第三十九話。
十七階へ行きたい、と俺はミラーカに言った。
応接室でいつものように茶を飲んでいたミラーカは、カップを置いて少しだけ目を細める。
「急ね。理由を聞いてもいいかしら」
「三つある」
俺は指を立てた。
「一つは、肉だ。十七階は恐竜の住む階層だろ。それぞれ肉が美味いって前世で知ってる。いつも出てくる肉も、あれ、恐竜の肉なんだろ?」
ミラーカは頷いた。
「ええ。そうよ」
「なら、精霊達も好きそうな獲物を狩ってきたい」
ミラーカはそこで、少しだけ笑った。
「あなた、本当に精霊達を甘やかすわね」
「俺に色々くれるからな」
そう答えてから、俺は二本目の指を立てる。
「もう一つは、プテラノドンを見たい。変身の術で使えるかもしれないから、ちゃんと見ておきたいんだ」
「翼竜ね」
「空を飛べる形は、選択肢として欲しい」
それは本音だった。
狼やチーターの変身は強い。だが飛行という概念は、それだけで行動範囲を一変させる。習熟が必要なのは分かっている。それでも、見ておく価値は大きい。
そして三本目。
「最後に、アークスロット人と少し交易したい」
その言葉を口にした瞬間、ミラーカの表情が変わった。
笑みが消える。
静かに、だがはっきりと首を横に振った。
「交易は無理ね」
俺は眉をひそめる。
「無理?」
「アークスロット人は、上の人間達に滅ぼされたわ」
その一言で、胸の奥がひやりとした。
「……なんで?」
聞き返すと、ミラーカは淡々と答える。
「彼らが採掘していた貴重な鉱石、聖銀を手に入れるためよ」
聖銀。
その単語は前世の記憶にもある。高位の魔導具や対不死者装備に使われる、希少で価値の高い鉱石だ。
俺は少しだけ目を伏せた。
アークスロット人。
前世で交易していた連中だ。類人猿に近い外見で、体が大きく、気のいいやつらだった。酒も肉も好きで、商談の最後には大体肩を叩かれた記憶がある。あいつらの掘る聖銀は質が高く、こちらも随分世話になった。
「今、十七階には採掘基地があるわ」
ミラーカが言う。
「定期的に、上の鉱夫達を連れてきて採掘しているの」
「……そうか」
俺は短く返した。
三百年も経てば、交易相手が滅びることもある。
分かってはいた。
だが、知っていた名前の種族が、資源目当てで滅ぼされたと聞くのは、やはり気分のいいものではなかった。
「採掘基地には近づかない方がいいわ」
ミラーカが念を押す。
「人間の数もいるし、十七階の現地戦力も混ざっている。今のあなたなら不意打ちで何人かは殺せるでしょうけど、囲まれたら面倒よ」
「分かった」
俺は頷いた。
「あと」
ミラーカはさらに続ける。
「ボスのレッサードラゴンには、まだ敵わないと思うから、行かないこと」
「そこも分かってる」
前世の知識があるからこそ、無茶な挑戦が無茶だと分かる。十七階のボスは、生半可な相手ではない。今の俺が喧嘩を売る相手ではない。
「なら良いわ」
ミラーカはそこでようやく、少しだけ表情を和らげた。
「帰ってきたら、肉を期待しているわね」
「お前もか」
「当然でしょう」
そういうところは実にミラーカらしい。
俺は装備を整え、十六階のボス部屋へ向かった。
十六階のボス部屋は、今はレイスが出る場所になっている。
前はリッチだった。だがアドールが来てから、その座はレイスに変わった。ミラーカいわく、迷宮そのものが呼び出しているモンスターらしい。
「残念ながら理性はないわ」
そう言っていたのを思い出す。
玄室をいくつか抜けて進むが、途中のアンデッドは俺に襲いかかってこなかった。上位者認定をされているのだろう。視線だけは向けてくるが、道を塞ぎはしない。
俺は手近な動く死体を一体見つけると、王命を使った。
「案内しろ」
死体は一瞬ぴたりと止まり、それからぎこちなく踵を返す。迷うことなく歩いていく姿を見て、やはりこの階層の不死者は動線を体で覚えているのだと実感した。
その死体に導かれ、俺はボス部屋の前まで来る。
中にいる。
探知で分かる。
形の定まらない、冷たくて薄い気配。レイスだ。
俺は月光の剣の術を自分の長剣へかけた。
刃に淡い月色が走る。
レイスのような存在には、こういう「触れられる力」が重要になる。
扉を押し開ける。
中に入ると、レイスは待ち構えていた。
黒い霧の塊みたいな輪郭の中に、痩せた人影の名残がある。目に当たる部分だけが、青く燃えていた。
レイスは俺を見るなり、何か魔法を唱えようとした。
早い。
だが、今の俺も遅くはない。
「ダズリング」
閃光。
詠唱が乱れる。
その瞬間、俺はさらに王命を叩きつけた。
「止まれ」
レイスの動きがぴたりと止まる。
完全に静止ではない。霧が揺れる。だが十分だ。
続けて恐怖の睨視。
レイスのような存在に効くか少し不安だったが、確かな反応があった。青い目が揺らぎ、気配が一段薄くなる。怯んだのだ。
その隙に、俺は月光の剣を振り抜いた。
刃が霧を裂く。
いや、裂くというより、月光がその存在の中心を断った。
首を刎ねる。
レイスの頭部に当たる部分が切り離され、黒い霧が崩れた。青い光がふっと消える。
「……終わりか」
静かになった部屋の中央に、ぽつんと宝箱が出てくる。
レイスらしい。
だが、俺には鍵開けスキルも罠スキルもない。開けて痛い目を見るくらいなら、持ち帰る方がましだ。
俺は宝箱そのものを収納へ入れた。
そのまま階段を下りていく。
十七階へ。
降りるごとに、空気が変わっていく。
湿度が上がる。
温度も少し高い。
乾いた迷宮の空気ではなく、土と植物と生き物の匂いが濃くなる。最後の段を下り切った時には、そこに広がっていたのは完全に別世界だった。
原始の森と平原。
巨大な木々。
濃い草の匂い。
遠くで響く獣の鳴き声。
そして、空の色が変わっている。
ここには昼夜というものがある。
迷宮の下なのに、天井の高みには空めいた光があり、時間によって明るさが変わる。前世で初めて見た時も驚いたが、今見てもやはり奇妙だ。
あちこちに人工物の玄室があるのも変わっていない。
石造りの大きな部屋が、森や平原の中にぽつぽつと点在している。前世に探索した時には、その中に必ずカルノタウルスがいて、倒せば宝箱が出るようになっていたのを覚えている。
「……懐かしいな」
そう呟きながら、俺はまずカルノタウルスを狩ってみることにした。
恐竜全般、魔法にかかりやすい。
それも前世の知識だ。
なら、今の俺の相手としては相性がいい。
センスライフと探知を重ねながら、稲妻の足をかけて玄室へ近づいていく。
足が軽い。
ただ速いだけでなく、走り続けても負担が少ない。チーターの稲妻の足は、本当に使いやすい。
だが、その途中で嫌な反応があった。
小型の二足歩行恐竜。
ラプターの群れだ。
細く、速く、集団で獲物を追い詰める厄介な連中。何かを追いかけているらしく、殺気立っている。
「めんどくさいな」
今わざわざ相手をする理由はない。
俺はすぐに狼へ変身し、距離を引き離した。四足で草原を蹴ると、ラプターの群れの気配はすぐ後ろへ遠ざかる。狼の体はやはり足場の悪い地面にも強い。
そのまま玄室に到着する。
カルノタウルスが中にいるため、天井はかなり高い。普通の人間向けというより、巨大な獣を閉じ込める前提の造りだ。
俺は入口で、手順を確認した。
ヘイスト。
月光の鎧。
マジックシールド。
三重に重ねる。
呼吸を整えてから中へ入る。
案の定、カルノタウルスがいた。
巨大な肉食恐竜。低い頭部に短い角、太い首、強靭な後脚。気配は凶暴そのものだ。
だが、前世もこいつにはこれが効いた。
「スリープ」
開幕でかける。
カルノタウルスの抵抗力はやはり弱いらしい。巨体がわずかにぐらついた。完全に眠るほどではない。だが、意識が一瞬沈む。
その隙にライトニング。
雷が走る。
カルノタウルスの体が大きく揺れる。
だが、すぐに気を取り直したように咆哮し、俺に噛みつこうとした。速い。だが、読める。
俺は噛みつきをいなし、鼻っ面に長剣を叩き込む。
「ギャアッ!」
カルノタウルスがのけぞる。
そこへパラライズ。
痺れが走ったのか、片膝をつくように体勢が崩れた。
なおも攻撃しようとしてくる。
大した執念だ。
俺は盾で頭部や首の動きをいなしながら、着実にダメージを与えていく。長剣を脚へ、腹へ、首筋へ。無理に一撃を狙わない。動きを殺し、血を流させ、弱らせる。
やがてカルノタウルスは血だらけになり、ついに倒れた。
俺はその血を飲む。
掌から。
温かい。
濃い。
人間の血は美味い。だが、恐竜もなかなかだ。もっと野性味が強く、生命力そのものを啜っている感覚がある。
「……悪くない」
そう呟いてから、死体を収納する。
そして宝箱へ向かう。
これもまた、罠や鍵の心配をするより収納に入れてしまう方が早い。
宝箱を収納し、俺は玄室を出た。
十七階は、これからが本番だ。




