第二十九話。
リアンの訓練は、相変わらず容赦がなかった。
武神套路を始めた頃は、あれだけで十分に地獄だった。朝と夜、欠かさず型をなぞり、重心の置き方から肩の落とし方まで叩き込まれる。少しでも雑になると、リアンはすぐに見抜いた。足裏の抜き方が甘い、腰の返しが早い、肘が浮く、呼吸が浅い。そういう細かい修正を何百回も積み重ねた結果、ようやく俺の身体は「今の俺の身体」として動き始めてきた。
そして、ある日。
武神套路がある程度形になってきたとリアンが判断すると、今度は鉄獅子剣の修行に入った。
最初に型を見せられた時、俺は少し驚いた。
戦場剣闘術も、十分になんでもありの剣術だった。勝つため、生き残るためなら、剣も盾も体当たりも足払いも、全部を混ぜて使う。そういう意味では実戦的で、俺も前世でずいぶん助けられた術だ。
だが、鉄獅子剣はそれに輪をかけてなんでもありだった。
ただし、雑ではない。
むしろ逆だ。
あらゆる手段を、徹底的に洗練した上で「使っていいものは全部使う」という思想だった。
リアンは剣を構えたまま言った。
「百獣の王である獅子であるためには、あらゆる面で強くなければならない」
その言葉通り、鉄獅子剣は、相手より優位に立つための技術を極めた剣術だった。
例えば、初手。
ただ剣を抜いて構える、というだけの動作に、いくつもの理屈が詰まっている。座った状態、狭い通路、階段、壁際、背後に味方がいる状況、盾をすでに構えている場合、片手に別のものを持っている場合……そういったあらゆる状況から、どうすれば最速で優位な位置へ剣を持っていけるか。
そのための型が、何十通りもあった。
「抜け」
とリアンが言う。
俺は命じられるまま、長剣を抜く。
「遅い。今のは広間でしか使えん」
「広間でしかって……」
「迷宮の通路でやれば、壁に当たって終わる」
次。
「抜け」
今度は腰を落として抜く。
「まだ甘い。肩が先に開いている」
次。
「抜け」
今度は斜めに半歩ずらしてから抜く。
「そうだ。だが切っ先が死んでいる」
そんな具合に、ひたすら抜きの型を繰り返した。
最初は単調に思えた。だが、やっていくうちに分かる。剣を抜くという行為そのものが、すでに攻防の始まりなのだ。抜きながら視線を潰す。抜きながら相手の踏み込み線を切る。抜きながら盾で死角を作る。ただ抜くだけではない。
そして、その反復の結果、俺は早々に早抜きのスキルを獲得した。
鑑定でそれを見た時、少しだけ笑ってしまった。
「本当に生えたな」
そう呟くと、リアンは淡々と返す。
「当然だ。それだけ抜かせた」
そこに間違いはない。
だが、鉄獅子剣の本領は抜きだけではなかった。
剣そのものの扱いが、戦場剣闘術よりさらに広い。
ただ斬り、刺すためのものではない。剣身の角度一つで受け流しになり、鍔の位置一つで押し込みに変わる。相手の手元へ圧をかけながら、自分は半歩外へずれる。防御しながら攻撃し、攻撃しながら次の守りを作る。
「剣の間合いを狭く考えるな」
リアンは何度もそう言った。
「鉄獅子剣は、戦場剣闘術より遥かに広い間合いから、攻撃と防御を加えることが可能だ」
実際そうだった。
前世の俺が使っていた戦場剣闘術は、どちらかといえば近い。盾と体を活かして、危険な位置まで踏み込み、そこで勝ちを作る術だ。
だが鉄獅子剣は、その一歩手前からすでに勝負を始めている。
切っ先で圧をかける。
踏み込み線を奪う。
盾の角度で「そこへ来るな」と言う。
相手の攻撃が届く前に、防御の構造ごと崩す。
獅子の前脚のように、広く、重く、そして速い。
「これは……強いな」
何度目かの打ち込みの後、俺がそう言うと、リアンは小さく頷いた。
「強い。だが、それだけではない」
「まだあるのか」
「ある」
そして見せられたのが、盾術だった。
俺は正直、盾についてはそこまで深く考えていなかった。前世でも小盾は使った。受ける、逸らす、殴る、視界を隠す。その程度の認識だった。
だが、鉄獅子剣の盾術は、それを一段も二段も越えていた。
盾は、ただシールドバッシュするだけのものではない。
リアンは中盾を持ち上げ、俺の剣を受ける。
そのまま弾くのではなく、俺の手首の角度を崩すように受ける。次の瞬間には、盾の縁が俺の肘へ当たっていた。
「ぐっ」
「今のは受けだ」
リアンは言う。
「相手の攻撃を止めるだけではない。受けた瞬間に、相手の体へ攻撃を返す」
次は、俺の踏み込みに対して盾の面で胸を押す。押すだけなのに、呼吸が乱れる。さらに足を引っかけ、崩し、その上から剣が飛ぶ。
「盾は壁ではない。牙だ」
リアンのその言葉が、妙に腑に落ちた。
盾は守るだけのものではない。
相手の流れを壊し、関節を責め、姿勢を崩し、呼吸を乱し、剣が通るための道を作る。しかもそれを、防御の動きの中で行う。
俺は最初、その複雑さに完全についていけなかった。
剣と盾が、別々の仕事をしているようでいて、実際には一つの流れになっている。剣で押したから盾が入る。盾で角度を作ったから剣が届く。その連携が速すぎる。
「頭で追うな」
リアンが言う。
「身体に落とせ」
それができれば苦労はしない、と言いたかった。
だが、リアンはそれを許さない。
一つの型を、十回、二十回、五十回。
抜きから一歩目。
盾で圧を作り、剣で線を引き、再び盾で潰し、最後に斬る。
また最初から。
角度が悪い。
やり直し。
重心が高い。
やり直し。
盾が遅い。
やり直し。
「……っ、は」
呼吸が荒くなる。
腕が痺れる。
中盾は思った以上に重い。長剣も、構え続けているだけで肩が焼ける。だがリアンは休ませない。
「獅子は疲れたなどと言わん」
「人間は言う……!」
「なら、獅子になれ」
無茶苦茶だ。
だが、その無茶苦茶な言葉に、今の俺は妙に引っ張られるところがあった。
俺はもう普通の人間じゃない。
ストーカーの呪いを抱え、ダンピールとなり、夜の血を飲む存在だ。なら、前世の剣術にしがみつくより、今の身体に合った獅子の剣を覚える方が理にかなっている。
訓練を重ねるうちに、少しずつ分かってきた。
長剣の重さが邪魔ではなく、前へ出る圧になる。
中盾の大きさが防御だけでなく、相手の進路そのものを潰す武器になる。
そして何より、今の俺の身体は、それを支えられる。
しなやかさと粘りがあるから、重い武器でも振り回されない。踏み込みも深く、戻りも速い。鉄獅子剣は、確かに今の俺に合っていた。
「そうだ」
リアンが一度だけ、はっきりと褒めた。
「今の受けはよかった」
その一言だけで、少しだけ疲れが報われる気がした。
とはいえ、訓練の厳しさは変わらない。
武神套路は朝と夜。
鉄獅子剣は日中。
影使いと血魔術もあり、魔法の反復もあり、精霊との親交もある。
体はいつもどこかが痛い。頭も使う。精神点も気にしなければならない。楽な日は一日もない。
それでも、俺は少しずつ前へ進んでいる実感があった。
早抜きを得た。
剣の間合いが伸びた。
盾が牙になり始めた。
そして、今の俺の身体が、少しずつ俺自身のものになっていく。
訓練の終わり際、俺は汗だくのまま剣と盾を下ろした。
リアンは正面から俺を見る。
「鉄獅子剣は、強さを一つに限定しない」
「どういう意味だ」
「早さでも、重さでも、間合いでも、崩しでも、心理でも、勝てるところで勝つ」
リアンは長剣を肩へ担ぐようにして言った。
「百獣の王である獅子であるためには、あらゆる面で強くなければならない。だからこれはなんでもありだ。だが、なんでもやっていいのではない。勝つために必要なことだけをやる」
俺はその言葉を、静かに胸に落とし込んだ。
勝つために必要なことだけをやる。
それは、今の俺の生き方そのものにも思えた。
俺は剣を見た。
長剣。
今の俺の剣だ。
中盾も、もうさっきまでほど重くは感じない。
「……覚えるよ」
そう言うと、リアンは小さく頷いた。
「覚えろ」
それだけだった。
だが、その短い言葉の中に、剣士としてのすべてが詰まっている気がした。




