第三十三話。
半年が過ぎた。
俺はその間、ほとんど毎日、修行に明け暮れていた。
朝は武神套路から始まり、昼は鉄獅子剣術と盾術、夜は魔法か血魔術か影使い。合間に精霊と親交を深め、占術の札を繰り、アドールに渡された課題を潰し、ミラーカに畏怖術の応用を見てもらい、カダスに精霊術の勘所を問う。休みらしい休みはなかったが、不思議と嫌ではなかった。
少なくとも、ただ呪いに飲まれていくのを待つよりはずっと良かった。
レベルは十五になった。
最初に迷宮へ落とされたあの日を思えば、隔世の感がある。だが数字以上に大きいのは、自分の中身が変わったことだ。
先天性スキルでは、鑑定が一段階上がった。
人の潜在能力が分かるようになり、同時に物に宿っているスキルも見えるようになった。前世で知っていた第四段階へ近づいている証拠だ。そこから読み取れるスキルを持つ物品を探している最中で、屋敷の保管庫やアドールの蔵書棚を漁らせてもらっていた。
とりあえず、演技が覚えられる手鏡が見つかった。
古びた銀の縁のついた手鏡で、表面には擦り切れた化粧台の名残のような装飾がある。鑑定すると、かつて役者が使っていた道具らしく、そこに演技の技術が宿っていると分かった。ただ、まだ第四段階の鑑定ができないせいで、全部は読みきれない。だから俺は日々、その手鏡を鑑定し続けている。
収納も練習の末、第二段階に到達した。
以前は中を整理しなければ取り出しづらく、意識の中の棚を探るみたいな感覚が必要だった。今は念じるだけで、ある程度のものはすっと取り出せる。戦闘中の利便性はまるで違う。
後天性スキルもいくつか段階が上がった。
魔法は、前世で使っていた魔法を思い出した時点で段階が跳ね上がった。アドールはそれを見て「やはりお前は腹立たしいな」と言っていたが、褒めているのだと今では分かる。
近接スキルは、軒並み第三段階に到達した。
剣術、盾術、鉄獅子剣術、武神套路。どれもまだ極めたとは言えないが、少なくとも「使える」ではなく「武器になる」段階には来ている。
精霊術は、キマイラとフェンリスだけがまだ深く教えてくれない。だが、ルナ、ハヤブサ、キツネ、チーター、フクロウからは、それぞれの術を得ていた。
血魔術は第三段階へ。
血の遡行ができるようになり、反応力と思考力を一時的に引き上げられるようになった。使うと確かに速くなる。だが、血が熱く逆流するような感覚があり、使いどころを誤れば自分の首を絞める術でもある。
影使いは、まだ安定しないものの、触手が出せるようになり第三段階に入った。闇を纏うだけではなく、こちらから影を伸ばして掴み、絡め、叩けるようになったのは大きい。
畏怖術も第二段階に到達した。
恐怖の睨視。
正面から目を合わせた相手に、本能的な忌避と怯えを植えつける。まだ熟練には遠いが、手応えはある。
そうした積み重ねを経て、ついに四人から言われた。
そろそろ、迷宮内部でレベル上げをしろ、と。
そして最初の目標として指定されたのが、十二階にいる鉄の巨人だった。
その前段階として、俺は十六階から階段を使い、十五階を抜ける必要がある。
あの、十五階を。
俺の因縁の階だ。
初めて迷宮に落ちた時、ストーカーのまま必死で這いずり回り、ボスに追われ、探索者に死体扱いされ、ようやく抜けたあの階層。あれから半年。今度は逆に、俺がそこを攻略して上へ進む。
十六階の階段前で、四人に見送られた。
「死ぬなよ」
とカダスが言う。
「死んだら蘇らせるのも面倒だ」
とアドールが言う。
「無様を晒すな」
とリアンが言う。
「怪我したら戻っていらっしゃい」
とミラーカが言った。
どれもらしい。
俺は小さく頷き、階段へ足をかけた。
まずはフクロウの術。
暗がりを見通す目が開く。十五階へ近づくにつれ、上の方から差してくる青白い明かりと、階層の濁った気配がはっきりしてくる。
そこへ忍びを重ねる。
足音を殺し、息を潜め、影使いも薄く纏う。俺の輪郭は階段の暗がりに溶け、動いていること自体が見えにくくなる。
静かに、静かに、登る。
やがて十五階の入り口に辿り着いた。
あの嫌な湿気と、墓所じみた空気が鼻を打つ。中央祭祀場と玄室群の構造も、今では頭に入っている。だが今回は玄室群を潜る必要はない。階段を上り切った先にあるボス部屋へ直行できる位置取りだった。
階段上に、気配がある。
強い。
だが昔のように、ただ恐ろしいだけではない。
探知とセンスライフを重ねると、相手の輪郭が分かる。剣士型。単独。取り巻きはいない。レベルも高い。二十。確かに強個体だ。
だが、今の俺はレベル十五。
しかも、ただの十五じゃない。
ボス部屋は変わっていなかった。広い円形の空間。崩れた柱。古い紋様。そしてその中央付近に、剣を持ったストーカーが立っている。
あの時、俺を追いかけた個体に見える。
そっくりだ。
片手剣を構える姿勢、首の角度、獲物を探すような気配。半年ぶりに見るその姿に、背筋の奥がわずかに冷えた。
だが同時に、奇妙な静けさもあった。
今の俺は、こいつに追われる側じゃない。
狩る側だ。
俺はフクロウの術と影使いを重ねたまま、部屋の縁を回り込む。ボスは正面を警戒している。過去の探索者の侵入経路を覚えているのだろう。なら、その背後を取る。
足を滑らせない。
息を乱さない。
盾は低く、剣は鞘の中。鉄獅子剣術の早抜きに全神経を乗せる。
距離が縮まる。
三歩。
二歩。
一歩。
背後。
その瞬間、俺は抜いた。
鉄獅子剣術の早抜き。
鞘走りと同時に刃が閃き、最短の軌道で相手の背から斜めに食い込む。長剣の重みと俺の踏み込み、影の勢いまで乗せた一撃だ。
「……ッ!」
ストーカーの強個体が大きく揺れる。
大ダメージだ。背を深く裂いた。普通ならここで終わってもおかしくない。だがレベル二十の強個体は甘くない。剣士型は痛みに怯まない。すぐに体を捻り、剣を構えようとする。
早い。
だが、追いつける。
俺は盾を前へ出し、その剣筋をいなした。
まともに受けない。逸らす。勢いを殺し、体勢だけを崩す。リアンに嫌というほどやらされた盾術が、自然に出る。
そこへダズリング。
「ダズリング」
閃光。
そして眩暈。
ボスの動きが一瞬止まる。
その隙に、俺は背中側へ回り込んだ。半年前の俺なら、この距離でただ逃げるしかなかった。だが今は違う。
掌を相手の首筋へ当てる。
血魔術、第二段階。
吸う。
手のひらの口が開く感覚。相手の中に残っている血を、一気に引き上げる。ストーカーとはいえ、完全な骨ではない。濁った血がまだ巡っている。
「……っ!」
剣士型の体がぐらつく。
それだけで眩暈を起こす量だ。全てを吸う必要はない。ただ、足りなくすればいい。
そして最後。
鉤爪戦闘術。
仕込み小手から爪が伸びる。俺は踏み込み、喉を裂いた。
骨と肉の繋がりが断たれ、強個体はその場に崩れ落ちた。
静寂。
俺はすぐに距離を取る。
息を整え、探知を広げる。反応はない。追加の敵もいない。
それから、慎重に自分を鑑定し、相手も鑑定した。
ボスはレベル二十だった。
「……本当に、二十か」
無傷。
俺はほとんど傷を負っていない。
ダズリング、盾術、早抜き、血魔術、鉤爪。その全部が綺麗に繋がった結果だ。たまたまではない。訓練の積み重ねが、そのまま出た。
ジャイアントキリング。
そう呼んで差し支えない勝ち方だった。
俺はしばらく、倒れた剣士型を見下ろした。
半年前、俺はこいつから逃げるしかなかった。
今は、こうして立っている。
その事実がじわじわと胸に広がってくる。
だが、感傷に浸る暇はない。
十五階はここからだ。
中央祭祀場。
玄室群。
そこにいるストーカーたち。
あの時は、自分もそちら側だった。今は違う。今の俺は、この階層を突破するために戦う。
俺は長剣の血を払った。
「……さあ」
自然と声が出る。
十五階。
ストーカーたちとの戦いが、待っている。




