第三十六話。
十三階のボス部屋に上がってみると、ボスはすでに死んでいた。
拍子抜けするくらい、あっけなかった。
広めの円形の部屋。崩れた柱。壁際に残る古い祭祀具の残骸。そして中央付近に、アンデッドの体をした何かが倒れている。だが、気配は完全に切れていた。センスライフで確認しても、生の反応はない。探知でも、もう危険な動きは感じない。
俺は慎重に近づいた。
前世の記憶が教えてくれる。こいつはアンデッドの体をしているが、本体は持っている剣だ。人の肉体はただの鞘で、呪いと意志が宿っているのは剣そのもの。だから体をどれだけ壊しても、剣を折らなければ終わらない厄介な類いだった。
その剣は、完全に折れていた。
根元からではない。中程から、鋭くではなく、無理やりへし折られたように。これではもう武器としては使い物にならない。
「先客がいたか」
俺は小さく呟いた。
誰が倒したかは分からない。だが、最近この辺りに人間の探索者が出入りしているのは分かっている。あるいは別の階層の何かかもしれない。
俺はしゃがみ込み、剣の柄を持ち上げた。
冷たい。
ひどく嫌な気配を微かに残しているが、すでに活動するほどではない。
前世では、ここからスキルを得られたのだ。
そう思い出し、俺は鑑定した。
結果はすぐに出る。
短剣スキルが得られる。
「……短剣か」
少し考えて、俺は捨てた。
今の俺の戦い方には合わない。取れるから取る、では荷物になるだけだ。短剣術を広げる余裕も、今はない。
柄を床へ戻した、その時。
ドアの外から声がした。
人間だ。
「……また探索者か」
俺はすぐに身を起こした。
隠れるか。
階段へ逃げるか。
一瞬そう考える。だが、今の位置から階段まで戻るのは間に合わない。向こうはすぐ外だ。扉越しの声も近い。
「中、センスライフで確認、一体」
そんな言葉が聞こえる。
「一体?」
「ボスじゃない、別だ」
連中は警戒している。
逃げるのは無理だ。
なら、やり過ごすしかない。
俺は改めて影を纏う。
フクロウの術で暗がりを深く見通し、キツネの隠惑を重ねる。できるだけ壁際へ溶けるように身を寄せた。
ちょうど隠れ終わったところで、探索者たちが入ってきた。
四人。
男ばかりだ。
剣士。
槍使い。
斥候。
魔術師。
典型的な四人組だ。動きも悪くない。互いの位置を潰さず、入室した瞬間に扇状へ散る。慣れている。
「入っていねえじゃないか」
剣士が言う。
だが、すぐに別の声が飛んだ。
「いや、居る。壁際だ!」
斥候だ。
さすがにそこは鋭い。
完全には誤魔化し切れないか。
「……仕方ない」
俺は影から出た。
四人の視線が一斉に俺へ向く。
その瞬間、俺は恐怖の睨視を叩き込んだ。
視線を通す。
怯えろ。
止まれ。
来るな。
四人のうち三人が、明らかに反応を乱した。
槍使い、魔術師、そして腰の引けた斥候。こいつらはそこで一瞬、攻撃できなくなった。本能が体を止めたのだ。
だが剣士だけは飛びかかってきた。
いい度胸だ。
俺はそいつに向けてダズリングを放つ。
閃光。
「ぐっ!」
剣士の目が潰れたように細まる。そこへ追い打ちでパラライズ。
「パラライズ」
魔力が通り、体が強張る。
剣士の動きが止まる。
だが、そこで恐慌から二人が立ち直った。
魔術師が詠唱を始める。
槍の方もまだ完全には沈んでいない。
斥候はまだ腰が引けている。
優先順位を決める。
俺は魔術師へ向けて、もう一度ダズリングを叩き込んだ。
詠唱が途切れる。
眩暈まで起こしたらしく、魔術師が膝をつく。
一方、槍使いの攻撃は盾でいなした。
まともに受けない。
斜めに流し、穂先を殺す。そのまま槍の間合いの外から踏み込み、柄頭で顔面を殴りつける。
槍使いがよろめく。
そこへ首筋へ剣を突きつけた。
「ここで引くなら殺さない」
俺が低く言うと、男は一瞬固まってから、ゆっくり頷いた。
「……わ、かった」
「槍を下ろせ」
槍使いはその通りにした。
後ろでは魔術師もようやく視界を取り戻し、斥候も息を整え始めている。
俺は剣先を外さずに続けた。
「最初に飛びかかってきた男を引き連れて帰るがいい」
槍使いはまた頷いた。
「……そうする」
魔術師はパラライズで止まっていた剣士を起こし、四人はゆっくり後退を始めた。
俺はその背中を見送る。
ここで本当に引くなら、それでいい。
殺す理由はない。
だが。
四人が部屋の出口へ背を向けた、その瞬間だった。
空気が変わる。
「今だ!」
誰かが叫んだ。
振り返りざまに四人が一斉に攻撃してくる。
「……そう来るか」
俺は一瞬だけ目を細めた。
仕方ない。
ここまでだ。
血魔術、第三段階。
血の遡行。
体の内側を熱いものが駆け上がる。反射神経が引き上がる。世界が少しだけ遅くなる。
同時に、もう一度恐怖の睨視を放つ。
今度は二人。
魔術師と斥候が、また怯んで動けなくなった。
残る二人のうち、剣士が飛びかかってくる。
盾でいなす。
勢いを殺し、喉へ切っ先を突き込む。
一撃で終わった。
槍使いの方へ向き直る。
そいつにはスリープをかけた。
完全には眠らない。だが、動きが鈍る。一瞬だけ意識が沈む。
その隙に、ライトニング。
雷が走る。
槍使いの体を焼き、痙攣させる。
俺は踏み込み、首を刎ねた。
二人、終わり。
魔術師と斥候は、その光景を見て完全に戦意を失った。
二人とも武器を捨てる。
「ま、待ってくれ」
魔術師が言う。
「降参する!」
斥候も顔色をなくしていた。
俺は少しだけ考えた。
ここで殺すのは簡単だ。
だが、無条件で殺すのは違う気もした。最初に裏切ったとはいえ、もう戦意はない。情報源や交換材料になる可能性もある。
「武装解除しろ」
俺が命じると、二人は必死で従った。
そのまま近くの部屋へ追い込み、ありあわせの縄と布で縛り、閉じ込める。部屋の鍵と罠は人間相手にはきっちり働く。こいつらには逆に、それが枷になる。
扉を閉めた後、俺は剣士と槍使いの死体を見下ろした。
「……ミラーカは喜びそうだな」
血はそうだろう。
戦士の体は、リアンに渡せば何かの参考になるかもしれない。あるいはアドールか。迷宮の中では、死体にも価値がある。
そこまで考えて、ふと自分でも妙なことに気づいた。
人を殺したのに、あまり感慨が湧かなかった。
昔なら、もう少し胸がざらついたかもしれない。だが今は、それよりも判断の方が先に立っている。
「……まあ、前世でも殺したからか」
そう思った。
戦場で人を斬ったことはある。王になる道の途中でも、王になってからも。だから今さら、と言えば今さらなのだろう。
ただ、その割り切りが早くなっているのが、ダンピールになったせいか、訓練のせいか、それとも元々俺の中にあったものなのかは分からなかった。
十三階は、全体として敵も弱かった。
ボスはすでに死んでいたし、探索もそこまで難しくない。部屋の罠や配置も、前世の記憶と今の技能があれば十分対処できる。
そして、いよいよ。
十二階だ。
ミラーカたちと約束した、鉄の巨人との戦いが始まる。
鉄の巨人。
認識阻害も、忍びも、ほとんど意味がない相手。
やつは視覚や聴覚だけでなく、魔力や振動まで拾う。隠れるより前に、そもそも存在を捉えるように作られている。なら、正面からやるしかない。
俺は階段の前で一度深く息を吸った。
まずヘイスト。
体が軽くなる。時間が少しだけ味方につく。
階段を上がる途中から、血の遡行も使う。
心臓が強く脈打つ。思考と反射がさらに速くなる。肉体の奥が熱い。
「行くぞ」
小さく呟いて、十二階へ踏み込む。
いた。
鉄の巨人。
人型だが、人ではない。鈍い鉄の塊を継ぎ合わせたような体。関節ごとに青白い光が走り、その巨体が不気味な滑らかさでこちらへ振り返る。
そして、手にしていた武器を見て、俺は一瞬だけ目を見開いた。
銃だ。
「……マジか」
次の瞬間、撃ってきた。
轟音。
だが、俺はすでに射線から外れている。
ヘイストと血の遡行を重ねた今の俺なら、引き金が絞られる気配で十分だった。弾は俺の横を抜け、壁を砕く。
「ライトニング」
間髪入れずに雷を撃ち込む。
鉄の巨人の体に走る。完全には止まらないが、確かに動きを鈍らせる。そこへさらにホールドを重ねる。
「ホールド」
足の動きがわずかに詰まる。
完全拘束ではない。だが十分だ。
鉄の巨人はさらに銃を構えようとする。
その前に、俺はファイアボールを変質させた。
ナパーム状の炎。
火炎放射。
轟、と粘る火が鉄の巨人へ浴びせかけられる。普通の生き物なら一撃で終わるところだが、相手は鉄だ。それでも熱は通る。関節の隙間、魔力の走る線、内部機構。その全部にダメージが蓄積していく。
鉄の巨人が大きく揺れた。
さらに一歩踏み込み、もう一度雷を叩き込む。
鉄と火と雷。
相性が悪いはずがない。
やがて、鉄の巨人は重い音を立てて倒れた。
床が震える。
しばらく動かない。
探知、センスライフ、どちらで見ても活動停止だ。
俺は近づき、その巨大な体を見下ろした。
「……ミラーカが欲しがるだろうな」
銃もそうだ。
魔導機械好きのあいつが見たら、絶対に喜ぶ。いや、狂喜するかもしれない。
俺は鉄の巨人の体と銃を、まとめて収納へしまった。
重い。
だが今の収納なら問題ない。
十二階の目的はこれで果たした。
俺はその場に立ったまま、静かに息を吐く。
十五階の強個体。
十四階のミノタウロス。
十三階の探索者との交戦。
そして十二階の鉄の巨人。
一つずつ越えてきた。
まだ先はある。
だが今は、確かにここまで来たのだと実感できた。




