第三十七話。
俺はこれで帰ることにした。
十二階の鉄の巨人を仕留めた時点で、今日の目的は十分に果たしている。これ以上欲を出して深追いする理由はなかった。体力も魔力もまだ残っているが、こういう時に無理をするとろくなことにならない。半年の訓練で、そういう判断だけは少し賢くなったと思う。
だからまず、十三階の捕虜を閉じ込めた部屋へ戻った。
扉の前で気配を探る。
二人とも生きている。暴れた形跡はあるが、逃げ出せるほどではない。俺は扉を開け、部屋の中へ入った。魔術師と斥候の二人が、すぐに怯えた顔を向けてくる。拘束されたまま、口元だけが必死に何かを訴えようとしていた。
俺は猿轡を少しだけ緩めて言う。
「騒ぐな。聞きたいことを聞いたらまた塞ぐ」
二人は必死に頷いた。
まず聞いたのは、この辺りの地理だった。
「最寄りの大きな街はどこだ?」
魔術師の方が唾を飲み込みながら答える。
「ヴァシュウ、です」
「……ヴァシュウ?」
俺は思わず聞き返した。
ここはヴァシュウ遺跡だ。迷宮の名がそのまま街の名になっているということか。
「昔からそうなのか?」
「い、いえ……街が大きくなって、遺跡の名がそのまま定着したって聞いてます」
なるほど、と一応は納得する。
だが、次にどうしても確認したくなった。
「リングバードはどうなった?」
その名を出した瞬間、二人が顔を見合わせる。
少し不思議そうな反応だった。
「リングバード、って……あの、古い地名の?」
古い地名。
その言葉に、胸の奥が少し冷える。
「そうだ。どうなった?」
斥候の方が答えた。
「かなり昔に戦争に巻き込まれて、なくなったって聞いてます」
なくなった。
それは何となく予想していた。三百年も経てば街の形などいくらでも変わる。だが、実際にそう言われると、やはり重い。
俺はさらに聞いた。
「それは何年前だ?」
「さ、三百年くらい……だったはずです」
最低でも、俺が死んでから三百年は過ぎている計算になるのか。
俺は少しだけ目を閉じた。
リングバード。俺が王都に移る前まで住んでいた場所。家があり、仲間がいて、色々なものを作っていた街。そこが戦争に巻き込まれて消えた。三百年という時間は、そういうことを平気でやる。
「……そうか」
それだけ言って、俺は二人を見る。
少しかわいそうだな、と思った。
こいつらはただ迷宮へ潜って稼いでいただけだ。俺の記憶の欠片を揺さぶるために生まれてきたわけじゃない。だが、だからといって解放する気にもならない。
俺は影から触手を出した。
ぬるりと伸びた闇の触手が、二人の体に絡みつく。
「な、何を……」
「帰る。お前らも一緒だ」
二人は顔色を失ったが、抵抗できない。俺は口をまた猿轡で塞ぎ、そのまま引っ張って歩き始めた。
十三階の通り道のモンスターは、ほとんど排除している。
だから戻り道は行きよりずっと楽だった。とはいえ、人間二人を引きずって歩くのは妙に目立つ。俺はフクロウの術と探知を重ね、できるだけ別方向の気配を避けるように進んだ。
十四階へ入る。
ここにも探索者のチームがいたな、と思い出す。連中がまだうろついている可能性もある。特に人間を二人引っ張っている今の俺を見られると面倒だ。
だが、幸い探索者たちは別方向にいるらしかった。
気配が離れている。
声も聞こえない。
俺はそのまま進み、十四階のボス部屋を突っ切った。すでにミノタウロスは収納済みだ。広い部屋を抜ける時、あの巨体がいた場所をちらりと見てしまう。ついさっきまで死闘の舞台だった場所とは思えないほど静かだった。
十五階に入る。
ここは要注意だ。
何しろ俺にとって、いちばん嫌な思い出が詰まった階層だし、今でもストーカーや警備モンスターが多い。まして今日は、人間二人を引っ張っている。
男たちは猿轡越しにずっと叫んでいた。
もごもごと、意味のない音を出しながら暴れようとしている。正直うるさい。
「黙れ」
そう言っても分かるはずもないので、俺は面倒になってスリープをかけた。
魔法が通り、二人はぐったりする。
そのまま触手で持ち上げて運ぶことにした。引きずるよりその方が速いし、余計な音も立ちにくい。
しばらく進んだところで、前方から気配が来た。
重い。
警備モンスターだ。
現れたのは、ゴリラじみた怪物だった。
二足歩行だが腕が異様に太く、肩幅も広い。毛は黒く、口元から短い牙が覗いている。警備の巡回をしているのだろう。こちらを見るなり、ためらいなく突っ込んできた。
「面倒なのが来たな」
だが、今の俺なら対処できる。
力任せの殴りかかりを、まず盾でいなす。まともに受ければ腕ごと持っていかれそうな重量だが、角度をずらして流せばいい。
「ダズリング」
閃光。
ゴリラ型の目が潰れたように閉じる。体がわずかに揺れた。
その隙に、一歩踏み込む。
長剣を横へ走らせる。
首を刎ねるには少し骨が太かったが、角度を変えて二撃目を入れると繋がりが断ち切れた。頭が重い音を立てて転がる。
「これも土産だな」
俺はそれを収納した。
フェンリスとキマイラは喜ぶだろう。
その後も、十五階の玄室群を慎重に抜けていく。
途中でストーカーの単独個体を三体ほど倒した。もはやこの程度なら、大きな苦労はない。探知で見つけ、ダズリングや影使いで隙を作り、鉄獅子剣術で仕留める。以前の俺なら脅威でしかなかった相手が、今では確実に処理できる範囲に入っている。
そうして、ようやく十五階のボス部屋へ戻ってきた。
中を探る。
もうボスは現れない。
当然だ。俺が倒したのだから。
「……今日はここまでか」
そう判断して、俺は十六階への階段を下りることにした。
階段を降り、迷いの廊下を抜け、外周へ向かう。戻り道はもう完全に頭に入っていた。あれほど迷わされた十六階も、今では石碑や幻壁の癖まで分かっている。
しばらく歩くと、向こうからアンデルセンが迎えに来た。
相変わらず、燕尾服が完璧に似合う男だ。
そのアンデルセンが、俺の後ろに縛って運んでいる二人を見て、さすがに目を瞬かせた。
「何ですか、これは?」
「ミラーカ達への土産」
俺がそう言うと、アンデルセンは一拍置いて、それから実にアンデルセンらしい優雅な声で言った。
「流石でございます。かなり喜ばれると思います」
そうだろうな。
アンデルセンはすぐに手近なアンデッドを呼び、眠らせた男二人を担がせた。こういう時の手際が恐ろしくいい。
俺はそのままアンデルセンの案内で外周へ出て、館へ戻った。
ミラーカが出迎えに出てきた。
俺の後ろの荷物を見て、目を丸くする。
「何それ?」
「お前たちへの土産」
そう言うと、ミラーカは本当にぱっと顔を輝かせた。
「素敵!」
喜び方が生々しい。
「早速みんなを呼ぶわ」
その夜、みんなが集まった。
応接室に捕虜を引き渡す。眠りから起こされた二人は、目を覚ました瞬間に自分の運命を理解したらしく、見る見るうちに顔色をなくした。
用途はそれぞれ違うらしい。
アドールは知識を引き出す。
カダスは生気をもらう。
ミラーカは、しばらく血を作り出す協力者にするのだそうだ。
「協力者って言い方なのか」
俺がぼそりと呟くと、ミラーカはにっこりした。
「響きが良いでしょう?」
良くはない。
だが、もうその辺に倫理を求める段階は過ぎている。
ついでに、俺はリアンへ聞いた。
「死んですぐの戦士の死体と、ストーカーの強個体の死体、いる?」
リアンは珍しく即答だった。
「是非欲しい」
「だろうな」
帰りに土産として渡すと、リアンは表情こそ変えなかったが、かなり嬉しそうだった。どう使うのかは聞かない方がいい気がした。
アドールは、ミノタウロスの死体にことのほか喜んでいた。
「これは良い」
骨の指で角や筋肉のつき方を確かめながら、露骨に機嫌が良くなっている。
「神聖系の残滓が残っておる。解体が楽しみだ」
「お前、その言い方だと絶対徹夜するだろ」
「当然だ」
予想通りだ。
ミラーカは鉄の巨人と銃を見て、本当に声を弾ませた。
「最高よ!」
彼女は銃を手に取り、鉄の巨人の外装を撫でる。
「見て、この構造。古いけれど美しいわ」
「お前が喜ぶと思った」
「ええ、すごく嬉しい」
こんなに分かりやすく上機嫌なミラーカを見るのは珍しいかもしれない。鉄の巨人を前にした彼女は、吸血鬼というより熱中する職人そのものだった。
カダスには、肉を分けた。
グレイリンクス、ゴリラ型、その他いくつか。
「お、気が利くじゃねえか」
カダスは牙を見せて笑う。
「俺も精霊たちと分ける」
「そうだな。フェンリスとキマイラが喜びそうだ」
「あとチーターもな」
そう言って、カダスは上機嫌で肉を受け取った。
そんなやり取りを見ていて、俺はふと、役に立てて良かったと思った。
ほんの少し前まで、俺はここに転がり込んできた半端な化け物だった。助けられる側で、教わる側で、何とか生き延びることで精一杯だった。
だが今は違う。
迷宮へ潜って、成果を持ち帰って、こいつらに喜ばれる程度には、ここでの役割を果たし始めている。
それは妙に嬉しかった。
もちろん、まだ俺は利用される側でもある。
ミラーカたちの呪いを解くために動く道具であり、継子であり、未熟な戦力だ。だが、ただ守られているだけではない。ちゃんと返せるものができてきた。
俺は卓を囲む四人を見回した。
ミラーカは銃を抱えてご満悦だ。
アドールはミノタウロスに夢中だ。
リアンは死体の状態を確認している。
カダスは肉の包みを肩に担いで笑っている。
相変わらず、妙な連中だ。
だが今の俺にとっては、確かに仲間に近い。
そう思ってもいい気がした。




