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激情のディソナンス  作者: 白瀬余白


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第9話 お前の子分じゃねえ

「動けええええ!」


「俺に言ってんのか!」


「俺の腕に言ってんだよ!」


 昼休みの鉄門学園。


 第二実習棟の前で、机が軋んでいた。


 机の両側に一人ずつ。


 肘をつき、右手を組み、互いの腕を倒そうとしている。


 背の高い人間の少年が、歯を食いしばっていた。


 バッシュだった。


 向かいにいるドワーフの少年は、首も肩も、やたらと太かった。


 背丈ならバッシュのほうが上だ。


 だが、胸から腕にかけての厚みは、比べものにならない。


 ガルド・バルケン。


 鉄門の二年で、その名前を知らない者はほとんどいなかった。


「おお、押してる!」


「今日はいけるぞ、バッシュ!」


 周囲から声が飛ぶ。


 組んだ手が、少しずつガルドの側へ傾いていた。


 バッシュの額に汗が浮く。


「どうした、ガルド! もう終わりか!」


「まだ喋れるなら、余裕だな!」


「てめえこそ――」


 止まった。


 ガルドの腕が、ぴたりと止まった。


 バッシュの顔つきが変わる。


「……おい」


「ん?」


「待て」


「待たねえ!」


 腕が戻った。


 真ん中を通り越した。


「ふざけんなあああ!」


 ばん、と机が鳴った。


 横に置かれていた木の杯が跳ねた。


 それを、細い手が空中で受け止める。


「ガルドの勝ち」


 杯を持ったエルフの少年が、淡々と言った。


 長い耳の先に、黒い油がついていた。


 エルンだった。


 彼は杯を離れた箱へ置き直し、手元の紙へ一本線を引く。


「バッシュ、三勝一敗。ガルド、一勝」


「俺のほうが勝ってんじゃねえか!」


 バッシュが叫んだ。


 ガルドは腹を抱えて笑った。


「そうだな!」


「笑うな!」


「でも、手え痺れたぞ。お前、また強くなってんじゃねえか」


「褒めんな! 悔しがれ!」


「勝ったのにか?」


 周囲がどっと笑った。


 バッシュは右手を振りながら、机から離れた。


「くっそ……」


「さすがガルドの右腕だな」


 誰かが言った。


 バッシュが即座に振り向く。


「どっちの腕も俺のだ! こいつの子分じゃねえ!」


「知ってる!」


 ガルドが答えた。


 その声が、いちばん大きかった。


     *


 見物人の端に、大きな一年が立っていた。


 ドワーフの少年だった。


 肩幅だけなら、ガルドに負けていない。


 ただし、両手を体の前で揃え、笑っていいのか迷っている顔をしていた。


 ガルドが見つけた。


「お前、でけえな!」


 少年がびくりとした。


「は、はい」


「一年か?」


「はい。ポルです」


「ポル。やるか!」


 ガルドが机を叩いた。


 ポルは、その手を見た。


 太い指。


 盛り上がった腕。


 さっきまで三人続けて勝っていたバッシュの手を、最後には机へ押しつけた腕だった。


「僕、あんまり力が……」


「そんだけ体でけえんだ。やってみろって!」


 周囲の生徒も場所を空けた。


「お、でかいのが来たぞ」


「一年かよ。ガルドより食いそうだな」


 ポルは、引き返すきっかけを失った。


 椅子へ座る。


 ガルドの手を握った。


「いくぞ」


「はい」


 始まった。


 すぐに終わった。


 ポルの手が、こつんと机についた。


 ガルドが目を瞬く。


「……力、入れたか?」


「入れてました」


 また笑いが起きた。


 ポルも、つられたように笑った。


 うまく笑えたかどうかは、わからなかった。


「何だよ、これからじゃねえか!」


 ガルドが彼の肩を叩いた。


「まだ一年だ。鍛えりゃいくらでも強くなる!」


「はい」


 ポルは立ち上がり、右手を左手で包んだ。


 少し痛かった。


 バッシュが、それを見た。


「おい。手、平気か」


「あ、大丈夫です」


「どれ」


 見せると、バッシュは握っていた指を開かせた。


「痛かったら、痛えって言えよ。あいつ、加減の基準がおかしいから」


「してたぞ、加減!」


 ガルドが口を挟む。


「お前の加減なんか信用できるか!」


「お前相手には、してねえよ!」


「当たり前だ!」


 二人の声に、ポルはもう一度笑った。


 今度は、少し自然に笑えた。


 その横で、エルンが鼻を動かした。


「あ」


 全員が彼を見る。


「焦げてる」


     *


「おおおい! 俺の肉!」


 ガルドが机から飛び出した。


 実習棟の壁際に、奇妙な焼き台が置かれていた。


 横に小さな歯車。


 下には魔晶石を収めた箱。


 上には肉を刺した串が何本も並び、ゆっくりと回っている。


 そのうちの半分から、黒い煙が上がっていた。


「エルン! 均等に焼けるんじゃなかったのか!」


「均等に焼けてるよ。火が強すぎるだけで」


「均等に焦がすな!」


 エルンは焼き台へ近づき、横のつまみを回した。


 火が弱まる。


 ガルドが、串を一本持ち上げた。


 肉の表面が黒かった。


 裏も黒かった。


「……ほんとに均等だな」


「でしょ」


「感心してんじゃねえよ!」


 バッシュが怒鳴った。


 エルンは、口元だけで少し笑った。


 焼き台の横には、大きな紙が広げられていた。


 串を回す歯車の絵。


 火床の断面。


 隅には、ガルドの太い字で書かれている。


 ――鍛冶通りの祭り。肉百本。


 バッシュが、その紙を指で弾いた。


「祭りの前に、実習棟を燻製にすんじゃねえぞ」


「だから試してんだろ!」


「食うほうに夢中で、見てなかったくせに」


「お前と腕相撲してたんだよ!」


「それは別だ!」


 エルンが、次の串を並べた。


「もう少し速く回せば、火に当たる時間は短くなると思う」


「よし、回せ!」


「でも、まだ速いほうは試して――」


 ガルドがつまみを回した。


 歯車が唸った。


 串が回った。


 急に、速くなった。


「おお!」


 ガルドが身を乗り出す。


 串に刺していた野菜が一つ、飛んだ。


 バッシュの胸に当たった。


 落ちた。


 三人が、それを見た。


 バッシュが静かに顔を上げる。


「武器か、これは」


「飛ぶとは思わなかった」


 エルンが言った。


「ちょっと嬉しそうに言うな!」


「あの!」


 ポルの声がした。


 三人が振り向く。


 ポルは焼き台の向こう側へ回っていた。


「回すの、少し遅くしてもらえますか」


 エルンがつまみを戻した。


 ポルは横にあった布を取り、串を並べた枠の取っ手へ巻いた。


「これ、上がります?」


「上がるよ。二段ある」


「じゃあ、一つ上に」


 ガルドが反対側を持った。


「こうか?」


「はい。そこで」


 火と肉の間が、少し開いた。


 ポルは串の間隔を直し、まだ焼いていない肉の入った鉢を見た。


「残ってるの、使ってもいいですか」


「おう!」


 ガルドが即答した。


 ポルは手を洗い、鉢の前へ立った。


 刻んだ香草を少し足す。


 肉をまとめ直す。


 串へつける形も、さっきより薄く、揃っていた。


 エルンが横からのぞき込む。


「丸いほうが、肉はたくさんつくよ」


「でも、外だけ焼けちゃうので。中まで火を通そうとすると、外が固くなります」


「なるほど」


 エルンは紙を引き寄せ、何かを書き足した。


 ポルが新しい串を並べる。


「回る速さは?」


「そのくらいで。あ、もう少しだけ、ゆっくり」


「これ?」


「はい」


 ガルドとバッシュは、黙って見ていた。


 香りが変わってきた。


 焦げた脂の匂いに、香草の匂いが混じる。


 やがてポルが一本を取り、端を割って中を確かめた。


「……焼けました」


 ガルドの手が伸びた。


「熱いです」


「おう!」


 一口で、半分なくなった。


 ガルドが止まった。


 ポルも止まった。


 何か失敗しただろうか。


 塩が足りなかったか。


 香草が多すぎたか。


「うめえ!」


 声が実習棟の壁へぶつかった。


「何だこれ! さっきのと全然違う!」


「さっきのは炭だったからね」


 エルンが言った。


 バッシュも一本取った。


 噛んで、少し眉を上げる。


「……中、柔らけえな」


「固めすぎないようにしました」


「お前、これ、自分で考えたのか」


「家で、時々作るので」


 ポルの声が、少し弾んだ。


「鍋で焼くときは、先に玉ねぎを炒めて入れるんですけど、今日は串なので、崩れないように――」


「ポル! もう一本!」


 ガルドが空になった串を上げた。


 ポルは慌てて次を取った。


「はい!」


 周囲の見物人まで寄ってきた。


「俺にもくれ」


「金いるか?」


「おい、そっちばっか食うなよ!」


 ガルドが笑いながら、寄ってくる連中を腕で押しとどめる。


「待て待て! まだ焼けてねえ!」


 ポルは次の串を並べようとした。


 置く場所がなかった。


「……ちょっと、焼くところが足りないです」


 ガルドが焼き台を見た。


 エルンを見た。


 にやりと笑った。


「でかくしようぜ」


「そう言うと思った」


 エルンは、もう紙の端へ線を引き始めていた。


     *


「何だ。二年で火事か?」


 低い声がした。


 人垣が振り返る。


 二本の角を後ろへ流した、魔族の三年が歩いてきた。


 制服の肩に、白っぽい埃がついている。


 後ろにも三年が何人かいた。


「ラグさん!」


「ちょうどいいとこに来た!」


 声が上がる。


 ガルドは焼き台の前から動かなかった。


「火事じゃねえよ。肉だ」


「どっちも煙出てるじゃねえか」


 ラグは横から串を一本取った。


「あっ、おい!」


 ガルドが手を伸ばす前に、口へ入れる。


 ラグは二度、噛んだ。


「……誰が作った」


「ポル!」


 ガルドが隣を指した。


 ポルが慌てて頭を下げる。


「い、一年のポルです」


「おう。うまいな、これ」


「ありがとうございます」


「また、でかいのが増えたな」


 ラグはガルドとポルを見比べて笑った。


 それから、懐へ手を入れる。


「エルン」


 小さな金属の包みを投げた。


 エルンが受け止める。


 布を開くと、歯車と、太い軸受けが出てきた。


「言ってたやつ。荷揚げ場の古い機械から外した」


 エルンの顔が明るくなった。


「これ、使っていいの」


「捨てるやつだ。親父には言ってある」


「助かる。大きいのが作れる」


「だから持ってきたんだろ」


 ラグは串から最後の肉を外した。


「代わりに、祭りで俺らにも焼けよ」


「材料は持ってきて」


「ちゃっかりしてんな」


 ガルドが二人の間へ顔を入れた。


「おい、俺の焼き台だぞ!」


「設計したの、俺」


「鉄材、運んだの俺だぞ」


 バッシュも言った。


 ラグがポルを見る。


「肉は、お前か」


「はい」


 ラグはガルドへ向き直った。


「お前、何したんだ」


「言い出した!」


 一拍置いて、全員が笑った。


 ガルドも笑った。


 大きな手でバッシュの背中を叩き、叩き返され、それでも笑っていた。


 ポルはその横で、次の串を焼いた。


 さっきまで、誰に何と言えばいいかわからなかった。


 今は、肉をひっくり返す時機ならわかった。


 エルンが回転を少し速めようとすると、声も出せた。


「もう少し、このままでお願いします」


「わかった」


 すぐに手が止まった。


 ポルは、焼けていく肉へ目を戻した。


「ラグ」


 ガルドの声がした。


 さっきより、少し低かった。


 ラグが顔を向ける。


「明日、やろうぜ」


「何を」


「腕じゃねえぞ。拳だ」


 近くの笑い声が止まった。


 けれど、誰も逃げなかった。


 むしろ、少しずつ顔を寄せてくる。


 ラグは、食べ終えた串を空き鉢へ置いた。


「俺と?」


「ほかに誰がいるんだよ」


 ガルドが一歩前へ出た。


「鉄門で一番強いのは俺だって、いい加減、言わせろ」


 ラグが笑った。


「言うだけなら勝手に言え。俺は訂正するけどな」


「なら、訂正できなくしてやる」


「大きく出たな、二年」


「腹と声だけでけえと思ってんなよ」


 ラグの目が変わった。


 笑いは消えなかった。


 ただ、目の前の相手を、さっきより長く見た。


「明日の放課後。西の土場だ」


「おう」


「ちゃんと飯食ってこい。腹減って力が出なかったとか、聞かねえからな」


「食いすぎて動けなかったって言わせてやるよ」


「それはお前だろ」


 また笑いが起きた。


 ガルドの周囲から声が飛ぶ。


「やれ、ガルド!」


「今度こそ三年倒せよ!」


 ラグの後ろからも、すぐに返った。


「うちの頭、舐めんなよ!」


「二年は焼き台でも回してろ!」


 バッシュが舌打ちした。


「おい、勝手に二人で決めてんじゃねえぞ」


 ガルドが振り向く。


「お前も来いよ、バッシュ!」


「行くよ。どっちが勝っても、次は俺だ」


「そう来なくちゃな!」


 また背中を叩かれた。


 バッシュが、その腕を払いのける。


「だから、叩くな! 痛えだろ!」


「お前、俺が勝つと思ってんだろ?」


「思ってねえよ!」


 ガルドは、ひどく楽しそうに笑った。


 バッシュも口の端を上げた。


 けれど、机の下で握った右手は、開かなかった。


     *


 放課後、第二実習棟の前には、焦げた匂いが少しだけ残っていた。


 ガルドとエルンは、大きな焼き台に使える鉄板を探しに行った。


 取り外した串や鉢は、流しの脇に積まれている。


 バッシュは最後の鉢を洗い、逆さに置いた。


「何で俺が、あいつの片づけまでやってんだ」


「僕がやりますって言ったのに」


 隣で、ポルが布を絞っていた。


「お前、もう串全部洗っただろ」


「でも」


「終わったもんはいいんだよ」


 バッシュは濡れた手を振り、壁へ背を預けた。


 実習棟の向こうから、ガルドの声が聞こえる。


 何か、大きいものを見つけたらしい。


 それにエルンが、静かな声で何か返していた。


 バッシュは自分の右手を握った。


 まだ少し痺れていた。


 昼、ほんの少しだけ倒せた。


 それなのに、あの馬鹿は最後に笑っていた。


 強くなったな、とまで言った。


 バッシュは壁から背を離し、誰もいないほうへ拳を出した。


 もう一度。


 今度は、足も動かす。


「あの」


 ポルが言った。


 バッシュが振り返る。


「何だ」


「……喧嘩、教えてもらえませんか」


 バッシュは、上げていた手を下ろした。


「俺に?」


「はい」


「ガルドに頼めよ。あいつ、そういうの好きだぞ」


 ポルは布を畳み直した。


 一度畳んだところを、もう一度。


「僕、皆が見てると、何を言われたのか、わからなくなっちゃって」


「……ああ」


「力を入れろって言われると、入れてるつもりなんですけど。でも、入ってないって言われて。それで、どうしたらいいのか」


 バッシュは黙って聞いていた。


 ポルが顔を上げる。


「バッシュ先輩は、手が痛いの、気づいてくれたので」


 バッシュは視線をそらした。


「見りゃわかるだろ」


「ガルド先輩が嫌とかじゃ、ないんです」


「知ってるよ」


「あの、でも、僕は――」


「俺に頼んでんだろ」


 ポルが口を閉じた。


 バッシュは襟元を引き、息を吐いた。


「わかった。少しだけな」


 ポルの顔が上がった。


「ありがとうございます」


「その代わり、今度なんか作れ」


「はい!」


 返事が、急に大きくなった。


 バッシュが少し笑う。


「飯の話だと、声出るじゃねえか」


「す、すみません」


「謝んなよ」


「何が好きですか」


「肉。辛いやつ」


「煮込みでもいいですか。辛いのだったら、先に香辛料を焼いて、それから――」


「わかった。うまいやつ」


 ポルは口を閉じた。


 それから、小さく笑った。


「はい」


 バッシュが、流しから離れた場所を顎で示した。


 ポルがついてくる。


「手、上げてみろ」


 ポルは両手を上げた。


 肩まで一緒に持ち上がった。


「そんなに固まんな。息、止まってるぞ」


 ポルが慌てて息を吐く。


「……こうですか」


「もうちょい楽に」


 腕が、だらりと下がった。


「全部抜くな」


「あっ」


 バッシュが笑った。


 ポルも少し笑った。


 笑ってから、もう一度手を上げた。


 今度は、さっきより肩が下がっていた。


 バッシュは横へ回り、彼の足元を見た。


「そう。そのまま、一回だけ」


 ポルが拳を出した。


 勢いで体まで前へ出て、踏ん張った足がばたついた。


 バッシュが肩を支える。


「殴る前に転ぶなよ」


「はい……」


「もう一回」


 遠くで、ガルドの笑い声が上がった。


 鉄板を持ったまま何かをやっているらしく、今度はエルンが少し大きな声を出した。


「それ、置いてから笑って」


 バッシュはそちらを見た。


 あの馬鹿は、明日もきっと笑って土場へ来る。


 それが腹立たしかった。


 勝つつもりなのだ。


 本気で。


 自分だって、同じだった。


 バッシュはポルへ向き直った。


「もう一回だ。今度はゆっくり」


 大きな一年が、うなずいた。


 ガルドの声が響く工房の裏で、二人だけの練習が始まった。


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