第十一話。
いよいよ、あと一部屋抜ければ前室だ。
そこまで来た時、俺は足を止めた。
探知に反応がある。
近い。
一つや二つじゃない。四つ。しかも散っていない。まとまっている。俺はすぐに通路の陰へ身を寄せ、意識を絞った。
四人。
車座に座っている。
火。
その像が、ぼんやりと感覚の中に浮かび上がる。
「……探索者か」
俺はほとんど無音で呟いた。
人間だ。
ようやくまともな人間に近い存在が出てきた、という安心はまるでなかった。むしろ逆だ。今の俺にとって、人間は救いでも何でもない。見つかれば討伐対象だ。
俺はできるだけ気配を殺して、その部屋に近づいた。
扉の隙間、崩れた壁の陰、そこから中をそっと窺う。
確かに四人いた。
火を焚いている。小さな焚き火というより、携帯用の炉に近いものだろう。薄い煙が立ち上り、探索者たちの顔を下から照らしている。武器も見えた。剣。杖。盾。軽装の一人もいる。
そして、その部屋の前にはストーカーの死体が転がっていた。
青白い皮膚。裂かれた体。血とも膿ともつかないものが床に広がっている。
俺は目を細める。
「……救助者じゃないな」
当たり前だが、そう確信した。
ストーカーを見つけたら助けるような連中ではない。少なくとも今、目の前にいる連中はそうじゃない。普通の探索者だ。見つけたら倒す。危険なら始末する。そういう側の人間だ。
ここに近づく理由はない。
俺はすぐにその部屋を諦めた。
大回りして前室へ向かう。
時間はかかる。危険も増える。だが、探索者四人と鉢合わせるよりはずっといい。
俺は音を立てないように後退し、別の通路へ入った。
忍び。
探知。
渇望。
心の中で順番にそれを握りしめる。
通路は狭く、暗い。ところどころ崩れていて、足場の悪い箇所もある。壁に触れそうになるたび、自分の鉤爪が石を引っかいて音を立てないかとひやりとした。
しばらく進んだところで、また何かの気配が引っかかった。
今度は一つ。
近い。
しかも妙にざわついている。
俺は角の陰から慎重に覗く。
ストーカーが一体、罠にかかっていた。
石床から突き出した杭のようなものに脚を貫かれている。さらに上半身には細い鎖が巻きつき、体勢を崩したまま必死に身をよじっていた。口からは低い唸り声が漏れ、腕を振って何とか逃れようとしている。
その光景を見た瞬間、腹の底が熱くなる。
今だ。
襲い掛かれ。
弱ってる。
仕留めろ。
喰え。
その衝動が、ほとんど反射で湧き上がった。
俺の鉤爪が、無意識に少しだけ開く。
やめろ。
渇望。
心の中で叩きつける。
違う。
それは違う。
ここで飛び掛かったら、音が出る。血の臭いも立つ。何より、俺がそういう存在だと自分で認めることになる。
俺は唇の内側を噛みしめるようにして、衝動を押し殺した。
横をすり抜ける。
見るな。
匂うな。
考えるな。
そのまま、壁沿いに、音もなく通り過ぎる。
罠にかかった個体が、俺に気づいたのか一瞬だけ唸り声を強めた。だが、俺は振り返らない。振り返ったら駄目だ。
数歩進んだ、その時だった。
前方から、鈍い足音。
重い。
規則的だ。
俺は即座に物陰へ滑り込んだ。
次の瞬間、前から岩石人形が歩いてくるのが見えた。
大きい。
人型ではあるが、人間とはまるで違う。石を削って作った巨像みたいな体。関節には淡い光が走り、顔の部分には目も鼻もない。ただ中央に一本、赤い筋のような光が走っている。
「……ゴーレム」
たぶんそうだ。
警備のモンスター。
遺跡そのものに仕える存在か、古代の防衛機構か。俺の設定でも近いものはいた。
岩石人形は、重い足取りのまま通路を進んでくる。
一歩ごとに床がわずかに震える気がした。
見つかったらまずい。
だが、俺は動かなかった。
物陰に身を縮め、気配を殺し、ただ様子を見守る。
ゴーレムは俺のいる方向へ顔らしき部分を向けもしなかった。
そのまま通り過ぎる。
俺には目もくれず、ただ機械的に巡回を続けているみたいだった。
やがてその巨体は闇の中へ消えていった。
「……助かった」
かすれた声が喉の奥で転がる。
罠にかかったストーカーも、ゴーレムも、どちらも関わらずに済んだ。
それだけで、今は十分だ。
俺はさらに進んだ。
そして、どうにか前室へたどり着く。
ここだ。
ボス部屋の手前。
俺は扉の前で一度止まり、探知に意識を向けた。
中は広い。
そして暗い。
異常に暗い。
「光が通りにくい部屋……」
思い出す。
前室は、明かりが吸われるみたいに広がらない構造だった。壁や天井に何らかの加工がされていて、普通の灯りでは遠くを照らしにくい。だからこそ、待ち伏せにも隠密にも向く。
俺は慎重に扉を押した。
音を立てないように、ほんの少しずつ。
隙間が開く。
中はやはり真っ暗だった。
薄闇ですらない。光が飲まれているみたいな、密度のある暗さだ。
俺は身を低くし、その中へ滑り込む。
扉を閉めるのはやめた。閉める音が怖い。
壁を背にする。
探知。
忍び。
その二つを最大限意識しながら、横歩きで進む。
方向は分かっている。
ボス部屋への扉は正面奥ではなく、少し右寄り。だから壁に沿って移動していけば、いずれ位置が掴めるはずだ。
一歩。
また一歩。
暗すぎて目はほとんど役に立たない。壁の冷たさと床の感触、そして探知だけが頼りだ。
この暗さはありがたい。
同時に恐ろしい。
どこかに何かいても、見えない。
俺は喉の奥で渇望を唱えながら、ゆっくり進んだ。
その時だった。
突然、後ろの扉が開いた。
ぎ、と石が擦れる音。
光。
カンテラの明かりが、細い筋になって暗闇へ差し込んだ。
「っ」
探索者たちだ。
さっきの四人。
ぞろぞろと入ってくる気配がする。笑い声と、金具の触れ合う音。油断した空気じゃないが、完全戦闘態勢でもない。ボス部屋を目指しているのだろう。
まずい。
隠れたい。
だが、この前室には隠れる場所がほとんどない。壁際はあるが、ちょうど今の位置では、光が回れば見つかる。走れば音で終わる。飛び掛かるのは論外だ。
一瞬で判断する。
伏せる。
死んだフリ。
俺は咄嗟にその場へ伏せた。
体をできるだけ力なく投げ出し、腕も不自然にならないように広げる。左目が塞がっているのはむしろ都合がいい。呼吸を抑え、動きを殺す。
カンテラの光が近づく。
一歩。
また一歩。
探索者たちの気配が寄ってくる。
見つかった。
それは分かった。
誰かが足を止める。
「……おい」
低い声。
俺は息を殺す。
衝動が暴れそうになる。
人間だ。
近い。
襲え。
首を裂け。
その誘惑が、今までで一番強く喉元までせり上がった。
駄目だ。
動くな。
渇望。
渇望。
心の中で連打する。
カンテラの光が、俺の体を照らした。
青白い皮膚。
鉤爪。
異形の体。
これで死体だと思ってくれるかどうか。
一秒がやたら長い。
やがて、一人が言った。
「死体か?」
心臓が止まりそうになる。
別の声が、すぐに答えた。
「そう」
短い。
断定的だった。
なぜそう言ったのかは分からない。面倒だったのか、本当にそう見えたのか、あるいはストーカーの死体なんていちいち気にしないだけか。
だが、その一言で流れが決まった。
「ちっ。びびって損したぜ」
最初の声の男がそう吐き捨てる。
靴音が遠ざかる。
光も動く。
探索者たちはそのままボス部屋の方へ向かっていった。
俺はまだ動かなかった。
動けなかった。
全身のどこかが震えそうになっているのを、必死で押さえる。
行った。
まだ行った。
もう少し。
もう少し待て。
カンテラの光が完全に遠ざかり、扉の開く音、話し声、そしてまた別の気配の流れが前方へ消えていくのを確認してから、俺はようやく浅く息を吐いた。
「……っ、は」
助かった。
まただ。
また、ぎりぎりで助かった。
探索者に照らされて、死体扱いで見逃された。
笑えない。
笑えないのに、どこかであまりにも馬鹿げていて笑いそうになる。
だが同時に、ぞっともしていた。
今のは偶然だ。
次も同じとは限らない。
それに、探索者たちはボス部屋へ向かった。
ということは、この先で俺がやろうとしていたことを、あいつらが先にやるかもしれない。
ボスと戦うのか。
死ぬのか。
勝つのか。
あるいは、ボスがこっちへ出てくるのか。
状況が一気に変わる可能性がある。
俺は暗闇の中で、そっと身を起こした。
渇望。
一度だけ念じる。
恐怖でまた濁りそうになる意識を、細い糸のように繋ぎ止める。
ボス部屋の先へ行きたい。
十六階へ行きたい。
だが今、探索者たちがその間にいる。
俺は闇の中でじっと耳を澄ませた。
次に何が起きるのか。
それが、生き残るかどうかを決める気がした。




