第三十四話。
死体を収納する。
剣士型の強個体は、前世の俺なら埋葬を考えたかもしれない。あるいは解呪の可能性を探っただろう。だが今の俺は、ただ静かにそいつを収納へ押し込んだ。
使えるものは使う。
糧になるなら糧にする。
それだけだ。
ボス部屋を出て、前室のダークゾーンへ入る。
ここは覚えている。
前回、探索者に見つかりそうになり、咄嗟に死んだふりをした場所だ。あの時は何も見えず、音と気配だけに怯えながら這うように進んだ。だが今は違う。
フクロウの術を使う。
目の奥に冷たいものが走り、暗闇がほどけるように見えてくる。完全な昼の明るさではない。だが、光を失った世界ではなくなる。壁の輪郭、床の起伏、扉の位置、前室の中央を満たす濃い闇の流れまで、ちゃんと読めた。
「……便利だな」
小さく呟く。
暗闇はもう苦ではない。
時間を置かず、俺はダークゾーンを抜けた。
ここからは玄室群を抜けて、十四階へ向かう。
探知を意識する。
すぐに反応があった。
二つ。
片方は速い。動きが細かい。もう片方は重く、一定の巡回をしている感じだ。俺は壁の陰に身を滑り込ませ、センスライフを重ねる。
輪郭が見える。
片方は警備モンスター。
グレイリンクス。
猫型のモンスターだ。灰色の体毛、長い尻尾、低い体勢で巡回する厄介なやつ。
もう片方はストーカー。
しかも、ただの鈍重な個体じゃない。動き方からして斥候型だ。
前世の俺なら、ここで回避を選んでいただろう。
ストーカーは助ける対象だと思っていたからだ。解呪の可能性があるなら、できるだけ戦闘は避けていた。
だが今は違う。
俺はレベル上げのために来ている。
そして、もう以前のような憐憫の情を、無条件に持ち合わせてはいなかった。
「……狩るか」
そう決める。
あえて足音を鳴らす。
石床を強めに踏む。
すぐに反応があった。
斥候型ストーカーが、影のように飛び出してくる。速い。低い姿勢から一気に間合いを詰める動きは、間違いなく狩る側のものだ。
鑑定。
レベル十五。
俺と同じ。
だが焦る必要はない。
飛びかかってくる、その一歩手前。
俺は間合いの外から長剣を振った。
鉄獅子剣術。
長い間合いを活かした迎撃。
刃が斥候型の鉤爪のついた腕を斜めに裂く。浅くはない。しかも狙いは急所ではなく、動きの起点だ。
ストーカーがわずかに怯む。
そこへダズリング。
「ダズリング」
閃光。
そして眩暈。
斥候型の体勢が崩れる。
俺は一歩踏み込み、首を刎ねた。
骨と肉の繋ぎ目を狙った一撃だ。斥候型の頭が転がり、体がその場に崩れる。
同時に、グレイリンクスが現れた。
灰色の影みたいに速い。
だが、こっちは準備していた。
「止まれ」
王命。
短く、強く。
命令が走る。
グレイリンクスの動きがぴたりと止まる。
その一瞬で十分だ。
「ライトニング」
雷が走る。
猫型の体を貫き、毛皮が焦げる匂いが立つ。グレイリンクスはその場で痙攣し、瀕死になった。
俺は近づいて、剣を突き刺した。
終わりだ。
静かになった通路で、俺は二つの死体を見下ろす。
「フェンリスとキマイラにいい土産だな」
そう思って、収納する。
神狼とキマイラは肉を喜ぶ。特に強い獣や魔物の肉は、あいつらも機嫌がいい。迷宮の中で戦って得たものを、そのまま精霊との親交にも回せるのは悪くない循環だった。
俺は再びセンスライフをかけながら玄室に入る。
扉の向こう。
薄暗い部屋。
石棺の残骸。
いくつかの玄室を抜けていくと、今度はまとまった反応があった。
ストーカーのグループ。
四、いや五か。
レベルはばらついている。だがどれも低くはない。
「ああ、気づいたか」
向こうもこちらに反応した。
複数の気配が一斉に動く。
襲いかかるつもりだ。
だが、今の俺はあの時の俺じゃない。
玄室の出口に立ち、正面からそいつらを見る。
そして、畏怖術。
恐怖の睨視。
俺は一体一体ではなく、群れ全体を睨みつけた。
意識を乗せる。
逃げろ。
怯えろ。
来るな。
その感情を、視線に混ぜて叩き込む。
効果はすぐに出た。
何人かが、その場で動きを止める。
何人かは明らかに恐慌状態になり、後ろへ下がった。目の焦点が揺らぎ、こちらへ飛びかかる勢いが削がれる。
「いい」
俺はその一瞬で、人数分のホールドを放った。
「ホールド」
一体。
「ホールド」
二体。
「ホールド」
三体。
足が止まり、腕が硬直する。
完全拘束ではない。だが十分だ。
そして俺は、ファイアボールを変質させた。
「ファイアボール」
ただの爆裂ではない。
ナパーム状の火。
アドールから教わった習熟の変質。火の塊を散らすのではなく、粘る炎として吐き出す。
火炎放射。
轟、と炎が広がる。
狭い玄室と通路の連結部で、それは最悪の形で効いた。一度ついた火はすぐには消えない。ストーカーたちの体毛と布切れと乾いた肉に燃え移り、火が這う。
叫び声。
唸り声。
焦げる臭い。
何人かはその場で焼死した。
残った者も、火傷と恐怖と拘束でまともに動けない。俺は一体ずつ近づき、確実にとどめを刺した。
長剣。
鉤爪。
必要ならダズリング。
短く、早く、確実に。
全部が終わった時、玄室群の一角は、焦げた臭いと焼けた骨の音だけを残して静かになっていた。
俺は火が燃え広がらないのを確認しながら、深く息を吐く。
「……だいぶ慣れたな」
戦うことに。
殺すことに。
それが良いことかどうかは分からない。だが今の俺には、迷っている暇がない。
死体の一部を収納し、俺はさらに進んだ。
やがて、十四階行きの階段の前へ辿り着く。
そこで足を止める。
この上はボス部屋。
中身は知っている。
ミノタウロス。
しかも、ただの斧戦士ではない。神聖魔法を使う戦士型だ。
前世の知識が脳裏をよぎる。
筋力は高い。
防御もある。
加えて神聖属性の術を使う。今の俺には、相性が最悪に近い相手だ。ダンピールである以上、神聖の力をまともに受ければ、肉体にも精神にも響くはずだ。
俺は階段の前で、一度装備を確認した。
長剣。
中盾。
仕込み小手。
指輪。
革鎧。
そして、自分の中を見直す。
血魔術。
影使い。
ダズリング。
王命。
精霊術。
月光の鎧の術も、場合によっては使える。
「どう攻める」
声に出さず考える。
真正面からの殴り合いは避けたい。ミノタウロスの得意距離に付き合えば、こっちが不利だ。なら視界を奪うか、間合いをずらすか。神聖魔法を使わせる前に畳みかけるか、使わせた上でかわすか。
そして何より。
あいつは牛頭の怪物だが、知能は低くない。
ボス個体だ。単純に突っ込んでくるだけではない可能性もある。
俺は階段の暗がりで静かに目を閉じた。
フクロウの目。
フェンリスの速さ。
ルナの月光。
キツネの隠惑。
使えるものは全部使う。
鉄獅子剣の理だ。
勝つために必要なことだけをやる。
そう決めて、俺はゆっくりと階段へ足をかけた。
十五階は突破した。
次は十四階。
ミノタウロスの神聖戦士が、待っている。




