで出た。
正面からやるしかない。
だが、正面からやるにしても、やり方はある。
俺は自分に次々と術を重ねる。
ヘイスト。
マジックシールド。
月光の剣。
月光の鎧。
瞬速。
さらに、飛び込んだ後に血の遡行を使う段取りまで決める。
レッサードラゴンが、ようやくこちらを明確な敵として認識した。巨体が動く。喉が赤く熱を持つ。
ブレスが来る。
その頃には、俺はもう飛び込んでいた。
瞬速で間合いを潰す。
ブレスが吐かれるより先に、背中へ到達する。レッサードラゴンの背に飛び乗り、そのまま心臓を目掛けて剣を突き立てる。
深い。
だが、まだ足りない。
ドラゴンは立っている。
「流石だな」
思わずそう呟きながら、俺は血の遡行も重ねる。体の内側が熱く逆流し、反応がさらに上がる。ここからは速度勝負だ。
ライトニング。
雷を叩き込む。感電効果で筋肉の制御を乱す。
ファイアボール。
ナパーム状にして、鱗の隙間に食いつかせる。ドラゴンの体表にも消えない火が広がる。
それでも、レッサードラゴンは攻撃してくる。
振り返りざまの爪。体を捻っての噛みつき。尾の払い。どれも一撃が重い。だが、今の俺は遅くない。
ダズリング。
目に閃光を叩き込む。めまいを起こさせ、狙いを鈍らせる。
その隙に、俺は背中から血を抜き取った。血魔術の第四段階。触れた場所から、ドラゴンの血を吸い上げる。
「……っ!」
凄い。
ドラゴンの血は相当なものだった。濃い。熱い。生き物としての格が違う。飲んだ瞬間に、体力も気力も持ち直すのが分かる。危険な快感すらある。
その勢いのまま、さらに剣を突き込む。
ダメージを蓄積させる。
レッサードラゴンがブレスを吹こうとする。
口元が熱を持つ。その瞬間、俺は背後へ移動する。熱線の通り道から外れ、腹の下へ潜り込み、柔らかい部分へ剣を突き立てる。
ドラゴンが咆哮する。
今度は尾で攻撃しようとする。
それを見た瞬間に頭部の前へ出る。動きの先を読む。尾が来る前に、喉へ一撃。
月光の剣が鱗の隙間を裂く。
レッサードラゴンの動きが少しずつ鈍っていく。
消えない炎が継続的にダメージを与え続け、雷で筋が乱れ、出血も重なっている。巨体ゆえのしぶとさで持っているが、確実に弱っている。
俺はそこへライトニングを連続で叩き込んだ。
一発。
二発。
三発。
雷が鱗を走るたびに、ドラゴンの体がびくりと震える。
「終わりだ」
最後は、頭の上へ乗った。
巨体が揺れる。だが構わない。
全体重を乗せ、剣を頭部へ突き刺す。鱗の硬い箇所ではなく、眼窩寄りの薄いところへ。深く、深く、捻り込むように。
レッサードラゴンが大きく痙攣した。
そして、ついに動かなくなった。
静寂。
俺は数秒、そこから動かなかった。
信じるためだ。
本当に終わったのかを。
探知。
センスライフ。
どちらで見ても、もう活動はない。
「……勝った」
そこでようやく、息が抜ける。
俺はその場で膝をつきそうになるのをこらえながら、血魔術でドラゴンの血をさらに吸い取った。失った精神点が戻る。これほど濃い回復源は、そうそうない。
それから予備の水袋をいくつも取り出し、ドラゴンの血で満たしていく。
「これは……みんな喜ぶな」
ミラーカは目を輝かせるだろう。アドールも、リアンも、きっと使い道を思いつく。
ドラゴンの身体そのものも収納する。
重い。だが今の収納なら入る。
終わった。
そう思うと、一気に疲労が押し寄せてきた。
俺は少し休憩してから、階段の先を見た。
ここから先は、小説には書いていない。
だが、十八階の階段を降りたところまでは書いてある。
極寒の世界。
それだけは覚えている。
念のため、占術を行う。
札を切る。
並べる。
答えは、まだ下。
「……やっぱりか」
十八階か。
十九階か。
二十階か。
どの階にいるのだろうか。
俺はドラゴンの血で満たした水袋を確認し、装備を整え直した。
ここから先は、いよいよ未知だ。




