第三十話。
アドールのもとで魔法を学び出して、しばらく経った頃だった。
俺はすでに魔法スキルを習得し、詠唱破棄も覚えていた。かつて使っていた魔法たちも、少しずつだが手に戻り始めている。まだ前世の全盛期には遠い。だが、少なくとも「名前を知っているだけの魔法」ではなくなってきていた。
その日も、俺は書庫めいた魔法室でワンドを握っていた。
アドールは机の向こうで、珍しく少し機嫌が良さそうだった。骨の指で机を叩きながら、俺に言う。
「センスライフは、慣れてきたらどんな種類の、どんな強さの生き物がいるか分かるだろう?」
「そうだな」
俺は素直に頷いた。
「感知で強さも分かりやすくなる。最初はただ反応があるだけだったが、今は濃淡である程度読める」
「うむ」
アドールは満足そうに顎を鳴らした。
「では、マジックミサイルは? ダズリングは? ヒールは? 何か、習熟したら特殊な効果があると思うかね?」
その問いに、俺は少し黙った。
今まで考えたことがなかった。
いや、正確には考えてはいたのかもしれない。だが魔法を覚えること、取り戻すこと、今の体に馴染ませること、それだけで手一杯だった。ひとつの魔法を深く掘った先で、何が起きるかまでは意識が向いていなかった。
「……考えたこともなかった」
率直にそう言うと、アドールは鼻を鳴らした。
「そんな研究を異端としていたのだから、分からないだろうな」
「まだそれ言うのか」
「言うとも」
骨の顔なのに、妙に嫌味が伝わるのが腹立たしい。
「じゃあ教えてくれ」
俺がそう言うと、アドールは少しだけもったいぶるように沈黙し、それからいかにも仕方ないな、という調子で言った。
「よかろう」
アドールはワンドを持ち上げた。
「例えば、マジックミサイルだ。通常は一本の矢」
そこまでは俺も知っている。
「だが、習熟するとこうなる」
ワンドが振られる。
次の瞬間、五本の魔法の矢が空中に現れた。
「……おい」
思わず声が出る。
一本ではない。五本だ。それぞれが独立した光の矢として、微妙に位置を変えながら浮いている。しかも不安定さがない。どれも同じ密度で、同じ鋭さを持っていた。
「な、すごいだろ」
アドールが少し得意げに言う。
「普通にすごいな」
俺は素直にそう認めた。
マジックミサイルは初歩に近い魔法だ。だがだからこそ、五本同時に撃てるとなれば話が違う。牽制、同時攻撃、狙いの分散、いくらでも応用が利く。
アドールはさらに続ける。
「次はダズリングだ」
そう言って、何の前触れもなく俺へ向けて魔法を放った。
「ダズリング」
閃光。
目を閉じるより先に、頭が揺れた。
「っ……!」
俺は思わずしゃがみこんだ。
ただ眩しいだけではない。視界の中心が白く弾けたと思った次の瞬間、平衡感覚が狂う。床が傾いたみたいに感じ、胃がひっくり返りそうになる。
「ぐ……!」
「通常は目眩しだが」
アドールの声が上から降ってくる。
「このように、眩暈を起こすこともできるようになる」
俺は片手を床につき、何とか呼吸を整えた。
「……今のは、きついな」
「実戦なら十分致命的だ」
確かにその通りだ。
目が潰れるだけなら、まだ気合いで踏みとどまれる。だが眩暈まで来れば、剣士だろうが獣だろうが一瞬で隙になる。
アドールはそのまま、他の魔法についても語った。
「ヒールは病気にも効くようになる」
「病気に」
「回復とは肉の修復だけではないからな。歪みを整える方向へ習熟すれば、毒や病にも干渉できる」
それはかなり大きい。
俺が思わず真剣な顔になると、アドールはさらに言う。
「ファイアボールは、火炎放射や炎の剣、槍に変化することもできる」
「同じ魔法が、そこまで変わるのか」
「変わる。習熟とは、恐ろしく魔法を変化させるものなのだ」
その言葉には、魔術師としての重みがあった。
魔法はただ覚えるだけでは足りない。
深く馴染ませ、掘り下げ、性質そのものを変えるところまで行って初めて、自分だけの武器になる。アドールはそう言いたいのだろう。
俺はしばらく黙って考えた。
今まで俺は、魔法をひとつの「便利な道具」として扱っていたところがある。前世での記憶があるせいもあって、使えること自体を前提にしていた。だが、こうして聞くと、一本一本の魔法にはまだずっと先がある。
「……面白いな」
思わずそう言うと、アドールは少しだけ目の光を強めた。
「だろう?」
そこでようやく、師匠らしい顔になった気がした。
「とりあえずは、ダズリングを習熟させるところから覚えろ」
アドールははっきり言う。
「できれば、すべての魔法で習熟ができれば良い」
「全部か」
「全部だ」
無茶を言う。
だが、こいつが本気で言っているのは分かる。
「分かった」
俺は頷いた。
「やる」
その日の授業はそこで終わった。
それから俺は、まずダズリングを意識して使うようにした。
理由ははっきりしている。
生き残るためだ。
マジックミサイルが強くなるのも魅力的だ。だが、ダズリングは今の俺の戦い方に噛み合う。相手に一瞬の隙を作れれば、鉄獅子剣にも繋がるし、逃げにも使える。ミラーカの術や影使いとも相性がいい。
ただ、練習相手が必要だった。
そこでアンデルセンに頼み、グールを一体借りることにした。
「壊さないように」
とだけ言われたが、言われなくてもそのつもりだ。
グールは無言で立っている。
青白い肌。感情の薄い顔。だが、ミラーカの血によってきちんと管理されている個体だ。壊せばただでは済まないだろう。
俺は距離を取って、ワンドを構える。
「ダズリング」
光が弾ける。
グールは一瞬だけ瞬きをしたが、それだけだ。
「……駄目か」
もう一度。
「ダズリング」
今度は顔を背けた。
だが、眩暈には至らない。
俺はそのまま何十回も続けた。
眩しさの強さ。
タイミング。
意識の込め方。
ただ光らせるのではなく、目の奥と平衡感覚を揺さぶるイメージ。アドールのダズリングを思い出しながら、自分なりに組み直す。
その日は変化がなかった。
次の日も。
また次の日も。
グールは眩しそうにはする。顔を背けもする。だが、それだけだ。俺が狙う「眩暈」までは届かない。
「難しいな……」
訓練のあと、一人でそう呟くことも増えた。
だが、やめる理由にはならない。
アドールの言う通り、習熟は変化をもたらす。そして、それは反復でしか掴めないのだろう。
だから俺は毎日続けた。
魔力点の許す限り、ダズリングを繰り返す。
グールの反応を見る。
少しずつ、ほんの少しずつだが、手応えは変わっていった。
ある時は、グールが一歩よろめいた。
またある時は、顔を手で押さえるような動きをした。
そしてついに、ある日。
「ダズリング」
俺が魔法を放つ。
閃光が走る。
次の瞬間、グールの膝ががくりと折れた。
そのまま、床に片膝をつく。
「……っ!」
俺は思わず息を呑んだ。
グールはその場で頭を垂れ、数秒間、まるで世界が揺れているのを耐えるみたいに動かなかった。
「成功した……」
呟いた時、胸の奥にぞくりとした快感が走った。
ただの目眩しじゃない。
眩暈を起こさせた。
アドールの見せたあの「習熟したダズリング」の入口に、ようやく手が届いたのだ。
グールがゆっくり立ち直る。
俺はワンドを握ったまま、それを見つめていた。
小さな一歩だ。
だが確かに、自分の魔法が変わり始めている。そう実感できる一歩だった。




