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第二十話。

「なんの呪いだ?」


俺がそう聞くと、ミラーカはグラスの中の赤い液体を揺らしながら、少しだけ視線を落とした。


「呪いは、迷宮由来のものだわ」


その声音には、さっきまでの余裕とは違う、薄い苛立ちのようなものが滲んでいた。


「私はこの迷宮に縛られている。リアンも、アドールも、カダスも。十六階から出られないのよ」


俺は眉をひそめる。


「出られない?」


「ええ。正確には、境界を越えようとすると呪いが肉体と魂を引き裂こうとするの。無理に出れば壊れる。だから出られないのと同じ」


ミラーカはそこで、初めて少しだけ不満そうに唇を尖らせた。


「私はたまには上に行って、新鮮な血を飲みたいのよ」


その言い方に、思わず少しだけ笑いそうになる。冗談のように聞こえるのに、本人にとってはたぶん切実なのだろう。


ミラーカは構わず続けた。


「リアンは戦いを。アドールは知識を。カダスは生気を求めているわ。なのに私たちは、この薄暗い地下迷宮に囚われているの」


ランプの灯りの下で見るミラーカは、相変わらず優雅だった。だが、その目の奥にある飢えのようなものは、俺にも分かる気がした。


閉じ込められる。


求めるものがあるのに、そこへ辿り着けない。


その苛立ちは、今の俺にも少し分かる。


「この呪いは、解呪を持つ者や、解呪の効果がある道具がなければ解けないの」


ミラーカは俺をまっすぐ見た。


「あなたには、それをこの迷宮で探してもらうわ」


俺は少し黙った。


言っていることは分かる。分かるが、無茶だ。


「でも俺は、レベル1で、大した技能も持たない」


率直にそう言うと、ミラーカは小さく肩をすくめた。


「あなたのスキルは、機械で読み取ったわ」


「……あの機械でか」


「ええ。あなたは学ぶ気があれば、どの後天的スキルでも得ることができる。そして、あなたはそれを使いこなすことができるわ」


その言葉に、俺は目を細めた。


「どの後天的スキルでも?」


「素養が足りない者には、教えても無駄なことが多いの。でもあなたは違う。魂の形が、覚えることに向いているのよ」


言われてみれば、鑑定の第四段階の設定に近い話だ。物や技に宿るスキルを見抜き、訓練によって習得できる。俺はそう書いた。だが今、その理屈が自分に返ってきている。


ミラーカはグラスをテーブルへ置いた。


「これから四人で集まって、何を教えるべきかを協議するわ」


「四人で?」


「私と、リアンと、アドールと、カダス」


その名を聞くと、ようやく現実味が湧く。この十六階には、本当にそういう連中がいるのだ。


ミラーカは続ける。


「それから、レベル上げもこの階層のモンスターでさせる」


「この階層で?」


「そうよ。迷いの廊下に出るような雑多な不死者だけじゃない。外周には、適度に狩れるものもいるし、訓練用に使える個体もいるわ」


訓練用に使える個体、という表現が怖いが、今の俺に選り好みする余地はない。


「あなたは、それを覚えて、レベルを上げて、私たちが指定する階層に行き、解呪方法を探してくること」


ミラーカの声が少し低くなる。


「それが、あなたに求められていることだわ」


俺は長く息を吐いた。


レベルを上げる。


スキルを覚える。


指定された階層へ行く。


そして解呪の方法を探す。


地球で普通の会社員をやっていた男には、あまりにも重すぎる話だ。だが、ここまで来て「無理だ」と言ったところで何も変わらない。


それに。


俺自身も、ストーカーの呪いをどうにかしなければならない。


彼女たちの呪いを解くことと、俺の呪いを解くことは、おそらく同じ線の上にある。


「……わかった」


俺はそう言った。


ミラーカは満足そうに頷く。


「いい子ね」


その言い方は腹立たしいが、今は流す。


するとミラーカはふっと表情を和らげて言った。


「じゃあ、乾杯を」


アンデルセンがすぐにワインを運んできた。


だがそれは、さっきミラーカが飲んでいたものとは少し違った。香りの奥に、鉄っぽい匂いがある。


「それ、血を割ったワインでしょ」


俺が言うと、ミラーカは少しだけ目を丸くした。


「よく分かるわね」


「今の俺には分かるらしい」


自分で言っていて、少しだけ嫌な気分になる。


アンデルセンが俺の前にグラスを置く。ミラーカも自分のグラスを持ち上げた。


「それじゃあ」


ミラーカの唇が、ゆっくり弧を描く。


「私たちの成功に」


俺もグラスを持ち上げる。


「……成功に」


軽く触れ合わせる音。


それから一口飲む。


ワインの酒精が舌に広がる。だがそれ以上に、血の匂いが濃く鼻に抜ける。その二つが混ざり合って、妙に頭がくらくらした。酔いそうになる。酒だけじゃない。血の方にも、今の俺を気持ちよくさせる成分がある気がする。


「慣れればもっと美味しく感じるわよ」


ミラーカが面白そうに言う。


「これ以上好きになったら困る」


「好きになるものは、上手く付き合えばいいの」


なんとも吸血鬼らしい答えだった。


そこから、思いがけず穏やかな時間が始まった。


ミラーカが地球の話を聞きたがったのだ。


最初は半信半疑だった。こんな地下迷宮のヴァンパイアが、地球の何に興味を持つのかと思った。だがミラーカは本気で聞きたがっていた。都市の話、電気の話、夜でも明るい街の話、文字通り空を飛ぶ鉄の乗り物の話まで、いちいち目を細めて聞いてくる。


その中でも、特に食いついたのがバイクだった。


「二輪で走るの?」


「ああ」


「馬も引いていないのに?」


「引いてない」


「それで速いの?」


「かなり」


ミラーカは目を輝かせた。


「そのような機械、作ってみたいわね」


「作るって、お前」


「私を誰だと思ってるの」


そう言って、ミラーカは少し得意げに笑った。


それから彼女は、自分の手元から小さな金属製のものを取り出した。


銃だ。


俺は思わず前のめりになる。


「……それ」


「魔導機文明の傑作の一つよ」


俺の小説でも、魔導機文明の銃は出した。だが俺が描いたのは、どちらかといえば大型で、取り回しが少し難しい、古代兵器じみた代物だった。


だが、ミラーカが見せたそれは違った。


完全にハンドガンのサイズだ。


片手で扱える程度の長さと重さ。だが、握りの部分には細かな魔導刻印が施され、銃身は鈍く青い光を帯びている。無駄がない。美しい。そして危険だと一目で分かる。


「当たれば、手足くらいなら吹き飛ばせるわ」


ミラーカはさらっと言った。


「怖いこと言うな」


「武器だもの」


そう言って、彼女は銃をくるりと指先で回した。扱いに慣れきっている。


「私のスキルには魔導機械のスキルがあるの。作るのは大好きよ」


その言葉に、俺は思わず昔の仲間を思い出した。


そういえば、俺の仲間にもそういうやつがいたな、と。


機械や魔道具が好きで、目を離すと変な試作品を増やしているやつ。今ここにいたら、ミラーカと延々話し込むだろう。


そんなことを考える自分に、少し驚く。


さっきまで俺は、理性が擦り切れる寸前の化け物だったはずだ。なのに今、こうして誰かと道具の話をしている。


不思議な感覚だった。


呑んで、話して、時間が過ぎる。


やがてアンデルセンが静かに近寄ってきた。


「二日後、皆さんがいらっしゃいます」


「皆さん?」


俺が聞くより先に、ミラーカが「あら」と楽しそうに声を上げた。


「それは良かったわ」


どうやらリアンやアドールやカダスのことらしい。


ミラーカはグラスを置いて立ち上がった。


「じゃあ私は少し作り物があるから」


「作り物?」


「色々とね」


そう言って意味深に笑う。


話はそこで終わった。


俺はアンデルセンに案内され、用意された寝室へ戻る。昨日とは違う部屋だったが、やはり整っている。ベッドも柔らかい。灯りも落ち着いている。


ローブを脱ぎ、横になる。


今日は色々ありすぎた。


ストーカーの狂気に呑まれかけ、ダンピールになり、血を飲み、仕事を受け、ヴァンパイアの掟を聞かされ、挙げ句の果てに地球のバイクの話をしていた。


人生が急カーブを切りすぎている。


けれど、奇妙なことに、今の俺は昨日よりずっと自分を保てていた。


クレイヴ。


その名を心の中で反芻する。


俺はそう名乗ることにした。


少なくとも、この迷宮の中で、今の俺はそれだ。


リアン、アドール、カダス。


二日後には、そいつらと会うことになるらしい。


どんな連中なのか。デスナイト、リッチ、ワイトロード。名前だけなら物騒の極みだが、ミラーカと同じく理性ある存在なら、少なくとも会話は成り立つだろう。


そこまで考えたところで、疲れが一気に襲ってきた。


まぶたが重い。


今度の眠気は、機械や魔法によるものじゃない。普通の疲労だ。そんな当たり前の眠気が少しありがたかった。


俺はそのまま、ゆっくり眠りに落ちた。

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