第四十話。
次の玄室へ向かうため、俺はまた歩き出した。
十七階の空気は、やはり独特だ。湿った土と草の匂い、遠くから響く恐竜の鳴き声、空を横切る影。迷宮の地下だというのに、ここだけは本当に別世界みたいだった。
途中で、ふと思い立つ。
「……試すか」
ラプターへの変身。
さっき見た群れを思い浮かべ、体の組み替えを意識する。
細い胴。
しなやかな後肢。
長い尾。
低く鋭い頭部。
変身。
今度も成功した。
しかも、俺が変身したのはラプターの中でも獰猛な個体、ヴェロキラプトルだった。
「おお……」
声はもう喉の奥で鳴る、獣じみたものになっていたが、感覚ははっきりある。
速い。
軽い。
重心が極端に前へ寄り、地面を蹴るたびに体が矢みたいに伸びる。狼とはまた全然違う。狼が粘り強く走る獣なら、ヴェロキラプトルは短い間合いを連続で刺しに行くための体だ。
そこへ稲妻の足までかける。
地面が後ろへ飛んでいく。
「これは……かなりいいな」
ヴェロキラプトルの姿で草を裂いて走っていると、途中で大きな影に出くわした。
アンキロサウルスだ。
低い姿勢のまま、重い甲羅を背負い、尾の先に巨大な棍棒を持っている。近づくだけで分かる。あれは硬い。しかも無理に仕掛ければ、あの尾の一撃でこちらの骨まで砕かれかねない。
「素材にはなりそうだな」
そう思う。
甲羅。
骨。
皮。
どれも使い道がありそうだ。
だがそこで、現実的な疑問が浮かぶ。
「……誰が加工するんだ」
アドールは喜ぶかもしれない。だが、あの甲羅を運び、解体し、武具にまで仕上げるには相当な手間がいる。今の俺がわざわざそこで消耗する理由は薄い。
「今はやめとくか」
俺はアンキロサウルスを避けた。
森が深くなってくる。
木々の間隔が狭くなり、上空が見えにくい。ここにはプテラノドンは出ないな、とすぐに分かった。ああいう翼竜は、もっと開けた空間を使うはずだ。
俺は草原の方向へ進路を変えた。
すると、途中で人間の声が聞こえてきた。
すぐにヴェロキラプトルの姿を解き、人間へ戻る。
影を纏う。
フクロウの術。
キツネの隠惑。
全部を重ねて草陰へ溶ける。
やがて見えてきたのは、ラプターに乗って走ってくる人間たちだった。
「おおっ、追え追え!」
「そっち回れ!」
「逃がすな!」
笑いながら、パラサウロロフスを追いかけている。
狩りをしているらしい。
俺はそれを見ながら、少し考えた。
捕まえて話を聞くか。
上の人間たちの動きや、採掘基地の情報を得るには悪くない。だが、今の俺の姿はさすがにまずい。ローブも何もなく、迷宮の奥から急に現れる得体の知れない男だ。見つかった瞬間、戦闘になる可能性が高い。
「今はやめる」
そう決めて、隠れたままやり過ごす。
人間たちは気づかず通り過ぎていった。
その後、次の玄室へ到達する。
扉を開けると、やはりカルノタウルスがいる。
「またお前か」
だが今度は、少し違うやり方を試したくなった。
まずホールド。
カルノタウルスの四肢が一瞬だけ固まる。
そこへファイアボールを変質させ、火炎放射状にする。
粘る火が恐竜の皮膚へまとわりつき、一度つくとなかなか消えない。カルノタウルスは暴れ、体勢を崩しながら玄室の中をのたうつ。
その間にライトニング。
雷が通る。
火と雷の重ね掛けで、カルノタウルスはあっけなく倒れた。
「前よりだいぶ手慣れてきたな」
自分でもそう思う。
ここも宝箱が出たので、迷わず収納。
それからまたヴェロキラプトルに変身し、アークスロット人の村があった場所へ向かった。
前世では、あそこに交易の場があった。
木々に囲まれた集落。
獣骨と石で作られた家々。
煙の匂い。
笑い声。
酒の匂い。
そういうものがあったはずだ。
だが、今見えたのはまるで違う光景だった。
周りにあった林は、すっかり伐採されていた。
その代わり、木製の砦ができている。
丸太を組んだ壁。
見張り台。
櫓。
粗末だが、防衛を意識した構造だ。
「……やっぱり、いなくなってしまったのか」
胸の奥に重いものが落ちる。
アークスロット人の気配は感じない。物見櫓には一人の男が立っていた。人間だ。槍を持ち、周囲を見張っている。
見つかる前に、俺はそこを後にした。
走っていると、今度は空に大きな影が見えた。
プテラノドンだ。
長い嘴。広い翼。滑空する姿は美しいが、あのサイズはやはり圧がある。
俺はその場で人間の姿に戻った。
わざと見つかりやすいように歩く。
「来い」
そう思っていると、プテラノドンは分かりやすく空中から襲いかかってきた。
急降下。
速い。
だがこちらも準備している。
着地点をずらすため、レビテーションを使う。
ふわりと体を浮かせる。
完全に飛ぶわけではない。だが、それだけでプテラノドンの狙いが少しずれる。爪と嘴が空を切り、地面へ着地した瞬間を狙う。
「ダズリング」
閃光。
プテラノドンが眩暈をくらったように頭を振る。
そこへスリープ。
翼竜の抵抗は思ったより弱かった。プテラノドンはその場でぐらつき、やがて眠りに落ちる。
俺はすぐに近づいて、よく観察した。
骨格。
筋肉。
翼の張り。
首の角度。
重心。
「……羽がデカすぎるな」
変身は難しそうだ。
今の俺の変身は、自分と同じ大きさの動物が前提だ。プテラノドンは、それを超えている。無理やり似せても、まともに飛べる気がしない。
その時、空には他にも違う種類の翼竜が飛んでいるのが見えた。
小さい。
「……あれか」
俺はプテラノドンにとどめを刺し、そのまま待った。
しばらくすると、降りてきたのはディモルフォドンだった。
プテラノドンよりずっと小さい。嘴も短く、翼幅も自分の変身可能な範囲に収まりそうだ。
「これならいける」
俺はすぐにスリープをかける。
眠ったところをじっくり観察する。
骨格。
翼膜。
足の使い方。
頭の重さ。
感覚を刻み込み、変身できるようにする。
観察が終わると、ディモルフォドンにもとどめを刺した。もったいないが、ここで逃がすわけにもいかない。収納しておけば、肉にも素材にもなる。
「さて」
俺は早速、ディモルフォドンへ変身した。
体が軽くなる。
四肢が小さくなり、腕が翼へ変わる。狼やラプターとはまたまるで違う組み替えだ。重心が上へ行き、胸が広がる感覚がある。
そのまま空へ向かう。
最初に浮き上がるのに、相当体力がいる。
羽ばたきそのものが重い。筋肉の使い方も、地上の変身とはまるで違う。だが、一度浮き上がってしまうと、今度は滑空が始まる。
「……おお」
気持ちいい。
風を切るというより、風に乗る感じだ。
俺はそのまま、砦の上空へ向かった。
偵察だ。
高く上がりすぎると見つかる。低すぎると撃ち落とされる。程よい高さを探りながら、砦の構造を眺める。
見えるだけでも、六人が見張っていた。
物見櫓に二人。
門の近くに二人。
内側を巡回しているのが二人。
中には住居や小屋がある。粗末な造りだが、常駐を前提としているようだ。さらに、小さな畑まで見える。食料の一部は現地で賄っているのだろう。
そして何より、地下に入る坑道が掘られているのが見えた。
「……あれか」
聖銀の坑道。
その周りには、あまりきれいでない格好の人間達がいる。服はぼろぼろで、動きも疲れている。護衛や監督とは明らかに違う。
俺は鑑定を飛ばす。
奴隷。
そう表示された。
なるほど、と思う。
採掘のために連れてこられた連中か。アークスロット人を滅ぼし、その跡地で奴隷を使って掘らせる。いかにも人間らしいやり口だ。
胸の奥が少し冷えた。
前世で交易した相手の村跡が、そんなものに変わっている。
だが、今ここで怒って飛び込んでも意味はない。
人数もいる。
見張りもいる。
坑道の中まで含めれば、もっといるだろう。
それに、今の目的は偵察だ。
俺は砦の配置と人員のざっくりした数を頭に刻み、ぐるりと一周してから離れた。
ディモルフォドンの翼を使い、少し高度を下げる。
「……面白い階層だな」
十七階は、狩りの場であると同時に、人間の欲が露骨に出た場でもあった。
俺はそのまま、別の草地へ滑空しながら、次に何を見るべきかを考えた。




