↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/60

第二話。

「……は?」


間抜けなくらい、その一言しか出なかった。


男は案の定という顔で肩を揺らして笑う。


「普通そう言う反応するわな」


「いや当たり前だろ。死んだだの、世界から弾かれただの、意味分かんねえこと立て続けに言われて、はいそうですかってなるやついるかよ」


「いないいない。だからまあ、おいおい話すから、まずは座ろうぜ」


男がそう言って、何もない空間に手をかざした。


すると、白い世界の真ん中に、音もなくテーブルセットが現れた。丸いテーブルに椅子が二脚。木製にも石製にも見える妙な質感で、けれど安っぽさはない。まるで最初からそこにあったものを、今ようやく認識できるようになった……そんな出現の仕方だった。


「はあ?」


「細かいこと気にすんな。ほら」


気にするだろ、と思いながらも、今さら何に驚けばいいのか自分でも分からなくなっていた。


促されるまま椅子に座る。


その瞬間、目の前のテーブルに湯気の立つカップが置かれた。


「飲め」


「いや、警戒するだろ普通」


「毒なんか入ってねえよ。ここでお前に毒盛ってどうすんだよ」


それはそうだ。


俺は恐る恐るカップを手に取った。しっかりとした熱が掌に伝わる。鼻先に届いた香りは、深煎りの苦みと、少しだけ甘い匂いが混じったものだった。


一口飲む。


「……うま」


思わず漏れた。


苦いだけじゃない。酸味は控えめで、後味が妙に丸い。ブラックのはずなのにきつくなくて、喉に落ちたあとにほのかな甘みが残る。俺が自分で淹れるよりよほど美味いし、喫茶店でも当たり外れのある味を、完璧に好みに寄せてきた感じだった。


男はにやりと笑う。


「美味いだろ」


「……まあ」


「お前の好みの味にしといた」


「何でそんなことまで分かるんだよ」


「分かるから」


あまりにも軽く返されて、俺は眉間を押さえた。


何なんだこいつは。


神なのか、死神なのか、ただの変人なのか。そのどれにも見えるし、どれにも見えない。ふざけているようでいて、俺が本当に困る一線は越えない。気に食わないくらい余裕がある。


しばらく無言でコーヒーを飲んだ。


こういう場面ならもっと取り乱していてもおかしくないのに、妙に落ち着いている自分がいた。たぶん目の前の男の調子に引っ張られているのだと思う。こいつが深刻な顔で告げていたら、俺ももっと怯えていたかもしれない。


カップを置いて、俺はようやく口を開いた。


「で」


「うん」


「世界に弾かれたって、どういうことだ?」


男は「まあ」と言って背もたれに寄りかかった。


「難しい話になる。なるんだが、その前に」


そこでなぜか、男は少し口元を緩めた。


「まずは小説完結おめでとう」


「……は?」


本日何度目か分からない、間抜けな声が出た。


「何で知ってるんだ?」


「知ってるから」


「説明になってねえよ」


「説明すると長い」


「もう十分長い話になってるだろうが」


俺が苛立ち気味に返すと、男は楽しそうに笑った。人をからかって遊ぶタイプの笑い方だ。だがそこで話をはぐらかさず、すぐに続けた。


「それでな。あの小説」


「ああ」


「実は本当にあったことなんだわ」


「……は?」


男は頷く。


俺は数秒固まったあと、ようやく言葉を絞り出した。


「いやいやいや、待て待て待て」


「待ってる」


「全部俺が考えたものなんだが?」


「そう思うよな」


「思うに決まってるだろ。あれ書いたの俺だぞ。設定も人物も世界観も、全部ゼロから作ったんだ」


「ゼロじゃない」


男はさらっと言った。


「あれは実際にお前が過去で体験したことを描いてる」


空気が一瞬止まった気がした。


俺は男の顔を見つめる。


冗談を言っている顔ではなかった。いや、表情自体は軽いのに、目だけは妙に真っ直ぐだった。適当なホラ話を吹いている時の目ではない。


それが逆に腹立たしい。


「違うだろ。あの話は、地球から転移した青年が……」


「そこ」


男が指を立てた。


「違うところと言えば、地球から転移して彼方の世界に行ったってところか。あれはお前の願望が混ざってる。分かりやすく異世界転移ものに落とし込んだわけだ」


「願望?」


「そっちの方が飲み込みやすいからな。自分で書くにしても、読む側に伝えるにしても」


男は足を組み替えた。


「それ以外は、大体同じだ。街の成り立ち、人との出会い、成り上がっていく流れ、王になるまでの筋。細部は違っても、骨格はそのまま」


「嘘だろ……」


思わず漏れた。


そんなはずがない。


だってあれは、俺が何度も悩んで、書き直して、削って、付け足して、ようやく形にした物語だ。思いつきで生えた設定だってある。場当たり的に増やした脇役もいる。整合性を取るために後から帳尻を合わせたところだってある。


俺はそのまま口にした。


「あんなに書き直ししたんだぞ」


「話の筋は?」


「え?」


「根っこの筋は、いじったか?」


男にそう聞かれて、俺は口をつぐんだ。


書き直しはした。何度もした。だが、それは主に演出や順番、見せ方の問題だった。誰を先に出すか、この出来事を前倒しするか、戦いの決着をどう描くか。そういう変更はたくさんあった。


けれど、一番大きな流れ……何も持たない青年が、冒険者となり、仲間を得て、地位を築き、最後に王へ至るという筋そのものは、確かにほとんど変えていない。


「……そこは、あまりいじってない」


「だろ」


男はコーヒーを一口飲んだ。


「信じようと信じまいと、お前は向こうの世界のレイだったやつだ」


レイ。


俺の小説の主人公の名だった。


口に出されると妙に現実味があった。いや、現実味があるというのも変だ。そもそも今いる場所自体が現実じゃないみたいなものだ。けれど、胸の奥のどこかが、その名前にざわついた。


俺は無理やり息を吐いた。


「……百歩譲って、そこは分かったとする」


「百歩も譲ってくれて助かる」


「うるせえ」


睨むと、男は降参するように手を上げた。


「じゃあ何で俺はここにいるんだ?」


それが一番大事なことだった。


仮に俺がそのレイとやらだったとして、なぜ今の俺は地球で普通の男として生きていて、しかもこんな場所でこんな話を聞かされているのか。


男はさっきまでより少しだけ真面目な顔になった。


「まずは順を追って説明する」


「最初からそうしろよ」


「してるしてる」


全然そうは見えないが、今は黙って聞くしかない。


男はテーブルに肘をつかず、指を組んだ。


「お前は過去、レイとしての生涯を生きた」


白い空間の中で、その言葉だけが妙にはっきり響いた。


「お前は王になった。嫁は二人。子にも孫にも恵まれて、優れた子孫たちに囲まれて生涯を閉じた」


俺は何も言えなかった。


自分の書いた物語の結末と、ほとんど同じだったからだ。


俺の小説では、レイは戦い抜いて王になり、最後は家族に見守られながら静かに逝く。王として多くを残し、国を盤石にし、次代へ託して死ぬ。


あまりにも都合のいい、綺麗な終わりだと思っていた。


「お前の小説だと、女神に頼まれて王を目指したってことになってるよな」


「ああ」


「あれは本当だ」


「……本当?」


「本当に、女神的な存在に頼まれて王を目指してる」


俺は頭を抱えたくなった。


ファンタジーの中でも、特にご都合主義だと自分で思っていた部分だ。異世界に来た主人公が女神に使命を与えられる。正直テンプレだし、半分は分かりやすさのために置いた設定だった。


それが本当?


何なんだよもう。


男はそんな俺を見ながら続ける。


「そのころ、あの世界では上位存在同士の覇権争いがあった」


「上位存在……神様同士の争いってことか」


「まあ、そう思ってくれていい。神だの精霊王だの星の管理者だの、呼び方は色々あるが、人間から見れば全部似たようなもんだ」


「雑だな」


「人間から見たら十分雑な相手だろ、あいつら」


それもそうかもしれない。


男は少しだけ目を細めた。


「で、お前に関わったその女神は、力を得るためにお前を利用した」


「……利用」


「上位存在の覇権は、ざっくり言えば信仰心の総量で決まる。どれだけ多くの生き物から信じられ、祈られ、依存されるか。それが力になる」


俺は無意識に唇を噛んだ。


嫌な話だ。


「お前は王になったあと、教会を手厚く保護した」


その一言で、ぞくりとした。


俺の小説のレイは、確かに教会を保護していた。民の心の支えとして必要だったし、政の安定にも役立つ。表向きはそういう理由で描いていた。


「王が保護すれば、教会は伸びる。教会が伸びれば、信仰が集まる。信仰が集まれば、その女神の力になる」


男の声は淡々としていた。


「結果として、女神は覇権を握った」


「俺は……」


言葉が詰まった。


駒だったのか、と、聞く前から分かっていた。けれど聞かずにはいられなかった。


「俺は、駒だったのか?」


男は一瞬も迷わず答えた。


「そうだ」


あまりにもあっさりしていて、逆に胸に刺さった。


否定も慰めもない。


利用された。使われた。ただそれだけ。


俺は視線を落とし、冷めないコーヒーの表面を見つめた。揺れていない。白い世界では風もなく、液面は鏡みたいに静かだった。その中に映る自分の顔は、やけに情けなく見えた。


男はそこで少しだけ声音を変えた。


「ただし、そこで終わってりゃまだよかった」


「……何がだよ」


「女神はそのあと、自分の地位を盤石にするために、やってはいけないことに手を染めた」


俺は顔を上げる。


男の表情はもう、さっきみたいな軽さをほとんど残していなかった。


「大規模な争いを起こさせたんだ」


「戦争を?」


「それも含む。国家同士、種族同士、宗派同士。火種をばら撒いて、信仰をより濃く、より強く、より狂信的にさせた。人は不安と恐怖の中で強く祈るからな」


寒気がした。


「それが見つかって、上の存在にあいつは罰せられた」


「上の存在って、お前さっき言ってた……もっと上の連中か」


「そう。覇権争いをしてる連中すら裁く側のやつらだ」


規模がでかすぎて頭が痛くなる。


だが男は止まらない。


「で、その時だ。問題は」


男は俺をまっすぐ見た。


「お前はそのころ、もう別の人間に転生していた」


「……え?」


「レイとして死んだあと、別の人生を始めてた」


俺は息を止めた。


一つひとつならまだ理解できないこともない。いや本当は全然理解できていないが、物語の設定としてなら飲み込める。


けれど、それが全部自分のことだと言われると、急に重みが違った。


「その転生先で、お前は女神の失脚に巻き込まれた」


「巻き込まれたって……どう」


男は少しだけ言葉を選ぶように間を置いた。


「化け物に変化させられた」


背筋に氷を流し込まれたような感覚が走った。


「は……?」


「女神の力が崩れた反動で、加護や因果で強く結びついてた人間に歪みが出た。お前はその中でも特に酷かった。人の形も理性も保てなくなるような変質だ」


喉がひどく渇いた。


さっきまで美味かったコーヒーが、急に胃の奥で重くなる。


「その時、魂が剥がれた」


「魂が……剥がれた?」


「そう。肉体と因果から切り離されて、こっちの世界に落ちてきた」


俺は言葉を失った。


落ちてきた。


こっちの世界に。


それが地球という意味だと理解するまで、少し時間がかかった。


「待てよ……じゃあ、今の俺は」


「元々向こうの世界で王やって、その後また別の人生を送って、そこから剥がれ落ちて地球に来た魂だ」


男はそこで少しだけ肩をすくめる。


「ややこしいだろ」


「ややこしいで済むかよ……」


めまいがした。


普通の男として生きてきた人生が、急に借り物みたいに言われている。いや、借り物ですらないのかもしれない。断片。漂流物。何かの残りかす。


俺が俺だと思ってきた全部が揺らぐ感覚だった。


男はそんな俺に追い打ちをかけるように言った。


「お前の魂は特異だった」


「特異?」


「普通なら、そんなふうに剥がれて別世界に落ちても、そのまま消えるか、壊れるか、せいぜい曖昧な記憶のノイズを抱えたまま短命に終わる」


「……俺は違ったと」


「違った。形を保った。しかも、中身が濃すぎた」


その言い方が妙に気持ち悪くて、俺は顔をしかめた。


男は気にせず続ける。


「だから世界はお前を抑圧した」


「抑圧……」


「ありきたりな男として育つように、徹底的にな」


その一言で、不意に心当たりのようなものが胸をかすめた。


何かが足りないような感覚。


本気を出していないとか、才能が眠っているとか、そんな安い話じゃない。ただ、自分の人生を生きているはずなのに、どこか薄い膜一枚隔てて世界を見ているような感覚が、時々あった。


別に不幸ではない。だが、しっくり来ているわけでもない。


それを俺は、よくある漠然とした閉塞感だと思っていた。誰でも抱えるものだと。


「平凡な家庭、平凡な学歴、極端でも最低でもない会社、そこそこの恋愛、突出しない人生」


男は指を折りながら並べていく。


「バランスが良すぎると思わなかったか?」


「……」


「潰れない程度に満たされて、暴れ出さない程度に退屈。お前が深く目覚めないように、世界がちょうどよく蓋をしてたんだ」


反論したかった。


そんなの後付けだ、と。


だが、できなかった。


俺の人生は確かに、幸でも不幸でもなく、妙に整いすぎていた。壊れるほどの絶望もなければ、何かに賭けるほどの熱狂もない。小説とバイクがなければ、たぶん本当に何の波もないまま流されていた。


「あの小説を書き終えたのが、引き金だ」


男が静かに言う。


俺は目を瞬かせた。


「書き終えたことで、お前は自分自身の履歴をほとんどなぞり切った。抑圧の綻びが一気に広がった」


「だから事故が起きたって言うのか」


「事故っていうより、排除だな」


ぞっとした。


男は淡々と、けれど残酷なくらい平坦に言い切った。


「世界は、お前を排除した」


白い世界が、さっきまでより静かに感じられた。


いや、元から静かだったのだろう。ただ今になって、その静けさがやけに重くのしかかってきた。


男は最後に、確認するようにもう一度言った。


「お前は抑圧が解けそうになった。だから世界がお前を消した」


そこで言葉を切る。


そして、まるで結論を読み上げるみたいに告げた。


「……と言うわけだ」


俺はすぐには何も言えなかった。


コーヒーの湯気だけが、白い空間の中で細く揺れている。


自分の手を見る。


見慣れた、自分の手だ。


バイクに乗って、キーボードを叩いて、コンビニの袋を提げて帰る、そんな普通の男の手にしか見えない。


けれど男の話が本当なら、この手の奥には、王だった男の魂と、化け物になった何者かの残骸と、世界に押さえつけられていた特異なものが眠っていたことになる。


そんなの、笑うしかないだろ。


なのに、笑えなかった。


喉の奥からようやく絞り出せたのは、ひどく乾いた声だけだった。


「……ふざけんなよ」


それが誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。