開け
そういえばこの旅行中、いつも誰かといてひとりでいることは無かったなとわたしは思う。わたしは目を閉じる。汗がうなじから背中へとゆっくりと流れていく。虫の音と海の音が聞こえる。常にその音がするから、かえって静かな気がする。あの時もそうだったのだ。虫の音と海の音に囲まれ汗と血を流したのだ。どれだけ苦しかったのだろう。わたしは行きの飛行機を思いだす。そうすると少しだけ、ほんのささやかなだけ共感できる気がする。でも、あの時はもっとずっと苦しかったのだ。それはどのように肉体に、精神に感じるのだろう。わたしにはわからない。わかるのはわたしの経験を想像を遥かに超える苦しみがこの世にここに確かにあった、それだけだった。
わたしはすぐそばにある碑を眺める。こうして教訓を学ぶのに20万人も必要だったのだろうか。たったひとりでいいのではないか。一人の苦しみをそのまま引き継ぐことができるなら、人間の歴史に戦争は対立はもう二度と起こらないだろう。日常の生活の些細ないさかいさえも起こらないだろう。戦争の後、残された人々は苦しみを取り除こうとした。伝えようともした。でも、苦しみは今もあるし、十分に伝わっていない。わたしは苦しんでいるが、他者の苦しみをよく知らない。わたしはわたしに閉ざされている。苦しみは辛いし怖いし避けたい。でも祈る気があるなら、知らなくてはならない。開け。わたしは手を伸ばしてみる。指さきにぬくもりがあり葉から零れた光だとわかる。苦しみよ、来いとわたしはつぶやく。詰めたティッシュを取ってみる。まだ血は止まっていない。新しいティッシュを詰める。
礎には沖縄戦でいのちを奪われたすべての人の名が刻まれている。だから刻まれているのは日本人の軍人と沖縄の民間人だけではない。連合国の軍人と巻き込まれた朝鮮人の名も刻まれている。現在から過去を振り返った時、そのまなざしには敵も味方も無く、むしろ敵の中の味方や味方の中の敵も知り、そこにはただ歴史の犠牲者たちの悲劇だけがあるのだった。奪われた者たちは今、海の果てで何を考えているのだろう。奪われる前に多様であったように、決して一枚岩ではないだろう。今も受け入れない者たちもいるだろう。どうしていのちを奪われて代わりに苦しみを与えられたのか。なぜ礎にならなくてはいけなかったのか。ウチは人間という者を許していない。僕を通して悲劇を語るな。わたしの前でその殊勝な面を見せるな。花なぞいらない。なぜおがむんだ。祈るな。
ざあっと強い風が吹いてわたしははっと目を開く。被っていた帽子が飛ばされてゆく。大切な帽子。わたしは立ち上がって追いかける。




