第二十五話。
今日は、リアンに近接戦闘を習う日だった。
訓練場に入った時点で、もう空気が違った。
ミラーカの訓練室がどこか妖しく、術のための静けさを持っていたのに対し、リアンの訓練場はひたすら実用本位だった。床は硬く、壁際には武器棚が並び、中心には打ち合いや足運びのための十分な空間が取られている。飾り気はほとんどない。あるのは汗と鉄と革の匂いだけだ。
リアンはすでにそこで待っていた。
フルプレートではなく、今日は訓練用らしい軽めの装備だ。それでも普通の兵士よりよほど重そうに見える。彼女の足元には、いくつか剣と盾が置かれていた。
「選べ」
短くそう言う。
俺は武器の前にしゃがみ込んだ。
短剣寄りのもの、長剣寄りのもの、片手半剣に近いもの。盾も、小盾から中盾まである。どれも使い込まれてはいるが、手入れは行き届いていた。
リアンが言う。
「お前が使っていたものに一番近いものはどれだ?」
俺は少し考えた。
前世の自分……レイの記憶の中で、最もしっくり来る構成は決まっている。万能で、癖が少なく、戦場でも迷宮でも対応しやすい。
「これだな」
俺は中剣と小盾を選んだ。
中剣は片手で扱うにはやや長めだが、切りも突きもこなせる。小盾は防御だけでなく視界の隠しや打撃にも使える。前世で一番手に馴染んでいた組み合わせだ。
リアンは黙って頷いた。
「振ってみろ」
俺は中剣を握る。
手の中の重さを確かめる。
軽すぎはしない。だが懐かしい感覚があった。盾も腕に通す。少し深く息を吸ってから、剣を振る。
横薙ぎ。
返し。
踏み込みからの突き。
一連の動きを流す。
するとリアンが言った。
「なるほど」
ほんの少し目を細める。
「剣術を勉強したことがあるのか?」
「ああ、そうだ」
俺がそう答えると、リアンは顎を引いた。
「では、それをやってみろ」
それ、というのは分かる。
俺は剣を構え直し、前世で習った戦場剣闘術を始めた。
無駄を削った、戦うための剣術。
斬り合いだけじゃない。盾で間合いを殺し、足で位置を奪い、体当たりも肘も使う。見栄えより実戦、生き残るための技術だ。
俺は流れを一つずつ思い出しながら動いた。
前進。
斜めの踏み込み。
盾で受け流してからの切り上げ。
突き。
退き足。
相手の膝を刈る想定の低い斬撃。
途中から、頭で思い出すというより体が勝手に続けていく感覚が強くなる。
終わると、リアンはしばらく黙って俺を見ていた。
「もう一回」
短い。
俺は無言で頷き、もう一度やる。
今度は少し速く、繋ぎも意識して動いた。だが、途中から自分でも妙な違和感があった。動けてはいる。だが微妙に噛み合っていない。踏み込みの距離、肩の回り方、盾の位置。どこかがずれている。
やり終える。
汗が落ちる。
息を整えながらリアンを見ると、彼女は静かに言った。
「まず一点」
そう言って、リアンは俺の持っている剣を指差した。
「剣がその身体に合っていない。盾もだ」
「……そうか?」
「そうだ」
即答だった。
リアンは武器棚へ歩き、別の剣と盾を取って戻ってくる。
「これを持て」
差し出されたのは長剣と中盾だった。
中剣より一回り長く、重い。盾も小盾より明らかに存在感がある。
俺は受け取って、少しだけ構える。
「どうだ」
「……重いな」
「だが、その方が今のお前には合う」
リアンは自分の胸元を軽く叩いた。
「今のお前の体は、人間の剣士のそれじゃない。しなやかさと、溜めの利く筋力がある。中途半端な軽さの武器だと、逆に動きが散る」
言われてみると、そうかもしれない。
今の俺の体は、前世と似ているようで違う。ダンピールとしての柔らかさと、呪われた身体の粘りがある。軽い武器に合わせると、動きが細かくなりすぎるのかもしれない。
リアンはさらに言う。
「次に、戦場剣闘術はその身体ではうまくならん」
「そこまで言うか」
「言う」
リアンは一歩も引かない。
「悪い技ではない。だが、お前の今の体は人間の兵士が想定する均整から外れている。踏み込みも重心移動も、もっと別の型に寄せた方がいい」
「じゃあ何をやる」
「私が習った中で、お前に合ったものを教える」
リアンは剣を抜いた。
構えが低い。だが獣じみた前傾ではない。鉄の塊がそのまましなっているような、不思議な構えだ。
「鉄獅子剣」
その名を聞いた瞬間、俺は少しだけ背筋が伸びた。
強そうな名前だ、という単純な理由だけじゃない。リアンがわざわざ「お前に合った」と言うからには、ただの好みではないのだろう。
リアンは続ける。
「最後に、今のお前には決定的に足りないものがある」
「何だ」
「身体操作だ」
その一言は重かった。
リアンは長剣の切っ先を下げたまま、俺を見る。
「お前はまだ、この身体を自分のものにしていない」
図星だった。
術の授業でも感じていた。動ける。だが馴染んではいない。前世の動きの記憶と、今の身体の性能がずれている。剣を振る時にも、その歪みが出ていた。
リアンは言う。
「まずはそこを治す」
長剣を鞘へ戻す。
「武神套路という素手格闘術を教える」
「素手……?」
「剣の前に、体だ。体を制御できなければ、何を持っても同じ」
それは納得せざるを得ない理屈だった。
リアンは訓練場の中央へ立つ。
「見ていろ」
そして、武神套路を始めた。
最初は遅い。
一見すると、ゆったりした型の連なりに見える。だがよく見ると、全身の関節が連動している。足の裏から始まり、膝、腰、背、肩、肘、手首、指先まで、一本の流れになっている。止まっているようで止まっていない。柔らかいのに、芯だけは一切ぶれない。
「……これ、格闘術か?」
思わずそう呟くと、リアンは動きを止めずに答えた。
「基礎だ」
その一言で分かった。
これは殴り合うための型ではない。殴れる体になるための型だ。
リアンは一通り見せ終えると、俺の前へ戻った。
「朝と夜、必ずやれ」
「毎日か」
「毎日だ」
そして、そこから地獄が始まった。
リアンは動きを一つずつ教えた。
足の置き方。
重心の流し方。
肩の落とし方。
首の向き。
肘の角度。
指先の意識。
どれも細かい。しかも、少しでもずれるとすぐに直される。
「違う」
「そこは流す」
「力むな」
「腰を先に開くな」
「足裏を殺すな」
「肩が浮いている」
休憩はほとんどなかった。
一つ覚えたら、すぐ次。
繋げてやれと言われ、繋げると崩れ、崩れるとまた最初から。
俺はどんどん疲れていった。
足がもつれる。
腕が上がらなくなる。
呼吸が乱れる。
汗が落ちる。
それでもリアンは止めない。
「もう一回」
「続けろ」
「覚えろ」
「今の動きで固めるな」
頭の中で何度も悪態をつきかけた。
だが、やっているうちに少しずつ分かってくることもある。今の体は、前世の体と違う。関節の遊びが広く、筋の伸びも違う。踏み込み一つで、前より深く沈める。逆に、前世の癖で動くと微妙に軸がずれる。
リアンはそこを徹底的に矯正してきた。
「お前は前の記憶に引っ張られすぎる」
途中でそう言われた。
「今の体を見ろ。昔の成功に頼るな」
反論したかったが、できなかった。
事実だからだ。
ようやく終わった頃には、俺は本当にクタクタになっていた。
足が震えている。
手も鉛みたいに重い。
呼吸は荒いし、床に座り込みたい気持ちでいっぱいだった。
だがリアンは、そんな俺を見てようやく一度頷いた。
「よし」
短い。
「動きは覚えたな」
「……覚えた、というか、叩き込まれた」
「同じだ」
リアンらしい答えだった。
彼女は俺の前に立ち、最後に言う。
「これを毎日続けろ」
「朝と夜、だな」
「そうだ」
「……きついぞ」
「だからやる」
淡々としている。
だが、その言葉には経験が乗っていた。
楽だからやるのではない。きついからこそ基礎になる。そういう戦い方をしてきた人間の言葉だ。
俺は深く息を吐いた。
体は悲鳴を上げている。だが、不思議と嫌な疲れだけではなかった。今の身体の輪郭が、少しだけはっきりした気がする。
「分かった」
俺はそう言った。
「続ける」
リアンは小さく頷いた。
それだけで、今日は十分だったらしい。




