第四十二話。
一年が過ぎた。
迷宮に落ち、ストーカーとして目を覚ましたあの日から、もう丸一年になる。
その間に、俺は二度目のダンピール化マシンにかかった。ミラーカが「そろそろよ」と言って、またあの赤と金と黒の椅子に俺を座らせ、銀の糸と奇妙な機械で体の奥にあるストーカーの呪いを弱めてくれたのだ。完全に消えたわけではない。だが、前のように油断すればすぐ狂気が覗く、という状態ではなくなっていた。
レベルは二十三になった。
そこまで来ると、さすがに上がり方が鈍い。アドールが「レベル二十以上はなかなか上がらないものだ」と言っていたが、本当にその通りだった。十五から二十に行くより、二十から二十三に行く方がずっと遠く感じた。
だが、積み上げたものは多い。
鑑定は第四段階に入った。
ついに、物に宿るスキルを読み取れるようになったのだ。そこから訓練次第で取得できる。時間はかかるが、確かに手は届く。今のところ、俺はそこから『演技』と『外交』を取っている。どちらも剣や魔法ほど派手ではない。だが、地上に戻って人と渡り合うには絶対に必要だと判断した。
収納も使い慣れた。
剣は今や、自分の手のような感じだ。鉄獅子剣術も、戦場で使える域に入っている。
魔法はほとんどのものが応用できるようになった。ダズリングで眩暈を起こすのはもう当たり前になり、ファイアボールも炎球だけではなく、火炎放射や粘る火へと変質できる。ヒールも傷だけでなく、毒や軽い病に干渉できる手応えがある。
血魔術は第四段階に入り、離れた人間や生き物から血を吸えるようになった。まだ距離と精度には課題があるが、触れなくても奪えるというのは大きい。
影使いも短時間なら影そのものになれるようになった。完全に安定はしないが、狭い隙間を抜ける、視線を切る、そういう用途なら十分だ。
畏怖術は第三段階に入り、魅了の力を得た。今はまだ一対一か、ごく狭い範囲にしか強くは効かない。だが、好意や信頼をこちらに傾ける力としては十分に危険で、十分に有用だった。
精霊術は第四段階に突入した。
ハヤブサからは『望遠の術』。遠くのものを、目を細めるだけで近くに見るように観察できる。
キツネからは、特定の人に化ける『ドッペルゲンガーの術』。これは演技スキルと合わせるとかなり厄介だと、ミラーカが楽しそうに言っていた。
フクロウからは『記憶術』。見たもの聞いたものを、意識して焼き付けておける術だ。地図、会話、敵の癖、全部を持ち帰れる。
チーターからは『駆ける使者の術』。三日三晩走り続けることが可能になる、狂ったような術だ。使った後は相応の反動が来るが、逃走や伝令にはとんでもなく強い。
フェンリス、ルナ、キマイラの術は増えなかった。
その代わり、保護を願えば、それぞれステータスに追加されるような強い加護をくれるようになった。本来なら、その時点で他の精霊を呼び出して契約できるらしい。だが、俺はワーウルフではない。今の段階ではまだ無理だとカダスは言った。もう少し使いこなせば、できるかもしれない、とも。
それ以外に、アンデルセンから『罠』と『鍵開け』も教わった。
これが案外きつかった。
あの男は普段は完璧な執事なのに、罠と鍵の授業になるとやたらと楽しそうになる。扉の向こうに鈴、毒針、落とし穴、感知糸。鍵も単純なものから多重構造のものまで。俺が一つ外すたびに「もう少し丁寧に」「雑でございます」「そこで死にますよ」と淡々と言ってくる。
まさに修行漬けの毎日だった。
だが、その毎日の果てに、ある日、占術が変わった。
その日も、俺はいつものように庭で精霊たちを甘やかしていた。
肉を振る舞い、フェンリスが静かに食うのを見て、キマイラに甘噛みされ、チーターが落ち着きなくうろつき、ルナがそれを眺めている。そんな時間の中で、俺は札を取り出して占術を始めた。
問いは、いつもより重かった。
解呪のことだ。
札を切る。
並べる。
流れを見る。
すると、出た。
もうそろそろ、行動の時だ、と。
俺はその意味をすぐ理解した。
「来たか」
小さく呟く。
それから、もう一歩踏み込んで占った。
その解呪のスキル持ち、あるいは物は、どこにある?
札を切る。
並べる。
今度の答えは、はっきりしていた。
下。
「……下?」
俺は眉を寄せる。
十七階よりさらに下か。
念のため、カダスにも占ってもらった。すると、やはり結果は同じだった。
下。
それだけで、方向としては十分だ。
俺はその結果を、全員が集まった場で伝えた。
ミラーカ。
リアン。
アドール。
カダス。
そしてアンデルセン。
俺が「下だ」と言うと、四人は顔を見合わせ、ほとんど同時に「そろそろか」という空気になった。
ミラーカは嬉しそうだった。リアンは無言だが、目の奥が引き締まる。アドールは机を骨の指で叩き、カダスは低く笑う。
「ようやくだな」
「思ったより早かったわね」
「準備が必要だ」
「下か……面白くなってきた」
口々にそう言う。
そして、それぞれが色々準備すると言ってくれた。
ありがたく受け取る。
ミラーカからは、ハンドガン。
彼女自身が整備したものらしい。小ぶりだが、魔導機構がきっちり組まれている。さらに血液を詰めた水袋を何袋か。俺の非常食兼、緊急時の精神力回復用だ。
リアンからは、出来の良いスケイルアーマーと兜。
鱗の継ぎ方が見事で、動きを阻害しない。しかも下の階層で拾った魔獣素材を混ぜているらしく、斬撃にも噛みつきにも強い。試着しただけで、良い鎧だと分かった。
アドールからは、魔法の発動体の指輪の予備。
今使っているものが壊れた時のためだ。「道中で失えば泣くぞ」と言っていたが、実際そうだと思う。
カダスからは、質の良いキャンプセット。
寝袋、火起こし、軽量の鍋、薬草袋、水の浄化具。十七階までの小旅行とは違い、下層は長期戦になると踏んでいるのだろう。
半年間の探索で、俺自身もいくつか装備を手に入れている。
その中でも、お気に入りは魔法の剣とカイトシールドだった。
剣は、魔力を流すと刃が薄く青く光る。単純な切れ味補正だけでなく、魔法の通りもいい。カイトシールドは、鉄獅子剣術との相性が良かった。受け、いなし、押し込み、どれもやりやすい。
それを主武器とした。
収納の中には、予備武器と盾がいくつか入っている。
それ以外にも、これまで手に入れたものをまとめて整理した。
魔法の水筒。
幸運のお守り。
魔法の矢が出る杖。
魔法金属でできた方位磁針。
保温の効果があるマント。
ライトの魔法がかかったカンテラ。
探検セット。
どれも、地味だが下層へ行くには重要だ。
アンデルセンは保存食をかなり多めに用意してくれた。
干し肉、硬パン、乾燥果実、塩、燻製。きちんと日持ちを考えた組み合わせだ。しかも、俺の今の味覚に合わせて、少し血の気配を足した保存食まで混じっている。あの執事、本当に抜かりがない。
準備を進めながら、俺は少しだけ緊張していた。
下へ行く。
それは今までのレベル上げや訓練とは違う。明確に、解呪へ近づくための探索だ。
同時に、もっと危険な階層へ入ることを意味する。
だが、不思議と迷いはなかった。
もう一年だ。
ここで足踏みするには、長く生きすぎた。




