第四話。
「まずは良い方から言おう」
男はさっきより少しだけ気楽な調子に戻っていた。
「良い方?」
「向こうにはレベルがあり、能力値があり、スキルがある」
俺は眉をひそめた。
「急にゲームみたいな話になったな」
「お前の小説にも出してただろ」
「出したけど、あれは読みやすさ優先で整理しただけで……」
「実際ある」
また軽く断言された。
もう今さら驚くのも疲れる。俺は椅子に深く座り直し、男の続きを促すように顎をしゃくった。
男はそれを見て、話を続けた。
「お前には魂に紐づいたスキルがいくつかある」
「魂に紐づいた?」
「肉体が変わっても、世界が変わっても、簡単には剥がれない類いの力だな。技能ってより、本質に近い」
その言い方に、妙な生々しさがあった。
今までの話が全部本当だとすれば、俺は何度か生を跨いでいる。その中でも失われなかったものがある、ということなのだろう。
男はカップを指で回しながら言う。
「ただ、お前の持ってるやつは、どれもこれも少しばかり突飛でな」
「少しばかり、で済むのか」
「済まないな」
「だろうな」
男は笑った。
「だから世界は、お前の異能が漏れないように調整してた」
「調整……」
「幸と不幸をな」
その言葉に、俺は目を細める。
「どういう意味だ?」
「そのまんまだよ。お前が突出しないように、運の流れを均した。大成功もしないが、致命的にも落ちない。目立つ前に流されるし、壊れる前に救われる」
俺は黙った。
やっぱり、と思う気持ちが少しあった。
平凡すぎた人生。都合がいいくらい中庸だった毎日。全部がそうだと言われれば腹立たしいが、全部が無関係だとも言い切れない。
男は俺の反応を見ながら続ける。
「向こうの世界に戻ったら、それは完全に使えるようになるだろう」
「完全に、か」
「少なくとも、こっちみたいに蓋された状態じゃなくなる」
その言い方は、少しだけ救いみたいにも聞こえたし、少しだけ厄介事の予告みたいにも聞こえた。
男はそこで右手を軽く払った。
すると、俺たちの間の空間に、ふっと半透明の板が現れた。
ガラスみたいで、ガラスじゃない。薄青い光を帯びた板が、何もないところに静かに浮かんでいる。文字がそこに浮かび上がった。
鑑定、収納、魔法の素質、高速思考、豪運、王命
俺は思わず前のめりになった。
本当に、出た。
冗談みたいな光景なのに、並んだ文字には妙な重みがあった。
「……おい」
「何だ」
「そのまんますぎるだろ」
「分かりやすくていいだろ」
男は悪びれもせず言う。
俺は半透明の板を見つめたまま、ひとつずつ目で追った。
鑑定。
収納。
魔法の素質。
高速思考。
そこまでは、見覚えがありすぎる。
「鑑定、収納、魔法の素質、高速思考……これはレイのだな」
「ああ」
男は素直に頷いた。
「あいつ……いや、お前か。とにかくレイとして持ってた核の部分だ」
俺は無意識に舌打ちしかけて、やめた。
レイが自分だった、という話をまだ完全には飲み込めていない。だが、こうして並べられると嫌でも実感が湧いてくる。小説の中で何度も使わせた力だ。便利で、強くて、成り上がりの土台になった能力群。
男はそこで一本指を立てた。
「豪運もな」
「豪運?」
俺は板のその文字を見る。
少し笑いそうになった。
「何だよそれ。名前が雑すぎるだろ」
「でも実際そういう力だしな」
「表示されてなかったのか」
「されてなかった。けどあったぞ」
男は少し楽しそうに言う。
「お前が王に成り上がるまでにも、かなり運で解決したことが多かった」
その言い方に、俺はむっとした。
「かなり、は言い過ぎじゃないか。努力もしてたろ」
「してたよ。死ぬほどしてた」
男はあっさり認めた。
「だが努力だけじゃ届かない場面で、お前は妙に生き残るし、妙に都合よく出会うし、妙に敵が綻ぶ」
「……」
「運を掴む力、じゃなくて、運そのものが寄る力だな。だから豪運」
何とも身も蓋もない。
けれど、言われてみれば小説の中のレイはそういうところがあった。絶体絶命の場面で生き筋を引き当てる。必要な人物と出会う。無茶を通しても、最後の最後で形になる。
書いている時は、主人公補正と自分で片付けていた。
だが、それが本当に能力だったとしたら。
「これが魂が強い理由でもある」
男はさらりと言った。
「強い魂だから豪運なのか、豪運だから強い魂になったのか、そこは鶏と卵だがな。どっちにしろ、普通の枠からはみ出してる」
俺は少しだけ視線を落とした。
褒められているのか、危険物扱いされているのか分からない。
たぶん両方なんだろう。
それから、俺は最後の文字へ目を向けた。
王命。
これは、小説でも出していない。
少なくとも、俺がはっきりこの名前で設定した記憶はなかった。
「……王命は?」
男の口元が少し上がった。
「そこを聞くか」
「見るからにやばそうだからな」
「正解だ」
嬉しくない正解だ。
男は椅子に座ったまま、少しだけ姿勢を正した。
「それは、お前が王になって獲得したスキルだ」
「王になって……後から増えたのか」
「そう。魂に刻まれた王としての権能の欠片みたいなもんだ」
欠片、で済むのかそれ。
男は俺の顔色を面白そうに眺めながら説明する。
「成功すれば、一つの命令を実行させることができる」
「一つの命令?」
「単純な命令ほど通りやすい。知的な生物なら成功しやすい」
「待て待て」
俺は思わず手を上げた。
「それ、だいぶとんでもないだろ」
「だいぶとんでもないな」
「お前さっきから言い方が軽いんだよ」
「重々しく言うと余計怖いだろ」
「もう十分怖いわ」
男は肩をすくめた。
「まあ万能じゃない。相手の格、精神力、状況、命令の難度、そういうので成功率はかなり変わる。『止まれ』『跪け』『来い』みたいな単純で短い命令は通しやすいが、『お前の人生観を変えろ』みたいなのは無理がある」
「そりゃそうだろうな……」
「あと、命令の強制力にも限度がある。最初から絶対服従なんて期待するな」
少しだけ安心した。
いや、それでも十分おかしいが。
男は板の上の「王命」という文字を指先で叩くように示した。
「効果は習熟すれば伸びる」
「習熟って、使い込めばってことか」
「そういうこと。範囲も、通りやすさも、応用も、伸びる余地はある」
「応用……」
嫌な予感しかしない。
男はにやりと笑った。
「がんばれよ」
「他人事みたいに言うな」
「他人事じゃないが、使うのはお前だからな」
「説明が雑すぎる」
「細かい仕様は実地で覚えるのが一番早い」
「絶対面倒なやつだろそれ」
「面倒なやつだ」
あっさり認められて、俺は深くため息を吐いた。
半透明の板に並ぶ文字をもう一度見る。
鑑定、収納、魔法の素質、高速思考、豪運、王命。
どれもこれも、平凡に生きてきた俺には似合わない。似合わないのに、なぜか見ているだけで胸の奥がざわつく。懐かしいような、手に馴染む前触れのような、妙な感覚があった。
その中でも、鑑定と収納は特にそうだ。
言葉を見ただけで、使い方を知っている気がする。
俺はその違和感に気づいて、小さく眉を寄せた。
「……なあ」
「うん?」
「これ、頭では初めて見てるはずなのに、少し分かる気がするんだが」
男は当然のように頷いた。
「魂に紐づいてるって言っただろ。理屈から学ぶというより、思い出す方が近い」
「思い出す……」
「向こうに行けば、もっとはっきりする」
白い板の文字が静かに揺れて見えた。
いや、揺れているのはたぶん俺の意識の方だ。
俺はしばらく黙ってから、ぼそりと言った。
「良い方から言う、ってことは」
男がにこやかに答える。
「もちろん悪い方もある」
「やっぱりか……」
「やっぱりだ」
俺は肘をついて額を押さえた。
少し前まで俺は、平凡な会社員で、休日にバイクに乗って、小説を書いていたはずだった。なのに今は、死んだあとらしき白い空間で、自分の魂に紐づいたスキル一覧を見せられている。
しかもその内容が、やたら強い。
嬉しくないわけじゃない。そこは正直に認める。ファンタジー好きとして、鑑定や収納や魔法の素質なんて言われて心がまったく動かないかと言われれば嘘になる。
けれど、それ以上に予感があった。
こんな都合のいい話だけで終わるわけがない、という予感だ。
俺は額から手を離し、男を見た。
「……悪い方を聞く前に、一つだけ確認させろ」
「いいぞ」
「向こうに戻ったら、俺はこのスキルを全部使えるようになるんだな」
「なる」
「完全に?」
「お前が壊れてなければな」
一言余計だ。
だが、男の言い方には妙な確信があった。
俺は半透明の板を見つめたまま、ゆっくり息を吐く。
鑑定。収納。魔法の素質。高速思考。豪運。王命。
その文字列が、ただの能力一覧じゃなく、これから始まる何かの宣告みたいに見えた。
男はそんな俺を見ながら、相変わらずの軽い口調で言った。
「さて」
その一言で、空気が少しだけ変わる。
「次は悪い方の話だ」
俺は、今度こそちゃんと覚悟を決めるしかないと思った。




